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憲法学コミュの違憲審査基準についての質問です

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ひとことでまとめると、
実質的関連性の判断と、必要最小限度の判断は、
どこがちがうのか?という質問です。

これだけでは漠然としておりますので、
以下に詳細を書きます。


違憲審査基準について、
一般的に概説書などで言及される目的手段審査の基準として、
1 厳格な基準
2 厳格な合理性の基準
3 合理性の基準
が挙げられます。このうち、1と2の基準における「手段」審査の規範の理解に苦しんでいます。すなわち、

1の手段審査の基準は、「目的達成のために必要不可欠な手段」
2の手段審査の基準は、「目的達成との実質的関連性」
とされており、その内容は1の方が厳格であるようにみえます。
ところが、(芦部憲法の経済的自由の章の記述を参照すると)実質的関連性の有無は、同じ目的を達成できるより緩やかな手段の有無により判断するといった内容の記載がみられます。
これを前提とするならば、
実質的関連性の有無=より緩やかな手段の有無=必要不可欠性(すなわち必要最小限度性)の有無
となり、実質的には1と2とで手段審査の厳格さに差異がないというおかしな論理になってしまうのです。

おそらく私の理解のどこかに誤解があるのではないかと思うのですが、いろいろ文献をひっくり返してみても誤解が解けません。
どなたか、御協力してくださる方、お待ちしております。

コメント(8)

私の師事する教授は「厳格な合理性の基準」の実質的関連性の有無とは平たく言うと、「立法目的達成の為に具体的な証拠・資料・事実に照らして本当に役立つといえるかどうかを審査する」とおっしゃっていました。
 芦部憲法の当該記述(203頁)を参照しましたが(研究室に第三版が置いてあるため手元には新版補訂版しかないのですが)、「規制の必要性・合理性及び『目的を達成できるより緩やかな規制手段』の有無」とあるので、実質的関連性の有無をより緩やかな手段の有無と=で結んでしまうのはどうかな?と思います。あまり責任はもてませんが・・・。
 
 何分年末なので研究室が開いておらず、調べることが出来ませんが、違憲審査基準については学者によって様々な定立の仕方があるので(極論を言えば自分で勝手に立ててもいい)、納得のいく先生の本に出合えることを祈っています。

 
きいちさん、しが研さん、レスありがとうございました。

きいちさんのレスの冒頭3行のように解釈することが、最も筋が通りそうですね。

以下、蛇足。
・基準が学者の数だけ存在するとしても、その最大公約数的な相場はあるはずだと感じています。


しが研さんの問題意識は私には理解しかねますが、
・「必要最小限度」と「必要な限度」は区別されるべきだと考えております。
・「必要最小限度」には幅はないと考えています。
・二重の基準論の重要性は、私も痛感しているところであります。
はじめまして。

確かに、「厳格審査」基準と「厳格な合理性」基準、文面からすると良く似ていますよね。実際芦部教授ご自身、実質的かつ厳格な司法審査を要求する点では、両者はほぼ同じ意味を有すると、確かどこかで書いていらしたと記憶しています。

答えになるかわかりませんが、私は両者の最大の違いは、適用領域だと思っています。
「厳格審査」基準の適用に対しては、芦部教授はきわめて慎重で、重度のプライバシー侵害以外、その適用を積極的に肯定している領域はほとんど無かったはずです。その代わり、「厳格審査」がひとたび適用されると、その領域での差別的取扱いに関しては、合憲とされる余地はきわめて少なくなります(立法裁量の余地が小さい)。
対して「厳格な合理性」基準は、人権保障のために重要な領域につき、かなり広範にわたり適用されるものです。このことからも、芦部教授が「厳格な合理性」基準を、その適用の仕方によっては「厳格審査」並みの手厚い人権保護を行いうるものだと考えていらしたことがわかると思います。

ちなみに「厳格な合理性」基準は、アメリカ判例において「厳格審査」テストと「合理的根拠」テストへの二分化の弊害(違憲審査基準の硬直化など)を是正するため、70年代に生まれた比較的新しい違憲審査基準です。かっこいい名前考案中さんのお考えと同じように、その基準の不明確さゆえに判例に一貫性を欠く、実際の使用に耐えないなど、批判も多いテストですが、芦部先生はその意義を積極的に認める立場に立たれています。

芦部先生の場合、そのあまりの緻密さゆえに誤解されがちですが、基本的には理論体系の構築よりも、問題解決型の憲法学といえると思います。そしてその一個一個の語句・用語は、ほとんどがアメリカ判例法の導入をベースにしています。
したがって芦部先生の見解を本格的に理解しようとすると、判例中心に英米法の勉強をしないとわかりにくいはずです。ちなみに私はしていませんので、恥ずかしながら理解は上記の程度ですし、ご著書の日本語の文面だけ読むと、「?」となることが度々あります。
nao.さん、しが研さん、ご意見ありがとうございました。

渋谷・赤坂さんの「憲法2統治」を早速手にしてみようと思います。
機会があれば、アメリカの憲法学説の流れなども調べてみようかと思います。


なお、ひきつづき今後も、「厳格な合理性の基準」の「実質的関連性」についてのあてはめ方につき、ご意見お待ちしております♪
しが研さんご紹介の本、私も未読ですので、機会をみて読んでみたいと思います。

あと、芦部先生の見解について、少々蛇足を申し上げます。

私の記憶および理解だと、芦部教授のご著書の場合「必要不可欠」≒「是非とも必要な最小限度」という使い方をしており、「必要最小限度」だけだと、もう少しゆるやかな違憲審査基準を指して用いられていたと思います(違ったらごめんなさい)。
たとえば「明白かつ現在の危険」や「やむにやまれぬ公益」の基準の場合は前者で、LRAの場合は後者だった…はずです(ちょっと自信なし)。

もっとも、前にも申し上げたように、このあたりを日本語的に突っ込んでいくのは、芦部説の理解の上で危険が伴う(逆に理解の妨げ・遠回りになりかねない)部分でもあると思いますので、不勉強な私は軽く流して読むようにしています。

ただ、芦部先生の場合、その強い影響力ゆえに、いかに(最高裁)判例を動かすかを常に意識して、学説の主張を行っている点には留意したほうが良いと思います。
すなわち、「厳格審査」だと、その厳格性のゆえに適用範囲が狭くなってしまい、多くの人権問題が「明白性の原則」や「合理的根拠の基準」といった、ゆるやかに規制の合憲性を認める方向に流れてしまう危険性があります。
そこで、裁判所が受け入れやすい「合理性の基準」を基本(スタートライン)としつつも、出来るだけ「厳格審査」なみの人権保障を実現しうる違憲審査基準を提示することによって、判例に対して影響力を与えようとした、それが「厳格な合理性」の基準であると。そういう面もあるのではないかと、私は理解しています。

芦部先生の概説書だけ読んでいると、「厳格審査」と「厳格な合理性の基準」の間で、その厳格さにあまり差がないように読めるのは、上のような芦部先生の「思い」が込められている面もあるかもしれませんね。

なお、芦部先生の違憲審査基準について突っ込んで勉強したければ、「憲法訴訟の現代的展開」(有斐閣)はおすすめです。
なるほど。ご指摘ありがとうございます。

しが研さんが必要最小限度の幅にこだわっていらっしゃる理由も、そこにあったのですね。(いろいろ不勉強で、皆様にはご迷惑おかけします。)

「憲法訴訟の現代的展開」はまだ参照したことがありませんので、読んでみます。

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