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Enjoy ! Soul MusicコミュのもうすぐChristmas・・ ゴスペルとソウル

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■本来はキリスト誕生を祝う年末の最大イベント、日本でもすっかり定着したクリスマスですが、宗教的な要素より商業的なイメージが強く街は多くのイルミネーションで飾られ盛り上げようとしている。

ソウル・ミュージシャンの多くは、教会で歌いポップス界に羽ばたいて行った。
その先駆者の一人、サム・クックは有名である。

その後に続くアレサ・フランクリンやアル・グリーンなど教会との関わりが深いアーティストも多い。

米国で生まれたソウル・ミュージックと宗教音楽の歴史を少し紹介します。
興味ある方はご覧下さい。

☆そもそもアメリカ移民の動機は、信教の自由を求めて移住(ピルグリム・ファザー)して来たように宗教的なものだった。すなわちアメリカ合衆国のスタートは、宗教国家を目指していたことになる。

とはいえ、すべての移民が揺るぎない信仰を持っていたわけではなく時を経るにつれて「不心得な者たち」も増加してくる。そこで、1734年にニューイングランドで起こった信仰復興運動、すなわち「大覚醒Great Awakening」が起こった。

この信仰復興運動は、18世紀の終わりから1830年代にかけて盛んになり、野外に大勢の人達が集まって泊りがけで説教を聴き、聖歌を歌う催しが開かれた。すなわちそれがキャンプ・ミーティングといわれた。
その宗教的なキャンプ・ミーティングは、日常生活を離れた息抜き的な意味合いもあった。

集会が開かれる土地では、それぞれ馬車にキャンプ道具を積み、テントを張って家族で食事をとり、久々に会った友人達と交流をして過ごした。
この野外礼拝は日暮れ頃に始まることが多く、焚き火を囲んで大勢の人達で祈り、歌い、最高潮に達すると、人々はトランス状態に入り、神を崇め泣き出し、叫び、地面に転がり体を痙攣させたという。このキャンプ・ミーティングが現在の野外フェステバルのルーツだったと考えられる。

そんな中、アフリカから連れてこられた黒人奴隷たちがキリスト教へと改宗する。そして黒人専用の教会が設けられるようになった。それまでは、奴隷主の白人に教会につれていかれ、教会の礼拝を経験したが、多くの奴隷達が本当の意味で魂の開放を得たのは、仲間達が「隠れた教会」と呼ばれた場所に、一日の苦役を終えた夜秘密に集まり、自分達だけの礼拝で神に祈り、希望と力を得るために歌い、踊った時間だった。

20世紀に入り、より大衆化した宗教音楽、また宗教の精神を持った流行歌となり、教会だけに限らずいつでもどこでも口ずさめる音楽として発展した。

その需要により、専門化の作詞家、作曲家が大量のゴスペル・ソングを作り、人気ゴスペルグループも生まれた。この構造だけ見ると、流行歌の大量生産システムとほとんど変わりのないものになっていたと言えるだろう。

その作曲家の一人、アイラ・ディヴィド・サンキーが、30歳のときにシカゴでシンキング・マスターに就任。足踏み式のオルガンを弾きながら歌い、無伴奏の古いスタイルから洗練されたものにした。
そして、サンキーは1873年に自作の歌を中心とした歌集「賛美歌と独唱歌」をロンドンで出版。75年には、2冊目の歌集「ゴスペル賛美歌集」を出版した。これがゴスペルという呼称が初めて用いられたとされている。

1871年テネシー州ナッシュビルの黒人大学では、フィスク・ニュニバーシティの学生達によって結成されたフィスク・ジュビリー・シンガーズ(略F・J・S)が、サンキーとほぼ同時期にヨーロッパツアーを行って、自分達の大学を運営する資金集めを行っていた。
その目的に結成されたF・J・Sは、裕福な白人の前で完璧な西欧スタイルのハーモニーで歌う始めての試みは、コンサート・パフォーマンスとして発展していく。
そして、F・J・Sの活躍で黒人の歌う宗教歌も、ひとつのジャンルとして認知されるようになり黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)と呼ばれた。それはまだ白人的な要素が強く、後のマヘリア・ジャクソンに代表されるようなゴスペルとは明らかに異なるサウンドだった。

その後、黒人ゴスペルとして明らかに変貌していくのは、1920年代以降であった。この頃、北部ではノーフォーク・ジュビリー・カルテット、ゴールデン・ゲート・カルテットといった、ジュビリー・スタイルのコーラス・ワークを活かしたアカペラ・グループが活躍。F・J・Sに通じるものが多い中、ゴールデン・カルテットなどには、ブルースやジャズの影響を受け、ノリのよいサウンドが聴かれた。

1930年代に入ると、よりソリッドなコーラス・ワークを売りものにしたカルテット・スタイルと呼ばれるグループが登場して来た。
ブルース・ピアニストで作曲家のトーマス・A・ドーシーが、ゴスペルに転向したのもこの時期で、彼の歌は、賛美歌のメロディとブルースのスタイルとリズムが混合した「ゴスペル・ソング」と呼ばれ、「苦しいときも、私達を愛してくれる神を信じて生きていこう」というシンプルなメッセージだった。その後、現代ゴスペルの父と呼ばれた彼の影響で黒人ゴスペルは、さらにブルージーな方向へと向った。

そして、アカペラ・カルテットが1940年から50年にかけて全盛期を迎える。その一方では、ギターやドラムスなどの楽器を加えたリズム&ブルース的な志向を見せるグループも現れた。

50年代カルテットの二代巨頭といえば、多才なスタイル・ハーモニーのディキシー・ハミング・バーズとソフトでモダン・カルテット・スタイルの洗練されたソウル・スターラーズである。

ソウル・スターラーズのリード・ボーカルR.H.ハリスの脱退後、あのサム・クックがリード・ボーカルとして加入、黒人女性達のアイドル的存在となる。彼独特のこぶしで歌うスタイルはゴスペルの枠を超え、ソウル・ミュージック界のパイオニアの一人として活躍、その後のソウル、ポップス界全体に大きな影響を与えたことは有名である。この流れは、やがてロック、あるいはソウルといった大衆音楽に合流することになる。

アメリカ合衆国で生まれた宗教音楽は、黒人ゴスペルがリズム&ブルースに接近していったように、白人ゴスペルはカントリー・ミュージックに接近し、特にブルーグラスとの絆を深めていった。☆




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