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オカリナ・オカリーナ大好き♪コミュの【メモその2】プライド・優等生と劣等生(笛吹きが墜ちるとき・その2)

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プライド


プライドとは、劣等感(コンプレックス)の裏返しである。Byおとん(笑)

これをふと目にして思ったこと。

謝れない人、

他人と比較する、(人の音楽が下手だとか)

立場が悪ければ無視するとか、

場合によっては攻撃もあろう。


自分の優位を確認したかったり維持したかったりという不安感によるものであって、

そういうものがなければそもそも、比較とか無視とか優位を確認するとかなどする必要はないわけなのだ。



攻撃にしたって誰もが好き好んでするわけではないわけで(格闘技でない限り)

攻撃は最大の防御なり?

は?不安感抱えて何を言う?

攻撃しながら相手に助けを求めていたと思い当たる人はいませんか?

自分に攻撃する人は言い換えれば、自分に助けを求めてる人として仮定して対応してごらん。

ちょっと相手の見方が変わるだろうから。


だいぶ前に、mixiの某コミュ内部で荒らしが発生。

仲裁に入るべく、間に割り込んでみた。ちょっと実験したくなり、荒らしをサンプルに相手にしてみたのだ。相手のココロの先を読みつつ

『おまえ、一度死ねや』

言われてもさらりとかわし反撃せず合気道するかのごとく流す。思いのよらない反応をしてみせた。あの当時はそんな相手に愛を投げかける余裕があったのであるけども…(ただし、最後の最後に裏切る悪魔になってみてもいいからそれまで様子見るか…などと思う自分もいた。)

一度信頼を得て相手に見えたのは本当に気の小さい魂だった。そして簡単に心を閉ざす。

これが実生活に活かせればどう変わるのかわからないけれど、このところくたくたで受け止める余裕もなく、攻撃は攻撃で返してしまう自分。

時々反省もしています。



以前、二人の笛吹きに出会ったお話をしましょう。

ある笛吹きは優等生でした。

あるイベントで初めて耳にしたその音色は私を釘づけにしました。

『何者?』

その人の演奏情報をしばらくして某ホームページの掲示板でその人から教えてもらった私はその時再び聴きに行ってみようと思いました。

二ヶ月ほどして、私はその人の演奏を再び聴くことが出来たのですが、初めて聴いたときみたいには心は感じることが出来なかったのでした。

あの時の衝撃は気のせいだったのか…そう思いつつ、演奏が終わると挨拶をし、帰路についたわけです。


初めて聴くクラシックの雰囲気、私にはなぜか馴染めず、もう聴かなくてもいいかな…と正直思っていました。

(敷居が高く、場違いなところに来てしまったかも?)

もういいかな、と思ったら、例の掲示板から私のメールアドレスを拾って遠路遥々ありがとうメールが本人から来たのです。

連絡なければあれっきり縁が切れていたはずが、繋がった瞬間でした。

はちゃめちゃに私の心を引っ掻き回す人で、とうとうその人は心まで私を掴んでしまったのでした。


親しくなり、いろいろ話をしていくと、その人の基本姿勢を伺える背景が見えてきます。

音大生時代は優等生であったために他の生徒から嫉妬を受けていたことがあったこと、

他者の演奏を見下す言動が多かったこと。


その時感じたのは二度目の演奏のときに感じた違和感はこれなのかなと感じたこと。

一度目に感じたのは高熱を出しておりいつもの本人ではなかったようだが、結果的に私はこれで呼び寄せられたわけである。

笛は上手い、しかし心に響かない人でした。

のちに縁を切ることになったとき私はその時感じたことを話しているが、徹底して嫌われて、再び縁を結ぶことはなくっていい。
でも、その時感じたことは本音として話した。


人の演奏をあれこれ批評するような人は結局は本物ではない…というニュアンス。

天狗になっているうちは本物にはなれないと。


心がズキズキ痛んだ。しかし言わずにはおれなかった。


もう会うことも、演奏を聴くこともない。その覚悟を決めた上で。


クラシックとはプライドのぶつかり合うどことなく緊張したイメージが私には出来上がっていた。

のちに私は音大劣等生だったというある奏者の演奏を聴く機会があった。ぎりぎりに卒業したという人。


私はクラシックなどわからない。だから上手い下手なのかわからない。

史上最悪の演奏をしてしまったといい嘆くその笛吹きの実際の演奏は、確かに間違えてしまったのは素人目にも明らかであったが、潔さ、爽やかさがあり、私は全く違うクラシックを知ったのだった。

しかし、このぎりぎり音大卒業の劣等生だったと語る本人の演奏は私の心には確かに響いた。この人の演奏ならばまた聴きたいとさえ思ったのだった。


この違いはなんなのか。


私が思うに、優等生と劣等生は立場が全く違うし、心の姿勢が全く違う。

何よりこの劣等生からは他者の演奏の批判を聞くことがない。それどころか褒める。根本的にそこから違うようなのだ。

魂の役割にも優等生と劣等生にはちゃんと理由がある。

優等生は自分の中の自惚れという敵と向き合わなければならない。徳間文庫・アミ小さな宇宙人にもそういう部分がある。これがその人を油断させるのだ。

劣等生はもっと別の大切なものを受け取る。優等生が決して受け取れない感性。


二人は結局は平等であり、比較しようがないというか、比較することが間違いなのだが、優等生は大事なものが見えていない。その人の伴侶についてはもっと優等生なのだが、私はその人の話を聞いた時、心の姿勢を聞いたとき、私は耳が腐るとさえ思うほど嫌悪した。



四国である演奏を聴いた時に感じた違和感が私にはあるが、日本でもトップグループに立つバイオリン演奏者と非音大出身の独学ながら有数のオカリナ奏者のコラボ。

実はその時点で観客はどちらを感じたのかは空気でわかった。

心の姿勢とは怖いもの。

『私たちはクラシックだから』というどこか壁を感じた姿勢に妻は席を立った。

某電力会社のクラシックコンサートにしてもファミリーコンサートと銘打っていながら、小さなお子様連れは迷惑といったニュアンスをステージトークで感じた妻はクラシックを毛嫌いしているかのようだった。


私も、そういうことがありクラシックのイメージはよくなかったのだが、唯一、劣等生を名乗るこの笛吹きのクラシックの出会いは私に芽生えていたクラシック嫌いの概念から救ってくれたように感じる。





ごく、最近、旅先の帰り道と偶然その優等生の演奏場所が一致していた。

心から仲がよかったし、演奏を除いては私はいつも意識していたわけで、つい立ち寄りたくなったのですが、その人から感じたのは初めて聴いたときに感じた心に染みる演奏だったこと。

思わず涙しそうになった。

そして嬉しかった。


縁を切ってしまったのは残念で仕方ない。

でももし、私のあの発言でその人の音が変わったとしたら、縁があったのも切ったのも無意味ではなかったと悟ったのでした。


出来ることなら、私はまたその音を聴きに行きたい。今度ばかりはそう思った。

またいつか、聴く日があるのだろうか。

互いが吹いている限りはどこかでまた結ばれるのだろう。

その時は最高に心に響く演奏を聴かせて欲しい、そう願っているこの頃です。




だいぶ以前書いた『笛吹きが堕ちる時』の続編でした。




追記:


天狗になってんじゃねぇよ(怒)

そういう発言をしたあとの私はどうなったかというと…

笑っちゃいますが私も怒りのあまりに意地になり、肩を怒らせた状態で突き進んでいましたら、虚勢を張っていたのでしょうね。

別の人から天狗になってるよと言われたことがあります。

言ったそのままが自分になってしまう、この法則ってあるんです。うっかりしていました。


冷静さを取り戻し、心から勇気を持って言ってくれたオカリナ仲間に感謝しています。

しかし本当に面白い法則で、相手に堕ちてるよと告げたら自分まで堕ちるとか、何かしら相手に指摘をすると自分がそういう姿を現してしまう。

一種の罠ですね。

これは『笛吹きが堕ちる時』に書いたことそのまんま当て嵌まることで、気をつけなきゃならないと思いました。

虚勢を張る人って世の中には結構いると思います。

結局は強がり。弱さを隠すための過剰な防衛。

虚勢というのは虚しい勢いと書きます。

漢字に現れている。意味がない勢いなんだということ。

漢字は深いです。


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