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Enjoy ! Soul MusicコミュのSOUL 四方山ばなし Vol 1

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■私がソウル・ミュージックを初めて意識して聴くようになったのが、今から約40年前、1960年代後半の高校時代である。そのキッカケになったのは友人に連れて行かれた近所の古びたアパートの一室だった。

私は高校入学後すぐ、同級生達とフォーク・ソングのバンドを結成し、アメリカン・フォーク(PPM、キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォーなど)のコピーをしていた。そして活動を広げるため、地元のフォーク・ソング愛好団体に加入した。ところが大学生や社会人の先輩バンドのテクニックやハーモニーの完成度にショックを受けた私達は、当時流行り出していた関西系のフォークに影響を受けていたこともあり、他のバンドがやっていなかった日本語で歌うフォークソング・バンドに転向しようと決め、週のほとんどをバンド活動中心に過ごしていた。

そんな中、中学時代の友人に近所のアパートに連れて行かれた。
そこは、その友人の同級生で高校を中退、その後コックとして働き一人暮らしをしている部屋だった。
一間しかない彼の部屋で最初に目に入ったのが、電気代を節約するため天井に吊るされていた、煤けた古いランプだった。家具こそ少ないがきちんと整理され部屋には、当時流行りのスーツにブレザー(アイビー、コンポラ)に靴(コイン・ローファー、プレン・トゥ)、ネクタイなどアクセサリーや男性化粧品(チックやコロン)などが整然と並び、憧れのギターやレコード・プレイヤーもあった。
まだ親のスネをかじる高校生の私にとって、彼の部屋は当時の若者が憧れるものが全て揃っているように思えた。

その彼に、初めて聴かされたのがオーティス・レディング、ジェームズ・ブラウンなどの黒人音楽だった。彼は学生には高値で中々買えないLPレコードのコレクションからジャケット取出し、それらの良さを説明しながら「これがR&Bだ」とリズムに乗ってカッコ良く踊って見せてくれた。

そんな同世代の少し早い自立生活と初めて聴いた音楽に、世間知らずの高校生だった私はとても大きな衝撃を受け、それから彼のアパートに度々遊びに行くようになった。その後しばらくして彼が踊った音楽を聴ける店を紹介してもらい、その店に通うようになった。それが私とソウル・ミュージックの出会いでした。

当時、私の地元札幌で、私達がリズム&ブルースと呼んでいた音楽こそ、それから長い間親しんできた「ソウル」でした。

私が初めて「ソウル」に興味を持ち通った店は、繁華街のアーケードにあるビルの地階にあった小さな踊り場「クレィジー・スポット」通称「クレスポ」と呼ばれていた。(当時東京渋谷にあった「クレィジー・スポット」を真似て店名にした)
その店はJAZZ喫茶の様に昼から営業し、入口の二重扉を開け店内に入ると、暗い店内にソウル・ミュージックが流れる別世界だった。

そこには、サム・クックやベン・Eキング、そして流行りのモータウン・サウンドとスタクッス・サウンドを中心に、ジェームズ・ブラウンに代表されるファンキーなダンス・ミュージックが流れ、オーティス・レディング、ジェームズ・ブラウン、ウイルスン・ピケットなどシャウトする歌声にしびれ、必死にステップを覚えていた自分がいた。(笑)

※当時よく流れていたナンバー
・SAM COOKE / Wonderful World
・JACKI WILSON / Higher And Higher
・BEN E. KING / Don’t Play That Song
・JAMES BROWN / Papa’s got A Brand New Bag
・MARVA WHITNEY / It’s My Thing
・WILSON PICKETT / Funky Broadway
・THE FANTASTIC JOHNNY C / Boogaloo Down Broadway
・BOBBY MOORE & THE RHYTHM ACES / Searchin’ For My Love
・OTIS REDDG / Security
・SAM & DAVE / Hold On, I’m Coming
・ARETHA FRANKLIN / Chain Of Fools
・DON COVAY / Mercy, Mercy
・EDDIE FLOYD / Knock On Wood
・ARTHER CONLEY / Sweet Soul Music
・THE SWEET INSPIATIONS / What The World Needs Now Is Love
・SMOKY ROBINSON AND THE MIRACLES / The Tracks Of My Tears
・THE SUPREMES / Baby Love
・THE TEMPTATIONS / My Girl
・FOUR TOPS / I Can’t Help Myself
・MARVIN GAYE / I Heard It Through The Grapevine
・MARVIN GAYE & TAMMI TERRELL / Ain’t No Mountain High Enough
・STEVIE WONDER / Up Tight
・JR. WALKER / Shotgun
・MARY WELLS / My Gay
・ARCHIE BELL & THE DORELLS / Tighten Up
・CLIFF NOBLES & CO. / The Horse
・etc

当時は今と比較にならないほど情報が少なく、ソウル・ミュージックの音源は限られ、ましてアーティストが動く映像など目にすることはなかった。私にとって、地元にあった店で聴く音楽とスタッフや客のダンスが唯一ソウルとの接点であり、コアで楽しい遊び場でした。

また、現在の様に情報社会が出来上がり、過去の音源や貴重な映像などを簡単に入手し、気軽に楽しむことが出来るとは想像もつかない時代でした。

この1960年代米国で生まれたソウル・ミュージックが40年以上経過した現在。本場米国に比べて外国のクラッシク文化の欧州諸国とくに英国・ドイツや東アジアの日本に愛好家やレコード・コレクターが多く存在するという。そして、その外国独自で古い音源を集めて来た結果、世界に先駆け再発盤が発売されるまでになった。

本場米国では多くのアーティスト達のショーが頻繁に開催され、彼らの音楽をライブで楽しむことが出来た。そしてソウルも時代のポップスとして流行り聴かれていた様に、その後に続く流行音楽に流されていった。現在ソウル・ミュージックは、懐メロとして年配の人達を中心に聴かれている様だ。

しかし、容易にライブを観られない外国ではレコードが主役だった。60年代の英国では最先端のモッズ・ファッションでキメ、オーティスなどの黒人ミュージシャンのレコードを小脇に抱え街を歩いていた様に、音楽もファッションであり若者達の主張のひとつになっていた。

また、米国から遠く離れた日本では、欧米のライフ・スタイルに憧れた若者達にとってラジオから流れる音楽が貴重な情報源だった。そして深夜放送や駐留軍放送から流れてくる音源を頼りにレコードを買い求めた。その中でも輸入規制が敷かれていた当時、輸入盤は貴重なものだった。従って、次に輸入盤を注文する際、気に入ったアーティストのレーベルやプロデユーサーなどにこだわったという。

そして、サム・クックやオーティス・レディングのように若くして亡くなり、日本ライブが不可能になったアーティスト達は伝説化され、また踊る文化のブラック・ミュージックが牽引して来たダンス音楽が、世界中にディスコ・ブームを巻き起こしブラック・ミュージックの商業的成功に大きく貢献して、ソウル・ミュージックはひとつのカテゴリーとして聴かれ続けて来た。

日本におけるソウル・ミュージックの存在を示すひとつに、私も趣味が高じて始めてしまった「SOUL・BAR」がある。本場米国から遠く離れた東アジアの日本で、全国に100軒以上もあるという世界に類をみないソウル・ミュージック・バーの存在である。それは約30年前頃から出来始め、地味ながら日本独自のカテゴリーとして育って来た。現在も東京周辺では新店がオープンし、新旧のソウル・バーがそれぞれオーナーの持ち味を出し営業している。

そんなソウル・バーで聴く音楽の素晴らしさは、我々個々の生活と密接につながっている事だ。リアルタイム世代には、昔聴いた馴染みの音楽が流れれば、居ながらにして過去にタイム・スリップさせる力がある。それは、我々が普段心の奥底に閉まって来た青春の1ページが蘇り、その想い出に浸ることが出来るからであろう。

また、リアルタイムで聴いていない人達も、ブラック・ミュージック特有の歌声やハーモニー、またリズムやビートに新鮮さと感動を覚え、さらに他の音源を求める探究心が、ある意味リアルタイム世代を超えて、よりDeepなファンとなってソウルを継承している。

最後に、マイミクで米国在住の日本人ミュージシャンのブログに書いてあった現在のブラック・ミュージック事情を紹介しておこう・・。

《ブラザー、シスター達も「楽しめればいい!という基本姿勢は、我々と一緒なんです。海外と比較してコレクター気質ではないというのが決定的な違いでしょうか。

米国の50代UPはヒップホップを聞かないし、20代は古い R&Bは聞かない。30〜40代はリアルタイムで聴いたものと 比較的新しいサウンドには理解がある。

また、オリジナル音源にも 興味はないみたいだし、DJはまた違う目線でレア音源を 探しているけど日本人ほどオタクッ毛はない。》

日本も一般的にはあまり変わりがない気がするが、我々外国の音楽愛好家達は、本場米国への憧れからブラック・ミュージックを溺愛し、自分好みのものはレアなオルジナル音源まで追求し聴いてみたいという気持と、未知の音源を手にしたいという「オタク意識」が世代を問わず存在している様だ。

Enjoy ! Soul Music

コメント(7)

奥深さを、感じますね〜毎回コメント楽しみにしています。


10才の頃に父親の影響で、夜11時からあったSOUL Trainを目を擦りながら見たのを、思い出します。
次は、サム クック辺り聴いてみます。
Junjiさん
ありがとうございます。

ソウル・トレインが日本で初めて放映されたのが1974年頃と記憶しています。

今から34年前ですから、当時は家にビデオもなく放映される画像と音楽を必死で観ていました。(笑)

多くのアーティス達が出演していましたが、当時日本では無名のアーティストも多く、かなり後になってからあのアーティストも出演していたのかぁ!と驚いています(笑)

サム・クックは素晴らしいです。
?Live At The Harlem Square Club.1963
?At The Copa

↑名盤ライブ・アルバム2枚(同年のライブ)を是非聞き比べて下さい。
?黒人向けのライブ
?白人向けのライブ
じっくりと読み耽ってしまいました。
Yahooのブログでのソウルヨモヤマ話、大阪時代から今に至るまでが未だだったでしょ〜
続きものみたいに読んでますんで、いつかアップ願います(^^)v
ウザイ読者より
KさんがSoulBarを始めると言った時を思い出しました。
Kさんのお店に対する思い入れがジ〜ンと伝わりました。
お店が近所だったらKさんの選曲でヘベレケな毎日でヤバイデス(笑)
sasukeさん
ありがとうございます。

今回はコミュニティですので、Soul Musicの話題を中心に書いています。

大阪時代からの話は、また少しずつ書いていきますねあせあせ(飛び散る汗)

もあさん
ありがとうございます。

お店は、どうにかやっていますあせあせ(飛び散る汗)
遠いので大変ですが、また遊びに来て下さいねわーい(嬉しい顔)

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