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江田憲司 (江田けんじ)コミュの今週の直言(2009年11月30日付「江田けんじメルマガより)

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■ 1.巻頭言「日々是好日」     by江田けんじ     
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 皆さん! こんにちは。江田けんじです。

 先週は、強行採決から一転、民主党が丁寧な国会運営に努めたため、我
々も審議に復帰し、私も厚生労働委員会で二日連続で質疑に立ちました
(HPにアップ)。

 皆さんも、ニュース等でご存じのように、当委員会では、インフルエン
ザ、肝炎、両対策法が可決、衆院を通過しました。今日は、会期末の日に
あたるため、小幅延長のための諸手続が必要な日です。

 いずれにせよ、自民党のように、あれもこれもという要求は出しません
が、鳩山首相の献金問題が新展開を見せる中、少なくとも、党首討論ぐら
いはやってほしいものです。何しろ、一国会に一度もやらないというのは
異常ですし、そもそも、小沢一郎幹事長が提唱して出来た制度ですからね。

 ところで、先週から、私のHPも一新しましたが、如何でしょうか?ご
感想をお寄せください。

 ・みんなの政治塾: http://www.your-party.jp/school/
 ・候補者公募  : http://www.your-party.jp/candidacy/
 ・党員募集   : http://www.your-party.jp/touin/

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■ 2.今週の直言「パンドラの箱を開けた(下)
                ・・・移設先はキャンプシュワブ沖」
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 普天間基地の返還は決まったものの、その移設先については、96年夏
頃まで「嘉手納案」と「キャンプシュワブ案」で日米交渉がデッドロック
に乗り上げていた。移設先が決まらなければ返還も不可能となる。

 そうした中でまず「嘉手納案」は米国と地元の反対で潰えた。米国は、
嘉手納(空軍のジェット機)と普天間(海兵隊のヘリ)では離発着時に機
体が輻輳し管制が困難であることや、一カ所に枢要な軍事機能を集約する
ことによる安全保障上のリスク、空軍と海兵隊の関係等あげて反対したが、
やはり最終的には嘉手納地元の強硬な反対が決定的だった。

 それはそうだろう。嘉手納の地元住民にとっては、そうでなくても既存
の基地問題で苦悩しているのに、「なぜ、加えて普天間を嘉手納に押し付
けられるのか」という気持ちがある。また、嘉手納基地が3市町村にまた
がっているという事情も交渉では大きかった。

 もちろん、県外移設に越したことはないが、受け入れてくれる所もなかっ
た。やはり「キャンプシュワブ案」しかないか。しかし、ここは珊瑚礁が
きれいでジュゴンも生息する美しい海岸地帯だ。そこで、こうした生態系
や騒音をはじめとした環境への負荷も比較的少なくてすみ、沖縄県民の負
担もなるべく軽減、かつ日米安保からの要請も満たすという点をギリギリ
まで追求し発案したのが「海上施設案」だった。誰もが納得する100点
はなく、そのベストミックスを考え抜いての、苦渋の決断だった。

 この案の経緯は、ある日、羽田空港に向かう車中で総理から「江田君、
海上構造物というのは、一体技術面やコスト面でどこまでクリアーされて
いるのか調べてくれ」という指示を受けたことからはじまる。私には、総
理秘書官という立場上、色々なルートから様々な情報が入ってきていた。
その中に、「あるいは最終局面では海上案も検討に値する。その場合は既
に実用化されている浮体桟橋工法(QIP)が有効だ」という情報があっ
た。私は「それならいい工法がある。沖の鳥島やニューヨークのラガーディ
ア空港に実例があるし、何といっても環境影響が少なく、かつ、容易に撤
去可能で基地の固定化の懸念も払拭できる」と答えた。

 総理もこれなら、粘り強く理解を求めれば沖縄の人たちもギリギリ受け
入れてくれるのではないかと決断した。相変わらず、事務当局は否定的で
あったが、別ルートで探ったところ、米国からも良い感触が伝えられてき
た。ここでも外務官僚をはじめとした官僚、事務当局に頼っていても、何
ら交渉が進まないことが証明されたのである。

 その後、紆余曲折を経たが、97年12月24日、官邸に来た比嘉名護
市長は、「大田知事がどうであろうと私はここで移設を容認する。総理が
心より受け入れてくれた普天間の苦しみに応えたい(ここで総理が立礼し
て御礼)。その代わり私は腹を切る(責任をとって辞任する)。場所は官
邸、介錯は家内、遺言状は北部ヤンバルの末広がりの発展だ。」市長の侍
の言に、その場にいた総理も野中幹事長代理も泣いていた。

 思えば、ことは、国と沖縄県、日米安保体制の下での基地問題というこ
とにとどまらず、本当に総理と知事、市長の、人間対人間の極みまでいっ
た交渉であったといっていいだろう。いや、それを支えた梶山官房長官を
含めて、当時の内閣の重鎮二人が心の底からうめき声をあげながら真剣に
取り組んだ問題であった。理屈やイデオロギー、立場を超えて本当に人間
としてのほとばしり、信頼関係に支えられたと一時信じることができた、
そういう取り組みだったのである。

 しかし、このような全ての努力にもかかわらず、結論を延ばしに延ばし
たあげく、最後に自らの政治的思惑で一方的にこの「極み」の関係を切っ
たのが大田知事だった。それまでは「県は、地元名護市の意向を尊重する」
と言っていたにもかかわらず、名護市長が受け入れた途端に逃げた。当日、
同じ時に上京していた知事は、こちらの説得にも名護市長とは会おうとも
せず、官邸に来て徒に先送りの御託を並べるだけだった。

 太田知事にも言い分はあろう。しかし、私は、当時の総理の、次の発言
がすべてを物語っているように思える。「大田知事にとっては基地反対と
叫んでいる方がよほど心地よかったのだろう。それが思わぬ普天間返還と
なって、こんどは自分に責任が降りかかってきた。それに堪えきれなかっ
たのだろう。」(続く)

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