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バトル仮面舞踏会コミュの『突き抜けるほど暑い日に』 ファニーボーンさいとう

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 じゃき、と鋏が鳴った。
 細かくなった葉の残骸が、枝の間を抜けて下へと落ちて行った。夏の盛りの熱気に混じり、青臭さがむわっと立ち昇る。身を切られることへのささやかな抵抗だろうか、と少年は幾分ませたことを考えた。誰だって切られたくて大きくなっている訳じゃないもんな。
 暑かった。あたりには油蝉の大合唱が響き渡っていた。ぶかぶかの麦わら帽子をかぶり、首から手拭いをぶら下げた格好で、少年は高い脚立の上に危なっかしく立っていた。袖なしのシャツから伸びた日に焼けた細腕にはびっしりと汗の玉が浮かび、半ズボンから下、まだ華奢な膝小僧や脛のあたりにはびっしりと細かな葉の破片が貼り付いていた。
 じゃき、とまた鋏が鳴る。明らかに身に余る大きさの鋏を、少年は手馴れた手つきで規則的に動かしていく。トラマサと呼ばれる黄色い斑の入ったマサキの生け垣が、頭を刈られて綺麗に平たくなっていく。時折少年は身を沈め、目をすがめて、水平に刈れているかどうかの出来を確かめた。それは師匠の姿を真似ている内に自然と身についた仕草だった。
『まず天辺を刈り込むんだ』
 祖父は穏やかな微笑みを浮かべながら手ほどきをしてくれた。
『前に刈った跡があるから、そこに合わせるんだ。なるべく地面と平行に、水平になるようにな。それから側面を刈る。今度は地面と垂直に刈るわけだが、これが案外、難しい。本当に綺麗にやるんならミチイトを張る』
『ミチイト?』
『糸さぁ。こう、両脇に竿を立ててな、そこに糸を張ってな。それに沿って刈っていけばまっすぐだ。そのうちに木そのものが大きくなってくるで、何年かに一度は本格的にやらなきゃならん』
 ――今日は糸を張ってないよ、じいちゃん。いいよな。急いでやりたいんだ。
 埃にまみれた軍手で鼻の頭の汗をぬぐうと、そこからも緑の匂いがした。
 少年は重い鋏を身体全体で操るようにして、刃の届く範囲の枝を、葉を切り取った。脚立の天板の上で伸び上がるようにして作業に没頭する様子は危なっかしいことこの上なかったが、制止の声を上げる通行人はいなかった。いかに暇であろうと、外を出歩くにはいささか暑すぎる時間帯だったからだ。今の立ち位置から届く範囲を刈れるだけ刈ってしまうと、鋏を生け垣の上に残し、アルミ製の脚立の段を半ばから飛び降りて必要な分だけ横にずらす。そしてまた猿のごとき身軽さで駆け上がり、じゃきじゃきと軽快な音を立てて形を整えていく。師匠の仕込みが余程良かったのか、この少年の動きに迷いや停滞はほとんどない。どこまでも高く抜けるような青空と凶悪なまでの陽光の下、少年の仕事はどんどん進んでいった。
 じいちゃんは凄いな、と少年は鋏を操りながら嘆息していた。前に刈った跡というのが、掛け値なく本当に水平だったからだ。
 少年の祖父は、庭木に関して豊富な知識と経験を持っていた。職人顔負けの剪定作業の他にも、様々な植物のちょっとした病気の兆候などをすぐに見抜き、適切な処置を施すことができた。庭先を掘り返し、水はけの具合を調節し、造り上げた花壇にはそれぞれの季節の草花を植えつけて彩らせ、自前で組み上げたビニルハウスの中で蘭までも育てていた。
暑い日も寒い日も、にこにこと微笑みながら土をいじる姿を少年は思い浮かべた。本当に楽しくやってるんだな、と幼心に思ったものだ。そんな祖父だから、庭いじりを趣味とする近所の奥さん連中にも頼りにされていた。祖父の中にある引き出しの数は想像をはるかに超えて多く、尋ねられて答えられないことなど少年の記憶にはなかった。隣の家のビオラの花壇やアイリスの寄せ植え、向かいの家のユズリハやゴールドクレストの木、果ては神社の松の木にまで祖父の手は入っていた。道楽者と自らを称して決して恩着せがましいところのない祖父は、この界隈で土をいじり庭木を愛でる人達にとってはちょっとしたヒーローだった。それが少年にとってはすごく誇らしいことだった。
『枝を落とす時には、刃の根元の方で切るんだな。焦ってまとめて切ろうとすると雑になるで。慌てんでいいでの、刃の使い方をまず覚えなや』
 祖父の教えの通りに、焦らずに。けれどもたつかないように手早く。
 切りそろえた木の、幹に近いところを握って揺らしてなるべく葉クズは落とす。もし病気などで痛み始めている枝があったら迷わず落とす。樹液で刃の切れが鈍ればあらかじめ用意したバケツの水でさっと洗う。使い終わったら砥いでやろう、と少年は考えていた。砥ぎ方はまだちゃんと習ってはいなかったが、見よう見まねでやれる自信はあった。それで良くないところがあったらまた聞けばいいのだ。
 ――そう、また聞けばいいんだ。まずはこの生け垣を綺麗にするんだ。
 蝉の声が一層増したような気がした。
 飛行機雲が太陽に向かって一直線、青空を真っ二つに割っていくのが見えた。汗を拭きながら、少年はしばらくその行く手を見守った。いつかあれに乗りたいな、と思った。やがてそれに飽きると、少年は再び鋏を握り締めて不ぞろいなままの生け垣の横腹に取り掛かった。
『木は好きか、ぼん』
 祖父は少年のことをそう呼んだ。少年はわからないと答えた。そして口にはしなかったがこう思っていた。庭木をいじっているじいちゃんを見ているのは好きだ。そして綺麗な庭も。
『ぼんは何になるんかな。大きくなったらな』
 わからない。――じいちゃんみたいになりたいけど、それは照れくさくて言えない。
 少年の作業は大詰めを迎えていた。裾まできちんと刈り取り、少し離れた場所から凹凸がないかと観察する。祖父がこれを見たら、何と言うだろうか。良くやった、と褒めてくれるだろうか。
 ステンレス製の熊手を引っ張り出してきて、地面に落ちた枝葉をがりがりと掻き集めた。アスファルトの照り返しで、日に焼けた頬がさらに火照り、目がちかちかする。真夏の昼下がりはすべてのものがぎらぎらと輝いて、影はあくまでも濃かった。麦わら帽子を被っている自分の影がひどく不恰好に揺れていた。そんな時だった。
 蝉の声が一瞬、遠のいた。
『喉が渇いたろう、ぼん。サイダーでも買いに行くか』
 はっとして、少年は振り向いた。
 そこには誰もいなかった。通りの向こうで、陽炎が揺れていた。
 ……気のせいだろうか。
 がちゃん、と玄関の扉が開いた。まろび出てきたのは母親だった。片手には電話の子機を持ち、つっかけたサンダルは左右で違っていた。
「じいちゃんが」母親は一度しゃくりあげて、続けた。「今、病院で……」
 少年は、ぼんやりと生け垣を眺めていた。……今、病院で。
「何よこれ、あんた、一人でやってたの?」
 少年は、ゆっくりと頷いた。綺麗に刈り揃えられた生け垣を見て、母親が驚きの声を上げるのにも構わず、再び熊手を動かし始めた。枝葉がなくなり、むなしく空を掻いても、ずっと。
『よくやった、ぼん。大したもんじゃないか……』
 あるかなしかの風が、幻聴を押し流していった。知らず肩が震えたが、少年は泣くまいと思った。代わりに母が泣いてくれるから。さぁもういいだろう、と少年は地面に向かって微笑んだ。片付けが終わるまでが仕事なんだぞ、と祖父の口調を真似ながら。


【感想はこちらにコメントする形でお願いします】

コメント(22)

投稿者:ちまみぃ - 05/20 13:16

ううっ 泣ける……

しかし暑そうな日だなぁ
ジリジリしてそう。干からびてそう、いろんなものが。

庭のことは全然知らないんですけど、ものすごく繊細な作業だというのがよく分かりました。

じいちゃんは亡くなっているのかと思ったら、ここで亡くなるのですね。

あうっ…切ない 泣ける
投稿者:ひねもすのたり(寝袋青組No.22) - 05/21 07:32

暑さが身に染みるような、細かく繊細な情景描写が素晴らしいと思います。
じいちゃんがお亡くなりに…
少年がなぜわざわざこの暑い日に庭いじりをしていたのかが、この行りでわかりますね。
切なさが胸に迫ります。
投稿者:ゆきのしん - 05/21 12:34

情景描写に力を入れて書き上げたのだろうな、と感じます。非常に切ないですね。少年と祖父の良い関係もよく描かれています。ちょっと話が重たいから万人受けはしないかもしれませんけど。
読み手にもう少し息をつく箇所を持たせた方がいいかもしれません。あと擬音による表現が多用されすぎている点も気になりました。
投稿者:雉乃尾羽 - 05/21 21:24

 庭いじりの達人、ですね。

 描写で勝負、という感じですが、祖父や少年もキャラクターとしてしっかりと立っていて、重苦しい感じを受けずに読んでいくことが出来ました。
 ただ、『突き抜けるほど暑い日に』という題名から最後まで雰囲気が一貫してきれいなので、偽ハンドルネームだけが少し場違いな感じがします……って、話と全く関係ないですが。
非常に丁寧に描写されていて素晴らしい、と思うんですが、一つ気になる点が。
序盤で主人公がどこで切っているかの説明がないんですね。
すると

>>制止の声を上げる通行人はいなかった。いかに暇であろうと、外を出歩くにはいささか暑すぎる時間帯だったからだ。

ここが悪い意味で目立ってきてしまいます。
通行人だから公園で切っているのかなぁ、とも思えちゃうし。

あとこれだけ描写が上手いからこそ、もっともっと泣ける(共感できる)話を作れるんじゃないでしょうか。
これだけのものが書ける作者さんならきっとできると思うのでー。
2008/05/23 20:37
投稿者:スティル
 凄く良かったです!
 大好きな祖父の訃報を聞いて、それでも言いつけをきちんと守って最後まで仕事をやり遂げようとする、少年の健気さにジーンと来ました。
出だしの擬音のチープさが内容に対してものすごい損をさせている。
本文の描写はいいと思えるものも多くあったし、情景が浮かびそうなものもあるというのに。
鋏の刃の鋭さとかそういうのを書いて、じじいの道具の手入れのよさをあらわしたり、夏なのに冷たさを感じさせるようなギャップとしての鋭利さを出したりとかのほうが良かったのでは。
台詞として「ぼん」「ぼん」うるさすぎたか。
完成度は上位だったけど出だしがあまりにもガッカリでした。
投稿者:ようこさん。-05/24 21:26

あ、いいな。と思いました。
 いくらも傷はあるけれども、でも、こういう作品を書こうという気概を評価したい。描写自体は非常に丁寧で、よいと思います。

 いくらでも、の傷の一番大きなものといえば。
<「じいちゃんが」母親は一度しゃくりあげて、続けた。「今、病院で……」>
 ここ。 爺さんがちょうど亡くなってしまった、ということにしたいのだと思うが、母親(じいちゃんの娘、だろう)がしゃくりあげるってのはちょっとないと思うのです。
 長患いであれば、いろいろな葛藤を越えて覚悟が決まってくるから娘があわててまろびでてこないだろうし、今まさに危ない、というのであればじいちゃんの娘である母親は病院に行っていて、自宅はいないと考えるのが自然じゃないだろうか。いずれにせよ、この辺が現実的に起こりえない部分で、最後の最後でやや興が冷めてしまったのであります。

 頭固いかしら。きっと頭が固いんだろうな。ううー。
投稿者:イビコ・J・D- 05/29 17:25

「――そう、また聞けばいいんだ。」
ここはいらないなあ……。そんなに露骨にしなくても、読み進めればわかります。かえって丁寧すぎたと思う。
それと後半、作者の頭の中と文章の足並みが少し乱れたような気がしました。

でも、全体的に素晴らしい作品だとは思いました。特に描写が良い。あっつい。

なのでこんな贅沢を言いたくなっちゃうんですけど、
「誰だって切られたくて〜」のようなメタファが、もう少しで良いから欲しかった。「自分の影が〜」でクライマックスに持っていっちゃうのは、ちょっと弱い気がします。
作品の中でというより、作者の中で何故「少年」と「庭いじり」を持ってきたのか、ちょっと疑ってしまった。それでも良いのかも知れないけど、どうも気になりました。
投稿者:ちよか- 06/01 22:45

これ、好きです。
こういう話書けるのいいなぁと単純に思いました。
ちくしょー。うまいじゃないかー。
生け垣の剪定をしている。
ただそれだけの話なのに、そこには確実にドラマがある。
夏の照りつける日差しを肌に感じる文章力。
いやぁ、まいった。
いい作品でした
鳥肌が立ちました。
緊迫感と言うか、迫力がある。また、言葉に何とも言えない味がある。人物も見事、等身大の子供が描かれている。
素晴らしいの一言に尽きます。
暑くてちょっと乾いた真夏の昼間の雰囲気はよく出てると思います。八月の盛りの頃じゃなくて、夏休みに入り立てのころみたいな感じ。
じいちゃんと主人公の、草木を通しての絆もよく描けていたと思います。
ただ、なぜ主人公が急いでるのかわからないし、急いでいるわりには「そう、また聞けばいいんだ。」とか思ってるし、そこらへんがよくわからなかったです。その不整合が伏線として最後にきっちり繋がってるとも思えないです。

他に気になったのが、冒頭部分の「細腕にはびっしりと汗の玉が浮かび」という部分。
暑い夏の日のひなたで、腕とか脛とかには玉の汗はあんまりかかないんじゃないかなあ。かいてもすぐ蒸発してしまうから。

欲をいえばタイトル通りにもうちょっと突き抜けてほしい気がしないでもないですが、地に足のついた感じの良作でした。
投稿者:太郎丸06/09 00:05

話の展開は面白いし、少年から祖父に引き継がれるであろう真摯な気持ちが心地よいです。こういうのが書けるって凄いなぁとは思うんですが、ただ善い話だけっていうか、少し毒が欲しい気がしました。
投稿者:てん- 06/11 00:57

良かったです。
暑い夏の空気や陽射しがすごく伝わってきました。
ラスト、少年が健気で切なくて、じーんときました…。
 アイデア的にとても地味なのですが、良い、です。丁寧な描写で達人の達人たるところを描き切る事が、やはり説得力に繋がります。
 一つ引っかかったのは、爺さんがラストで死ぬくだり。入院中ならそれを明示した方が良い気がします。突然倒れて死んでしまったのだとしたら、それは死ぬタイミングに必然性がなさ過ぎるので。
投稿者:橘内-06/12 23:59

 夏の暑くて青臭い空気感がいい。
 ただ少年が植え込みを刈っているだけの場面なのに、剪定にまつわる薀蓄や、そこから広がる祖父の話が、情景とともにすんなり入ってくる。読んでいる最中も読後感もすごくよかった。
 それだけに、個人的には『 ――そう、また聞けばいいんだ。』が余計だったかな、と思わなくもない。「どうして祖父はいないのか?」という小さな疑問点で母親登場シーンまで引っ張りたいのだから、祖父の現状についての描写は抑え目でよかったと思う。他の部分で十分に推し量れるだけの描写がされていたし。
 あと、タイトルでも、もっと工夫できたと思う。

 総じて面白かった。読んだ後、いい気分。
投稿者:とりしん-06/14 13:27

 爽やかで、読後感も秀逸。
 何かあえて言うとすればストーリーとしてはありがちなので、ここにもう一味、一ひねりあれば「次もこの作者の作品を読みたい」という感覚になると思う。

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