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ミドリ色の屋根のルネ・シマールコミュのミドリ色の屋根の頃〜1974年(1)ルネ&出来事

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『ミドリ色の屋根』が東京音楽祭でグランプリを受賞したのをきっかけに、
ルネが一躍ブレイクした時、あなたはどこで何をしていらっしゃいましたか?

今回reneeさんにご提供いただいた情報、およびreneeさんのブログ
『ミドリ色の屋根は永遠に〜Rene Simardに首ったけ』
掲載のルネの来日データを元に、「あの頃」を振り返ってみたいと思います。

ルネの熱心なファンの方には おさらい篇ですが、
私のように記憶朧げな方には、改めてあの頃を思い出していただきましょう!

題して、《シリーズ企画》『ミドリ色の屋根の頃』!!!

まずは東京音楽祭があった1974年からスタートです。
1974年その第1弾は、ルネの初めての日本での活動と、
世の中の出来事を振り返ってみましょう!


●1974年/日本でのルネ

6.21 SINGLE「ミドリ色の屋根」(B面/雨上りのデイト)発売

6.26 ルネ、第1回来日
(Rene Simard 1961年2月28日生まれ、カナダ・ケベック出身、当時13歳。)

6.30 ルネ、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリ&フランク・シナトラ賞受賞
(金賞/ザ・スリーディグリーズ「天使のささやき」(When Will I See You Again)
銀賞/布施明「積木の部屋」、ザ・ピーナッツ「愛のゆくえ」)

7.14 帰国



8.22 ルネ、2度目の来日

9. 1 SINGLE「小さな生命」(B面/「僕の国へおいで」)発売

9. 4 大阪ファースト・コンサート

9.14 東京ファースト・コンサート

9.15 ファンの集い

9.20 帰国



10. 1 (1st Album) LP『ミドリ色の屋根 ルネ』発売

11.21 LP『ルネ・ファースト・ライヴ・アルバム/ルネの魅力のすべて』発売

12.21 SINGLE「愛の翼をひろげて」(B面/「朝露のきらめき」)発売



●1974年/出来事
・オイルショックの翌年。便乗値上げ、狂乱物価、戦後初のマイナス経済成長。
・3月 元日本兵・小野田寛郎さん、ルパング島で発見され帰還。
・3月 ユリ・ゲラー、日本テレビ「木曜スペシャル」出演。
 「スプーン曲げ」など超能力ブームに。
・4月〜6月 モナ・リザ展(東京国立博物館)入場者数1日平均3万1120人
・7月 北の湖、史上最年少横綱に。
・8月 米ニクソン大統領、ウォーターゲート事件で辞任。
・8月 宝塚60周年記念『ベルサイユのばら』(長谷川一夫演出)初演、
 一大ブームに。(〜75年11月64万人)
・8月 ピアノ騒音殺人事件
・8月 三菱重工爆破事件
・9月 原子力船むつ 放射能漏れ事故
・10月 巨人・長島茂雄引退。「わが巨人軍は永久に不滅です」
 〜11月長島新監督就任。
・11月 フォード米大統領来日
・12月 金脈問題で第2次田中内閣辞職。三木内閣に。
・新宿西口、超高層ビル完成(新宿住友ビル、KDDビル、三井ビル)
・北海道愛国駅〜幸福駅行の乗車券がブームに。
・ストリーキング
・ドリフターズ、荒井注が脱退、志村けんが入る。


●1974年/ベストセラー
・『かもめのジョナサン』(リチャード・バック)
・『ノストラダムスの大予言』(五島勉)
・『華麗なる一族』(山崎豊子)


●1974年/ヒット商品・流行
・(玩具) 「超合金・マジンガーZ」、「ゲイラカイト」
・(キャラクター) 「ハローキティ」誕生
・(食品) 「紅茶きのこ」、「ペヤング・ソース焼そば」、
 グリコ「セシル・チョコ」、ロッテ「小梅」


いかがでしょうか?
ルネが初来日した年はこんなに色んなことがあったんですね!
ユリ・ゲラーとか、かもめのジョナサン、小野田さんなど、すっかり忘れていたような懐かし〜い響きに溢れてマッス!
この年は他にも随分沢山の出来事や流行があり、良くも悪くも話題豊富な年だったようです。
(ヒット曲、テレビ、マンガなどについては次回以降に分けて特集予定!
 ・・・続くかなぁ!?)
あなたもあの時の思い出が甦ってきましたか?
ぜひ自由にコメントしてくださ〜い!

コメント(9)

ピングーパパ様

素敵なトピックをありがとうございました!!

長嶋元監督調で『我らがルネ・シマールは永遠に不滅です!』

1974年当時、日本は高度成長期で活気があり、
私たちも多感な年頃でしたけど、本当にいろいろなことがありましたね。
多くの話題やヒット曲が続々と出る中でも、
ルネの第3回東京音楽祭世界大会グランプリ受賞と
『ミドリ色の屋根』のヒットは、日本人の心に感動を呼び、
ルネ旋風を巻き起こしましたね。
私はこの年の後半はルネにどっぷりでしたが、
ピングーパパさんがピックアップしてくださったことは
みんな良く覚えていますよ(年がバレる? 爆)!
次回のヒット曲、テレビ番組、まんがは特に楽しみです♪

是非他の皆さまにも、懐かしい想い出をお話しして
いただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします!
ホントに印象深いことが多い年です。
私は小学校5年から6年になった年。
年の初めころから「ガロ(学生街の喫茶店)」にどっぷり浸かって
その関係で平凡、明星の歌本や
ギター雑誌をよく読むようになり、
その中でルネの情報も得ていたのだと思います。

ニュースとしては三菱重工爆破事件が印象深いですね。
いまだに丸の内のオフィス街を見ると思い出します。

小野田さんのルバング島生活は「少年マガジン」に詳細に書かれていて
それを読んですごく感心&感動したのを覚えています。

紅茶きのこって、いったい何だったんでしょ?(笑)
ダイアナ様

コメントありがとうございます!

小野田さんの他に横井さんがおりましたが、
私は、日本の敗戦を知っていた横井さんよりも、
ずっと日本国のために生き抜いた小野田さんに
感動したものでした。

「紅茶キノコ」ですか? あの当時ものすごく流行って、
今でも培養している方もいるらしいのですが、
健康食品としては、何の効果もないという報道を
見たことがあります。
ちなみに実家では流行に流されませんでした(笑)。

あっ、ルネとは関係ない話で盛り上がってしまった★
でも、ピングーパパさんは、その辺も考えてトピックを
作ってくださっていますので、気軽にコメントを入れて欲しいです♪
ダイアナさん、こんにちは。

「学生街の喫茶店」はその2年前の72年にリリースされてたんですね。


 君とよくこの店に 来たものさ
 訳(ワケ)もなくお茶を飲み 話したよ
 学生でにぎやかな この店の
 片隅で聴いていた ボブ・ディラン

 あの時の歌は聴こえない
 人の姿も変わったよ
 時は流れた

 あの頃は愛だとは 知らないで
 サヨナラも言わないで
 別れたよ 君と


懐かしい〜!作詞は「翼をください」や「廃墟の鳩」の山上路夫だったんですねェ、知りませんでした。
この曲と同じすぎやまこういちが作曲した、ザ・タイガースの「モナ・リザの微笑」を、私は勝手にモナ・リザ公開頃のヒット曲だったかなぁと錯覚してたんですが、こちらはさらに5年前の1967年のリリースでした。
モナ・リザってその頃から有名だったんだ〜、なんて。

1974年当時のヒット曲についても、改めてトピたてさせていただきますので、ご期待ください!


reneeさん、

紅茶キノコとか、得たいのしれないものが時々流行るもんですよね。
1974年のことを調べていて、これって「ちびまる子ちゃん」の時代と
ぴったりはまるなぁ、と気が付きました。
「まる子」に出てくる話題がまさにこの時代のことばかり。

当時のコミックやアニメの項も少々お待ちくださ〜い!

こうやってみると、本当にいろんな事があったんですね。(ハイ、リアルルネ世代だから全部覚えてますヨ)

「紅茶きのこ」はやってましたが、名前からして不気味だったからちゃんと見たことはありませんでした。
モナ・リザのすごい騒ぎは良く覚えてますが、まだ芸術文化の成熟度が低かったのですね。(いまだに低いような気がしますが)

そういえば、小野田少尉の数年前にグアムで横井正一(軍曹)さんでしたね。
「恥ずかしながら・・・」ってフレーズまだ覚えています。
戦前の日本軍を肯定するつもりもありませんが、子供心にも小野田さんの己を律した凛とした態度に感動いたしました。
(その時彼の持っていた銃は、銃撃可能なように整備されていたそうです)

そしてこの年は、長谷川一夫演出のヅカばら(宝塚のベルばら)の平面顔と5頭身にびっくらした年でもありました。(物を投げないで下さい〜〜あせあせ
K様

コメントありがとうございます♪

ヅカばらの話題はKさんのためにとっておきましたのよ〜んムード
多分足な気持ちをぶつけたいと思いますが、ファンの方々には
太刀打ちできないのでじっと我慢ですねがく〜(落胆した顔)
あっ、ボ○カレーの『じっと我慢の子であった』ってセリフは、
いつの頃のCMでしたでしょうか?…また、ルネからそれていますたらーっ(汗)

ルネ・ブームの頃、学校のお昼の放送で、『愛、それは〜甘く〜♪』という、
有名な劇中歌が流れていたものです。
また、この当時、外タレ・ブームでもあったし、少年合唱団ブームでも
あったように記憶していますが、どうでしたっけ?
ウィーン少年合唱団ファンの同級生と一戦交えたことがありますよ雷
Kさん、はじめまして!

ベルばら流行りましたね、女の子たちが「オスカルッ!」と真似して遊んでたなぁ!
宝塚ベルばらを「ヅカバラ」って呼ぶのは知らなかったです。
いまの流行りは「カピバラ」ですが(関係なし)。


reneeさん、こんにちは!

ボンカレーCMの記憶、流石です!
当時はテレビで萬屋錦之助演じる「子連れ狼」が人気放映中で、
笑福亭仁鶴がパロディで「大五郎、3分間待つのだぞ…じっと我慢の子であった」
のボンカレーCMがまた大受けでした。
現在、大塚のサイトの「HISTORY」をクリックすると、
このCMが観られますよ!


それにしても子供の頃だから懐かしいという以上に、
ルネが日本デビューした1974年という年は特に、いろいろ印象的な出来事が多い年だったんですね。
オイルショック後の不景気な年で、
先行き不安がオカルトや超能力ブームに現れている気がしますが、
いろいろな流行があり、「ミドリ色の屋根」ほか記憶に残るヒット曲も多く、
ユニークなものを生み出す意欲に溢れた時代だったのかなと思います。
ヒット曲やコミックなど、追ってご紹介してまいります!


ピングーパパ様

ヅカばら→カピバラがツボですわーい(嬉しい顔)
ちなみにアニメの「ベルサイユのばら」はアニばらで、私はダンバラです衝撃
ああっ、誰か止めて〜っげっそり

気を取り直し、メンバーのダイアナさんのブログ、
きっとみなさん、はまるんじゃないかと思い、紹介いたします。
ちょうど、ルネの話題で私と出会った時のところでリンクしときます。
「今日聴いた音楽/ダイアナ・シールズの日記」
http://d.hatena.ne.jp/dianaseals/20061125#p2

それから、こちらもルネがらみで知り合いになったブログなのですが、
CMについて書かれていて、こっちもかなりツボにはまりますので
是非ご覧ください。こちらもルネの記事のところをリンクしておきますね。
「記憶に残るCMの記憶」管理人は夜型さん
http://blog1.yorugata.com/?day=20060410
……ご紹介いただいておりますが、
最近はもっぱらネタ切れを起こしております上に
更新も滞っておりますので、ご容赦を(汗)。

ベルばらは、もっぱら「ニセアントワネット」となって
♪あ〜い〜それは〜あまく〜と
ニセのソプラノでカラオケで歌っております。
ネタです、ネタ(爆)。

モナリザが日本で公開したとき、
美術館で売っていた絵葉書とポスター、
私の父がいた会社で作っていたので、
少しもらってきてくれました。
なんでも、その元にした写真が
防弾ガラスを外したときに写した
大変貴重なものだったので色がいいと
散々聞かされた覚えが…。

GAROはルネと同じアルファ・レコードで
村井さんつながりで、いろんな共通点があるんですよ〜。

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