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moving (movies and musicals)コミュの今は亡きヘンリー・モス

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人影The Late Henry Moss  8/24 19:00- 赤坂RED/THEATER
いす小川絵梨子
本サム・シェパード

ヘンリー・モス/中嶋しゅう
アール・モス/谷田 歩
レイ・モス/伊礼彼方
エステバン/田中壮太郎
タクシー運転手/福士惠二
コンチャーラ/久世星佳

メモ米国の劇作家サム・シェパードが書くある家族の物語。

殺風景な家。シーツのかかった死体が横たわるベッドの傍らで、7年ぶりに再会した
アールと弟のレイが向き合う。死んだのは家族を捨てた父ヘンリー。
その死を納得できないレイは、父が死ぬ前に会ったメキシコ人の隣人エステバンと
タクシー運転手を執拗に問いただし、アールと言い争う。
ヘンリーの死の真相を探る筋と、ヘンリーが妻に乱暴してけがをさせた出来事の記憶が
交錯し、劇中の時間は過去と現在を行き来する...。

米国初演は2000年にサンフランスシコで。ショーン・ペンらが出演した。
01年のニューヨーク公演ではレイをイーサン・ホークが演じている。


台詞がまるで英語のように聞こえてしまったのは
作品のオリジナルが英語だからからでも、
登場人物の兄弟を演じたキャストの鼻が西洋人の
ように鼻筋の通ったキャストだからでもあるまい。

感情的ではあっても硬い言葉の応酬。
頭や心にすっと届く台詞ではないんだな。

演じる方は大変そうだけど、受け取る側も大変。
下手すると眠気との戦いになりそうな
暗い照明のシンプルな舞台。
硬くて狭い椅子に心地悪さにも助けられつつ、
なんとかがんばれました。

消化するのに時間がかかる作品。
何回か観ないと大切なものが見えてこない作品。
ま、私にとっては、ですけど。

美形兄弟は素敵でした。

伊礼さんはおなじみだけど、
谷田さんの方は初めてなのかな?
(と言いつつ実は観てたりするんだが^^;)
日常会話のような話し方の台詞が、
明瞭に聞こえてきたのが良かった。

2人とも良い声してる。
そして、いろいろな声音を持っている。
兄の怖がっている時の声、
弟が父親のフリをして部屋に入ってきた時の声。
まるで別人のよう。
上手かったなぁ。

キャストはそれぞれが素晴らしかったけど、
一番のお気に入りは隣人のエステバン。

音楽は、あまり注意して聞いてなかったけど、
開幕前は、単調な音が延々と続いていて、
幕間にはスパニッシュギターの曲が流れていたな。

・・・ってところでしょうか。

以下は、鑑賞当日に書いた、まとめようのない雑多なメモ。
いつかこの作品が映画化された時に読み返すと面白かも
しれないということで、そのまま置いておきます・・・。

*******

よし、頭で一生懸命整理してみると、
ずっと別居していた父親が亡くなったことで、
それぞれ別々に住んでいた兄弟が数年ぶりに再会する。
父親とは20年ぶり。
兄弟同士では8年ぶりって感じ?

弟が父親の住んでいた家に到着すると、
兄が父親の死体と同居していた。
それは、女に「3日間誰にもふれさせるな」と
言われたからだろう。

でもって、兄は弟に嘘をつく。
「自分が到着した時には父親は死んでいた」と。
でも、その話の裏に何かがあると感じた弟は、
真実を探り始め、父親が死の寸前に会っていた人たちを探し出す。
そして、兄が到着した時には父親は生きていたということが判明する。

そこで、弟は、兄が今まで自分に嘘をつき続けていたことを悟る。
父親が母親に暴力を奮っていた時、兄は本当は逃げ出したのに、
そうではないといい続けていたことを。

兄にとって認めたくない「逃げ出した」という事実をつきつける弟に
慄く兄。ここで2人の立場が逆転する。
1幕では泰然としていた兄が、2幕には追いつめられる立場に。

ラストシーンは、1つのテーブルを囲んでいる2人。
壊れてしまったかのように見える兄弟の絆が、新しい形で
始まるかもしれないと思えないこともない。
どちらか片方が家を飛び出すという展開にはならなかったから。

そうなるとすれば、2人と引き合わせたのは、
2人の別離のきっかけとなった父親と言えるのかもしれない。
自分の死をもって絶縁していた兄弟を引き合わせた、と。

そんなところだろうか。
無理矢理まとめてみたけど。汗。

父親の隣人のメキシコ人・エステバン。
彼の存在は「家族」という枠組みを考えた時に興味深い。

実の家族とは断絶した父の面倒みる他人。
遠くの家族より近くの隣人って感じ?

で、彼は“家畜の面倒をみるように”父親の世話をやくようになる。
毎日のようにスープを持っていき、様子を伺う。

そして、ただ一緒にいて周囲の物音を聞いてたり、
音楽を聞いたり、月を眺めたり、ただ隣に人がいるという感覚を
楽しんだり、・・・安らいだり。

部分的であれ、相互依存の関係。
必要とされることが必要なエステバン。
エステバンがいないと暮らしていけなかっただろう父親。

そして、もう1人の他人。
事実を弟に伝えるよくいる凡人、タクシーの運転手。
彼に父親の遺品を与えた弟の真意は?
兄への反抗心?
何らかの感謝の心?
心機一転の現れ?

タクシー運転手の話の鮮やかな脱線っぷりと、
怒られキャラは、かわいそうながら笑えてしまったり。

兄が父親の元に現れるのに3日かかったというのは嘘で、
エステバンから連絡が入った日にちゃんと現れていた。
だけど、酔っぱらっていた。
そして、父親を恐れていた。

そして、父親に自分の存在を否定され、
事実をつきつけられ、
息をひきとるのを看取った。
さすがに、・・・殺したわけではなかった。

一番謎なのは、女の存在。
ま、謎の女だから謎でいいんだろうけど。
「あなた(父親)はすでに死んでいる」という彼女の言葉の意味。
本当に肉体的に死んでいたのか、
精神的な死を説明していたのか、
どちらともとれる感じにストーリーが混乱していく。
肉体的には生きていたという方で
全体的な整合性はとれるはずだけど。

彼女の象徴していたものは?
圧倒的な何かを司る存在、というほどでもない。
もっと小さな存在。
でも、人間ではないもの。
シャワーから本当に水がでてくるのには、びっくりしたけど、
水も何かを象徴しているのかもしれない。

エステバンのスープが臭いのはどうしてだろう?
そこにも何か意味があるんだろうか?
単に何かの比喩?
兄が臭いというのも脅迫ネタで事実じゃない。

兄はどこに電話をかけに行ったのだろう?
それからなかなか戻ってこなくて、
その間に弟は父親の遺体を片付けて、
でもって、エステバンに「お別れをいえなかった」
と文句を言われて。

その間、父親のいきつけの居酒屋に行ってたのか。
たぶん、エステバンを同伴で。

タクシーの運転手の話すテキサスやほかの場所の
イメージするもの。

酒とハラペーニョ。
ハラペーニョとロゼのお酒。

冷蔵庫に食べ物があったのは、
エステバンがいたからだろうな。

短気ですぐに人に八つ当たりするところは
親子3人ともそっくり。
同じ気性を受け継いでいるわ、って感じ。

で。

脚本家は何を表現したかったんだろう。
人間の「存在」について?
「家族」について?

・・・今更思うけど、もう1回観ておけば良かったなぁ。

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