ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

開発民俗学 「地域共生の技法」コミュの‘知’の相対化について (あるいは、学問的な‘知’と‘経験知’の格差と断絶について)<連続講座>

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
という、新しいテーマで、私の思うところを語ろうと思います。

私自身、いろいろなところで触れてきていますが、‘日本の’大学のひとつである「大阪外国語大学」に1988年に入学して以来、‘日本の’大学教育のきわめて‘常識的な’または‘オーソドックス’な学問についての教育を受けてきました。

また、1980年代から1990年代は、ちょうど世界がアナログからデジタルに切り替わりつつある時代で(例えばCDの発売は1982年)、学問だけではなく世界中の全ての面で‘世の中’が大きく変わった時期で、私はさいわい大学時代は‘アナログ時代’、そして社会人になってからは、‘デジタル時代’の‘知のあり方’と‘リテラシー’の双方を、自分なりに勉強してきました。

具体的には‘アナログ時代’の‘知’に関しては、下記を‘自分’自身のための‘マニュアル’として1991年にまとめました。

◆ アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991) @HP版 歩く仲間

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

特にその中でも、第2部ではアナログ時代のリテラシーについて語っています。

◆ 第二部  リファレンスワーク入門

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g004.htm

その後、1992年に、開発コンサルタント会社に就職してからは、デジタル時代のリテラシーと同時に、いやそれ以上に重要な‘現場学’具体的には‘フィールドワーク’を中心とする‘フィールドサイエンス’を仕事として16年間やってきました。

その過程で、大学で学んだ‘学問知’と‘現場’との違いやギャップの大きさについて現実に悩み右往左往した‘経験’についてエピソードとして言及するのみならず、結局、‘私’なりの‘経験知’のつかみ方について新たに別の講座(マニュアル)としておこしました。それが、下記の取り組みです。

◆ ‘開発民俗学’への途(第1部)<連続講座> 2000-2008

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0000.htm

まあ、最初のマニュアルは、実質1年かけて作りましたが、この連続講座は、働き出してから8年目に筆を起こし、それから完了まで8年かけました。いわば、私の16年間の開発コンサルタントとしての学びのエッセンスが詰まっていると自負しています。

その中で、私がとりあげたリテラシーに関するもろもろは下記に代表されます。

◆ 第4講:開発学研究入門(基礎理論編)(道具箱=ブックガイドその1)
2000年8月15日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

この中であえて上記の「アナログ時代のリテラシー」以後の‘学問知’について、レヴューしなおしました。

◆ A.1990年代以降の知の世界

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm

ここで気がついたことは、結局、‘デジタル時代’の学問の仕方ではなく、1990年代以降は、フィールドワークに代表される学問の体系化前の‘現場’に戻るための手法や技法の研究が進んだという事実なのです。いやデジタル時代になったからこそ、可能になった‘新しい’フィールドが見えてきたということなのです。

具体的には、今まで歴史学や美術史など、過去から資料はあったしものはあったのですが、X線透視画像など科学の進歩により今までのアナログでは不十分であった調査が、デジタル技術、具体的にはコンピューターのソフトとハードの進歩により、今まで見えなかったものが見えるようになったりして、‘古い’同じ資料から、全く別の‘真実’が浮かび上がってきた。

したがって、理系のみならず文系学問でも、デジタル機器を駆使した新しい現地学・現場学がルネサンス(復興)となったわけです。

また、急激な社会の変化で、パラダイム自体の見直しが学問だけではなく政治でも経済の世界でも世の中のあらゆる分野で進みました。

そのためには、今までのようにイデオロギーや、いわゆる‘イズム’に乗っかって議論するのではなく、‘現実’そのものを今の感性で、今の技術で捉えなおす必要が生じました。

そのために必要なのが、結局、‘現場学’や‘フィールドワーク’なのです。

私は、胸を張って言いますが‘イスラーム’とか‘開発’とか、その時代でホットなイシューについて、その真ん中?とは言いすぎですが、その中で中枢の人たちのきわめて近くで勉強する機会を得ました。

イスラーム関係の学会の諸先生方や、開発援助の現場での先輩達は、私にとってかけがえのない貴重な財産であり、‘生きた’リファレンスです。

まあ、非才な私が偉そうにつらつら書いているわけですが、自分はメインストリームというか王道(の近く)を歩んできたと思います。

さて、上記の前置きを皆様に共有していただいた上で、新しい講座を開始します。

ではでは^^?

コメント(20)

第1講 ‘学問知’と‘経験知’という言葉の意味(この講座における)について

そもそもこんな講座をおこすにいたった直接の理由は、私の別のコミュ(イスラーム地理書・旅行記勉強会)に対するこんな書き込みです。

「‘現代におけるイスラム・テロの問題がどのようにイスラム教内部から誕生したのか’について <パースペクティブの一つとして> 

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63184567&comment_count=17&comm_id=4600043

まあ、対談?の相手がこのコミュにはいないので、この記載内容についての言及はさけますが、私が思ったのは「なんで自分だけが正しいというドグマ」に陥ってしまう人が多いのだろうということと、どうも‘学問的な知’と実体験の‘経験知’を混同しているしまっているのではないか、それは自分にもいえるのではないかという自己反省からきています。

私は、「経験が全てとは思わないが」と断りつつも、自分の体験や経験(経験知)と、そして自分が学んできた‘学問知’をかなり恣意的に自分の都合のようにつなぎ合わせた言動をおこなっています。

これは裏を返すと、自分の仮設を検証するための‘学問’であり、‘経験・体験’を無意識に心と体が求めてしまっている。逆に自分に都合の悪い‘学問知’は無意識にフィルターにかけてしまっていて‘ない’ことにして、また自分の嫌な事実や現実を‘みたり聞かなかった’ことにしていたのではないかということなのです。

考えるまでもなく、いくらでも思い当たるところはあります。

しかし、先のコミュで対談者に発した「政治性のない」立場が現実に存在するのかというのは、私が今までこのコミュで血が出るほど必死に考えてきたことなのです。もちろん、‘そんな都合のよい’「政治性のない」立場は、現実は存在しませんし、もしあるというものがあれば、それはうぬぼれか欺瞞か、‘己自分’知らずかとにかくそのような回答はありえないと私は断言します。

それがあると思うなんて、あなたそれは大きな‘勘違いだよ’って。

(続く)
(続き)

話を戻すと、確かに学生時代は結局、湾岸戦争で‘現場’に立つことができず、本当にやきもきしました。

しかし、腹立ちまみれに、こんなことを20年前に書きました。

あ と が き に か え て(旅行の勧め) @アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g014.htm

この文章はおもしろいので、後にコラムとして全文、転載しておきましょう。

要点はここです。

「実は、正直に告白すると、私は、まだアラブの地を踏んでいない。湾岸戦争のことなど、言い訳はいくらでもあるのだが、それはともかく、今までずっと述べてきたこと、すなわち体感するためには絶対に現地体験が必要不可欠である。もし、留学というものが必要であるとしたら、その本旨は、書物や、外側からだけでは解らない生活そのものに触れる事ではなかろうか。チェアー・ディテクティブではだめだと笑われるかもしれないが、この目録ぐらいのことは出来るということは、特記してもおいてもよいであろう。」

そして現実に開発コンサルタントとして世界を旅するようになって、本当にほんまかいなという信じられない(アンビリーバブル)な事象に山ほどあってきました。

その中で、どうも‘教科書’で‘学問’として学んだことと、‘現実’はズレているというか違うようだぞと、さすがに鈍感な私でも徐々に気がつくようになってきました。

でもね、これは当たり前のことで、研究者が著作をまとめる場合、原体験→論文にまとめる(2,3年後)→ 学問的に深化、そして論文を書き溜めることによってその研究者なりの‘知見’としてまとめて論文集としてまとめられる。

もっと簡単に、博士論文としましょう。結局、大学生時代からフィールド調査を行ってきたとしても博士論文にまとまるのに約10年かかります。つまり、‘学問’として‘形(書籍)’をなした時点で、10年から20年前の‘現実’の分析となっているのです。

だから‘論文’を読めと大学生や院生は教官からいわれるわけですが、それでも事象の起きた時点からは、最短でも半年は経ってしまっています。

まあ‘学問’に時間がかかるのは、物理的に仕方がないのは上記に述べたとおりなのですが、あともう一つの問題は、‘経験’や‘体験’は、その‘体験者’に固有のもので、理系の学問ではほぼ100%の‘再現性’が求められるのに、較べて文系のフィールド科学では、逆にほぼ99パーセント‘再現性’がないという‘現実’があるということなのです。

すなわち文系の研究成果とは‘体験者’が解釈したものでしかないということでもあります。

よく言われることですが、たとえば二人が同じ時空を共有していても、見えたり聞こえてくるものは、個々人で全く違います。誰一人‘同じこと’を考えたり見たり聞いたりしていません。よほど感性の‘アンテナ’を張る方向性を事前に二人の間で共有していたとしてもです。

仮に20年前に、ある研究者がみた‘風景や事物’の中に私がたまたまであれ99パーセント似た‘風景や事物’を観ることが出来たとしても、私は、自分の経験や‘学問知’によって、たぶんその研究者とは別のモノを見たり聞いたりしてしまうのでしょう。

つまり結局、私は自分の‘経験’や‘体験’で得た‘知’から新たに‘学問知’自体を疑い、(自分で)解釈しなおさなくてはならない。

でもそれが結局、‘学問知’の深化であり進化(※)であると思うのです。

※あまり使いたくない言葉ですが、わかりやすいイメージを与える‘言葉’としてのみ使っています。

ということで、この講座では、私の体験や経験知から、どう学問知の見直しを(私自身が)迫られたのかについて具体的に述べていきたいと思います。

基本的に、テーマというか項目ごとに具体例を挙げていく予定です。

でもその前に、コラムを一つ置かせていただきましょう。

ではでは^^?

この項 了
<コラム(その1)> あ と が き に か え て(旅行の勧め)


初出: HP版歩く仲間 2000年5月5日 再掲載。

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩)@1991年11月11日
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

---------------------------------------------------------

あ と が き に か え て(旅行の勧め)


 近年、マスメディアの、特にテレビの発達によって、瞬時に、世界中の情報が、それも茶の間で知ることが出来るようになった。しかし、テレビに徹底的に欠けているもの、それは匂いであり温度であり、曖昧な言い方だが、要するに雰囲気(アトマスフィアー)とでも言うものであろう。いくら、テレビ技術が発達しても、結局、音と映像だけの世界でしかない。俗に、五感というが、私達が物を認識しようとする場合、さらには体感しようとした場合、果たして聴覚、視覚だけ分かったと言えるのであろうか。

 「コピー文化」という言葉がささやかれるようになって、すでに久しいが、日本のこの状態はどうもおかしいし、まずいと思う。疑似体験(体験とは言えないと思うが)だけで、分かったような気になっている。最悪の例が先の、テレビのシュミレーションゲームそのものと言われた湾岸戦争の報道であろう。私達は、連日のように湾岸地帯の映像を、イラクへの爆撃さえをも見ていた。 しかし、一体誰が映像の向こうにいる人々の痛みや悲しみ、怒りを感じることが出来たのであろうか。イラク兵も、多国籍軍兵も、さらには一般市民も、断じて、決してゲームの基盤のうえの駒なんかではない。

 実は、正直に告白すると、私は、まだアラブの地を踏んでいない。湾岸戦争のことなど、言い訳はいくらでもあるのだが、それはともかく、今までずっと述べてきたこと、すなわち体感するためには絶対に現地体験が必要不可欠である。もし、留学というものが必要であるとしたら、その本旨は、書物や、外側からだけでは解らない生活そのものに触れる事ではなかろうか。チェアー・ディテクティブではだめだと笑われるかもしれないが、この目録ぐらいのことは出来るということは、特記してもおいてもよいであろう。

 さて、イスラームの大旅行家であるイブン・バッツゥータが、29年間にもわたった大旅行に、故郷のタンジャから旅立ったのは、彼の22歳の時であったことを、ふと思い出した。私も、近々その年齢を向かえる。旅立ちへの期待を胸に秘めつつ筆を置くことにする。

1991年11月11日

執筆者しるす
--------------------------
研究者並びにしばやんさんへの質問。いやツッコミかぁ。

>私の開発民俗学のコミュでも、言い方を変えて語っていますが、基本的に研究者は調査対象(失礼な言い方は100も承知ですが)の中に‘自分’が入ることを、99%嫌うというか、極度の恐れを感じています。

つまり、知りたいけど‘中に飲み込まれたくない’というわがまま?な人たちなのです。また、中に入ってしまったら‘研究がなりたたない’とか。

本当に優秀な先生を何人も知っていますが、調査や研究対象に‘なりきる’人はほとんどいません。

いや、‘飲み込まれてしまった人’を評価しないという‘風土’が、そもそも‘学会’と名のつくものにはあるのかもしれません。
★私はこのポジショニングが嫌いです。
開発する側なのに、開発する事で、「利益」を得ているのに、「利益」を得ている「当事者」なのに 「非当事者(部外者)」に位置付けるセコサが嫌いです。
で、質問を忘れてしまいました。
山間僻地さん こんにちは。

全く、そのとおりなのです。

山間僻地さんに引用いただいた文章は、私が対談相手に向けて書いた文章で私の実感?を書いたものですが、山間僻地さんの下記の言葉は、私が思っていることそのものです。

★私はこのポジショニングが嫌いです。
開発する側なのに、開発する事で、「利益」を得ているのに、「利益」を得ている「当事者」なのに 「非当事者(部外者)」に位置付けるセコサが嫌いです。
で、質問を忘れてしまいました。

私は、以前、別の文章で‘絶対安全圏においた’という言葉を使って、かなりひどく学界をののしりました。(←私にそのつもりはなかったにせよ、そうとられても仕方ない!)

しかし、私が今、考えていることは、「その(個人的な)わだかたまりを超えたところで何ができるか」ということで、やはり敵?とも胸を開いて話せるだけの人間の大きさといいますか、議論や対話は感情とは別の次元であるべきというところと、何度も書いていますが結局自分も50歩100歩で、同じ穴のむじなというか、そのような“「当事者」なのに 「非当事者(部外者)」に位置付け”ているのは‘自分’も同じであるという忸怩たる思いがあります。

あと、先の対談者にもいっていることですが、もし「学界」に問題があるのであれば、「内部」から改革を目指すべきで「外部」で何を騒いだところで、「内部(の人)」は、そんなに簡単に変わりません。

「組織を変えるのには20年かかる」とは、私が業界でオフ会活動を始めたころに某国際機関(JICA)の10年くらい先輩の方に聞いたことで、実際、私もそう思います。そして、民間、役所、学生(院生)それぞれの立場で、自分の住む(働く)業界をよりよいものにしていこうと、何度も話してきました。

だから、私はなるべく相手の中に入り込んでその中に、‘仲間’を作っていくという‘弱者の戦い’を展開していくつもりです。‘オルグ’なんで言葉は、今でこそ、全く死語ですが、私のやっていることは基本的に‘ゲリラ’の戦いではないかと秘かに思っています。

結局、‘権威’や‘上’からの命令で世の中が変わるほど、世界は簡単なモノではないし、なにより‘世界’の中で一番動かさなくてはならないのは、‘人間’という摩訶不思議な訳のわからない?‘動物’なのです。(※)

※誤解を与えそうですが、生きた‘人間’ほど難しいものはないということを端的に言っています。だって自分自身をみても‘理性’だけでも‘知性’だけでも‘感情’だけでもない、コントロールしきれなくなると思う瞬間って、本当に稀にせよあるでしょう^^? それが‘難し’くもあるし、最高に‘おもしろい’人間という生き物なのです。

そういえば、今日、りぶらという図書館に英会話の教室に行ってきたのですが、図書館のロビーにあった七夕の飾り付けに、こう書きました。

「チェンジ・ア・ワールド 一人ひとりの言動が世界を変える。初めの一歩が大切 しばやん」

ということです。結局。

文句をいうだけではダメ、その中で自分が何をできるかと考え、語り行動する。そんな時代じゃないのかなあと私は思います。

ではでは^^?
こんにちは、ヘキチです

少し思い出したので、
研究職の人並びにしばやんさんへの質問。いやツッコミかぁ。

>私の開発民俗学のコミュでも、言い方を変えて語っていますが、基本的に研究者は調査対象(失礼な言い方は100も承知ですが)の中に‘自分’が入ることを、99%嫌うというか、極度の恐れを感じています。
つまり、知りたいけど‘中に飲み込まれたくない’というわがまま?な人たちなのです。また、中に入ってしまったら‘研究がなりたたない’とか。
★此処の理屈が全く分かりません。
ってことは、
日本の学界や業界は、
調査研究手法である「参与観察」を全面否定するということでしょうか?

「参与観察」にしか依拠していない私は、
戸惑います、、、

そして、何度かの業界不採用になった理由がわかります。
こんにちは、ヘキチです

少し思い出したので、
研究職の人並びにしばやんさんへの質問。いやツッコミかぁ。

>中に入ってしまったら‘研究がなりたたない’とか。
★上記の理論によると、
「開発民俗学」に露骨に関係するであろう日本の文科省に認められた「日本農業普及学会」(の会員)が行っている調査研究活動は、
「研究」ではないということでしょうか?

ちなみに、この「日本農業普及学会」も学会誌なるものを出していまして、
書 評 鈴木俊 著『国際協力の農業普及−途上国の農業・農村開発普及入門−』 山崎正氣
だそうです。
> 日本の学界や業界は、調査研究手法である「参与観察」を全面否定するということでしょうか?

ということですが、学会・学界・業界は「参与観察」が専売特許みたいなものです。
ただし、それは山間僻地さんやしばやんさんが意図していらっしゃる「参与観察」とは異なるもので、
あくまでも「外部者としての参与観察」なんですよ。

確かに学問としての客観性や理論的普遍性を保つために外部者としての参与観察も必要だと思います。
しかしながら、私も「外部者としての参与観察」のみで学問が存在していることに大きな疑問を感じます。
もちろん、内部者としての参与観察のみになってもこれはこれで閉鎖性や個別性が高いものになってしまうわけで問題です。

実は、内部者と外部者とを行ったり来たりするようなことを研究者は現実的にはやっています。
ところが、それを論文に書いてしまうと、「フィールドに取り込まれた」(ミイラ取りがミイラになった)ようにいう人がいるんですよね。
どうやら研究者然とした客観性を装うことは、大学教授としてうまく世渡りするには必要なことのようです。そこが問題だと思います。
農業普及学会の件ですが、
農業普及に直接的に関わっている人はこの中に多数いらっしゃるようですが、結局のところそれは「農業普及」の当事者ではあっても、それは大学教授や研究者として圧倒的に権力を持った立場としての当事者であって、この学会の中に「農業当事者」がどれほど含まれているか、あるいは農業当事者(内部者)の立場からの論文がどれほどあるのかについては疑問な感じですね。もちろんそういう人もいらっしゃるとは思いますが。
こんにちは、ヘキチです

少し思い出したので、
研究職の人並びにしばやんさんへの質問。いやツッコミかぁ

>本当に優秀な先生を何人も知っていますが、調査や研究対象に‘なりきる’人はほとんどいません。
★「日本農業普及学会」(の会員)が行っている調査研究対象は、ご自身が仕事で行っている事(農業普及活動)ですが、

>‘飲み込まれてしまった人’を評価しないという‘風土’が、そもそも‘学会’と名のつくものにはあるのかもしれません。
★このような「当事者研究」は、
研究職の人には評価されないのでしょうか?
ちなみに、
21年度の学界の功労賞 「事例を活かす普及指導手法に関する研究(普及指導活動上陥りやすいポイントの分析とそれに対するリカバリー普及学)」で、
格上の学術賞は「新技術採用と社会ネットワーク(フィリピン・ターラック州深井戸灌漑システムにおけるAWDの事例)」だそうです。


なんというのでしょうか、正直、学界の中の駆け引きはよくわからないのですが、たんとさんの言葉が‘本音’と‘建前’をうまく言い当てているのではないでしょうか。

>実は、内部者と外部者とを行ったり来たりするようなことを研究者は現実的にはやっています。
>ところが、それを論文に書いてしまうと、「フィールドに取り込まれた」(ミイラ取りがミイラになった)ようにいう人がいるんですよね。
>どうやら研究者然とした客観性を装うことは、大学教授としてうまく世渡りするには必要なことのようです。そこが問題だと思います。

なんか、変なたとえですが、よく‘自分’の‘体験’なり‘経験’を、「私の‘友達’の話しだけど」ってやりませんか。

結局、自分の経験や体験でも、‘客観的’な事実のごとく、装わなくてはならない、これは一概に‘悪い’と決め付けるわけにはいきません。

最近、ある本を読んでいて気がついたのですがDVの当事者は自分が‘その被害者’だとは言いたくない、言えなくて隠したがるものだという話を聞いて、これって実は昔からある構図で、鎌田慧が1970年に対馬の第2イタイイタイ病をいわば発見?(検証)してルポルタージュに書いたのですが、結局、事件から何年か立たなければ内部告発は起きませんでした、いや企業が撤退して鉱山が廃坑になった後にやっと声をあげることができたのでした。

企業城下町、今回の福島の原発もそうですが、そこに生きている人たちは自分の家族や親戚など身内の人が直接に雇用されているとなると、逃げることも隠れることも投げ出すことも、ましてや声をだすことすらできません。

そのような理不尽なことが世界中であることは明らかなことで、ここで白々しい‘正義’を語る‘学者連中’や‘活動家’が、さまざまな思惑でそれに飛びつくこと自体をさらに‘他人’である‘私’が否定することはできません。

しかし、開発に反対するNGO活動をやっているNGOと地元民との関係や、行政との関係に非常にいびつなものを垣間見てしまったことも事実です。
(フィリピンのある大きなプロジェクトの件で、私も一方の側(開発を進める側)の当事者として、少し足を突っ込みました。)

その時に感じたことは、たまたまそのときのプロジェクトの‘当事者’が先住民という‘政治性’も持っていたのですが、どうも、影で糸を引くとある‘団体’のいかがわしさでした。それは、誰とはいえませんが、ぱっと見では、‘先住民’という‘社会的弱者’を励まし彼ら‘当事者’を助ける‘正義’の味方みたいに、‘社会’に向けてアッピールするわけですが、私に言わせれば、‘団体’の調査(現地調査)は、かなり恣意的なものであり意図的に事実を曲げはしないものの、都合の悪い事実には見事に頬かむりしていました。

そもそもこのような生々しい話をSNSのコミュですること自体、不適切なのかもしれませんが、私は、自分が‘開発民俗学’を考えるにあたり、このようなことから具体的に‘あるべき論’というか‘あらまほしき(世界)’を語ろうと思っています。

‘正義’が常に‘正しい’わけではない。特に‘当事者’ではない癖に、したり顔で近寄り、‘言葉’=‘メディア’という‘巨大な力’を持った‘外部者’が‘現場’にどう付き合っていくのか、寄り添えるのか、私としては、‘学界’の評価より、‘現場の仲間’に自分の言動がどう評価されるのかのほうがずっと重要な問題です。

つまり、‘現場’は自分の‘出世’や‘研究’のための‘手段’では決してないということを、肝に銘じて生きなければならないと思います。

一過性の関係ならいいですよ。しかし、‘われわれ’のかかわりというものをもう少し長い期間で考えるとしたら、友人である‘仲間’を裏切ったり、後足で砂をかけるようなことはできないはずです。

まあ、それが私が、‘開発(の)民俗学’ではなく‘開発民俗(学)’を唱える一番の目的というか主旨なのです。

これを‘学界’の人にわかるように、いやたんとさんの言葉ではないのですが、実際にはみんなわかっているのです、ただ、‘アカデミズム’という目に見えない‘檻’に閉じ込められて自分に素直になれないだけだと私は半分くらい本気で思っています。

まあ、世界も世の中も変わります。徐々に、日々刻々と。

ではでは^^?
こんにちは、ヘキチです。

>あくまでも「外部者としての参与観察」なんですよ。
★近年の「農村」に関する調査研究は、調査研究者が農村体験が無くかつ農村に関する知識関心が少ないという意味で、
「外部者としての参与観察」だと感じています。
★私が、いやだなと思っているのは、
「開発」に関する調査研究が、自分自身(調査研究者)を「外部者」と規定することです。
単なる地域研究(エリアスタディーズ)の調査研究はどっちでもいいです。
いやどうでもいいです。

★ですから、
>確かに学問としての客観性や理論的普遍性を保つために外部者としての参与観察も必要だと思います。
★ 「開発」に関する調査研究に「学問としての客観性や理論的普遍性」が必要かという基本的な疑問・反発が当然あります。
★また、「開発」に関する調査研究において、外部者という規定が「学問としての客観性や理論的普遍性」を担保するのかという反発もあります。
というのは、私は、「開発(現状維持という開発や、開発反対という開発も含め)のための調査研究」を、「開発」という行為の内部に位置づけるからです。調査研究も、開発の一貫と考えます。

ではでは
山間僻地さん

いつも書き込みありがとうございます。

コメントを拝見するに私が頻繁に使っている「外部者」という言葉の‘意味’やそれにこめた‘想い’に誤解というかすれ違いがあるのではないでしょうか。

今、実は別のトピック(下記を参照)で、「外部者(異人)論」のところに入ったところなので、そちらと私の主張がダブルところがありますが、このトビ用に、端的に言いますとこうなります。

「東日本大震災と開発民俗学」 一開発コンサルタントが思うこと。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=62072221&comment_count=50&comm_id=2498370

16.‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡しとは何をいうのか?
(49の項目となります)

つまり、「現場」に入ったものが‘無自覚’に‘当事者’になったフリをするなというか、私の理論上、正確にいうと、「我」と「彼」という‘違い’を常に意識していなければダメですよ。‘開発民俗学’の枠組みの中では、‘我’‘彼’が同じ‘現場’を共有することによって‘我々’の‘物語’が生まれる。いや、積極的に‘我々の物語’を語ろうと呼びかけているわけですが、‘外部者’であることを忘れた‘我々’の立場とは何であるかを考えてみるわけです。

それは、たぶん片一方の‘彼’にとっては、‘ずうずうしく’かつ‘不愉快なもの’であるのに違いありません。

なぜ、私がそう思うのか。

開発援助の現場において、中途半端な‘同情’や‘相手をわかったふり’をすることが、どれほど‘彼=相手’の信頼を裏切り、その心をもてあそぶものであるのかを、いやというほど見聞きしたからです。

少なくとも、プロの開発援助(者)には、そんなものは‘不要’ですし、それが‘彼’自身の目をくもらせることに繋がるからです。

(続く)
(続き)

‘現場’で一番恐ろしいものは、なんだと思いますか。

私は、‘中途半端な’わかったふりや、さらに踏み込んでは‘彼’の立場を代弁するとまで‘勘違いした’‘我’の身の程知らずな「善意」そのものが、一番‘現場’を混乱させる‘恐ろしいもの’の一つであると思います。

この「善意」こそが、プロジェクトというと短期過ぎますが、まあ‘我々’が描きたい‘物語’の行方を、悪い方向へ導く‘元凶’の大きな一つなのです。

もっというと「善意の押し売り」ほど‘当事者’である‘彼’にとって迷惑なものはありません。

非常に難しい問題で、たぶんこのような文章だけではさっぱりわからない人ばかりでしょう。きっと。

実は、この裏書を具体的にしていかなくてはならないのですが、それは正直、私にとっても気が重い作業です。

というには具体例には、必ず‘当事者’が存在するからで、一般論的な抽象的な‘人(間)’を描くのとは、全く別の‘辛い’作業を伴うからです。

それはともあれ、私が仮に、山間僻地さんにこう言ったとしましょう。

「私はあなたの仲間です。私には、‘あなたが考えること’は全て、手に取るようにわかります。あなたの苦しみも悩みも喜びさえも、‘私’にはわかります。だから一緒に○○しましょう。」

しかしいきなり‘あなた’の世界に何の脈略もなく入り込んできた‘外部者’のこんな‘言葉’を、あなたは信じることができますか。

なんと独りよがりな不誠実な‘言葉’だと思わないでしょうか。いや、こんな‘軽い’‘無責任’な‘言葉’を信じる人(間)は、古今東西をみても、ほとんどいないばかりか、いても稀で、たぶん、そう信じた人(間)は、散々な目にあっているはずです。これは、ちょっと歴史を振り返れば簡単?にわかることです。たとえば、大航海時代や植民地の時代をちょっとみてごらんなさい。いかに‘甘言’に‘未開発’な人たちがだまされ土地や‘人間’としての‘誇り’をずたずたにされたのか、これを語りだすとまた別の話になってしまいますので、別のところに詳細は譲りますが、とにかくこれは、歴史上のことではなく、今、この瞬間にでも世界のあらゆるところで再生産されている‘悪魔?のささやき’なのです。(←ちょっと言葉として不適切で不正確ですね。もっとよい言葉が見つかれば、言い直します。)

しかも得てして、力をもった‘外部者’であるNGOやODAの実施者(外部者)は、そのようなポーズをとりがちで、傍からみていると、よくもまあ‘白々しい’ことをいうわというのと、言っていることとやっていることが違うじゃないかとか、うまいこと‘非援助者’である‘当事者’を騙しやがってというようなことが、現実にいくらでもあるわけです。

悲しいけどそれが‘現実’であり、さらに輪をかけて悪いのが、そのような‘ポーズ’が‘善意’そのものからでていることがままあるということなのです。

‘善意’や‘正義’は常に正しいのか、それは‘大人’になれば当然わかりますよね。

‘時と場合による’のです。最低限の留保としては。

そのような、あまりに‘幼い言動’が、実は‘現場’の人たちの失笑を買っているばかりか‘実害’を与えていることが多々あります。実は…。

ちょっと厳しすぎましたかね。ただ、これは自分自身にもいえることで‘天につばを吐く’ものではないことは、それなりに自覚しているつもりです。

でも、このコミュの方には、この‘感覚’をぜひ共有していただきたいなあと切に願っています。

‘我’と‘彼’の‘立場’を互いにしっかりとふまえたうえで、共同や新たな‘現場’を作ることができるのであって、一方的に、‘我’の土俵に引きずり込んだり、‘彼’の土俵に踏み込む(下がってやる!)ことは、決して、持続的な‘関係性’を双方にもたらしません。

‘我’の‘現場’でもなく、‘彼’の‘現場’でもない、‘我々の現場’に互いが自分の‘アイデンティティ’を持ちながら‘立つ’ことが、本当に建設的な話し合いなり議論ができるのです。

‘開発民俗学’では、いかにそのような共通の‘現場=プラットホーム’を作るのかについて、次のステップとして踏み込んで解き明かしていきます。

ちょっと議論が先に進みすぎてしまいましたが、なんとなくでもわかっていただけたでしょうか。

ぜひ、それぞれ自分の立場に置き換えて、自分の‘経験’の中で、どのように‘他者’と交わってきたかを考え直してもみてください。

自分の‘経験’から学ぶことは、実にたくさんあります。見方をちょっと変えるだけで‘気づく’ことが、とても沢山あるはずです。きっと。

ではでは^^?
こんばんは、ヘキチです。
取り合えづのつっこみです。
>「私はあなたの仲間です。私には、‘あなたが考えること’は全て、手に取るようにわかります。あなたの苦しみも悩みも喜びさえも、‘私’にはわかります。だから一緒に○○しましょう。」
>悲しいけどそれが‘現実’であり、さらに輪をかけて悪いのが、そのような‘ポーズ’が‘善意’そのものからでていることがままあるということなのです
★多分それは、「善意」ではなく、「無知」と「無関心」による発言でしょう。
実際に、そう思うでしょ^^? 

私もそう思います。

いや、だからこそ‘恐ろしい’のです。発言する人は「善意」としか思っていないことが多々あるのですから^^?

まあ、‘人(間)’が、本当は‘何’を考えているのかはよくわかりません。‘自分’の考えでさえ、周りの‘人’によってころころ変わるのですから。いやもう少し正確にいうと、人から変な突込みをされると、「あれ、自分って、本当は何を考えていたのだろう?」と思うことありません^^?

でも、ディスコミュニケーションもコミュニケーションの内というか、生まれも育ちも違う人が出会えば、それぞれの‘経験’や‘知識’に基づき、それぞれが勝手な思い込みでコミュニケーションがとれていると考えますというか考えたくなります。

ここらへんを学問的に突き詰めていくと「現象学」の世界に入るようですが、残念ながら私は全然知識がないので、スルーしておきます。(大学時代に「現象学」にはまっていた友人がいて、私も何冊か本は読みましたが、結局、よくわかりませんでした。(つまり理解できなかったということ^^?)

ともあれ、勘違い野郎?だらけの‘世界’で、どんな‘物語’が創られるのでしょうか。

たぶん大切なことは、‘物語’の‘参加者’全てが、自分の役回りを理解して、その‘役(目)’を果たすことなのではないでしょうか。

そして当然、‘立場’によって求められるものが違うのも当たり前のことで‘現場’では、‘外部者’は‘外部者’なりの、‘内部者’は‘内部者’なりの立ち回り、すなわち‘役割’を期待されているのもまた真実であると思います。

また、別に講を改めますが、‘外部者’だからできることについても、考察してみたいと思います。

思えば、‘開発コンサルタント’とは、究極の‘トリックスター’であるともいえます。これほど‘狡猾’な‘外部者’はいないでしょう。いろいろな面で。たぶん、開発援助の現場において^^?

ではでは^^?

おはようございます。ヘキチです。

>コメントを拝見するに私が頻繁に使っている「外部者」という言葉の‘意味’やそれにこめた‘想い’に誤解というかすれ違いがあるのではないでしょうか。
★あります。
多くの人が使っている「外部者」は、開発(調査研究)対象「地域・社会」の外部者。調査研究対象の外の人。
私は、開発のための調査研究も「開発(行為)」と位置付けるけるので、開発のための調査研究者も一方の(開発を進める側の)当事者としているので、調査研究者を「開発ムラの外部者」と規定するのは、ちょっとおかしいでしょう。「調査研究対象の外の人」ではあるが、「開発ムラの外部者」ではありません。

つづく
おはようございます。ヘキチです。

>農業普及に直接的に関わっている人はこの中に多数いらっしゃるようですが、結局のところそれは「農業普及」の当事者ではあっても、それは大学教授や研究者として圧倒的に権力を持った立場としての当事者であって、この学会の中に「農業当事者」がどれほど含まれているか、あるいは農業当事者(内部者)の立場からの論文がどれほどあるのかについては疑問な感じですね。
★感想
この構造って「開発」系の学界と同じ構造です(多分)。
だから、俺の「調査研究職者」としてのウリに成ると考えて言います。
★一般的な答え。
私は学会員ではないので、「科学的」答えはできませんが、この学会は「いわゆる農業当事者」はいません。あくまでも、「農業普及」の当事者の学界です。
★私の答え。
しかしながら、「農学原論」的にはこのような「農業普及(含む調査研究)」も「農業運動」のひとつなので「農業当事者(内部者)」の学界とします。
この理論は再三私が主張している、「開発のための調査研究も開発行為でしょ」りろんです。
とりあえづ、ではでは
おはようございます。ヘキチです。
「‘知’の相対化」ってよくわかりませんが、
日本の(農村・農業)開発実践において、
「税金」を使う関係から、
大学・学会関係者の「(外部)政策評価」ってのがあります。

私も委員になりたいと思いました。
私も開発ムラに入りたい。
どうやったら入れるのでしょうか?
教えてください。
以上

ログインすると、残り1件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

開発民俗学 「地域共生の技法」 更新情報

開発民俗学 「地域共生の技法」のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。