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フリージャズコミュのCecil Talor / Tony Oxley を観た

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Cecil Talor & Tony Oxley

Thu. 24 Sep. 09
at  Muziekgebouw aan 't Ij  in Amsterdam

C. T. (p)
T. O. (ds)

夏休み前に新年度、9月からのプログラムが届きテーラーの名前を見つけ早速予約しこの日を心待ちにしていた。 

70年代初めにジャズの場でこのピアニストの音楽に接したものにはそのフリー、アヴァンギャルドジャズの生成する現場の熱に撃たれて完全にイカレものから喧伝される評判に影響されてその雰囲気を感じて理解しようとするもの、これはジャズではないと従来の殻に引きこもるものなどさまざまにに分かれたようだが大概は咀嚼できないことを外からの評判を考慮して敬して眺めるという態度だったように感じる。 ただそこから50年代のものまで掘り下げてフリーの軌跡を追う者たちの中には比較的長くファンでい続けるものが多かったと記憶している。 

ドルフィーやアイラー以後のホーンではコールマンやアンソニー・ブラクストンがいたけれど、ピアノの場では叙情に流れる新しい白人インプロヴィゼーション的な音を作り出すものが新しいものとしてもてはやされるものが多かったものの構造と瞬発力、ジャンルを超えて創造的なテーラーに比較されるピアニストはなかなかいなかったように思う。 

けれど日本には日本のセシル・テーラーと一時は言われた山下洋輔がいた。 今思い起こしてみればテーラーは当時まだ40代前半、脂がのって体力、スタミナも充分だったのだ。 私は日本では何回かテーラーのコンサートを見逃しており80年にオランダに越してからはジャズからは遠ざかりこの5,6年の間に他のフリージャズのコンサートに出かけた折、その場のCDショップでテーラー90年代の録音をいくつか手に入れて聴いていたぐらいだが、そこにみられたのは70年代までの持続力、スタミナと攻撃力を持った演奏を再び聴くことが少なかったように感じた。 それは山下にも言えることかもしれない。 

年とともに熟練さを増し、若いとき以上にジャズのクラシックにもどって自分流の解釈を行うというものがあるのだが、持続力と攻撃力はいわゆる洗練の中にもあってしかるべきではあるが残滓を残し洗練が全体を覆うように感じたのだ。 何も洗練が障害だというのではない。 持続とのめり込み、自分の限度以上を探る気力といってもいいか、それを求めているのだ。 けれど考えてみると、還暦が目の前に近づいている自分の、その親とは歳がいくつも違わない今年80歳になるテーラーにそれを求めるのはないものねだりの子供じみていて自分はただだだをこねているだけなのだ、とも思い返す。

演奏会に先立つ1時間前、アムステルダム大学で社会学を講じる傍ら自らジャズファンだと名乗る50前に見える男がテーラーについて40分ほどレクチャーをした。 その男がテーラーの音楽に初めて接したのは1999年だというからまだ10年にしかならない。 オランダのフリージャズの歴史には多分日本より古く、演奏者、ファン、音楽プロパーたちの間でテーラーのインプロヴィゼーションが深く聴かれており、例えばICPのミシャ・メンゲルベルグのように現代音楽、モンクを経由して活動してほぼ同年輩もいるのだからなぜこの男のようなテーラーの外縁をなぞるだけの、それもそれぐらいの情報なら今では簡単に探せるものを会場の3分の1ほどを占める20代の聴衆に対して行う大学の講義と同じ調子であり、個人的にテーラーの何がそれほど聴くものをひきつけるのかも語らず、語れず、テーラーの軌跡も個人的な解釈もせず明らかにたたみ水練のレクチャーをされてもそんなものにはテーラーの起こす荒波から漣、それに反射してゆれる陽の光とでも例えられるような印象さえも語らない、語れないところに新旧フリージャズリスナーの現在があるようだ。

それに対する不満と男の半可通ぶりへの侮蔑の言葉がそれが済んでからホール外のバーに飲み物を求めて出る我々の年代の聴衆の間から聴かれたのはもっともなことだった。

ドラマーが登場し、軽くそれぞれの太鼓を触れる程度に音の種類を無拍子に提示するうちにテーラーの詞の朗読が始まり、その発音から顎が少々受け口なのではないかと感じられるものの打楽器の音と被って聞き取りにくい。 詞のいくつかはプログラムに載せられているもののその量をはるかにしのぐ約10分だったのだがドラムスと朗読の高まりの中で死の影というようなものと交錯して再生、救済、というようなことばが何回かきかれた。

髪も短く切って軽快な服装にボクサーがつけるような靴を履き無造作にスコアを片手にピアニストは登場してバレーダンサーのお辞儀をして会場を和ませたあと静かに演奏ははじまった。 これから休憩まで3曲をそれぞれ20分弱演奏する。 それぞれにスコアがあるけれど、それは言葉であったり楽譜とも見えたり見えなかったりするようなダイアグラムのようでもあり、曲想、構造は厳然として存在するのだろうがそれはテーラーの脳裏に去来する想いによって適宜変化するのだろう。 特にオクスレーのような柔軟なドラマー・パーカッショニストとのデュオとの場合、特に今回はテーラー中心にそれぞれの曲が構成されているように感じられた。

前半の印象はそれぞれの曲は非常に整ったものと言った風で、始めの数分間にフランス19世紀のラベル、ドビュッシー、ショパンを思わせる響きが立ち上がってくるようで、それがそのうちテーラー流に変奏され徐々にスピードを増し指が鍵盤の領域すべてを覆うようになるのだけれど、うねりの枠、パターンの枠がかすかに霧のかなたに見えるようでもあり、それが我々には規範とか元になるものといった感情を生成させ、奔放をそこに繋ぎ止める作用を促すようだ。 2曲目にはリズムパターンが少し変わり、何回かモンクの匂いがした。休憩前の数分には怒涛のピアノが続きそれまでの早いけれど静謐な指使いとのコントラストを見せるのだがこれもはじめの2曲と同じく唐突に終わる印象を見せた。

45分の休憩の後、4曲それぞれ約15分づつ演奏したのだが後半は前半に比べて力の熱と量の配分が多いようだが曲の中に時々木漏れ日のようにブルースが現れたりアジアの音階が覗いたりコルトレーンのインプレッションズであったり五木の子守唄であったり、そのように聞こえる音の切れ端が流れの中でふと、ときには唐突に現れることがあった。 最終2曲では猛烈なダッシュをみせたがフィニッシュでは演奏最初のフランス風曲想が再現されてこのピアニスト80歳誕生記念リサイタルとでもいえるような会を終え、スタンディングオベーションをうけ退場した後、舞台袖に現れ再度バレーダンサーのお辞儀をして消えた。

私の隣には40前と見られる男とカメラマンが座っており、男はオランダジャズのネット雑誌、JAZZENZO の編集者だと名乗った。 すべてボランティアの雑誌で月間に数千人の訪問者がある、と言う。 今夜のコンサート評は土曜日にも下記のサイトに掲載されると言っていた。


オランダのネットジャズ誌の一つ、JAZZENZO
http://www.jazzenzo.nl/

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