フアン・ルイス・ビベス(Juan Luis Vives,1492~1540)は、ユダヤ人追放令が出された1492年に、スペインのバレンシアにおいて裕福な改宗ユダヤ人(コンベルソ)の両親の間に生を受けた。両親と当人はキリスト教徒であり、〜年までをスペインで過ごし、その後は家族と離れ、ヨーロッパ各地を渡ることとなる。こうした生涯の中で、両親を始め一族が異端審問の対象となり、結果として父親は処刑、母親は死後20年を経た後に断罪され、その遺体を焼かれるという悲劇に遭う。しかし、ビベスはヨーロッパ各地を舞台にして活動する中で、エラスムスを始めとする人文主義者たちとの幅広い交友関係を持ち、また宮廷や教会における有力者などに重用されることとなり、またそうした中で、ビベスは多様な分野の学者として活躍し、哲学・政治・宗教・教育といったテーマを中心に、50以上の著作を残した。主な著作としては「」「」が挙げられ、後のヨーロッパにおける社会思想に大きな影響を与えた人物であった。 上記のように多分野で活躍したビベスではあるが、その中で当時の世の中で最も大きな問題となっていたのは宗教分野であろう。宗教改革の嵐がヨーロッパで吹き荒れる中で、自身もコンベルソの家の出であり、この分野に力を注いだことは彼の著作の数々を見れば明らかである。宗教、特にキリスト教関係の著作としては『』『』『』があげられる。『』を中心に考察していく。