第2次大戦の前に彼女はイギリスを旅して、この技術に興味を持つたくさんの医師たちにラジオニクスを教えました。これらの成功によって彼女はたくさんの友人を得ただけではなく、多くの人から妬まれることになりました。伝統的な医師たちはFDA(Food and Drug Administration アメリカ食品医薬品局)の力を借りて、ラジオニクスを、またそれによって成功をおさめているルース・ドラウンを葬りさろうしました。彼女は逮捕され、彼女の装置は破壊されました。彼女はその後釈放されましたが、その時にはすでに廃人同然で、これらの事件のショックから釈放後すぐに亡くなってしまいました。 ウィルヘルム・ライヒ博士のオルゴンエネルギーの研究についても、彼女の場合と同じような弾圧がありました。 トーマス・ゲイレン・ヒアオニマスもまたアブラムスの足跡を受け継ぐ、非常に重要なパイオニアのひとりです。彼はラジオニクス機器の技術者で、従来のプリズムに加えて電子管を使ったエンハンサーを持った装置を開発しました。彼は1949年9月27日に「物質からの放射物の感知とその量的な測定」という項目でアメリカの特許第2.482773号を取得しています。 彼の装置は大変有名になりました。というのは、興味を持ったたくさんの人々がアメリカ特許局に手紙を書いて資料を受け取り、自分たちで装置を作って果たしてそれが動作をするものかどうか試してみたからです。そしてそれらは……動作したのです! アブラムスは次のように名言していました。電気的な波動装置は最終的には失敗するだろう、と。それは、スイッチが入っていてもいなくてもその装置が働いてしまうことが明らかになるからだ、と。また、ドラウンも電源なしの装置を作りました。彼女によれば、患者の生命エネルギーを電源として使用するからだ、というものでした。今回、ヒアオニマスの電源を持った装置が動作したことによって、ラジオニクスの有効性については再び激しく議論されることになったのです。
マルコム・レイは違った道を歩みました。彼は「スティックプレート」を使い、またデビッド・タンズリーがそうであったように、数字としてのコードを使わずに幾何学的な図形を使いました。彼は数字でできたコードを使うよりも幾何学図形を使った方が、より正確な反応が得られる、と感じていました。現在の科学的な理解からすると、彼は右脳半球をより強く働かせる方法をとった、ということです。彼にとってのコードは「Manifestatated thought pictures(明示された思考の絵)」で、それを診断や治療のための装置のチューニングや測定に使いました。幾何学的な表現は主にホメオパシー物質のポテンタイズの目的に使われたので、彼は「処方シュミレーションカード」と呼んでいました。この「明示された思考」という側面はヒアオニマスの装置がなぜ電源を入れなくても使えたのか、ということを説明してくれるかもしれません。
その後、アブラムス博士によってラジオニクスが始められた国・アメリカで、最新の最も進んだ装置が開発されることによって、これら一連の環が閉じられることになりました。物理学者で電気技師、また発明家であったウィラード・フランク博士がコンピューターを使った装置、「SE-5 Intrinsic Data Field Analyzer」を1986年に開発したのです。これはラジオニクスの装置ではありませんが、「固有情報の場(Intrisic Data Fields=IDF)」を分析しバランスするものとして知られています。ラジオニクスは、その現象が含んでいるものを理解することには使われていません。むしろそのギャップは広がっています。この装置は非常に応用のきくものなので、今では、鉱山関係、農業関係、その他のビジネスにも使われており、またその使用法は日々拡大しています。 デ・ラ・ワーやドラウン、コーペンたちの装置のように、SE-5も「スティックプレート」を検知器として使っています。しかしそれは、通常のゴムの皮膜ではなく、電気回路の基板になっていて、その下には幾何学的に配置された回路とスカラー・アンテナが配置され、スカラー情報の場、IDFに正しくチューニングし、それを増幅してくれるような構造になっています。 コンピューターを使うことによって、たくさんのダイヤルを廻してコードを入力する必要はなくなりました。単に装置についている小さなポケットコンピューターに入力してやるだけでよいのです。シンプルな分析方法のおかげで、コードを探すのに必要な時間は非常に短縮されました。使用可能なコードの数は現在、14000以上に達しています。