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知財史コミュの「パテント」の由来は?

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まずは、話題提供も兼ねてクイズ形式で知財史を考えてみたいと思います。特許を表す「パテント」の由来について下のようにまとめました。ご意見ご指摘をお願いします。
問題
特許を表す「パテント」の名前はイギリスで使われたのが始めとされているが、それは何語に由来するか?以下より選べ。?新しい技術を表すギリシャ語、?新製品の「専売」を表すイタリア語、?技術の「開示」を表すラテン語

答え
(3)ラテン語 が正解です。
特許制度はベネチア共和国で、国外から新しい技術を持つ職人を招き、あるいは国内で開発された新しい技術を促進し、その技術による事業を援助するために誕生したとされている。既存の技術による事業はギルドの反対もあって、次第に新しい技術に対してのみ特許が与えられるようになった。
特許制度はイギリスに伝えられ、近代特許制度として確立されることになった。イギリスでは国王が技術者に対して特許証を発行したが、国王が発する文書には?Charters、?Letters patent、?Close Writの3種類があった。 この中で?Charters は営業組合(trade guild)に対する国王からの許可証を意味していた。?Letters patentは国王が議会の承諾を必要とせず、単独で発することができる開封文書であった。?Close Writは国王によって発せられた文書であるが開封されないものであった。
 Patentはラテン語のpatensに由来し、「開く」という意味を持っている。つまりLetters patentはラテン語のliterae patensのことで開封文書の意味で、これによって与えられた営業許可等を周知する必要がある事項として一般に知らしめることが目的であった。
 中世の英国は技術的には大陸に後れを取っていたので、技術の発展のためには技術者を招く必要があった。しかし、職業組合であるギルドがChatersによる権利を受けて事業を行っており、新しい技術による事業はギルドと利害が衝突することが考えられる。そこで、ギルドの反対を受けることなく新規事業ができるようにするためには、ギルドの枠組の例外として大陸からの技術者に英国で工場を作ったり営業ができるようにする必要が生じた。これが特許状であり、これを「パテント」と呼んだ。
Charters によって定められたギルドの体制の例外とするには、国王がその権限においてLetters patentを発すればよく、そのうえで新しい技術を持つ外国の技術者を英国に招くためになされたのがパテントの由来である。中世のイギリスにおいては、議会は国王と対立していて、国王の横暴をチェックするのが重要な役割であった。そのため、国王は議会の承認なく発行できるLetters patentを選んだのであろう。
(参考資料:「知的財産の歴史と現代」著者:石井正、発行:(社)発明協会、「發明特許制度ノ起源及發達」著者:清瀬一郎、発行:学術選書

コメント(7)

なるほど、特許発祥の地はベネチアですか?
確かベネチアはガラスの工芸品で有名ですよね。
あのマルコポーロも確かベネチア出身、貿易立国の国ですね。日本とはどんな縁があるのか興味引きます。
ところで、Close write は開封されない文書ということですが、これは一般公開されないという意味ですか?誰まで開示されたのですか?

ついでに、クイズ、、、
ベネチアと姉妹都市になっている日本の都市(町)は?
(出題者本人も分かりません。興味あれば一緒に調べません?)
1474年:ベネチア共和国発明者条例
日本では応仁の乱が1467年ですから、随分前に制定されたんですね。
1624年:英国専売条例
特許の発祥の地と云われている英国でさえ、ベネチアの条例から
150年後ですね。ベネチアの海洋貿易立国の国としての先進性を
感じます。ベニスの商人といえばシェクスピアに登場する狡賢い商人を想像しますが、本当はグローバルな識見をもつ国際感覚豊かな
商人なんですね。ベネチア見直しました!
ベネチアの姉妹都市は日本にはないみたいです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2)。ベネチアはトルコやアジアとの交易はほぼ独占し、地中海貿易の中心地としてで栄えたそうです。その繁栄は数百年間に及び、かのマルコポーロはベネチアから旅立っています。ベネチアの歴史はさながら現在の世界の外交戦略などの見本となっているようなところがあるような気がするのは私だけでしょうか。これはベネチアについては「イタリア遺聞」(塩野七生)を読んだ感想ですが、もっと詳しい方に教えていただけると助かります。
"Close writ"を調べてみました。
以下、Quick Ref/Glossary からのコピーです。
”Close writ ”
A writ under the Great Seal sent folded and closed by the seal on the outside, so its contents could be read only by the person or persons to whom it was addressed. Unclosed letters, proclamations or writs issued under the Great Seal were termed 'patent'. These were open, with the seal appended on a tag or cord, so the text could be read by any literate person.

最初のパテント証書の写真はどうすればてに入るのでしょう?
どなたか教えて。
Patents, however, existed before the law. The first Italian patent was actually awarded by the Republic of Florence in 1421,[3] and there is evidence suggesting that something like patents was used among some ancient Greek cities.[4]

ということで、さらに古くはフィレンツエやギリシャの時代にも特許制度があったようです。
文献にはそのような記述がありますが、イマイチはっきりしないようですので調査します。最初の特許証は1421年にフィレンツェで建築家のBrunelleschiに与えられたとするのが正しいようです。
 したがって、最初のパテント証書はBrunelleschiに与えられたはずですが、現存する最古の特許証書はイギリスで色付きガラスの製造に関して与えられたものらしいです。これも調査の必要がありますね。

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