「中国政治論」を学ぶコミュの歴史の紐縛

☆「歴史の紐縛」

　集中講義の題目は「中国現代政治論」となっています。まずカバー範囲を確定したいと思います。「中国」ですが、本土以外にもこの講義では、中国の中央権力が自らの領土と見なしている台湾も含めて論議します。一九九七年に英国から中国に返還され「１国２制度」の特別行政区となった香港についても触れたいと思います。中華圏というと華人が住んでいるシンガポールや華僑の多い東南アジアも含めた範囲を意味しますが、時間の関係で割愛させていただきます。
　それから中国の「現代」は１９４９年の中華人民共和国の誕生以降になります。では「近代」はいつを起点とするのかということになりますが。英国と清朝が戦かった１８４０年のアヘン戦争以降を指すのが常識となっています。それ以前は、王朝の興亡が繰り返された古代という風に区分されています。
　中国の歴史教科書を読むと、近代の先行部分としての古代と近代は大まかに言って、世界に冠たる中華帝国の誇りと皇帝を頂点とする専制支配、帝国主義列強の侵略の被害者としての屈辱の歴史と国民党の未完の革命が描かれています。そしてこうした過去と決別あるいは乗り越えて共産党の指導の下での革命で新しい中国が生まれ、発展したのが現代であると非連続で語られることが多いのです。
　今日の１時限の講義の題目を「歴史の紐縛」としたのは、現在の中国の政治の実態を見ると、実はそれぞれの境目は「非連続」ではなく「連続」と見られる部分があまりにも多いからです。特にこの傾向は、脱社会主義の市場経済化が進むにつれて、厚化粧がはげるというか、むかし返りが目立つようになっているのです。歴史伝統は社会主義と癒着して生き残り、社会主義の影が薄れるにつれて、地が出てきたと言ったら好いのかもしれません。
　中国留学中に福建省の山奥にある農村を訪れた時のことを思い出します。ショックを受けたのは、人間が動物と一緒に住むような極貧ぶりだけでなく、いわゆる「悪代官」のように腐敗した共産党の末端幹部が悪事を働いていたことでした。革命で解放され、社会の主人公になったはずの農民はそれを受け入れるしかない現実でした。まるで水戸黄門が葵（あおい）の御紋を振りかざして、悪人を懲らしめて欲しいと願うような場面でした。その時聞いた言葉で忘れられないのが「還是清朝末年（まだ清朝末期だ）」という農民たちのあきらめ半分の肉声でした。
　清朝末期とはどういう意味なのでしょうか。中国人のインテリに尋ねたところ「腐敗して崩れかかっているが、変革を受け入れようとせず、そのくせなかなか崩壊せず、次の時代の展望が全く開けてこない状態」という説明が返ってきました。
　中国はマルクス主義を受け入れる過程で王朝支配の原理である儒教を否定したはずでした。みなさんに是非読んでもらいたい中国の文学作品に「阿Ｑ正伝」があります。作者の魯迅はその中で、儒教を支配論理とする旧中国社会を「人が人を食べる社会」だとしてその非人間性を告発、現実に向き合わず、支配に甘んじる中国庶民の生き方を奴隷根性として鋭くえぐり出しました。魯迅は革命家、毛沢東が最も称えた同時代の作家でした。
　新しい中国になって共産党は旧社会の体質を批判するキャンペーンを繰り返し、儒教や孔子はその度にやり玉に挙げられたのです。１９６０年代から７０年代にかけて中国で荒れ狂った文化大革命では古いもの（四旧＝旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣）はみなぶちこわせと徹底した伝統破壊キャンペーンを行いました。しかし、階級闘争を至上とする運動が、世代を超えて階級制を受け継ぐ血統論（解放前の貧しい農民の子孫は英雄に革命的であるし、地主の子孫は何代後になっても反動的である）に落ち込んでしまい、ミイラ取りがミイラになってしまったのでした。旧体質打破の運動が最も後ろ向きの身分固定論に帰着してしまった皮肉があります。革命家、毛沢東が皇帝になってしまったというところに最大の矛盾が表れています。毛沢東の主治医が書いた「毛沢東の私生活」という本を読むとそれを実感します。倒そうとしても倒れず、もっと強くなって立ち上がってくる。まさに、中国の伝統の生命力の強靱（きょうじん）さは驚くばかりです。おそらく中国の社会主義は伝統文化の中に溶解してしまうのではなかいと思うほどです。
　最近の共産党は、この伝統という不死身の幽霊との戦いをあきらめてしまったようです。それどころか評価は逆転してしまったという方が正しいでしょう。むしろ社会主義のイデオロギーが正当性を失う中で、儒教の根底にある倫理や道徳観をうまく取り込んで、それを近代化の突っかえ棒にしようという考えが出てきています。これは「新儒家」あるいは英語で「ネオ・コンフューショニズム」と呼ばれ、最近まで最高指導者だった江沢民が外国の要人の会見などで好んで取り上げるテーマで、江沢民は昨年秋の第１６回共産党大会で「中華復興」という復古調のスローガンを打ち出しました。復興というからには偉大な過去の中華帝国の栄光を取り戻そうということになります。
中国の歴代王朝で最大の版図を誇ったのは清朝ですが、現在の中国はそのシベリアを除いた部分をほぼ引き継いでおり、その意味では多民族を強権支配する一種の「帝国」と言えるでしょう。こうしてみると中国を中心とする世界観いわゆる「中華思想」が表舞台に出てくるのは、そんなに遠い話ではないかも知れません。話は脇に逸れますが、伝統的に中国で「東洋」というのは何を指すかご存じですか、日本の常識で言えば、西洋に対比される東洋という意味で東アジアになります。しかし、中国ではこれは日本を意味します。中国は世界の中心にあるのですから、その東の洋上にある日本は「東洋」なのです。ですから中国を侵略した日本兵を「東洋鬼子」と読んでいたのです。中華思想については後の中国の対外戦略に関する講義であらためて触れたいと思います。
　再び中国の伝統の話題に戻ります。このように現代に息づく伝統の現実を見ると、現在の指導者４代（毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤）にわたる社会主義中国自体が伝統的な王朝交代劇の一幕ではないかとさえ思えてきます。つまり共産党政権は一つの王朝であって、毛沢東や鄧小平は皇帝だったのではないかとする見方が中国人の中にもあります。毛沢東は新王朝をうち立てた「太祖」であり、鄧小平はガタノのきた王朝を立て直した「中興の祖」というわけです。毛沢東の革命の主体が農民であったことも王朝興亡史に似ていますし、共産党の組織が伝統的な秘密結社の面影を色濃く保っている点も王朝興亡の歴史を読んでいるのではないかと感じさせるほどです。気功集団「法輪功」を共産党があれほど目の敵にしているのも、法輪功が反体制の秘密結社になる恐れを感じているからかもしれません。いずれにせよ統治システムとして王朝支配と共産党政権に共通している点は、権力の上からの極度の集中、すなわち一元的な強権政治です。
　では共産党に先立ち１９１１年の辛亥革命で清朝を打倒して成立した中国で初めての近代的政府である中華民国・国民党政権はどうだったでしょうか。最初から強権政治の桎梏の強さを思い知らされます。指導者の孫文は有力な軍閥の袁世凱に権力の座を譲ってしまいます。この袁世凱が皇帝制度を復活させ、自ら皇帝になろうとしました。この試みは結局失敗するのですが、三民主義で知られる孫文も直ちに民主化に踏みだそうとしたわけではないのです。孫文は革命後の政治体制移行で三段階の構想を示しました。まず軍事力による政権基盤固めの「軍政」、開明的な独裁の「訓政」そして最後に議会制民主主義である「憲政」の三つのステップでした。しかし国民党政権は大陸にある間は、実態として「訓政」以上に進化することはありませんでした。孫文の後を継いだ蒋介石は、「訓政」の名目で、国民党が人民から主権を預かるという「代行」論理で、民主主義を否定する一党独裁体制を敷いて、強権政治を維持したのでした。これを「以党治国」と呼びます。この場合の「党」というのは「議会政党」ではなく「革命政党」です。これは見事に共産党によっても継承されたのでした。ちなみに国民党が「憲政」に踏み出すのは共産党との内戦に敗れで逃げ込んだ台湾で１９８０年代になってからでした。
　皮肉なことに国民党の一党独裁反対を叫んで政権を奪った共産党は、国民党よりも遥かに徹底した強権支配を打ち立て、現在に至っているのです。共産党は民主化へのロードマップも公表したことがないのです。中華民国の台湾が民主化する前の１９７０年代に現地を訪れたことがありますが、その時感じたのは国民党と共産党が一卵性双生児のようによく似ているということでした。こうした歴史的なパースペクティブで見ると、中国のいかなる政権党も強権主義という歴史の紐縛から逃れることが大変かということを痛感させられるのです。それだけに中国本土では近代以降、平和な形で政権交代が起きたことがないのです。もちろんそれ以前は易性革命による王朝交代でした。２００３年の台湾の総統選挙で野党、民進党候補の陳水扁が勝ち、野党国民党との政権交代が平和裏に実現したことはまさに画期的なことだったのです。中国でいつ民主主義的な選挙が行われるのか、本当の意味の共和国が成立するのか見守っていきたいと思います。