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昭和29年生まれの会コミュの「会社人間」ゴール前

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またまた新しいトピをすみません。

二十世紀の真ん中頃に生まれたわたしたち。
ポスト団塊世代、谷間の世代なんて言われたりします。
団塊さん以上の方達、兄弟・姉妹、同級生も多く切磋琢磨された、でも高度成長時代に乗り
今になって顧みれば、モーレツ社員は働いただけ給料ガバガバ貰えた、接待費無条件デラックス、製品は作れば作っただけある程度売れた、へましなければ年功序列で安定収入。

わたしたちは高卒、短大卒、大卒でも社会人デビューしたら、「躍進日本国経済」は最初の翳り。
オイルショック、トレペ争奪狂想曲。就職自宅待機組もいた。
それからいつのまにか、成果主義導入、「男女雇用均等法」施行も女性にはまだ不利な社会。グローバル化でいつの間にか海外が拠点となり「高い賃金、文句を言う日本人いらない」の社会情勢になりました。
わたしも四十歳のときの人生設計は、五十代になったらある程度高い給料を貰い、部下に責任を任せ、手柄は自分のもの―
ゆっくりと定年までの助走期間、なんて想像していた、ことは事実です。

既に、管理職の肩書きのない方、退職された方、最初の会社に見切りをつけ転職された方、ずっと自営の方、いろんな立場の方がおられるとおもいます。

そこで聞かせてください。
55歳の今、あなたがこれまで過ごしてきた社会人としての人生模様を、エピソードを

【サンプル】

1.「花より団交」
 ありましたね労働組合。春闘、今下火です。わたしの会社にもありました。
 物価も毎年上がったが、ベースアップ(死語?)給与もそれなりに毎年上がった。
2.「無礼講の社員旅行」
 男性社員は「大人の付き合い」を知る体験旅行。女性社員は「男中心社会」の縮図を見る ありがたくない社内行事?
3.歓送迎会、花見、暑気払い、忘年会、新年会
4.女性の婚期はクリスマスケーキ
 寿退職(死語?)、オールドミス(死語?)でもわれわれ世代から女性の社会進出開始
5.セクハラの言葉がなく、これを軽くかわせないと一人前の「大人の女性」と認知されなかった。 
6.女性管理職の誕生
7.売り上げが伸びる見込みがあれば、昼間から気兼ねなく飲めた。

など、まだいくらも材料があるとおもいます。

これらにからめて、われわれ世代ならではの、そしてあなたの会社人生「総括」(古い!)
を聞かせてください。 

あつかましくすみません、トピ「あの人を見た」も引き続きよろしくお願いします。






コメント(4)

会社勤めは正社員としては3社、パートが3社かな。
高校→就職→専門学校→就職→結婚→妊娠→退職→専業主婦→パート→パート→パート→就職(離婚)→退社→再婚=自営

こう見ると結構色々やってますね、仕事も私生活もあせあせ
昔は結婚したら、又は子供が出来たら退社するみたいな感じでしたよね。

どんな時も一生懸命仕事をしてましたが、一番充実していたと思えるのは40代からです。
若い時はやはり背負うものがなかったせいか、仕事に向かう姿勢が甘かったかな。
離婚を前提に就職したから、子供達を育てなければの思いがあったので必死でしたよ。

このまま、定年まで働き嘱託で残れたら残って、老後は穏やかに静かに暮らす予定でしたが、すっかり予定が狂い身体が動く限りは働かなくてはいけない状況になりましたうれしい顔


自営になって、会社勤めは楽だったと思いましたね。
有休がないがく〜(落胆した顔)
休む=収入無しげっそり
皆が休みの時に休めない泣き顔
ただ、それぞれ違うけど大変さは一緒ですね。

会社勤めの時は、それなりにイベントがあり刺激になりました。

全社員旅行があったのも、面白かったるんるん
この時代にバスを連ねて行くのよ。

若い子達は嫌がったけど、私は好きでしたね。
うちは営業所だったから、他の営業所や本社の人達とは電話だけが多かったので、旅行で顔を合わせるとその後のコミュニケーションがすごくスムーズで仕事がやりやすかったし。

社員旅行は遊びじゃなくて仕事の一部だと思えば、苦じゃなくて楽しかったでするんるん
まあ、何をしても楽しもうと思うと面白いのよね。


ってちょっとズレたコメントかなあせあせ

まぁ〜ねえさんようこそー

>このまま、定年まで働き嘱託で残れたら残って、老後は穏やかに静かに暮らす予定でしたが、すっかり予定が狂い身体が動く限りは働かなくてはいけない状況になりました

・・・後悔してないでしょう。いい人だよね自営パートナーさん
社交辞令でなくて。
今、たまたまサザンのベスト「海のyeah!」の「真夏の果実」を聴いて感動しているからじゃなくて、ほんとうにいい人です。

>自営になって、会社勤めは楽だったと思いましたね。
申し訳ありませんが、それはそうなんです。

>若い子達は嫌がったけど、私は好きでしたね。
えーすみませんが、90%以上の女子社員は嫌がったとおもいます。
当社は。

>社員旅行は遊びじゃなくて仕事の一部だと思えば、苦じゃなくて楽しかったです

皮肉でなく、だからあなたは「おかみさん」になれたんです。
そして俺としてはずっと、おかみさんでいて欲しい。

夜もこれからですが、皆さんお休みになりましたか?

わたしのような田舎人間といえども長年社会生活を送っていれば
「艶話」の一つ、二つほどは人生経験でございます。
よろしければ今夜、そのような話にお付き合いいただけますか?

あれはわたしが社会人になって3年目頃でした。
わたしの課の長である方当時40歳は、真面目人間そのものでしたが
度が過ぎて出世コースから外れていました。
しかし女人というものは権力ある男性ばかりに眼が向くものではないようです。

“恋心”不倫、風鈴が“チリン”と鳴ったのでしょう。
当時、わたしの部署の課長(本店)は偉い方からの“お勧め”の女性と結婚されていましたが
昔から忘れられない意中の女性がおられたようでした(お相手もまた)。
携帯電話もない頃、週二回は午後4時頃になると支店の同年代の女性から待合せの電話が来ました。
それを受けたのはわたしです。(ほんとうです)
「○○課長さん、をお願いします」(女性)
「課長電話です」(わたし)
課長はなにげなく受話器をとり
(小声で)「おう、○○の前で○時にな」(課長)
わたしたち課内の部下は知って知らぬふりをしました。

この二人の関係は偉い人から平社員まで知っていたようです。
ある時、この課長が宴会で大酒を飲み、いわなくても言いことを言ったのです。
「俺は○子と付き合っている。○子はなー〜〜〜〜〜〜〜〜」
〜の部分は聞きたくはなかったのですが
身に着けているものをすべて剥がなければわからない肉体の特徴を
この課長が言ったのです。

二人の関係を昔から知っている部長(課長の身内)は
「そんなことは言うな!」とわれわれの前で課長を叱責しました。

この課長はこのまま課長職で退職していいと言って、60歳まで課長で勤務し定年退職。
相手の独身女性もおとがめなく平穏に定年を迎えました。

わたしが知っている不倫の事例はこの方たち以外に二つほどあるのですが
それらに比べると会社が下した二人に対する処遇はたいへん寛大でした。

われわれ部下の間では
「偉い人の地元の人たちは凄く優遇される」と
話題にのぼったのはいうまでもありません。

会社って、社会ってこんなものなんですね。










みなさん、ちょっと引いてしまわれましたか

どうぞお気楽に

なんでもいいですからお書きください

気長に待っております。

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