東京へ出た当初(69年)は競馬場行脚の日々で、吉祥寺の「赤毛とソバカス」あたりへ時々行くくらいだったので「ブラックホーク」に足を踏み入れたのは71年だったと思うよ。
どうしてブラック・ホークの扉を開けたのかは定かではないが、そこに通うことを最初の日に決めたのは間違いないと思うよ。僕にとっては全く未知の世界に出会ったわけだから。
最初の一撃はスティーライ・スパンのHark! The Village Waitだったな。その頃はサンディ・ロバートンのセプテムバァ・プロダクションに集う人々も好きだったなあ。そして徐々に頑ななトラッドの深みに嵌っていったのだなあ。
77年にブリテイッシュ・トラッド愛好会に誘われた頃は既に大阪でしたが、月一回の例会に欠かさず通ってました。最後はブラック・ホークで例会ができず、公園に集まったのでしたね。そして両国フォークロアセンターへ。そこで僕とブラック・ホークとの縁もぷつんと切れています。
あの恐怖をどうやって乗りこえたのかは記憶がないんですが、たぶん一人では越えられず、友人と二人で行ったのではなかったかな。通いはじめの頃に記憶があるのはリチャード&リンダ・トンプスンの《POUR DOWN LIKE SILVER》。その時は一人で、レコード室真向かいの隅にすわっていたとき、扉脇にいたぼくより年上の常連らしい男性がリクエストしたのでした。たぶんあれを聞いて通い続けるようになったのだと思います。その頃は、あれでも十分「トラッド的」に聞こえたのでした。