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高野悦子コミュの学生運動

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みなさんは、高野悦子さんも参加していた学生運動についてどう思われますか?

コメント(45)

社会主義と現存した社会主義国は違います。

封建主義から資本主義を経由して社会主義、共産主義へと移行するとしたマルクスは、すべての体制は前の体制を引きずると言っていたように思います。

アメリカが崩壊させたチリのアジェンデ政権以外は、封建主義からの移行であったため、その体制を引きずってしまって、誤った社会主義国というより独裁主義国家を作ったのだと思います。

僕自身は、60年安保は1歳、70年安保は小学生だったので、実際学生運動を経験していないのですが、

60年代の大学生は、ほとんどの人が大学に行く今と違ってほんまもんのエリート、その心根が社会改革をすべきという方向に向かわせたのだと思います。

中国の天安門、韓国でもそんな時代がありました。
文明が成長期にある時、エリートたる大学生がその過程で起こる矛盾点を指摘し、戦う姿勢を見せるのはすがすがしいと思います。

そんな彼らが食べて行くために、就職したことを僕は笑えません。
事実、この国の基礎を作ったのは彼らの情熱なのですから。
テレビ、映画、雑誌。
車、ファッション、音楽。
もう、すべての今の原点は彼らが作りました。

僕らは、何を作れたのか、何を作るのか。
学生運動の情熱が、今の日本の原点を作ったのだと思います。
僕もそう思いますね。学生運動に参加していた人の情熱が今日の日本を作ったわけじゃないと思うな。僕に言わせれば、労働運動する時間もおしんで低賃金で働いた低所得者層が所得倍増計画にのっとって、ここまで日本を押し上げたんだと思います。学生運動ってのは、ぶちこわした後のことをほんとに考えていたとは思えない。ある意味学生運動は無計画な机上の空論でしかなかった。もちろん彼らの情熱は認めますよ。でもね、高野悦子は、そういう学生運動に愛想つかしたんじゃないんでしょうかね。
 管理人様、みなさま、はじめまして。 

 私は、ウッチィさんの意見に同感です。
全共闘の運動は、みんながみんなやってるブームのようなものではあったかもしれませんが、おそらくはノンポリの人間が格好だけでもやるだけの意味・影響力をもっていた…んだと思います。やむにやまれぬ衝動、情熱、その存在を否定する人は同時代に生きたひとであれば、今どういう社会的・思想的・階級的立場であれ、ほとんどいないのではないでしょうか。
 
 日大が封鎖されてバリケードの脇で、バイクでのりつけて‘見学’していた不良(当時)を知ってますが、彼は運動に参加はしなかった(できなかった)けれども、否定的ではありませんでした。
 高野悦子さんは、たまたま入った組織、(それはたとえばほかのセクトであってもという意味ですが)、その時期のその環境の中で疲弊してったのかなぁ、という気が(本を読んだかぎりですが)します。

 詩が、とても、彼女の心情をストレートにあらわしてるような気がしました。私がはじめて読んだのは、ウン10年前のことですが。いまも3冊もってます。
 たまたま、こちらのコミュに来てしまいまして、つい、書かせていただきました。どうも、失礼いたしました。
思想的なものが、どう引き継がれたのかはわかりませんが、彼女のように、学生時代に死にいたるまで、生き方を真剣に考える人は少なくなったとおもいます。
社会に反抗するとか、社会体制を否定して考える人も少ない(皆無か?)
レジャーランド化した大学でそれを求めるのは無理なのかもしれません。
若者自体が変化してしていることと日本社会も大きく変わりました。
政府は学生運動を本当に怖がり、そのあげく大学をレジャーランド化して
学生を骨抜きにしたという人もいましたが、当時の日本政府にそこまで先を
読んだ策略ができたとも思えず、世界と日本の変化でこうなったと思っています。
就職難が起きた時、フランス、ドイツなどでは、若い人の運動が起きるのは
普通ですが、日本の学生ではその兆しもなく、世界的には極めてめずらしい
温厚な若者と思われていると思います。
 ウッチィさんの意見に賛同する部分は多々ありますが、ただ学生運動の終末期に在学していた自分としては、そんなに理屈で割り切れないものがあります。
 学生運動からノンポリ学生が増えてきた背景として、当時の文部省から各大学へ生徒管理の為の職員が送られ、知らない間に学生が管理され、学生運動をしていた学生が学内から浮いてしまう構図が各大学で作られました。
 多くの方々が書かれているように暴力的な行為を容認するわけではありません。
 しかし安保をはじめ、沖縄の本土復帰、色々な問題が国内にあり、それを真剣に考えていた人たちもいます。自分たちで自分たちの住む国を理想に近づけたい、確かにそれがマルクス・レーニンに直結するかどうかは別の問題として。
 例えば4年前8月14日に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したり、小学生が米兵によりレイプされたその事に対して今の学生は憤りは感じないのでしょうか?他人事なのかな・・・。
 各大学で学生運動に火がついた原因は様々です、学費の値上げ、学習権の保障や・・・単に左翼的な一部の学生のオルグにより全国各地で学生運動が広まったわけではありません。
 あとデモの事も書かれている人がいますが、権力も力もない、何も無い学生にできる事は何だったのでしょうか?私もデモに参加しました。それ以外に、自分たちの意志を表現する方法なんてありませんでした。今ならパソコンを使い、色々な形での意思表示もできますが・・・
 当時の学生生活を思い出すと、部屋にはテレビも無し、パソコンも無し、冷蔵庫もない、携帯なんてあるはずもなし、部屋には机と本、唯一娯楽品といえばラジオだけでした。そんな中、どのような形ででの意思表示ができたでしょう。。
 また、当時の学生(そのはしくれの私も)好きな女性ができ、結婚し、子どもも産まれる、理想と現実の狭間の中で今でも苦しい思いをしています。

自民党政治を変えたいという思いは先の政権交替によって実現されたと思ったけれども、立ち現れた実際の政治は皆さんも知る通りだ

今、皆さんはどんな気持ちでいるのだろう?
「革命が起こっても官僚機構は残る」

 と、ある政治学者が喝破していました。

 ロシア革命、明治維新の後も、新政権は現実の統治においては既存の官僚機構を活用したのだと思います。
 もちろん理念、名称等は変更されたでしょうが。

 現実を変えるには、まず現実を直視しなければなりません。
 現実を把握し、ならば、どうすれば改革できるのか?
 その方法論、実行力を国民に提示できるかが政治家の器量であり、国民もそこを見究める眼力を持たなくてはなりませんね。

 かつて、某国が一党独裁であることを批判したら、某国の政治家から

「日本だって自民党一党独裁じゃないか」
 
 と斬り返されたことがあったそうです。

 そのような反論を受ける心配はなくなりましたね。
ヤマちゃんさん、ありがとうございます

政治主導、政治主導と言っても言葉が踊るだけで官僚には頼らざるをえないのだ、ということでしょうか?

また、民主党は政権は取ったけれども力量不足だ、ということでしょうか?

確かにどちらも多くの国民が感じているでしょうね(^_^)
 民主党と自民党か・・・民主党は基本的には自民党を離脱した人々と旧社会党の右派・・・そんな人々が集まった人たちですよね、基本的に自民党と同じだと思っています。ただ自民党と民主党どちらがましかの判断で選挙には行きましたが、今の日本は革新政党は共産党ぐらいではないのかな・・・
 
 確かに民主党は力量不足だが、これは官僚を押さえ込むノウハウを知らないだけかな、ただ走っている気がします。ただ、もう少し長い眼で民主党を見たい気もします。職場でトップが変われば職場も変わりますが、永遠と続いてきた今の官僚支配の中で1年や2年で結論を出すのは早いと覆うのですが・・・菅直人の厚生大臣だった頃を考えるともう少し待ってみた行きもしますが・・・
>アクリアさん

 私の大学の後輩が某政令都市の市会議員をしています。
 彼の所属党派は民主党。
 仙谷官房長官と同じく全共闘運動と関わった経歴があります。

 民主党には綱領がないと言われていますが、自民党から旧社会党右派、更には全共闘運動経験者までも抱え込んでいるのですから、方針を一本化するのは至難の業。

 自民党にはないウィングの広さが民主党の強みであり弱みでもありますが、たしかに仰るとおり、1年や2年で結論を出すのは早いですね。
政治や政府を代えたい・・・そんな思いは昔からありますが、選択肢が無い
これが事実かな、選挙に行き自分の一票が死票になるのも嫌だし、かといって
他に選択肢が無い中で・・・ある意味、昔の学園闘争の中の閉塞感に似た
ような気持ちがどんどん高まっています・・・

 地方から政治を変える・・これも難しいな、現在公務員の立場で自分の意志で
立候補すればその場で職を失うし・・・

 方法論的にはベストの選択では無かったと思いますが、学園闘争の頃が懐かしい・・
 同じような閉塞感の中で、「今、自分が動けば社会が変わる・・・」と信じていた頃が・・・
 全面的に昔の学園闘争を擁護するわけではありませんが、「今は何をしても変わらない」という若者の声を聴くとすごく虚しく、かといって若者に展望を開けるような社会にできなかった我々中年世代の責任かな・・・

 夢を持てと話し続けて、実際社会や大学に送り出す時には「現実を考えろ」
矛盾しつつ・・・ただ、今の職場の中でコツコツと小さな変革は起こしていますが・・・自分自身の力の無さと、弱さに最近は疲れ切ったかな・・・そんな中年世代を送っているかな・・・
>アクリアさん

「一切の幻想と絶縁したものだけが真に夢想することができるのである」 レーニン

 真のリアリストこそが、真のロマンチストになれるのだと思います。
 現実を直視し、そこにわずかでも改革の可能性を発見したら、それを育んでいきたいですね。
完全に小沢一郎と決別するというのも一つの政治姿勢だろうが、もっとワクワクするようなビジョンを提示して政治を行なってほしい

国民の心を熱くするようなビジョンを掲げるべきだと思う
「汚く儲けてきれいに使え」

 という大阪商人の処世訓があります。

 政治家が権謀術数を使ってでも政敵を批判するのは、それはそれでかまわないと思います。でも抗争自体が自己目的化されてはいけませんね。

 78910さん仰る“国民の心を熱くするようなヴィジョン”を、諸派ぶつかりあうエネルギィの中から醸し出してほしいですね。
 それが政治家の役割だと思います。
 ただ、今回の小沢の件を考えた時に、確かに彼は金に関する疑惑やダークなイメージつきまとい・・・その雰囲気で起訴相当など、言っているけど、今回の件だけに限ると、そんなに大きな問題でなく、単に記載ミスとしか考えられないのだけど・・・ただ、彼のダークなイメージがそれを許さなかったのかな。国会招致をしても、結果は「単なる記載ミス」で終わり、起訴して裁判しても小沢勝訴で終わりそう・・・小沢さん好きではないけど、今回は完全な被害者じゃないのかな・・・話がずれてごめんなさい。

清潔さの問題
イメージと法の問題
世論と権力闘争の問題
マスコミの役割の問題
など、いくつかの問題がからみ合っているので、整理して論ずることが必要だと思う
 清潔さの問題、イメージと法の問題、世論と権力闘争の問題、マスコミの役割の問題・・・まで考えて今回の小沢の問題は白だと思うよ・・・ダークなイメージがあるから、初めから「怪しい」、それじゃあ今までの冤罪事件と同じ形になってしまうよ、ただこちらもマスコミから入手した情報を整理しながら考えているけど・・・ただ抽象論だけならいくらでも書けるけど・・・「これに対しては自分はどう考える」と本音の部分で論議が必要じゃないかな?
 学生運動も同じだと思う、一方方向の情報が走る中、動き回り、何十年も経ち総括するとおかしかった・・・ただNOが言えなかった時代だしね

 今なら自分でgetできた情報の中で取捨選択しつつ事実に近い形で、自分で考えどう思うのかを明確に意思表示し、喧嘩でなく論議が本当に必要な時代では無いのかな・・・抽象論よりも現実味のある回答、yes、Noをハッキリ意思表示する時代かなとも思いますが・・・・
 実像を離れて、マスコミが虚像を作り上げ、更にそれを膨らませていくということ、よくありますね。

 小沢さんについても、マスコミが伝える情報と実際に小沢さんと会った人から聞いた話とでは随分違います。

 マスコミは“豪腕”というイメージ作り上げていますが、実際に会った人は「腰が低く、私と同じ目線で話してくださった」と仰っていました。
 私は小沢さんとお会いしたこともお話したこともありませんので、氏の人物評価は避けますが。
 
 高野悦子さんは、ごく普通の女子大生で、在学中とくに際立った存在だったわけでもありません。
 遺された日記に書かれていたことも、彼女独自の世界というよりは、時空を越えて、20歳の若者なら誰しもが共有できる感性であったように思います。
 普通の人の普通の言葉で書かれていたからこそ、多くの人の心に響いたのでしょうね。
 その当たり難しいよね、実際に小沢さんに会って話をしたことも私はあるはずも無いし、1回会って1時間話をしてもその人が何を考えているかなんて分からないよ。ただ講評された真実から、その人の主観を除き、事実は何か、その検証を重ねて、自分の中で心証を作り上げていくしかないかな・・・小沢の件は賛否両論あるのでそれはひとまず外に置き・・
 
 高野悦子についても同じかな、3冊の日記の中で何を読み取っていくか・・・10代の頃読んだ高野悦子、人生生きて行くと色々ある中で、ふと高野悦子を読みたくなる・・・実際に読むと年代が進むにつれまた違った見方ができてきて、自分が何十になっても新鮮かな・・・
先日、母校である阪大に留学している中国人の女学生と話をする機会がありました。正直なところ、話題が見つからなかったので、天安門事件の話をしました。

こんなお話です。

あの時ぼくは大学生だったのですが、講義でよく話した中国人留学生がいました。彼は、母国の自由化に共鳴し、国内で反政府運動をした(本当にそんなに激しいことをしたかどうかは、よくわからないのですが)ということで、結局帰国を断念して、日本で就職しました。

けれど、今の留学生には実感がわかないみたいです。すでに風化してしまったってことでしょうか。

日本の学生運動も風化しました。風化したればこそ、「コクリコ坂から」なんていうジブリの映画が楽しく見れるんだと思います。

今の大学にも、もちろん拠点は残っているのでしょうが、キャンパスを闊歩している学生達の顔に、世を憂う影は微塵も見られません。

これだけの就職難にもかかわらず、彼らは冗談のように明るい。たぶん、二十歳の原点なんていっても知らないでしょう。

そうやって風化していくのでしょう。
 ははは、そう思う、我が家の息子娘も大学院出て、普天間基地の移設問題の始まりも知らないし、県道104号線も知らないからね。大分で県道104号線の射撃訓練が行われているが、その事実も知らない・・・学生運動の前に世間の常識かな・・・息子・娘ながらにあきれてしまう。
コクリコ坂のように 若者たちが熱く語り合う…
イイですね。魚
>>[29] 大学入学直後、生まれて初めて参加したメーデーの行進で、偶然、私の隣にいたのが高野悦子さん。出発点の広小路キャンパスからメーデー京都会場の円山公園まで、河原町通、四条通を並んで歩きました。それが縁で、学部は違いましたが、以後もキャンパス、集会で顔を合わせば言葉を交わしました。でも、彼女が深遠な世界を持っていることには気づきませんでした。私を含めて他の仲間達も…
>31さんへ
「20歳の原点」私よりも6歳年上の女性から学生運動について話をして、飲み、翌朝私の机の上に一冊の本・・・それが「20歳の原点」でした。その後、彼女とはその本の話もしないままに・・・今では連れ合いで、結婚して30年以上経過しますが・・・「20歳の原点」が二人の架け橋だと・・・
 生き続けていっていいのか、自分は何のために生きているのか・・・連れ合いからは「酒飲むために生きているのだろう」ときつい言葉を・・・ただ、生きてリルいる以上、生きるしか無い、もがいて苦しんで、病休を取り、休職までして働き生きていく。
 学生運動とはかけ離れるけど、私が生きている目的は自分の子どもかな・・自分の肉親で自死を選択したんんげんが4人、残された家族を見ると、馬鹿な父親、バイクや自分の趣味で自分が亡くなれば、子どもも納得してくれるか、自分で自死を選んだ時に、残された子どもが・・・「20歳の原点」私もいまだに読み返しています。何かあった時、少し時間があるとき、10代後半で読んだときに感じた所、20代、30代、40代、50代と読み続けると、違ったところでまた新鮮に読むことができ、おかげで私の「20歳の原点」はぼろぼろだけど・・・ 
 人間生きていることに「意味」があると思う、もし何らかの事で「死」を迎える瞬間に自分の「生」を総括すればいいのかなと、今私は思っています。
>>[32]
>人間生きていることに「意味」があると思う、もし何らかの事で
「死」を迎える瞬間に自分の「生」を総括すればいいのかなと、今私は思っています。
☆私もそう思います。
>33さんへ
 学生運動の終末期にわかった顔をしてデモ行進して・・
生きていくためには働かなければ、好きな女性と恋に落ち子どもも産まれ
今では孫の誕生を・・・いつの間にか職場でも反発する側から
体制側にまわり・・・
 ただ生きている事だけが私の原点なのかも・・・?
>>[34]
普通は、その「普通」の人生のために、かん難辛苦が待ち受けていると思うし、それをひん曲らずに生き抜いてこられただけでも・・・それでも「ただ生きている事だけ」なんですか?・・・厳しいっす・・
>>34さんへ
若者へ自虐的に書きすぎたかな....?
今は、高校の教員してますが、日の丸、君が代の闘争から、主任制度の一方的な導入、ストもし、処分も受けて....でも現場の中でいまだに不条理な体制からには、いまだに会議では....
でも、誰もあとについて来ないよ、別に普通の事を普通に話しているが....それも、疲れてきた、某大阪市長なんかのしただと、普通におかしいことをおかしいと、言ってもそれだけで..
自分らしく生きる事も難しく、おとなしくおかしなことでもyesと言うか、自分の価値観と違うときにノウと言えるか....まだまだ踏ん張っていますが、正直、きついね。
>>[36]
僕は自閉症気味の中年ですが・・・踏ん張っているところは、(スケールは違いますが)同じだと思い、勇気づけられました。ありがとうございます。 

「まだまだ踏ん張っているが、正直、きついね。」・・・・・この言葉を高野さんか先輩か誰かからずっと聞きたかった気がします。

真っ直ぐにもひん曲りでもなく、その中間のどこかで、誰かのために踏ん張っている人々もいるのだと、実感できました。

ありがとうございました。
>シミさんへ
 実は私も重度の欝患者です・。もう10年以上抗鬱剤と睡眠薬、鎮静剤のお世話になりながら・・・入退院も繰り返しながら、頑張らずに踏ん張っているところです。3月から4月は職場の環境も変わり欝マックスですが、生きているから「死ねない」
 可愛い生徒たちも職場にいるからね、踏ん張ります。
>>[38]
高野さんの分まで。まあ長生きは未知ですが・・ 高野さんがやられた「構造」に僕らまでがやられては・・
アクリアさんも高野さんと同じスピリットを持ってらっしゃると思います。そして、生きてきた。養ってきた。

ずるくない。

今は、「生きてやる」と、思える時間を目指せるだけでも。・・・明日は誰も知らないですが、踏ん張れるといいな。と、思います。 いつも、ありがとうございます。
当時の大学生が置かれていた環境、社会的雰囲気と今のそれでは大きく違いますね。
当時は若者の決起が国や社会を変革できるという夢や望みがあった。
また焦燥もあった。
しかし今では、いかに将来のためにちゃんと就職するかが中心的関心事になっている。
2〜3日前に注文して、今日届いた、「立命館 大学紛争の五ヶ月 1969」。
前のページに、写真があって、高野さんが、写ってたらなぁと、思ったんですが、写ってなかった。
(見つけられなかっただけかな)
『二十歳の原点』を読んでから徐々に知るようになった彼女の時代の安保闘争と、今日の安倍内閣に向かって行われた安保闘争は、もちろん時代背景の違いもあるから趣を大きく異にしましたね。
二十歳の原点読みました、
学生運動に興味を持ちました
バブル時代、学生運動だけに追われました
今は昔です
関西ブントでした
今は当時が懐かしいです
>>[43]

バブルの頃に学生運動をやってらしたなんて、結構少数派だったのではないですか。
>>[44]
苦しかったですね
今みたいなソフト路線違いました
完全なセクト主義でした
革命の展望はなかったですよ
一般学生からは遊離してましたね
街頭闘争より、党派闘争、内部での
批判、総括ばかりでした
ただ、僕達の時代は、実は、僕もなんですが、
二十歳の原点読んで、その追体験の為に
学生運動に参加した人間も多かったですよ

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