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山口昌男☆素晴らしきかな人類☆コミュのご冥福をお祈り申し上げます

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http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2352471&media_id=20 より

「道化の民俗学」文化人類学者の山口昌男氏死去

 わが国を代表する文化人類学者で東京外国語大名誉教授の山口昌男(やまぐち・まさお)氏が10日午前2時24分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。81歳。
 告別式は16日午前11時から府中市浅間町1の3府中の森市民聖苑で。自宅は同市朝日町1の13の26。喪主は妻、ふさ子さん。
 北海道生まれ。東大文学部国史科を卒業後、麻布中学・高校教員を経て東京都立大で文化人類学を専攻。アフリカなど世界各地でフィールドワークを重ねながら、1970年代以降、「中心と周縁」「トリックスター」といった概念を駆使して演劇や音楽、映画、天皇制まで幅広く論じる独自の学風を確立。アカデミズムを超えて各界に大きな影響を与えた。
 80年代には当時の「ニューアカデミズム」の良き理解者として後進を支援。90年代からは「『挫折』の昭和史」「『敗者』の精神史」「内田魯庵山脈」など歴史に埋もれた人物の業績を掘り起こしつつ日本近代を描いた作品で新境地を開拓した。99年から2003年まで札幌大学長を務めた。11年に文化功労者。
 主著に「道化の民俗学」「文化と両義性」「天皇制の文化人類学」など。

読売新聞 - 03月10日 12:17
YOMIURI ONLINE

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

コメント(13)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130310-00000010-asahi-soci より

文化人類学者の山口昌男さん死去 「中心と周縁」理論
朝日新聞デジタル 3月10日(日)10時11分配信
 「中心と周縁」「トリックスター(いたずら者)」などの文化理論で、1970年代から日本の思想に大きな影響を与えた文化人類学者で文化功労者の山口昌男(やまぐち・まさお)さんが、10日午前2時24分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。81歳だった。通夜は15日午後6時、葬儀は16日午前11時から東京都府中市浅間町1の3の府中の森市民聖苑で。喪主は妻ふさ子さん。
 北海道生まれ。東京大国史学科卒。東京都立大(現・首都大学東京)大学院で文化人類学を学び、アフリカで神話や王権の聞き取り調査を重ねた。東京外国語大教授や札幌大学長などを歴任。日本民族学会(現・日本文化人類学会)会長を務め、海外の大学でも教えるなど、国際的に活躍した。
 専門分野を自由に横断する学風は、80年代の浅田彰さんや中沢新一さんらによる「ニューアカデミズム」にも大きな影響を与えた。著書は大佛次郎賞を受けた「『敗者』の精神史」のほか「アフリカの神話的世界」「道化の民俗学」「文化と両義性」など多数。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130310-00000038-jij-soci より


山口昌男氏死去=文化人類学者、「中心と周縁」理論
時事通信 3月10日(日)12時33分配信
 文化人類学者で、評論活動を通じて演劇や映画、文芸など幅広い分野に影響を与えた山口昌男(やまぐち・まさお)氏が10日午前2時24分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去した。81歳だった。北海道出身。自宅は東京都府中市朝日町1の13の26。葬儀は16日午前11時から同市浅間町1の3の府中の森市民聖苑で。喪主は妻ふさ子さん。
 東京大文学部国史学科卒業後、東京都立大大学院で文化人類学を学んだ。東京外国語大アジア・アフリカ言語文化研究所長、札幌大学長などを歴任。パリ大学の客員教授を務めるなど海外でも活躍した。2011年には文化功労者に選ばれた。
 アフリカやアジアなど世界各地の現地調査に基づく「中心と周縁」理論や、道化の役割を民俗学的に考察した「トリックスター」論で知られる。大佛次郎賞を受賞した「『敗者』の精神史」や「文化と両義性」、対談集「二十世紀の知的冒険」など著書多数。寺山修司著作集の監修も行った。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130310/art13031016160004-n1.htm より

文化人類学者の山口昌男さん死去 日本の知の世界牽引“ニューアカデミズムの祖”
産経ニュース 2013.3.10 16:10 [有名人の訃報]
死去した山口昌男氏
 1970年代の日本の知の世界を牽引(けんいん)、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長などを歴任した文化人類学者の山口昌男(やまぐち・まさお)さんが10日午前2時24分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去した。81歳。自宅は東京都府中市朝日町1の13の26。通夜は15日午後6時、葬儀・告別式は16日午前11時、東京都府中市浅間町1の3、府中の森市民聖苑で。喪主は妻、ふさ子(ふさこ)さん。
 北海道美幌町出身。東京大学文学部国史学科をへて東京都立大学大学院で社会人類学を修める。ナイジェリアやインドネシアで実施したフィールドワークをベースに編み上げた「中心と周縁」理論は70年代のアカデミズムに多大な影響を与えた。また、硬直したアカデミズムの世界を撹乱(かくらん)し風穴を開けようと、自身が紹介したキーワード「トリックスター」の役割を演じ、「ニューアカデミズムの祖」とも称された。晩年は札幌大学学長を務めた。
 著書に「文化と両義性」「アフリカの神話的世界」「道化的世界」「知の遠近法」など。平成8年に「『敗者』の精神史」で大佛次郎賞を受賞した。平成23年、文化功労者。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG10002_Q3A310C1000000/?dg=1 より

文化人類学者の山口昌男氏が死去 「中心と周縁」理論
2013/3/10 12:48 (2013/3/10 21:18更新)

死去した山口昌男さん=共同
 フィールドワークに基づく「中心と周縁」などの独自の理論で幅広い分野に影響を与えた文化人類学者、山口昌男(やまぐち・まさお)氏が10日午前2時24分、肺炎のため東京都三鷹市の病院で死去した。81歳。自宅は府中市朝日町1の13の26。告別式は16日午前11時から同市浅間町1の3の府中の森市民聖苑。喪主は妻、ふさ子さん。
 北海道生まれ。1955年東京大国史学科を卒業後、麻布中学教諭を経て東京都立大(現首都大学東京)大学院で社会人類学を専攻。東京外国語大教授、静岡県立大教授などを歴任し、パリやナイジェリアの大学でも教壇に立った。99年〜2003年に札幌大学長。
 70年代以降、アジアやアフリカなど世界各地の現地調査に基づいた「中心と周縁」理論や道化の役割に注目した「トリックスター論」など、独自の理論を展開。学問領域の枠を超えて日本の思想・文化をリードし、浅田彰氏や中沢新一氏らによる80年代の「ニューアカデミズム」にも大きな影響を与えた。
 11年に文化功労者。著書は「歴史・祝祭・神話」「道化の民俗学」「文化と両義性」「『敗者』の精神史」(大仏次郎賞)など多数。

 親交のあった建築家の磯崎新さんの話 同世代のさまざまな分野の思想や考え方に影響を与えたリーダーだった。私自身も芸術や社会に関して学ぶことが多く、一緒に文化を議論してきた同僚のような印象がある。もう話を聞けないと思うと悲しみは強く、大きな人を失ったと思う。学問だけでなく、漫画を描き、冗談も言えるユニークな性格で親しみの持てる人だった。

 社会学者の上野千鶴子さんの話 アカデミズムとジャーナリズムを架橋し、学際的な分野を渡り歩いた不世出の「知のトリックスター」でした。そして、マイノリティーや敗者に対する目配りを欠かさない偉大な人類学者だった。学閥や利害を超えて、中沢新一さんや浅田彰さんら多くの人物を育て、私のことも「おもろいやっちゃ」というだけで育ててくれた。大好きな人でした。
知の世界 笑って揺らした 山口昌男さんを悼む
■中沢新一(人類学者)

以下のページをご覧ください。
朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201303110574.html 
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/448519.html より

北海道新聞
山口昌男さん「美幌町の町の誇りだった」 町内で惜しむ声(03/12 16:00)

【美幌】10日未明に死去した、美幌町出身の文化人類学者で文化功労者の山口昌男さんを悼む声が町内の関係者から上がった。世界的な活躍ぶりに「美幌町の誇りだった」と口をそろえ、その死を惜しんでいる。
 美幌大谷幼稚園園長で観照寺前住職の宇都宮観周さん(82)は、旧制網走中(現網走南ケ丘高)入学から戦後、新制の旧網走高を卒業するまでの6年間、山口さんと汽車で通学した。
 「(中学、高校時代の)仲間とは『(山口さんの)病状はなかなか厳しいようだ』という話はしていた。でも亡くなるなんて。寂しいね」と話した。
 いつも英単語のカードを手に勉強する姿が印象的だったと振り返り、「一言で言えば、努力家。それが(学問の分野での)成果になったのでしょう」。
 ともに通学した仲間の一人、寺崎忠志さん(81)も「(山口さんは)成績が良く級長を務めていた。戦時中なので軍事教練の時には号令をかける立場だったが、威張ったりせず穏やかな人だった」と懐かしむ。
 卒業以来、会うことはなく、山口さんが講演のため何度か美幌を訪れた際も、終了後に知ることがほとんどだったという。「せめて、そのときに会えていれば」と残念がる。
 土谷耕治町長は2011年10月、山口さんが学長を務めた札幌大学で、学生を相手に特別授業を行った。政府が山口さんの文化功労賞受賞を発表した直後だった。
 授業の冒頭「『山口さんは美幌町出身、誇りに思っています』とあいさつしたのをよく覚えています。直接の面識はなかったが、美幌の若者たちの前で、いろいろと語っていただきたかった」と死を惜しんだ。(中原洋之輔、大口弘明)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013031102000134.html より

東京新聞【社会】2013年3月11日 朝刊
山口昌男さん死去 文化人類学者 中心と周縁理論

 フィールドワークに基づく独自の文化理論で知られる文化人類学者で元札幌大学長の山口昌男(やまぐち・まさお)さんが十日、肺炎のため死去した。八十一歳。北海道出身。通夜は十五日午後六時から、葬儀・告別式は十六日午前十一時から、東京都府中市浅間町一の三、府中の森市民聖苑で。喪主は妻ふさ子(ふさこ)さん。
 一九五五年に東大国史学科を卒業後、麻布中教諭を経て、東京都立大(現首都大学東京)大学院で人類学を学んだ。六五年から東京外語大アジア・アフリカ言語文化研究所を拠点に、アフリカやインドネシアなどの現地調査を続けた。
 構造主義や記号論を日本に紹介したほか、現地調査を基に社会秩序の生成過程を解明した「中心と周縁理論」、道化の役割に注目した「トリックスター論」などで七〇年代から八〇年代の文化状況をリード。歴史から政治、芸術までを横断する圧倒的スケールの知の巨人として、「ニューアカデミズム」の旗手となる浅田彰さんや中沢新一さんら当時の若手学者、文化人を巻き込み、同時代に大きな影響を与えた。
 九〇年代以降は福島県の廃校からの文化発信活動や、九九年に学長に就いた札幌大で独自の大学運営を展開するなど、既成の枠にとらわれない自由な発想で行動した。
 東京外語大名誉教授。アジア・アフリカ言語文化研究所所長、静岡県立大教授のほか、ナイジェリア、メキシコなど海外の大学でも講じた。酒場や見せ物といった“祝祭的”な現場を愛する行動派の知識人で、自ら漫画も描き、フルートやテニスを楽しんだ。
 二〇一一年、文化功労者。著書に「歴史・祝祭・神話」「文化と両義性」「『敗者』の精神史」(大仏次郎賞)など。

    ◇

 本紙では〇四年一〜六月、夕刊コラム「放射線」(現在は「紙つぶて」)を執筆した。
http://www.sapporo-u.ac.jp/news/topics/2013/0312085124.html より

札幌大学
2013.03.12
山口昌男元本学学長が逝去されました

元本学学長で、文化人類学者の山口昌男名誉教授が3月10日逝去されました(享年81)。
山口元学長は東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授、パリ大学客員教授などを経て、平成9年本学文化学部に赴任。同年4月から11年3月まで文化学部長、11年4月から15年3月まで本学学長を歴任。平成21年には瑞宝中綬章を受賞、平成23年には文化功労者にも選ばれました。
山口昌男元学長のご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。

なお、葬儀は次のとおり執り行われます。
通夜は15日(金)午後6時、告別式は16日(土)午前11時
いずれも府中の森市民聖苑にて。
http://mainichi.jp/feature/news/20130311ddm041040076000c.html より


山口昌男さん死去:長年担当編集者を務めた大塚信一・岩波書店前社長の話
毎日新聞 2013年03月11日 東京朝刊

◇新しい物の見方提示
 知の世界を生き生きと楽しいものとして体現した人だった。アカデミズムの世界を一般社会に広げ、新しい物の見方を提示した功績は大きい。勝者ではなく敗者、中心ではなく周縁の必要性に注目し、人間存在のダイナミズムを理論的に明らかにした。中心に対する自身のスタンスから、結果的に「道化」を演じたところもある。知の偉人も、やはり時には勝てなかった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130312/art13031203440000-n1.htm より

【産経抄】
3月12日
2013.3.12 03:43 [産経抄]
 東京の私立の名門校、麻布学園のOBである評論家の川本三郎さんやジャズピアニストの山下洋輔さんが、うらやましい。なにしろ日本史を、東大の国史学科を出たばかりの山口昌男さんに、教わっているのだ。
 ▼しかも、黒板に歴史の有名な場面を漫画に描いて説明するという、極めてユニークな授業だった。3歳から描いてきた、玄人はだしの漫画の腕は、文化人類学者となってからも役に立つ。
 ▼エチオピアでカメラを嫌う部族の中に入ったとき、わら半紙と鉛筆一本で、300枚を超える似顔絵を描いた。いっしょにいたドイツ人の学者は、「君はいまにピカソになる」と驚いたそうだ。その山口さんの訃報が届いた。
 ▼小欄でも時々使ってきた「トリックスター」という言葉は、山口さんの著作から拝借したものだ。「道化」や「いたずら者」といった日本語があてられる。突拍子もない行動で世の中の秩序を破壊するものの、新しい文化の創造者にもなり得るという。山口さんこそ、「知のトリックスター」だった。
 ▼活躍の舞台は、ナイジェリアやインドネシアでの現地調査をもとにした、専門の文化人類学にとどまらない。その発言は文学から絵画、音楽、映画、演劇にまで及んだ。象牙の塔に閉じこもる先生たちから押された異端の烙印(らくいん)は、山口さんにとっては勲章だった。
 ▼一度お目にかかった時の発言が忘れられない。「学者は自分のことを研究者なんていいたがるけど、芸者、易者に近い商売として、学者こそふさわしい。もともと関心のない人に関心を持たせる、話芸の人なんです」。同じ「者」の付く記者商売として、もっと話芸に磨きをかけなければ、と日々自分に言い聞かせている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/448395.html より

北海道新聞
卓上四季
敗者の視点文化人類学者山口昌男さんは、主著の一つ「『敗者』の精神史」を幕末の探検家松浦武四郎に関する記述で結んでいる▼山口さんが道内出身であることと無縁でないだろう。が、それ以上に<好奇心に満ち、一風変わったものに対する興味を持った人々>と交流を深めた武四郎の生き方に、自らを重ねていたのではないか▼明治になって公職を退いたあと、武四郎は旅の日誌を小冊子にし、広く販売していたという。遺言には葬儀の際に知らせるべき人名を膨大に記していた。<その脳裏には、全国的なネットワークが一種の宇宙図の如(ごと)くに整理されていたのであろう>▼そう書いた山口さんの脳裏にも<世界的な知のネットワーク>が編み込まれていたに違いない。「敗者」への着目は明治政府の立身出世主義コースから降り、“もう一つの日本”を形成した人々を語り、残すためだった▼敗戦後の日本社会も、「敗者の視点」を生かさず、藩閥政府が作りあげたヒエラルヒー(階層制)を温存するための組織を復活し、がむしゃらに突っ走り、破綻を来たした―と喝破。人々のヨコのつながりに未来を見ていた▼進まぬ復興と人間を追い払う原発への固執…。3・11後も政治に反省はみられない。<頭を冷やし、心から納得のいく生き方を>と説き、81歳で逝った山口さん。その警句は、震災3年目を生きる私たちに重く響く。2013・3・12
http://www.47news.jp/korean/culture/2013/03/061656.html より

‘패자의 정신사’ 문화인류학자 야마구치 마사오 타계
13/03/10 15:53

문화인류학자이자 전 삿포로(札幌) 대학 학장이었던 야마구치 마사오(山口昌男) 씨가 10일 오전 2시 24분, 폐렴으로 사망했다. 홋카이도(北海道) 출신. 장례식은 16일 오전 11일부터 도쿄도 후추시 아사마정(府中市浅間町)에서 열린다. 상주는 부인인 후사코(ふさこ) 씨다.
도쿄대학을 졸업한 뒤 도쿄도립대(현 수도대학 도쿄) 대학원에서 인류학을 공부했다. 시즈오카(静岡)현립대 교수와 해외 대학 강단에도 섰다. 도쿄외국어대 명예교수이기도 하다.
아프리카 등지에서의 현장 조사를 통해 제기한 ‘중심과 주변이론’ ‘트릭스타론’ 등 독자적인 문화이론으로 널리 알려졌다. 70~80년대 문화를 리드하며 ‘뉴 아카데미즘’ 붐을 일으켜 당시 젊은 연구자들의 지도적 존재로 각광을 받았다.
저서에 ‘문화와 양의성’ ‘패자의 정신사’ 등 다수. 2011년 문화공로자 선정.【교도통신】



【上記を翻訳ソフトにかけると……】

敗者の精神社’文化人類学者山口マサオ他界
13/03/10 15:53

文化人類学者であり前札幌(札幌)大学学長だった山口マサオ(山口昌男)氏が10日午前2時24分、肺炎で死亡した。 北海道出身. 葬式は16日午前11日から東京都、フチュウシ、アサマ情(府中市?間町)で開かれる。 賞を与える夫人であるフサコ(ふさこ)氏だ。
東京大学を卒業した後東京倒立対(現首都大学東京)大学院で人類学を勉強した。 静岡(?岡)県立大教授と海外大学講壇にも立った。 東京外国語大名誉教授でもある。
アフリカなどの地での現場調査を通じて提起した‘中心と周辺理論’ ‘トリックスターでは’等独自の文化理論で広く知られた。 70〜80年代文化をリードして‘ニュー・アカ’ブームを起こして当時若い研究者の指導的存在で脚光を浴びた。
著書に‘文化と良医性’ ‘敗者の精神社’等多数. 2011年文化功労者選定.【共同通信】
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/03/11/national/influential-anthropologist-masao-yamaguchi-dies-at-81/ より

Influential anthropologist Masao Yamaguchi dies at 81
Famed anthropologist Masao Yamaguchi died of pneumonia at a hospital in Mitaka, western Tokyo, early Sunday. He was 81.
After graduating from the department of Japanese history at the University of Tokyo’s Faculty of Letters, Yamaguchi studied anthropology at the graduate school of now-defunct Tokyo Metropolitan University.
He was head of the Tokyo University of Foreign Studies’ Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa, and president of Sapporo University. He also taught at the University of Paris as a visiting professor.
He was among the 2011 Persons of Cultural Merit named by the government.
Yamaguchi is known for the center and periphery concept based on his fieldwork in Asia, Africa and other parts of the world, as well as his ethnological study on the role of tricksters.
He wrote many books, including “A Psychological History of Losers” and “Culture and Duality.”
Yamaguchi also had major influence in such fields as stage drama, movies and literature.

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