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膵臓癌コミュの最期の日々。

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しばらく父の元気です報告をさせていただいておりましたが
昨年、肺に転移?原発?が見つかり、
抗がん剤治療などしてきましたが、今年の二月より緩和ケアに移行しました。
緩和ケアというと聞こえはいいですが、
もう何もできない状態ということです。

最近の父の姿を見て癌で死ぬ、ということがどういうことなのか
私なりにようやくわかりかけてきたところです。

辛いことではありますが、ここに記録として残していきたいと思います。

まず再発についてですが、肺だけに見られました。
5年ほど経っているため原発を疑ったのですが
おそらくすい臓がんの転移だろうということでした。
癌性胸膜炎を起こした状態で肺に水が溜まり
何度か水を抜きました。
息苦しさが出てきたので在宅酸素を開始。

最初のころは酸素をひきずりながら外出できていました。

だんだん階段の上り下りが辛くなり、その後平行移動でも辛くなり
6月の今では、ベッドからの移動も辛いので
ベッドサイドで用を足しています。

身体症状について:
目が見えなくなってきました。
視野が暗くなり、画像がぼやけるようです。
調べたところ、脳にむくみがでてきているせいのようです。
耳も時々聞こえにくくなります。
手が徐々に効かなくなり、特に右手が動かしにくくなっています。
スプーンを握っている握力もなくなりました。
字も書けなくなりました。

食欲がなくなりましたがかろうじて食べています。
おすすめなのですが抗うつ剤のリフレックスを飲んでいます。
この薬は食欲増進するという副作用があるので
逆に助かっています。

全身にむくみがでてきました。
利尿剤のお薬は毎日飲んでいますがそれでも
肺の水が増えたり、腹水が増えたりするので
注射に切り替えたりしています。
おなか周りがどんどん大きくなって病衣がきつく、
今では3Lのズボンをはいています。

痛みと胸がしめつけられる感じが頻回です。
オキシコンチンを一日二回。
今は20mgですがオキノームの回数が多いので増量予定です。
オキノームは2.5mgを2包ずつ。一日二時間おきくらいで飲んでいます。

寝ていても楽じゃない、起きても辛い、立つことも難しい。
厳しい状況の中にいます。

それでも父はまだ治るんじゃないかと思っているところが辛いところです・・・。

コメント(28)

私は昨年末に同じ病気で父をみおくりました。
闘病生活9ヶ月。
それでも、病気になってなかった時の10年分以上の時間を一緒に過ごしました。

最後まで父は、父として、色なことを教えてくれました。

今思うと、父に、
子どもを3人育ててきてよかった。
と、口にしてもらえたこと、そう感じさせたことが、唯一の最大の親孝行だったのかな、と思います。

亡くなったあと、エンディングノートが出てきました。
9ヶ月、死と向き合うなかで書き上げた、父の思いが父らしい言葉で書いてありました。

お父様とえりえり様のことを応援することしかできませんが、遠い場所で応援しています。
何か力になれることがあれば、メッセージくださいね。

>>[1] 、ありがとうございます。
9か月、あっという間だったでしょうね・・。
家族の死というのはいつか必ず受け入れなければならないもので
親が先、という、自然な順番で、
きっとそれだけで幸せなことなのでしょうが
やはり直面すると辛く、辛く、辛いです。
貴重な経験を教えていただきありがとうございました。
少しずつ覚悟を決めて向き合っていきたいと思います(__)
6月18日の記録。

腹水が溜まりに溜まっているため、3Lのパンツやパジャマを買ったけど
それでもきつかったみたい。
明日は4Lのパンツを買いに行こう。

息苦しさが頻回になってきました。
医師の提案でステロイドの内服を朝、昼と飲んでみることに。
夜飲むと興奮して寝られなくなるから、この時間設定みたい。

オキノームはあまり飲ませたくなかったので、
できれば一包で済ませていたけど、
痛みと息苦しさが頻回になったため、
がっつり2包飲ませることに。
オキノームで息苦しさは和らいで眠りについたけど
1時間くらいで痛みで目が覚める。
なかなかペインコントロールがうまくいかない。
正気を保ったまま、痛みを抑えることができれば一番いいんだけど。

処方されているお薬☆
食後に 痛み止めとしてロキソニン、胃薬としてムコスタ
麻薬で便秘になるので便を軟らかくするマグミット、
利尿剤のラシックス

続けているもの☆
ヤクルト400LT
山田養蜂場 王乳の華を一日最大量の6錠
時々気休めに健康家族のにんにく卵黄も。
☆麻薬について☆

ガンに特化した病院に長い間通院していましたが
そこでもとにかくレスキューの麻薬を飲め飲め飲め飲めと言われ続けました。
いくら飲んでも大丈夫だから、
それより痛いほうが大変だから、
これが今のガンに対する治療方針のようです。
もう残り少ない命だから、痛みを取り除くのが最優先事項、ということです。

ですが、注意しなくてはなりません。
父は麻薬を増量したり、違う種類の麻薬に変更したりするたびに
不整脈になり、一時的にですが余計具合が悪くなりました。
このまま心臓が止まるんじゃないかというところまでいきました。
母が医療従事者ということもあり、父につきっきりで
麻薬を増量したときの様子を見、対処してきました。
結果、我が家ではできるだけ麻薬は飲ませない。
なるべく量は少なめに、を守ってきました。
そして増量するときは少しずつ増やして体に慣らしていく、と。
父にとっては辛かったかもしれませんが、
そのぶん父が父でいられる時間が長かったように感じます。

麻薬量が増えた今は、眠気が常に頭を覆い眠る時間が増えてきて、
父は自分が自分でなくなるのが怖いと感じています。
父がもう限界だ、もうどうなってもいいからこの痛みを取り除いてくれと
願うまでは、もう少し頑張ってもらおうと思います。

麻薬量が増えるにつれ、多臓器不全という言葉を近くに感じています。
麻薬が体にいいわけがなく、いろいろな臓器に作用して
少しずつ腎機能が低下したり、腸も活動を止めてきたり、
もちろん心臓にも大きな負担をかけています。

余命を伸ばすには麻薬のコントロールが大切なのかなと感じました。
>>[5]、ありがとうございます。
そうなんですよね、麻薬を使う=QOLの低下、ということを考えると
安易にぼんぼん使っちゃうのも・・・。
ただ生きていればいいのではなく、話して笑って意思の疎通ができる状態を
少しでも長く、と思ってしまいます。
余命宣告はあくまでも推測にしかすぎず、その人によって全然違いますよね。
父が少しでも長く、父でいられるように、サポートしていきたいと思います。
貴重なお話ありがとうございました。
6月19日の記録。

初めて一睡もできない夜だったようです。
がんの痛みと下剤によるおなかの痛みが交互に来て
トイレに行って戻って横になって起きてを延々繰り返していました。

朝方、オキシコンチンを30mgに増量。
1時間ほど熟睡していましたが
目が覚めると、ろれつが回らず。けど多弁に。
猛烈な眠気があるといっていました。

その日は夜までオキノームを飲まずに済みました。

夕方こどもたちを連れて会いに行ったら、
久しぶりに笑う顔を見ました。
カメラを向けると元気な時にしていた変顔まで。
痛みを抑えることの重要さを感じました。

夜からはオキノーム2.5mgも3包に増量です。
ペインコントロールの難しさを感じます。
6月20日の記録。

入院してちょうど一か月が経過したので
思い切って家に一時外泊することにしました。
我が家は玄関まで5段ほど階段があるので、
そこが登れるか心配でしたが
支えていたとはいえ、スムーズに登れました。

昨日から服用しているステロイドのせいか
足取りも前よりしっかりしています。

オキシコンチン30mgにもう体が慣れてしまったようで
すぐに痛みがくるように。
3時間ごとにオキノームを3包ずつ飲んでいます。

ベッドでの楽な体位が見つからず、
苦戦しています。
どのように体をもっていいかわからず
本当に大変そうです。

オキシコンチンの量から考えるとオキノームを一回6包まで増やせるようなので
痛みを感じたらすぐに飲ませるようにしていきたいと思います。
6月25日、退院してきました。
一時外泊でなんとかなりそうって自信が持てたのと、
いつでも入院させてあげるから、と主治医の先生が言ってくれたので。
困った時の診療拒否ほど辛いものはないですよね。

帰ってきてから、小さい子がいたりするので
いい刺激になっているようです。
病院にいるときはボーっとしている時間が多く
ぼけちゃうかなぁと思いましたが
頭もはっきりしてきたようです。
こどもたちにもじぃじのことを覚えていてほしいので
一日も長くこの日々が続きますように。

気になる症状☆
胃の痛み。麻薬増量のせいかもしれません。
血が止まりにくくなっています。
内出血などがひどくなっています。
インシュリンのあとが大変なことに。

自宅でラシックス注射になったのですが、血管がでにくく、針を刺しっぱなしにしています。

今日は「がんの花道」という本を買いました。
ベストセラーになったがんになったら医者にかかるな的な無責任な本は嫌いだったのですが
この本を書いた先生はそのあたりもきっちり批判していたので。
これから読もうと思いますが
最期を迎える家族のありかたが書かれているようです。
昨夜から身の置き所がない感じが強まり、
とうとう余命一週間を切ったようです。

がんの花道をよんでおいて、本当に良かったです。
在宅で看取ることができそうです。

本人を苦しませるだけの栄養点滴をせずに
できるだけ苦しまずに平穏に旅立たせてあげたいので
対処療法で過ごしています。
とうとう食べると吐くようになったので
吐き気止めの坐薬を処方してもらいました。

気づくと眠りに落ちていることが多いので
傾眠状態にあるようです。
先ほど、親しい友人たちにお別れの電話をしていました。
声帯も弱ってくるので、声がかすれてかわいそうでしたが。

冷や汗が止まりません。
息苦しさも感じています。

かと思えば、最近動かなくなっていた腕が動くようになったり。
体がな思い通りにいかない、どうしたらいいかわからないと悔しさを訴えています。

後、おそらく数日。
がんばります。
>>[11] 、ありがとうございます。
お別れできる癌は悪くないと思っていましたが
苦しむのは本当に見ていても辛いですね。
☆かかりつけ医の変更☆

長い間、がん専門の病院にかかっていましたが
緩和ケアしかなくなると先生はまともに診察さえしてくれないようになりました。
呼吸苦を訴えても不整脈を訴えても、末期だからそんなものでしょ、と。
入院中、回診にまわってきても、聴診器をとりだしたことさえありません。
もう退院は無理ですねと言われました。

何も治療しないなら、と自宅近くの病院へ転院しました。
そこでは呼吸苦が少しでも楽になるかも、とステロイドを処方してくれました。
気休めでしかないと書いてある書籍もありますが、
父はこれで少しまた余命が伸びた感じがしました。

在宅をきめてから、三人目の先生にかかることに。
今日初めて訪問に来てくれましたが、呼吸苦の原因を見つけてくれました。
常時4リットルの酸素をしておりますが酸素飽和度は98。
原因は頻脈でした。160もあったのです。
常にダッシュをしているような心臓では疲れてしまうので
脈を調整する薬を処方してくれました。
少しだけ改善したようです。

今日からオキシコンチンを一回50mgに変更しました。
痛みはひいてきたようですが、身の置き所のなさは変わらず。
呼吸苦が今、一番の課題です。

会話はふつうにできますが、気付くと寝ているので傾眠状態にあります。
トイレも脇を支えてですが、なんとか歩いて行けます。
このまま人間の尊厳を保ったまま、ゆっくり休めるようになるといいのですが。
恐らく後、数日の命となってきました。
麻薬のせいか、呼吸抑制が顕著です。

オキシコンチン50ミリを1日二回に増量。
オキノームは一回10ミリに。

体温が下がってきています。36.0度くらい。
触ると冷や汗で汗ばんでいます。
傾眠状態が頻繁で、はなしていたと思うと白目を剥いていたり(・・;)
声帯も弱り、喋ると息が苦しくなるので一言くらいの発語になりました。
頭はしっかりしてるので、とてもくるしそうです。

苦しみが長くなってきたので、薬で眠らせてあげたほうがいいのか悩んでいます。
入院していたら確実に今は生きていないと思います。
これからどうするかまた悩まなくては。
えりえりさん
今日を、何とか過ごせたでしょうか。
私は、父の死から10日が過ぎました。

お父様が在宅で過ごされていること、本当に羨ましく思います。
ウチは、帰るつもりで受診してそのまま逝ってしまったので…。

自分のトピックに報告として書こうか書くまいか、ずっと悩んでいたのですが、
えりえりさんがここに書かれている内容を読んでいて、
少しでも参考になればと思い、こちらに書かせて頂くことにしました。

薬で眠らせるということ。うちの場合。
結論から言うと、最後はモルヒネ点滴で、一晩で急変し、
結果、安楽死を迎えたような形になりました。
母は、
楽にしてあげてほしい→息苦しくないように処置をしてほしい→モルヒネ使用で夢見心地になる(本人の意識が朦朧として痛みや息苦しさを感じなくなる)→薬に耐えられなくなって衰弱死
と思っていたのですが、、
病院的には、
楽にしてあげる→苦しい期間が長く続かないように、、、
だったようで、
この認識のズレで、母は暫く苦しんでいました。結果的に父の死を早める選択をしてしまったことをひとりで悩んで苦しんで、誰にも話すことができないまま死後3日目の夜に、ようやく私に話してくれました。いまでも、引っかかっていて、必死で納得しようと色々話して繰り返し話して、
乗り越えようとしています。


まだ日が浅く、私もうまく伝えることができませんが、、
えりえりさんご一家がこの、母と同じ苦しみを味わうことがありませんように…。
どうやっても避けられない悲しい道ですが、
少しでも、お父様ご本人と残されるご家族が納得いくように、
これからの選択ができますよう、お祈りしております。


>>[17] 、コメントありがとうございます。
とても心配しておりました。
お母様の気持ちもよくわかります。
お辛いでしょうね…。
今の悩みどころはまさしくそこなのです。

本来であれば退院できない状態でしたが、
在宅看取りを前提に無理やり退院させました。
父もやはり家の方が誰かがそばにいるので嬉しいようです。
ただ、呼吸苦がここまでひどくなると
どうしてあげることもできず。

昨日も母が、父に
パパが苦しくても私はなにもしてあげられないから
病院に入院して、薬で痛みを感じないようにしてトロトロ眠らせてもらう?
と聞いていたので、
すかさず私が、
ホントに我慢できないくらい辛くてもういやだって言うなら、安楽死という方法もある、ってことだよ。
と伝えました。

父は病院よりもみんながいる家がいい、ということで
またしばらく頑張ることになりました。

家で看取る、ということはとても難しいですね。
入院させてしまったら、つらい姿も見なくて済む。
そんなことも頭をよぎりますが
父のために四月からこどもを転校させてまで実家に同居したので
最期まで納得できるように見守っていたいなぁと思っています。
今日はさらに容体が悪化してきました。
昨日までは目を開けている時間もあったのですが
今日は本当につらそうで、ほとんど言葉を発することができません。

昨日までは椅子にうつることもできたのですが
今日はベッドの上に体を起こし、またベッドに横たわる感じで
起きていることも辛くなってきたようです。

食べることも難しい状態ですが、なんとか栄養缶を少しずつ飲んでいます。
が、むせやすくなっていますので、せき込んだり、時には吐いたりと
悪化しているのが目に見えてわかります。

こんな苦しい思いをさせるなら、とも思いますが・・・。
最近思うのは、人は生まれてくる時も大変な思いをして生まれてきますが
死ぬ時も同じように大変な思いをしないと死ねないのだなぁと。
死ぬのも案外楽じゃない、と感じます。
夜寝て、朝起きたら死んでいた、なんて、ほんの僅かな人に与えられた幸せなのかな。
☆お薬管理☆

末期になると、薬の量が増え、かなり難しくなります。
特に在宅だと、混乱必至です。

訪問看護などを利用すると薬の管理もしてくれるようですが
そもそも末期がんで介護申請を行う気にはなかなかなれず。
申請出して認定下りるまで生きられるかな、とか考えちゃうと
結局申請しないままになっちゃいそうですね。
末期がんだと本当に最期のほうにならないと
ある程度までは体も動かせるし介護認定自体が難しそうです。

お薬ですが朝昼晩と毎回11種類くらいのお薬を飲んでいます。
在庫管理など混乱しないようにしなくては。

参考までに残しておきますね。

ステロイドのプレドニゾロン
胃薬のムコスタ
同じく胃薬のタケプロン
痛み止めのロキソニン(麻薬とは違った経路で痛みを止める作用をします)
吐き気止めのノバミン
利尿剤としてアルダクトン、ラシックス
痰切りのムコダイン
整腸剤のマグミット
脈のお薬(名前が長くて忘れました)
あとオキシコンチン
頓服でオキノーム

と別に随時、下剤のフォルゼニドやラキソベロンを追加したり
抗鬱薬のリフレックスや安定剤のソラナックスを追加します。

麻薬も含みますし、老老看護などの場合、お薬管理をしていただいたほうが安心です。
とうとう今日か、明日か、という感じになってきました。
力が入らなくなったので立ち上がれず、
ポータブルトイレへの移動も難しくなったので
訪問診療で管をいれてもらいました。
息苦しさ、痛みは変わらずで
水さえ受け付けなくなったので
薬を飲むことができないため
舌下錠の麻薬に変更してもらいました。
あまりに苦痛が続くため
本人も辛く、頭は正常なことが多いため
ダメだ、痛いと繰り返しています。
そろそろ眠らせてあげる方法を考えています。
えりえりさん。。
お辛い夜を迎えてらっしゃることでしょうね…

参考までにウチの場合。。
16時に点滴開始で、その夜は楽になるどころか、より辛そうだったと聞いています。
入れ歯を自分で入れると言って、自分で吸着剤を絞り出そうとしましたが、全然違うところへ向かって絞り出したり。。
そのうち夜中には、
しんどいはずなのにムクッと起き上がって、前屈みにうずくまっていたり…
無意識でトイレへ行こうとしたり。。で、看護師さんが来て、尿取りパッドを使用することになり…
母的にはこの時、これが最期の夜だなんて思わなくて、これからオムツで寝たきりになるんだなぁ。と思ったみたいです。
そして、寝かせてもたびたび起き上がってうずくまるのを繰り返すので、
ベッドの柵に布団を敷き詰めたり、色々と暴れて怪我をしないようにするための対処をされました。
薬によるせん妄状態に対処したのだと思います。

一晩そんな状態が続いて翌朝になってようやく眠りについて、
、、血圧計りに来たら、血圧低くなってました。上が60下が30。。
ここからは、安らかに。。
朝、一度、『お父さん、わかる?』という母の問いに『わかる』と言ったそうです。

後は最期に、親しい身内が声をかけたら目を見開いて。。

13時30分より少し前に、静かに呼吸が止まりました。


薬で楽に。とはいえ、最期の夜は、薬でより苦しんで、
母はその様子をずっと見ていて相当辛かったと思います。
夢見心地になるんだろうと思ってお願いした薬で、
あんなに苦しむ姿を目の当たりにして。

人が死ぬのは、本当に、楽には死ねないのですね。
最期がかわいそうだったと、残された母は
苦しんでいます。

えりえりさんはしっかりと勉強してらっしゃるので、
全て覚悟なさった上で、検討されてることと思いますが。。

それでも、、
本当にお辛いこととお察し致します。
言葉もありませんが。。
どうか、えりえりさん自身のお身体も大切になさってくださいね。



>>[22] 、まだまだお辛いでしょうにありがとうございます。
一晩とはいえ、苦しまれた姿をみたお母様はショックだったでしょうね。
けど、我が家のように長い間苦しみの中にいさせるのも、やっぱりかわいそうに見えてきます。
大切な人だから、どういう選択をしても後悔するんでしょうね(>_<)
夕方から大量の汗をかくようになりました。
目はうつろで、口は渇き、左手は指しか動かず。
三時間おきくらいに下に敷いたバスタオルやパジャマを総着替えです。
そのたびに苦しい思いをさせてかわいそうです。

こうやって、体中の全てのものを出し切って、枯れるように死んでいく
これが末期癌の幸せな死に方らしいです。。。
たしかにまだ生きていて、少なからず意思もあって、
こういう状態で望んで安楽死はまだ無理かな。
まだ生きようと頑張っているのに。
朝から肩で呼吸をするようになり、
汗はひいてきました。

お昼前、だんだん、脈が弱くなり
チアノーゼが出始め、
静かに、呼吸を止めました。
亡くなる直前に呼びかけると目を開いて応えました。
最後の最期まで意識があったようです。

亡くなる瞬間、眉をしかめ、目を強くつむりました。

それが最期でした。

体中の水分を出し切って亡くなりました。

たくさんの末期癌患者をみてきた母も驚くほど穏やかな死に方でした。

色々悩みましたが、やはり自宅でお別れできたことが本当に良かったと思います。
えりえりさん
おつかれさまでした。
お父様、本当におつかれさまでした。
心よりご冥福をお祈り致します。

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