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箱根明星中学コミュの中学時代(6)

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このトピでは、私の中学時代の想い出を、思いつくごとに書かせてもらっています。

中学時代私は宮ノ下に住んでいたのですが、二の平らの学校に行くためには一度蛇骨川におり、そして登る山道を通って通学していました。

現在の「彫刻の森」を突っ切って来るわけですが、「彫刻の森」が出来たのは丁度私たちが中学を卒業してからです。

それまではただの草ぼうぼうの雑木林。そこは私たちの遊び場でした。山柿がなっていましたね。桑の実とか山桜の実などを取って食べてました。

中学時代というのは、何だか悶々として憂鬱ですから、私などはよく学校に行きたくなくて、この途中の山の中で時を過ごすというのが何度かありました。1日山の中で本を読んだりしてたわけです。

つまりさぼりなのですが、当時は団塊の世代がいましたから生徒の人数も5倍くらいの人数で、一人一人の生徒には監視の目が行き届かなかったのか、発覚もせず、問題にもならず、停学にも何もなりませんでした。

この山道を、40年ぶりに数年前、郷里に戻ったときに歩いてみたのです。

ほとんどまったく当時のまま。岩の割れ目、道の曲がり、そっくりそのままなんです。まあ当たり前なのですが、実に不思議な感じがしました。

ところがその道の途中にあった「弓道場」は、自然崩壊しているというか、ずるずると朽ち果てた状態になっていたのです。

取り壊したのではなくまさに朽ち果てている。その姿に役半世紀の時の流れを感じたのです。

きっと取り壊そうにも山の途中、いったいどうやって資材を運んで建設したのだろうと言うような建物ですから、壊す機材も運べなかった事でしょう。ただ守る者もなく見捨てられた廃墟でした。

中学2年生の時に東京オリンピック。それなので聖火ランナーが国道1号線を通るわけです。全校生が二の平ら入り口、1号線の分岐点からずっと上に並んで、日の丸の旗を振りました。

時代は高度経済成長、モータリゼーションが始まるわけで、どこにいても何だか落ち着きなく活気があり、あちこちで工事が始まり、道路が拡張されはじめと、にぎやかな黄金時代の始まりだったのです。

コメント(1)

彫刻の森と言えば、
自分達の世代は毎年秋に、「芸術の秋」にちなんで
(かどうかは分からないですが)一日写生会がありました。
彫刻でも、風景でも良いので何かを写生して作品を仕上げる。
という行事があったのですが、今でもあるのだろうか?

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