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moving (movies and musicals)コミュのたかが 世界の終わり【2】

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映画JUSTE LA FIN DU MONDE(2)
いすグザヴィエ・ドラン
危険・警告ねたばれ

2回目。

グザヴィエ・ドランの作品を観ると、私の中が語りたい言葉でいっぱいになって
収拾がつかなくなる。
この作品も、他の人の感想を読んで、「違うよ!そうじゃないんだよ!」と叫びたくなる。

こんなに愛に溢れている作品なのに、どうして気付かない?
(それって、画面の中の登場人物に対しても言えることなのだけれど。)

***

ルイが家を出た理由は、家族内の人間関係だと思う。
例えば、母親の重たすぎる愛情、例えば、兄との軋轢。
ルイは自分がいることで兄に感じさせる負の感情が耐えられなくて、
立ち去ったような気がする。
周りくどいけど。

才能あふれるルイに対し、凡庸なアントワーヌ。
その違いをことあるごとに強調する母親。

ルイがゲイだってことは、バレているので、多分それは大きな理由じゃない。

***

映像に様式美を感じる作品でもあるなぁ。
例えば、ルイが家に到着する場面と、出発する場面で、同じような映像処理がなされている。

家に到着する時に、ぼやけていたルイ輪郭がだんだん焦点が合ってくるのと反対に、
家から去る時には、クリアだったルイの後ろ姿がだんだんぼやけて、去っていく。

オープニングは、夜明け前の暗い機内。
エンディングは、陽が落ちる前の穏やかな夕暮れの明るさ。

ルイが一大決心をして、家族に会いに行った意味はあったと思う。
マリアンヌの存在を知れたことは、ルイにとって大きな安心材料になったはず。
兄に、こんな素敵な人が側がいてくれるのなら、大丈夫。

家に到着してからマリアンヌと語る場面があるけど、
マリアンヌの人柄を見極める為に作品の時間が歪むほど長くて面白い。

***

今回は、ルイの顔にどんな風に光が当たっているかを検証。
顔全体に明るく光が当たっている場面はほとんどないので、
光が当たっているほど、彼が心を開いている場面に思えたので。

と。

マリアンヌとの場面には、右側にスポットライトが当たって左側は影。
シュザンヌとの場面では、左側にスポットライトが当たっている。
シュザンヌの部屋には、左側にスポットライトが当たっている記事写真があるので、
左側からの表情は、パブリックイメージ。
本心ではなく、建前の表情。

そして、母親との場面では、ほとんど光が当たっていない。
兄とのドライブでは、後ろ姿がほとんどだけど、2人とも同じ光に収まっている。

そして、帰る間際の場面、ルイの顔には夕暮れのあたたかい陽光が顔全体に降り注いでいる。
ルイの心が解放されたことを陽光の明るさで表現したような場面。
この瞬間があったのだから、家に戻ってきた意義は確かにあったのだと。

そして。

次の場面が、鳩時計から小鳥が飛びだす場面。
小鳥は、勢いよく壁にぶつかって、脳震盪で床に転がって、
大きく息をして、やがて動きを止める。
そう、【たかが】この世の終わり。
自分が消えること自体は、大したことではない。

***

過去映像として、スキンヘッドの男が子供を抱き上げて、
その向こうに抜けるような青空が広がっている場面がある。
予告編にも使われている、印象的な映像。

予告編では、この2人は父親と息子かと思っていたけど、
これは、アントワーヌの若い頃と、少年の頃のルイだな。

ルイとアントワーヌの年齢差は何歳だっけ?
演じてるキャストの年齢を調べて観たら、
ヴァンサンが1966年生まれで、ギャスパーが1984年生まれの18歳差。
ルイとアントワーヌの年齢もかなり離れているようだけど、18歳差はないな^^;

***

クライマックスのデザートを食べる場面で、
ルイがアントワーヌに、「今度食事しよう、週末にでも」と誘う時、
ルイは【邪な】とでも表現したくなる異質なオーラを醸してる。
まるで、アントワーヌを挑発しているようだ。
いや、挑発しているんだな。
同時に、助けを求めているんだな。

***

この作品と「トム・アット・ザ・ファーム」の類似点と相似点を
改めて検証してみる。
(以降、トム=「トム・アット・ザ・ファーム)
 ルイ=「たかが世界の終わり」)

基本的な構成は、とても似ている。
最初と最後に音楽がフルコーラスで流れること。
【家】に到着してから去るまでの話であること。

主人公が家に到達するまでの場面が延々と続くのは同じだけど、
トムでは、誰もいない孤独な風景を自分の車で進んでいくけど、
ルイはタクシーで、賑やかな街路を進んでいくところは対称的。

トムが【家】を出て、孤独から抜け出し世間に融け込むのだが、
ルイが【家】に向かう時は、世間から別世界に行くイメージだから、
【家】のイメージは両作品とも似ている。

ラスト、誰もいなくなった空っぽの【家】を出ていくというのも同じだな。

母親が全ての諸悪の根源、その悪は善から発しているのも同じ。

主人公と【兄】の愛憎というテーマも同じ。

突然美青年が登場するのも同じ(笑)。

トムは葬式の場面の少年。
ルイは、過去の友人/恋人の少年や、
アントワーヌの過去映像のスキンヘッドの青年。

トムは生き続けていく存在だし、
ルイは死にゆく存在というのは対照的。

携帯電話の通じない場所、通じる場所。
誰もいない家。待ち構えている家も相対要素。

キーポイントアイテムは、トムは天使、ルイは時計。

窓が印象的に使われているのも、両作品とも共通。
窓は、牢獄の檻、あるいは人の心を遮る壁というイメージ。

・・・と、羅列してみたけど、全体を通して感じることは、
この2つは、1つのテーマの表と裏のような関係であるということ。

また、同じテーマも扱いながら、トムよりルイの方が広い視点で描かれてること。
そうなったのは、優れたキャストが揃ったということと、
監督自身の物事の捉え方が変わったということなんだろうな。

同じテーマというのは、もちろん【母親】という存在のこと。

トムの方は監督自身が【母親】とは他人の立場で主人公を演じていて、
ルイの方は、他人が【母親】の実の息子を主人公として演じていて、
こういう距離感の微妙な差も面白いな、と。

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