周りからは昨季のプレイオフについて聞かれる。妹のチャイナが旅立った後も僕はシカゴ・ブルズとのファーストラウンド第1戦に出場した。でも、僕があの試合に出場した本当の理由は、周りから言われているものとは少し違う。 まずはじめに、僕は出場するつもりだった。バスケットボールにおいては、それが自分の考えだからだ。人生で何が起こっても、常にそういう姿勢で取り組んできた。何があっても僕はバスケットボールのコートに立てる。その場所を見つければいいだけのことだ。コートに立っている間は何の問題もない。それが自分にとってのバスケットボールで、浮き沈みがあっても昔から変わらない部分。人生で何があっても、バスケットボールが僕を守ってくれる。 そして、チャイナが亡くなった翌日の夜、アリーナに到着したとき、僕はただコートに立つ必要があると考えた。今夜はコートが自分の盾になってくれると思った。忘れるためにコートが必要と思った。でも、あの夜コートに立ったときの気持ちは、今も表現できない。ファンの皆の声援は今も耳に残っている。ファンの皆が作ってくれた手書きの『THIS IS FOR CHYNA. WE <3 ISAIAH』というボードは今も目に焼き付いている。それから会場の皆がチャイナのために黙とうしてくれた。その瞬間、盾としてのコートは自分に必要ないとわかった。何かをブロックする必要も、悲しんでいないフリをする必要もないことに気づいた。僕は1人でいる必要なんてないことに気がついた。会場の皆が僕のそばにいてくれた。あの日はボストンの皆が僕に寄り添ってくれていたと心から思う。 その瞬間が僕の心を掴んだ。それにもちろん、プレイしないといけなかった。第一にチャイナのため、家族のために。でも、ボストンのためにもプレイするつもりだった。あの瞬間に皆が与えてくれたものこそ、あの夜の自分に、決して1人ではないということを教えてくれたんだ。それが僕にとって必要だった。僕が経験していることを、皆も同じように受け止めてくれる。そういう意思を示してもらえた。僕が1人ではなく、皆の中の1人で、一緒に取り組むんだということを。だから一丸となって取り組もうと思った。僕たちは、2年半もの間、一緒にやってきたんだ。