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江田憲司 (江田けんじ)コミュの今週の直言(2009年12月7日付「江田けんじメルマガより)

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■ 1.巻頭言「日々是好日」     by江田けんじ     
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 皆さん! こんにちは。江田けんじです。

 臨時国会が終わりました。事業仕訳けは華々しかったものの、国会論戦
は低調でした。その原因は、一言でいって、「疑惑隠し」の民主党の強権
的な国会運営にあると言えるでしょう。

 何と言っても、一つの国会で、党首討論を一回もやらないのは異常です。
会期延長もたった四日間。その郵政見直し法案も、4、5年かけた小泉改
革の基本を見直すというのに、衆院ではたった一時間半の委員会審議。攻
守所を変われば、民主党も自民党と「同じ穴のむじな」だったというわけ
です。

 ただ、我々「みんなの党」は、自民党と違い、国会にはしっかり出席し
て、審議や採決には加わりました。民主党の批判ばかりしましたが、自民
党も郵政法案では党内「造反封じ」の欠席戦術ですから、とても褒められ
たものではありません。

 そうした中でも私は、厚生労働委員会で長妻大臣に対し3回質疑に立つ
など、最低限の活動はできたと思っています。今日は「月曜の会」でこの
辺のお話をしたいと思います。

  ・党員募集   : http://www.your-party.jp/touin/
  ・みんなの政治塾: http://www.your-party.jp/school/
  ・候補者公募  : http://www.your-party.jp/candidacy/

(※本日14時より青葉公会堂にて、月曜の会開催いたします。
  詳細は「4.事務所からのお知らせ」を御覧下さい。)

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■ 2.今週の直言 「パンドラの箱を開けた(補論)・・ヤマトンチュとウチナー」
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 確かに沖縄の問題は限りなく重い。60年以上苦しんできた沖縄県民が、
普天間の移設先が県内では受け入れられないという気持ちもわかる。やは
り「ヤマトンチュ(大和人)とウチナー(沖縄人)は通じ合えないのだ」
とまで言われてしまえば、我々としては何をか言わんや、頭を抱えるしか
ないのだ。

 しかし、当時は、そんなことを超越して、本当に人間と人間との至高の
営みとして、時の政権の首班と沖縄県の長が話し合った。十数回、何十時
間にも及ぶ直接会談は、それを如実に物語る。

 この間の橋本総理の沖縄への思いは、以下の逸話に象徴される。当時は、
一方で解散総選挙の時期をいつにするかが政治的に喫緊の課題だった。し
かし、総理は、どうしても懸案の沖縄問題にある一定の道筋をつけなけれ
ば、政治的空白は絶対に許されないと考えていた。

 にもかかわらず、96年9月6日、新聞各紙に解散報道がおどった。心
ない、ある党幹部が漏らしたのだが、これを見た総理は「これで沖縄に影
響が及べば誰が責任をとるのか!」と激怒したのである。内閣が神経をと
がらせ真剣に考えている時に、解散が何日に決まったということが出れば、
それだけで沖縄県関係者が不安に思うし、政府が培ってきた信頼関係も損
なわれる、そういうことを、橋本総理は一番心配していたのである。

 この総理の沖縄への思い、真摯な態度は、ヤマトンチュとウチナーの厚
い壁をはじめて打ち破った。96年12月4日、総理が沖縄入りした時の、
基地所在市町村会での雰囲気がそれをよく表している。場所はラグナホテ
ル。当時の日記を紐解こう。 

   冒頭、沖縄のことを最も考えてくれるのは橋本政権。できるだけ長
   く続いてほしいとの期待の挨拶があった後、

   那覇市長「総理は沖縄の心を十二分に理解してくれている。その情
        熱が心強い。」

   名護市長「沖縄に『お互いに会えば兄弟』という言葉があるが実感。
        沖縄の痛みがわかる総理にはじめて会った。あとは感謝
        で言葉にならない」

   宜野湾市長「一国の総理が心を砕き、国政への信頼が倍加した。普
         天間の跡地開発をしっかりやりたい」

   金武町長「希望が見えた。町民全体が燃えている」

   読谷町長「日本の生きた政治を見る思い。村長をして22年になる
        が総理がはじめてボールを沖縄に投げた。やるしかない」
        等々。

 そして橋本総理が最後に挨拶に立った。

「私がひねくれていた頃、数ある従兄弟連中と片っ端から喧嘩をしていた。
その中で岡山にいた源三郎兄い、彼は海軍の飛行練習生だったが、唯一私
をかばってくれた。最後に会ったのは昭和19年の初夏、その時彼は、継
母になじむように私に小言を言ってくれた。そして、今度会うときは靖国
でと言って、その年の10月、南西方面で還らぬ人となった。だから、こ
れまで春と秋の例大祭には必ず私は靖国を参拝してきた。それが我が国の
外交に影響するのであれば自制したいが、彼が戦死した南西諸島というの
が沖縄だということを知ったのは、戦死公報が届いた後のことだった。」
ここで私も不覚にも涙してしまったことを今でも記憶している。

 会議に出席した市町村長の何人かは、総理の言葉に感動して涙とも嗚咽
ともつかない声を押し殺していた。地元新聞・琉球タイムス社長の最後の
言葉が忘れられない。「こういう雰囲気は40年のマスコミ生活を通じて
空前の出来事だ。これまでは被支配者の苦悩の歴史だった。総理本当にあ
りがとう。どうか健康には留意してください、それがここにいる皆の願い
です」。

 鳩山政権における普天間問題の迷走をみて、今、私が何を言いたいか。
これまで、くどくどと経緯を述べてきたのは自慢話をするためではない。
沖縄問題がこれまで解決できなかった理由は多々あるが、森政権以降、総
理に「沖縄」の「お」の字も真剣に考えなかった人が続いたことが一番大
きい。それに加えて、政治家や官僚にも、不幸なことに、足で生の情報を
稼ぐ、県民の肉声に耳を傾ける、地を這ってでも説得、根回しをするとい
う努力が足りなかった。

 そういう人たちによる政治や行政が沖縄県民に受け入れられることもな
く、積年の不信感をぬぐい去ることもできなかった。そして政権交代がな
り、また「お」の字も真剣に考えてこなかった政治家による不用意な発言
が続いている。

 鳩山総理が「友愛」と言うなら、浮世離れした「宇宙人」的な感覚では
なく、人と人との肌のぬくもりが感じられる政治姿勢、政治手法というも
のを、安全保障という重要な職責を担うからこそ、強く求めたい。岡田外
相には、今の窮地を招いたのは、自らの「嘉手納統合発言」だったという
ことを強く認識してほしい。

 しかし、私には、「覆水盆に返らず」、周到に積み上げられた「ガラス
細工」は既に崩れ去り、この問題は「橋本政権以前」にリセットされてし
まった、との諦感がある。この分野で最もやってはいけない政治的なパフォー
マンス。それが「パンドラの箱」を開け、その代償は限りなく大きい(終
わり)。

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