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バトル仮面舞踏会コミュの『Johnny got his camera』 どすこい

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 墨の滲みと掠れ。鮮やかさは失われているが、二つの朱だけが色彩。翼を広げて向かい合う丹頂である。
 求愛のダンスなんだろうと察しはつく。つくがしかしと青年は首を傾げた。ははあ。この絵を描いた画家は、実際に見たことがなかったに違いない。地がむき出しの和紙の色合いは随分古そうな絵だ。昔は歩いて移動するしか手段がなく、丹頂鶴の飛来地は限られているから取材できなかったんだなと一人合点する。
 リアリティはからきしながら、絵そのものは素晴らしい。大胆な筆遣いで描かれた二羽の鶴は躍動感溢れている。溢れすぎているが、そこはそれ。もうちょっと近寄ってみようと膝でいざって、絵どころではなくなった。
 寺など滅多に訪れない。だから少々畏まって正座していたらば、この態だ。両足が痺れて笑い出しそうになる。足はもう笑っている。四つん這いで身動きならず、げらげら笑うのを堪えた。
「どうなさいました。」
 小一時間近く誰も通りがからなかったのに、こんな時に限って。お構いなく何でもありませんデスと答えたところ、中年の僧侶は察しが早い。おでこに唾をつけると良いですよと教えてくれた。

 青年、その名をジョニー沢田。当然だが本名ではない。ジョニーは愛称。少年期に米国に住んでいた名残である。
 良い按配に冷めた茶を啜り一息つく。向かい合う僧侶も、湯飲み茶碗を手に包んで愛想良く笑っている。坊主ってのは暇なのか。髪はふさふさながら、造作のつるりとした僧侶の顔を盗み見る。
「あの絵を熱心にご覧になっていたようですが。」
 はあ、と生返事。僧侶は続ける。
「江戸後期の作でしてね。作者の名前は伝わっていませんが、逸話が残ってまして。」
「逸話ですか。」
「そう。エピソードです。」
「はあ。」
 得意げな僧侶に正直、ヘンなのに捕まったなあと思いつつ相槌をうつ。そんな沢田には頓着せず、僧侶は屏風絵から傍らの荷物に目を移した。
「カメラですか。」
 ジュラルミンのケースと折り畳んだ三脚、沢田自身はポケットが沢山ついたカーキ色のベストに、やはりポケットが両の太腿にもついたズボンという出で立ち。おまけに頭は真っ黄色。カメラマンでなければプー太郎である。
「ええ、仕事で。」
 沢田は雑誌社の契約社員で、この寺には取材を終えて足の向くまま何とはなしに立ち寄った。ほほお。僧侶は頷き、あの絵、と再び屏風へ。
「あの絵を描いた絵師は笛の音に導かれたのだそうですが。」
「僕には聞こえませんでした。」
「それは残念。」
 茶を一口、僧侶の話はまだ続く。

 絵師は旅の途中だった。鶴を描きたいと上方を出立して、五日も経たず風邪をこじらせた。漸く床を払うまで回復したが、旅を再開するにはまだ覚束ない。しかも丹頂の飛来は既に始まっており、絵師が見たかった求愛の儀式に間に合いそうもなかった。では来年まで待つか。いやいや。いま描きたいのだ。来年では駄目だ。とにかく行けば本物の鶴は拝める。それだけでも収穫ではないか。つらつらと考えつつ、世話になっている農家の縁側に出ると、どこからか笛の音が聞こえてくる。伸びやかでいてしんと冷たく、冬空によく似合う。絵師は我知らず笛に誘われ寺の門を潜っていた。
 曲の調子は大詰めの激しさ。乾いた音色が高く伸びやかに低く掠れて、独特の震えが張り詰めた場に風の囁きを加味する。真剣勝負。そんな言葉が絵師の頭に浮かんだ。やがて唐突に調べは和み、包み込むような安堵感が広がる。
 音を追って踏み入った境内の奥、ちんまりとした僧形の老人が堂の縁に腰掛けていた。目を閉じ唇に笛をあてている。消え入りそうな音が長く長く尾を引いてうねり、突然ぴしゃりと断ち切られた。
 言葉のない物語だった。
 ぽんと突き放されたような余韻の中、笛の音と同時に絵師も立ち止まった。老僧が顔を上げニコリと笑ったので、何やら気恥ずかしさにお辞儀を返す。
「旅のお方ですかな。」
「はい。その、笛に誘われまして。」
 垂れ下がった白い眉の下の小さな目を手元に落とし、お耳汚しでと笛を懐へ入れた。何の。音曲には疎くと前置きし、さぞ名のあるお方ではと問えば、まさかまさかと穏やかに首を振る。
「この通り、ただの雲水にございます。年月だけは重ねましたが悟りとも程遠く。」
 よくよく見れば確かに旅装、袈裟もかけずに足下は草鞋履きである。年齢からこの寺の住職かと早合点していた絵師は、はてと首を傾げた。伏せっていた間世話になった農家の嫁御に、やれ今日は筵を編んだだの倅の歯が生え替わり始めただの、何のことはない話を散々聞かされた。小さな村である。他にも訪人があったなら、一度くらいは話題に出ても良さそうなもの。しかし絵師の疑問は「鶴」の一言にたちまち忘れ去られた。
「鶴の巣篭もりと申しましてな。」
 先程の音曲、曲名を「鶴の巣篭もり」と言うらしい。
「私は鶴が描きたいのです。」
「ほうほう。かきたい。」
「私は絵を生業としておりまして。」
「ああ、描きたい。成る程。」
 この村に滞在している事情を話すと、それはご災難と老僧。
「鶴の巣篭もりとは、そう、夫婦の鶴が冬を越す地で逢うて子を生み育て、その子が巣立つまでの物語でしてな。」
「老師は見たことがおありですか。鶴の夫婦が夫婦と認め合う様を。」
 長年雲水として諸国を行脚しているならばと、勢い込んだ絵師の期待は裏切られた。冬は足が独りでに西国へ向かいます。寒さは老体に堪えますでなと照れ臭そうに笑う。悟りとは程遠い。あれは謙遜でも何でもなかったようだ。
 真剣勝負と感じたあの調べこそ、絵師が求める場面を描いていたに違いない。せめて実際目にしたことがある者から、話が聞けるのではないかと抱いた希望も潰えてしまった。

「お茶のおかわりは如何ですか。」
「いえ。結構です。」
 こんな半端なところで話を止めて中座する気か。無言の批難はちっとも功を奏さず、僧侶は湯飲み茶碗を抱えて廊下を行ってしまった。結局のところ、絵師は求愛の儀式を見ることはなかったのだろうか。足の痺れもすっかり治まったので、心おきなく屏風に顔を寄せた。笛の音が聴こえてくる。
 坊主の与太話にのせられたかと苦笑を漏らしたが、どうも気のせいではない。高音域でも先細りのしない芯の太さが、滑らかに調べを紡いでいた。遠いような近いようなその音の、何と奥行きの深いことか。
 中年の僧侶とは反対方向に廊下を行く。境内の奥、堂の縁に僧形の老人が腰掛けていた。これは何かの悪戯か。笛の音が長く尾を引いて、突き放すように止んだ。
「今日は。」
 剃髪しているのか年齢によるものか、老僧の頭はテカテカしている。笛を持った手を膝で揃え、穏やかに挨拶を返す笑顔は妙に俗っぽい。
「鶴の巣篭もりですか。」
「ご存知ですか。」
「丁度話を聞いていたところです。」
「はなし。」
「屏風絵の。」
 老僧は二度頷く。あれは良い絵ですと。
「想像とは不思議なもの。ときに事実を越えます。芸術とやらですな。」
「事実を越えねばなりませんか。」
 写真は事実を写し撮る。事実を越えることはない。溜息混じりの沢田に、老僧は真顔で答えた。
「想像を越える現実もありましょう。人の知恵は世界を知り尽くすに能わず、己が所業を律するにはまだ浅うございます。」
 それで良いのですと再び笑顔に戻る。達観したようでいて、やはりその表情は俗っぽい。
「今度はどうなさったんですか。」
 振り向けば中年の僧侶が不思議そうに立っていた。いま。そう言いかけて堂を、周囲を見回す。誰もいない。日が暮れようと茜差す西の空、急に風が冷たくなった。
「画家、いや絵師は鶴を見に行かなかったんですか。」
 老僧のいた場所をじっと見つめる。行かなかった。絵師は突然あの絵を描き、結局そのまま上方へ戻った。訊いておきながら、沢田は少年の頃読んだ小説の一節を噛みしめていた。彼の愛称と同じ名の主人公の物語。
「彼は銃を手に取った。」
「何ですか。」
 いいえと空を仰ぎ、死んだらここに墓を造ろうかなどと言ってみる。死ぬご予定がおありですか。中年僧侶は大真面目だ。
 小説の主人公は銃を取り戦場へ行った。沢田はカメラを取る。想像を越える現実を写し撮るために。絵や音楽と違って、写真は想像だけではどうにもならない。足を使って追うしかない。ときに命を賭ける。そして予定は未定。
 老雲水が何者であったのかは敢えて訊かなかった。訊いても無駄な気がする。差し当たって、まずは髪を黒く戻して髭を生やそう。
 無人の堂へ深々と礼をした。




【感想はこちらにコメントする形でお願いします】

コメント(21)

投稿者:ゆきのしん - 05/21 17:57

『ジョニーは戦場に行った』ですか。ポン、と出されると効きますね。うまく言えないんですが、なんとなく。
写実的な文章が読みやすくて良かったです。構成もいいし、笛の音が頭の中に残るような、不思議な余韻が残る作品です。笛の老僧は一体何者なのか明かされないから余計に印象にに残ります。まんまと術中にはめられているようでなんか悔しいですが(笑)
ジョニーってことは本名次郎さんとかかしら。いや、どうでもいいか、そんなことは。
話としての完成度は高いはずなのに、「読んでよかった」「面白かった」とかそういうものを欠いている。心にあまり残らない。
残りそう(というか、筆者の思惑として残ってほしそうなテーマを含んだ作品)であるにもかかわらず。
何処がといわれると困るが、そういう感想。
読んでもなにがなんだかさっぱりわかりませんでした。
ゆきのしんさんの批評をみて、ググって、ああ、そういう元ネタがあるのか。とはじめてわかりました。

批評をすると、まず文章が読みにくい。普段ライトノベルとかミステリとか軽いエンタテイメント作品しか読まない自分だからなんでしょうが、難しい漢字が読めなかったりします。そういう読者もいるということを知って欲しい。

あと元ネタがわからないせいか、主人公がなぜこういう結論になったのかがわかりません。ってか話全体的につながりがあるとは思えないんですね。
文章に意味がありそうで、ほとんど意味がないんじゃないのだろうか、とすら思えてしまいました。
 読ませる。寺の鶴の絵から着想して、「実感」を追い求めようと後の達人が思い立つまで。
 最後が若干おざなりになってしまった感はあるが、ひとつの作品にじっくりと取り組んだ形跡があって、非常に好感が持てた。

 文句なく投票候補作。
投稿者:サンソン - 05/23 13:01

うわ…

仏の道を説く人が、銃器のクダリを語っております(笑)

ジョニーは戦場へ行った。
投稿者:ちまみぃ - 05/23 21:14

不思議、感想はそれに尽きる。
投稿者:雉乃尾羽 - 05/23 21:39

 えっと、笛の達人、でしょうか。

 静かな物語だと思いました。メリハリがないというと聞こえが悪いですが、この話にはすごく良く合っていると思います。
 ただ、出てきた小説を読んだことがないので、オチがすっきりしませんでした。いや、僕のせいなんですけど。
投稿者:ちよか - 05/23 22:57

「ジョニーは戦場へ行った」……ですか?
ええと、その小説がわからないので、いきなりポンと出されて戸惑いました。

話の流れはすごく好みです。
投稿者:ひねもすのたり(寝袋青組No.22) - 05/24 10:49

文章がだらだら長い、といいますか、ここは改行して欲しいと思う箇所が幾つかありました。
恐らく、縦書きでパソコンや紙媒体で読む分には問題ないのでしょう。個人的な好みです。

『ジョニーは戦場に行った』ですか?生憎存じ上げません。
主人公は戦場カメラマンなのでしょうか?最後の決意の辺りを読むと、そんな気にさせられますが、始めの方で取材の帰りだと言っているところから、国内の仕事もしている。
この辺りの気持ちの変化も、『ジョニーは戦場へ〜』を読めばわかるのでしょうか?
なにやら置いてきぼりを食った感じです。


話は大変面白く、笛の音の表現などは、良く音楽を聞いている人だと察せられる、素晴らしい表現力だと感心しました。
投稿者:どすこい(著者)

まず作品本文中に「ジョニーは戦場へ行った」と言うタイトルそのものは出てきません。この小説にまつわる下りは「戦場」と言う言葉を唐突に引っ張り出すための装置のようなものです。決して作品そのものを読んでなくても、ストーリーは分かるように作ったつもりです。私自身、何年も前に読んだ小説で、話の筋のほとんどを忘れています。
投稿者:イビコ・J・D- 06/03 18:24

色々の描写が実に丁寧で、一つ一つ挙げていくのが面倒なくらい。なので大胆に省きます。
最後のくだりも良いし、会話もテンポ良く読みやすい。

「ジョニーは戦場に行った」
ぜんぜん知らないんですけど、だからといって、作品に悪い影響はありませんでした。むしろ良いと思います。わかる人にはわかる人の楽しみ方もあるというだけで、わからない人に不親切なのかと言えばそんなことはなく、配慮があると思います。

ただ、このうまさにしてテーマが少し及ばなかったかな、という感想はあります。テーマ自体が不十分なのではなくて。


感想は、面白い、というとちょっと違う。
個人的にですが、お茶はあっさり飲みやすいものよりも、少し喉につっかかるようなのがうまい。ペットボトルの「濃い味」とかじゃあないですよ。

この作品は、急須で淹れたお茶です。
書き出しに見事な描写を持って来るのはズルイ。私のような読み手は簡単に食い付いちゃう。
青年の、絵にリアリティーを求める辺り、青年の浅はかさか。後に伏線として効いてくる。浅はかさかは、アカサカサカスに、ちょと似てる。そんなこたぁどうだっていい。
それよりもこの言葉のセンス、文体、ともに私の好みド真ん中だ。
わざわざエピソードと言い直す坊主のウザさも面白い。
敢えて言うならば、作者が少々遠慮がちな気がする。もっと足を崩して肩の力を抜いて、自らのセンスにもっと委ねて良いと思う。
心の赴くまま筆を取れ!(←誰だ?w)
あと、物足りないものとして、寺院の雰囲気をもっと出して欲しかった。線香臭さとか、建物の古さとか。話の本筋とはあまり関係ありませんが、この場所にもっとトリップしたい。
話の流れとしては、最後綺麗に纏まっています。起承転結も見事。
しかし何よりも私は悔しい!これは私が書かなきゃいけないような話じゃないか!
嫉妬しながらの大絶賛です。

他の方の感想を眺めてみると、あまり感触は芳しく無い様子。そこでマオが小説部屋の方で言っていた『読みモード』の話を思い出した。
で、これはもしや私に読ませるために書かれたのではないか?などと傲慢な考えすら浮かんで来る。それほどまでに、私はハマった。
投稿者:太郎丸-06/09 00:14

タイトルは「ジョニーは戦場へ行った(Johnny got his gun)」のもじりのようだ。反戦の小説で映画化もされている。このタイトルも「アニーよ銃を取れ」のもじりだという話を聞いた事がある。生きてはいるが肉の塊としてアメリカへ戻ってくる主人公の悲惨さではなく、この小説は何かを成し遂げようとする意気込みとその決意を表しているという点で好感が持てる。老僧の出現がファンタジー色を出していて嬉しい。
 写真は被写体がなければ作れない。絵画とて、画材以上の色は出せない。
 そこなんですなぁ、我らが物語を描く動機というのは。
投稿者:橘内-06/13 00:16

 絵と写真、事実と想像。このあたりの差を主眼にしっかり据えてあって、まっすぐ伝わってくる。落ちついた描写と、老僧の存在がテーマによくあっていて、良かった。
 派手さはないけれど、上手い作品だった。
寺の風景の描写なんて全くないのに、陰影の濃い初夏(なぜか初夏)の寺の風景が浮かびました。
たぶん、照りつける日差し、鮮やかな緑、蝉時雨。
外のうだるような暑さと比べ、薄暗い境内は涼しいのだろうなぁ……

そこであまり良く無いと思った絵が、坊主のエピソードを聞いて突然輝いて見える。

空気を読めと言われるけれど、この作品は空気まで伝える作品だと感じました。


うがった読み方をすると、「他人の話を聞くだけでホイホイ意識なんてかわるんだぜー。そんな浅い奴がカメラを手に戦場でうちひしがれるのさーHAHAHA」とうような話とも読めなくはないが……
作者にはそんな意図はないだろう。

すばらしい作品でした。ありがとうございます。
投稿者:とりしん-06/14 12:52

 静謐でありながら、根底にふつふつと湧きあがる情熱を感じる作品ですね。
 素敵です。
皆様、感想ありがとうございます。
本作はもともと、カンボジアに国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が設置された1992年頃に思い立った話のタイトルと主人公を用いて短編として作り上げました。また主人公は従軍カメラマンを目指す頭のデキのよろしくない青年ジョニー某と、名前をはっきり決めていなかったため、本作ではベトナム戦争時カンボジア国内で亡くなったカメラマン、沢田教一氏からお名前をお借りしました。

なぜ写すのか。
戦場へ赴かずとも、報道に携わるカメラマンはこのジレンマに一度は悩まされるのだと聞きます。シャッターを切るヒマがあれば、目の前の誰かを助けられるのではないかと。そうした懊悩を抱えつつ、それでも空間を、時間を、生と死を撮り続ける報道(戦場)カメラマンとは何か。
残念ながらその答えに行き着くことなく挫折した物語を、この機会に一部分ではあるけれども文章として残したいと本作を書きました。
ですから本作は「芸術」に言及していますが、芸術がテーマではありません。「表現したい」と切望する衝動がテーマです。その衝動を突き詰めた先に、「達した人」がいるのではないかと、個人的には思っています。

また文章の形態、語彙について、何人かの方から読みづらいとのご指摘を受けました。読んでくださる方がいるからこその小説ではありますが、作品にはそれぞれ作風に相応しい文体と言葉があります。少なくとも私自身は、それを意識して小説と向き合ってきました。ですから本作に関して、これらを容易に変更することはできません。文体・言葉・章節、どれも本作に必要なものなのです。どうぞご寛恕ください。

厳しいご意見、過分なお褒めのお言葉、率直な感想、本作への深い洞察、様々なご意見のひとつひとつが書き手の血となり肉となると信じております。ゆえに心よりお礼申し上げます。

最後になりましたが、拙作にお目通しくださった全ての皆様へ。
ありがとうございました。

 あほわに こと くしだなぎこ拝

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