ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

早稲田大学シネマプロダクションコミュの個人的に

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
なんか書きたくなったからここに書いてみよう!



いやはやなんだか先週の岩井俊二オールナイトの魔力から
いまだ抜けられないんだなこれが・・・。



『Love Letter』、『スワロウテイル』、『花とアリス』

観たんだけどうんまぁ好みでいえば

『Love Letter』、『花とアリス』、『スワロウテイル』









なんだが・・・・・







もうなんなんだよスワロウテイル!!




という感じなんだなこれが。


スワロウテイルの魔法が解けない。


「好きな映画」と「パワーのある映画」って全然違うな。




なんかもうもう一度スクリーンで観たいよ
シネマヴェーラ行っちゃうかもしれないよこれ。


だって円都ほんとにあるみたいじゃん。
フェイフォンもグリコもアゲハも生きてるんじゃないかって。


「わけわかんねぇ!!!!!!!!!!!!」って
叫びながら走るフェイフォンが目に焼き付いて離れないんだよ。


そりゃさ、みぽりんの「お元気ですかー?」

もすんごくよかったし蒼井優のバレエもやばいんだけど



それはみぽりんがよくて蒼井優がかわいいんだよね。


もう『スワロウテイル』のなかでは
みんないきてるんだよほんとに。

岩井俊二の手を離れてそれぞれのmy wayを走り抜けてるんだね。






はぁ・・・

なにが言いたいかってさ、

もう一回スワロウテイル観たいな、ってこと。

今日はYEN TOWN BAND のアルバム聴いて寝ましょう。

コメント(6)

みんなもさ、

やばい映画に出会っちゃって
眠れない夜はこういうの書けばいいんじゃないかな。

そろそろしりとりだけじゃコミュニティきついしね!!
部室のノートに書ききれない情熱と感動を!!!!!!

ここにぶつけるんだ!!
澤井さんか・・・

おれこの前

『歩いても歩いても』

観たんだけどもこれがまぁ良いね。良い。

まぁみんなが口をそろえて言うように
樹樹きりんがヤバイ、ヤバイ。ほんとに日本中の
おばあちゃんを見事に体現してくれてます。

ほかのみなさんも素晴らしい演技でまさに
日本の夏、どこの田舎にも現れる1日を細かく、細かく描いています。

あそこまでそういった「1日」にフォーカスを当てて細かく
そして共感を呼ぶように家族を描けるのはドキュメンタリーを
撮ってきた是枝監督の洞察力と感性の鋭さによるものなんでしょうな・・・



まぁそれよりぼくが今作を観て思ったのは
木が揺れていて、葉が揺れていて、花も揺れている、ってこと。

別にその揺れに対して「常にものは動き進んでいて形を変えていくのだ、人間も同じように死んでいってしまう」みたいな臭い考えを持つ暇もなく息をのまされるその木々の、木の葉の、花々の揺れに僕は感動させられたのです。

かつてリュミエール兄弟が初めて映画を発明し、映画を知らない人々にそれを見せた時
、大衆が一番驚いたのは赤ちゃんが喧嘩していることでも、人々が工場からたくさん出てくることでも無く、木々が揺れ、海は波打ち、煙は風に舞っていたことだった、という事実を改めて深く考えさせられる映画だったような気がします。

ストーリーどうこうとか映像美がどうこうではなく、
「映画」というものは、僕たちの目で見ていては
なかなかつかみどころの無い一瞬一瞬の過去をフィルムに焼きつけ、
スクリーンを通して再び僕たちの前に鮮やかにそれを具現化してくれるもの
なんだな、なんてらしくもないことを僕に考えさせてくれるいい映画だったな。

『歩いても歩いても』

        監督・脚本 是枝裕和



やべー、最近誰も書いてないじゃん!笑
いいもんねー、勝手に書くから。

みんなはどうなんか知らないけど、最近僕は本当に脚本が書けない。
なんだろうね?書こうと思って書くもんじゃないと思うけど。
全然もうアイデアの段階からすっからかん。
というかすぐに出てきたアイデアに幻滅しちゃう。

たとえば二人の恋の物語があるじゃない?
それってまあ自分の恋愛の経験とかが反映される人って少なくないと思うの。
そういったとき、こう脚本とか実際に映画にしてみると
「恋愛って超個人的問題なんだなあ」とか思う。
要は作品への反応も人それぞれだし、共感を呼んだり呼ばなかったりで。
それを「どや!」って学生映画は作っちゃうじゃない?
そんな自分の姿が時折すごく滑稽に見えちゃうんだよね、恋愛の話だと。
あ、あくまで僕は人に見られることを前提に作品はあるべき派なんだけど。

映画そのものってある人物とかまあそれが複数だったりするけど、その人間たちをある程度フィーチャーして作られるじゃない?物語って元来そういうものだし。
でもそれってすごく不思議で、たとえばすごく悲しい運命に翻弄されている女の子の物語だとすると、その子が街中で泣き崩れるシーンでその横を普通にほかの人が通過するわけでしょ?
それでもその通過した人も、規模はわからないけどその人でしかわからない壮大な人生を送っているわけだよね?

うー、よくわかんなくなってきちゃった。

あとなんだかなんだで物語を作るときって自分が今までどんな人生を送ってきたかって超関係してくると思うの。
恋をしたことがないと、愛を描けないと思う。
想像で創造することはできるけど、それってやっぱりどこか限界はあるしやっぱり滑稽さが残るし。
そう思うと自分ってどんだけ何もない人生を送ってきたかわかるっていうか。
それか忘れてしまったのか。

とりあえず早く「ハルフウェイ」始まらないかなあ。
次はちゃんとしたこと書くから勘弁してください。笑
このまえ「映画の達人」で君塚監督が言ってたんですが、脚本はとりあえず文字にしだしたら一気にENDマークまで書ききらなきゃだめだ、と言ってました。それこそ自分のアイディアにげんなりするスキも自分に与えずに、です。

僕もけっこういろいろ考えちゃいますが、がんばって書ききったときのENDマークには毎回感動を覚えます。

自分の経験…という話ですが僕は必ずしもそうは思いません。結局みんなが映画で伝えたいことってけっこう根源的で抽象的なことな気がしてて、それこそそういうことってみんなどこかで知ってるんだけど忘れていることのような感じがするんですよね。たぶん作り手側も忘れてるくらいの。だから映画における状況とか設定ってそういったことを観る人にわかりやすく思い出させてあげるパッケージ的なものであると思います。
だからその状況や設定まで経験する必要は無い気がするんですよね。そしたらSFとかファンタジーとかアクションとかって、なんだ、ってなりません?

みんな同一に知ってるけれどみんな忘れてることを訴えかけるのが映画なんじゃないかな、と思います。核がしっかり1つあれば、それ以外は創造するしかない!はずです!そうじゃなきゃ一人の作家はいっぺん通りの作品しか作れないし、そんなのは悲しいから僕はそんなふうに思ってます。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

早稲田大学シネマプロダクション 更新情報

早稲田大学シネマプロダクションのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。