ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

yapの四国遍路日記 コミュの野根大橋の向こう側     四国遍路その15

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2007年   9月3日(月)   晴れ


二日目(通算8日目)

AM5:00

携帯電話のディスプレイを確認し、テントを片付ける。
星たちは、すでに見えなくなっていたが
あたりはまだ暗い。
東の空が赤く焼けているので、あと30分もしないうちに
明るくなるだろう。
昨日の夜は、うとうとしては起き、うとうとしては起きてを繰り返し、
目をつむってはいたものの、あまり眠ることができずにいた。
かと言って、眠いわけではなく目は冴えていて
夜明け間際の5時を、今か今かと待っていた感じだ。


海へと続く川に架かる橋の上から、赤く焼け始めた東の空を撮る。
野宿後の醍醐味は、朝焼けのこの瞬間にある。
空気がひんやりと澄んでいて、人の気配も車の騒音もなく
『この世に、たったひとりだけ』みたいな感覚が
とっても好きなのだ。
宿に止まった場合、寝こけてしまい
いつも見過ごしてしまう。

遠くから一人のお遍路さんが、こっちへと向かって歩いてくる。
よく見てみると、なかもっちさんじゃないか!!
昨日、軽く5時半くらいには出発しますって言ったのを
しっかり守ってくれたようだ。
うちとしては、去年のメガネくんの例もあり、
室戸までの道のりは一本だし、
携帯番号も教えてもらっていたので
またどこかで会うだろうぐらいにしか
思ってなかったのだが・・・・

どうやら、なかもっちさんは恐ろしく
まじめな人みたいだ。

かるく挨拶を交わし、ともに歩き始める。

なかもっちさんの、昨日の宿は
マンションの一室をお遍路さんの宿泊用に
安く提供しているという感じだったらしく
コンドミニアムのように
居間があり、寝室がありで
寝室にある2段ベットで寝たらしい。

昨日の宿泊は、なかもっちさんひとりだけだったらしく
ずいぶんと快適だったようだ。


AM 6:18
太平洋の海から昇る太陽を眺めつつ
国道55号線を、ひた歩く。
どこまでも続く青空、
今日も一日、殺人的に暑くなりそうだ・・・。
道路の先に青い交通標識が見えてきた。

室戸50?
甲浦7?

50?かぁ・・・・。
まちがいなく今日も、お寺にはたどり着かないんだなぁ・・・
知ってはいたものの
改めて現実を数字で見せ付けられると
少したじろいでしまう・・・・。


しばらく歩くと、道の駅『宍喰温泉』にたどり着く。
さすが、関西サーファーたちの聖地。
まだ朝も早いのに、道路にはサーフボードを積んだ車が集まり
褐色に焼けた若者が、波の様子を観察している。
(このとき、平日の早朝からこんなに人が多いなんて
サーファーたちの海にかける情熱はものすごい!!と
普通に感嘆していたのだが、
どうやら、このサーファーの多さは、
すぐ近くまで近づいてきている
台風の高波を目当てに集まっていたようだ。)

道の駅『宍喰温泉』正面は、海水浴場となっていて
早朝であるのにもかかわらず、すでに何人かが
水遊びを楽しんでいる。

たまらずうちも
『ちょっと泳いできていいですか!?』と、
荷物を降ろし、裸足になる。水着は、トイレで着替えてこよう。
『オレは、いいから泳いで来なよ
荷物見ていてあげるから・・・』と、なかもっちさん。

む・・・泳がないのなら、先に行ってもらって
かまわないのだが、荷物を見ていてくれるというなら・・・
『そんじゃあ、すんません!30分で戻って来ますんで!!』
水着に着替え、海へと直行!
朝とはいえ、夏の海の水は、ぬるくて気持ちいい。
昨日、野宿したということもあり、
汗も流せて一石二鳥。
なかもっちさんも、泳げばいいのに・・・・・。
うちの場合、遍路の旅でもあるが、夏休みでもあるのだ。
せっかく、四国の海を目の前にして
泳がずに帰るなんて、もったいない!!



AM 7:56 高知県 東洋町

トンネルを抜けると、そこはもう高知県だった。
高知県 東洋町の標識が見える。
四国遍路 2国目!!
ついに修行の道場 高知県への入国だ!!
これでようやく徳島県を越え、1/4終了?
なんだかぜんぜん先が見えない・・・・・。
ほんとに88番まで歩ききって、
終わらせることができるのだろうか・・・。


うちらのちょっと先に、一人のお遍路さんが歩いている。
身長が高く、かなり大柄な男で、カメラのストラップ部分を掴んで
カメラをぐるぐる振り回しながら歩いている。
なかもっちさんとふたり、なんとか追いつこうとするのだが
あの人が早いのか、うちらが遅いのか、
ぜんぜん追いつくことができなかった。


東洋町市外 野根大橋目前   AM10:30

昨日、警察署前の接待所で散々脅された
野根大橋の手前までやってきた。
接待所のおじさんの話によれば、野根大橋から先は、
11kmにもわたって、民家も店も自販機もない
なにもないひたすらまっすぐの道だけが続くらしい・・・。
うちの地図によれば、野根大橋手前の市外には
スーパーが、ひとつだけあるようだ。
そこで、食材と飲み物とを買って、準備を整えることにする。

うちは、今日初めての食事であるソーセージパンひとつと
ウィダーインゼリー、500mlペットボトルのアクエリアスを4本買い込む。
4本ということは、それだけで2キロ増だが、
この炎天下の中での水切れは、なにがなんでも
避けなければならない。

ウィダーインゼリーは、保存が利くし、
夏の暑さで食欲がない場合でもゼリーなので食べやすく、
簡単にエネルギー補給できるので重宝する。
万が一、飲み物がなくなってしまった場合の水分補給にもなる。

おそらく準備万端!!
おそるおそる野根大橋を渡る。
なんだか、魔界への入り口へ足を踏み入れるような・・・
そんな気分だ・・。



正午に近づくにつれ、気温がどんどんあがる。
おそらくもう30℃はこえているのだろう。
照りつける太陽は、ジリジリと痛い。
日焼け止めは、すでに塗っているが、
この日差しの強さでは、あまり意味がなさそうだ・・・。
まぁ、うちの場合、黒くなるのが嫌というより
肌が弱いので水ぶくれになってしまうのさえ
避けられればいいのだ。

海を眺めると、海岸沿いを遥か先まで道路が続き、
遥か先まで山々が連なり、さきっちょのほうが霞んでいる。
目的地である24番最御崎寺は、その霞んでいるさきっちょ
室戸岬にある。
『まだまだ、あんな先なの〜?』
地図によると、あのさきっちょまでは、
ここから50kmほどのはずなんだが・・・
なんだかもう、ずっとずっと先な気がする・・・・・・。

歩き遍路を挫折してしまう最大の難関が、
12番焼山寺までの遍路転がし、
そしてこの23番から24番までの80キロと言われている。
焼山寺の遍路転がしを軽々と越えて来たうちでも、
さすがにこの現実を見せつけられると
ちょっと絶句せざるを得ない・・・・・。
お金のないメガネくんが、バスに乗って突破することにしたというのも
うなずける。

でも、うちが幸運だったことは、焼山寺の遍路転がしも
この23番から24番までの80キロも、
いっしょに歩いてくれる人が居てくれたということ。
もし独りだったなら、相当心細かったのではないだろうか・・・。

後から聞いた話だが、なかもっちさんもこの80キロを
ひとりで越えるのは無理だと感じていたらしく
いっしょに歩いてくれる人を探していたらしい。

だから、あんな早朝の出発にもかかわらず、早起きして合流し
うちが、泳いでいる間も待ってくれていたのだ。



接待所のおじさんの言ったとおり、
民家がまったく見当たらない。
車の往来すらも、ほとんどなくなってしまった。
あるのはどこまでも続く青い空、青い海
そして、国道55号線・・・・・。

昨年冬にやっていた、お遍路を題材にしたドラマでは
高知県室戸岬の御蔵洞(みくろど)で修行したお大師様。
御蔵洞から見えた景色は、『空』と『海』だけだった。
だから『空海』となったと言っていた。

まさしく高知に入ってみえる景色は『空』と『海』。
なんだか、わかる気がする・・・・・。


それにしても、暑い・・・・。
暑いだけじゃなく、延々とつづく道路には
一切、日陰がないのだ。
『これってあれですよね・・・
今、まだ午前中だから日陰がないけど・・・・・
午後だったら、日陰できるんでしょうね・・・。』
ぼそりと、なかもっちさんにつぶやく。
今、うちたちは、室戸岬を目指し、東の海岸沿いの道路を
南へとひた歩いている。
だから、うちたちの西側に大きな山があるのだが、
東よりの真上から太陽の光がさんさんと
降り注いでいるため、山の陰も木陰もほとんどなく
容赦ない太陽光線を、体いっぱいにあびているのだ。
これが、午後であれば、太陽の光が西のほうから射し
山の陰が東側のこっちへと伸びてきて
日陰の中を歩けていたはずだ・・・・・。

夏の炎天下の直射日光をモロに受けながら歩く・・。
これほどキツイことはない・・・・。

休憩を取ろうと地べたに座ろうとすれば、
太陽光線の攻撃に加え、焼けたアスファルトの攻撃が始まる。
ほんの数秒肌が触れるだけでも火傷しそうな熱さだ。
うかつに、座り込むことすらできない。


『あっ!!あそこ!!あそこなら休めそうですよ!!』
わずか半径1、2メートルほどの
木陰にちぢこまって休憩を取る。
わずかな木陰でも、直射日光のもととは格段のちがいだ。
数センチ木陰からはみでてしまっただけで
焦げ付くように暑い!
あわてて足を引っ込める。

この暑さの中、日陰もあまりないまま、
歩き続けるのは非常に困難だ・・・・。
なんとか、はやいうちに佐喜浜の町まで
たどり着かなければ・・・・・・。


佛海庵(接待所のおじさんは、ここの水は飲むな!と
言っていたが、さすがにこの水を飲む人はいないんじゃないだろうか・・?)
を越えると、東屋が見えて来た。
ザックを投げ出し、ベンチに腰掛ける。
脇に植えられている真っ赤なハイビスカスを眺めながら
日陰での休憩。まさに天国だ。

そこに二人のお遍路さんが、やってきた。

ひとりは、今朝うちらの前方でカメラをぐるぐる回しながら
歩いていた大きなおじさん。(今後メガネ先生)
メガネ先生は、うちらと同じ区切り打ちで歩いているらしく
週末の土曜には帰ってしまうらしい。

ひとりは、27才の痩せ形の青年。(今後タンクトップくん)
頭は丸刈りで、タンクトップの上から、ノースリーブの
白衣を着ていて、自分のことを精神病なんですと言っている。
しゃべっていても、特にそんな感じはないんだけどな・・・・

どうやら、接待所のおじさんが言っていたのは
このふたりのことのようだ。
佛海庵に休めるところがあったらしく
そのときに追い抜いていたらしい。

それにしても・・・・
『ちょっと、その腕!!大丈夫なの!?』
タンクトップくんの二の腕を指差す。
両腕の肩口からひじにかけて、日焼けというものを
とうに飛び越え、やぶけた水ぶくれからは
肉が露出し、じゅくじゅくになり、あきらかに痛そうだ・・・。
『日焼け止め、なんで塗らないのよ??』うちがあきれたように言う。
『いやぁ・・さすがにこんなにひどくなるとは・・・・』
うちが、避けたかったのはまさしくこの状態だ。
高校時代に自転車旅行に出た際、一度こんな状態になったことがある。
この時はもう、全身痛いわ、お風呂にも入れないわ・・・
その上、熱まで出てしまい、ひどい目にあった。

今回の遍路もその辺に気を使い、ノースリーブよりは半袖、
去年VネックのTシャツだったのも、丸首のTシャツに変更している。
(日焼け止めクリームを塗る際、顔、腕、首、足の順番で塗っていたのだが
Vネックで開いた胸元は、塗り忘れてしまうことが多かったからだ。)
『そこまでなっちゃったら、もう日焼け止めも手遅れだろうから
着るもので隠したほうがいいんじゃないの?』と、
一応のアドバイスをする。


ふたりと別れ先を急ぐ。
前方に自動販売機らしきものが見えて来た。
『あれ!!自販機じゃないですか!?
抜けたんじゃないの!?コレ!!』思わず足取りも早くなる!

自販機はまさしく本物!!自販機奥の平屋も食堂のようだ。
ついに、野根大橋よりのなんにもない&灼熱地獄を突破したのだった。
やた〜!!ふたり、労をねぎらう。
接待所のおじさんは、11kmにわたる。と言っていたが
11kmもなかったんじゃないだろうか・・・?
せいぜい8km・・・・?
節約して飲んでいたとはいえ、アクエリアスも3本で足りたし・・・
なにはともあれ無事に突破。ここから先は、
人が住んでいる気配もあることだしちょっとは安心だ。


佐喜浜のコンビニにて一休み。
昼食の時間はとっくに過ぎているが、あまりの暑さにやられ、
まったく食欲が湧かない・・・・・。

コンビニのベンチに腰掛け、アイスをほおばる。
日陰とはいえ、炎天下の蒸し暑い中で食べるアイス。
まさしく絶品!!生きている実感がわく。

なかもっちさんはと言うと、ひとりのお遍路さんに
なにやら印の結び方と、呪文?(お経か)を教わっている。

年の頃は80くらいだろうか?
まっくろに焦げた顔のしわは深く
白くなった無精髭が、対照的だ。

日よけ対策のためか、頭から手ぬぐいをたらし、
その上から帽子をかぶっている。

着ている衣服は年期がはいっており、薄汚れているので
職業遍路の人かもしれない。

職業遍路とは、いわゆる遍路が職業。
うちらのように一時的に四国を廻るのではなく、
托鉢やお接待を受けながら、半永久的に四国を廻っている人のことだ。
悪い言い方をすれば、乞食遍路ということになる。

職業遍路の歴史は深く、遥か昔、日照りや干ばつなどで
作物が取れず、飢饉に陥った際、四国の人々のお接待を命綱に
たくさんの難民たちが流れて来たという話もあるらしい。
現在では、いわゆるホームレスということになるのだろう。

おじいさん遍路のそばには、年期の入ったママチャリが止まっており
自転車で遍路を廻っているようだ。
でも不思議なことに、自転車には荷物が一個も積まれていない。
黒いバッグを肩に掛けてはいるが、衣服などの遍路の荷物すべてが
あれですべてとは思えない。
重い荷物はどこかに置いて、コンビニに食料だけ買いに来たのだろうか?

アイスを食べ終わったうちも、おじいさん遍路の話に加わる。
山門での挨拶の仕方や
お寺のお参りの仕方などなど・・・(まぁ、もう覚えてないけど・・・)

遍路は、ホテルには泊まってはいけないよ
夜は野宿して、大地にのたうちながら
寝なければいけない・・・。というようなことも言っていた。

会話の途中、おじいさん遍路がおもむろにポリ袋を取り出す、
ポリ袋の中には、赤い納め札の束が入っていた。

これは・・・これが、もしかして『錦札』!?

徳島編でも少し書いたが、
納め札には、白、緑、赤、銀、金、錦とあり

白は1回〜4回、お遍路を廻った人
緑は5回〜7回、赤は8回〜24回、
銀は25回〜49回、金は50回〜99回
そして錦札は100回以上廻った人のみが
使うことを許されるらしい・・・・。

銀や金、錦のお札は持っているだけで、お守りになると言われ
特に錦のお札は、たいへんご利益があるらしく
お寺の納め札箱を、あさってまでも持ち帰る人がいるらしい。
病気をわずらった人が、この錦札をちょっと削り
薬といっしょに飲むと、たちどころに病気が治る!なんて
話もあるぐらいだ。

へぇえ〜、これが、噂の錦のお札か〜。
基本は紙でできているのだが、赤地の表面に金糸がほどこされ
黄色や水色で花の模様が、あしらわれている。
きものみたいで、とても豪華な感じだ・・・・・。

『これ・・・いただけないのでしょうか?』ちょっと聞いてみる。
すると、おじいさん遍路はポケットからちいさなサイフを取り出し、
手のひらにジャラ銭を出し、
『実はな・・・今、ワシの全財産、これ・・124円・・・。
お札の代わりにちょっとカンパしてくれんか・・・・・。』
おじいさんは、言った。

ちょっ!?お金取るのかよ!?

ううむ・・・、うちは別に、病気なわけでもないし・・・
お守りもたくさん持ってるから
錦札が、どうしてもほしいのではなくて
錦札を持っている人と、
納め札交換がしたかっただけなんだよなぁ・・・・。
お金を払ってまで、ほしいとは思わないんだけど・・・・

うちが、思案げに固まっていると、なかもっちさんが
その場を取り繕うように口を開く
『それじゃあ、ここはわたしが・・・』
そう言って、なかもっちさんがサイフから2000円を取り出し
おじいさんに渡した。

納め札2枚で2000円。
お金を受け取った、おじいさんの顔が
なんだかちょっと曇ったような気がした。

なかもっちさんが、うちに一枚、錦札を渡す。
裏をひっくり返してみると、背面は真っ白で
何も書かれていない。
薬王寺で出会った銀札のおじいさんからもらった
納め札の背面には、名前と住所、お遍路回数の
スタンプが押されてあったんだけど・・・・・。

もし家族にな、病気をわずらった人とかが出たなら
その札の裏にその人の名前を書いて、
仏壇にお供えするといいから。
そう言って、お金を受け取ったおじいさんは、
コンビニには寄らず、そのまま自転車で去っていってしまった。

お札を見ながら、思っていた。
う〜ん、どうにもうさん臭い・・・・。
このお札・・・。本物なんだろうか・・・・・・。



その後、なかもっちさんは夫婦岩手前の民宿に宿を取り、
うちは、夫婦岩あたりまで足を伸ばし、テントを張る。


夜、岩場に当たり砕ける波の音があまりにも大きく
耳栓がまったく役にたたない。
とりあえず、眠くなるまで寝るのはあきらめ、
テントの入り口より、顔だけを出して
満点の星空を眺める。
東京じゃあ、こんな星空見ることできないもんなぁ・・・。
一時間ほど、満天の星空をしっかりと目に焼き付けて
テントに顔を引っ込める。

激しい波の音に、もんもんとしつつ
なんとか、がんばって寝てみよう・・・・。

さすが、土佐の海。
荒々しいなぁ・・・・



このとき、台風9号は、15?/hという
ゆっくりとした速さで西進中。
9月6日には、日本直撃という可能性もでてきていた。


もちろん、まだうちはそのことを知らない・・・・。




今日歩いた距離  34.7km

高知県最後の寺 39番延光寺まで あと348.8?ほど


つづく・・・・

コメント(1)

すごい…。
空と海…。
ほんと、気が遠くなるような旅をいたんだねぇげっそり

思わず、私も錦のお札が欲しくなったよ。
本物だって、信じることができれば、
病も治るのかもねウインク

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

yapの四国遍路日記  更新情報

yapの四国遍路日記 のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング