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太田蛍一コミュの太田さんのお話

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はじめまして。
流石このような時代。まさかMIXIにこのようなコミュニティが存在するとは…。
アナログ人間な者で先日MIXIに初登録、本日このようなコミュを発見した次第。遅ればせながら参加させてくださいませ。よsろしくです。

私は、当初は憧れ、後にお知り合いになれてからは引っ越しの相談などもずうずうしくさせていただいていた者なので、ちょっとうらやましがられちゃうかも??なお話を思い出したいと思います。

かなり80’Sな話満載ですが、マニアックですけど
皆さん「ゲルニカ」とか「アムネジア」とかって言ってる時点で絶対かなり若く見ても35歳以上なので大丈夫ですよね?
では、結構長くなりそうなので、一度〆てかきこさせていただきたいと思います。

コメント(8)

私も、大体皆さんと同じくらい中学生の頃、宝島とかサウンドールといったYMO情報満載の雑誌にて太田さんを知り、一発でノックアウトされた「東京トンガリキッズ」(死語)でした。
当時千葉の稲毛に住んでおりましたが、本当に80年代を象徴するようなアヴァンギャルド生活(苦笑)をしており、中学生で太田さんにぞっこんになるあたり、まあ世間からは浮いていたことをご想像くださいマセ。

中学、高校〜専門学校と、紙面の中で見る太田作品、YENレーベルからのゲルニカの世界に惹かれながら、過ごしておりました。

でも千葉というところは不思議なところで、当時「刑事ヨロシク」のつやちゃん役で一般の人も知りつつあった戸川純ちゃんを度々千葉駅アーケード街で見かけたりしていたので「そっくりさん?いやそ、それにしても…」と思っていたらふいに私に(オマセにニューウェーブ風にしていたので周りの通行人のおばはんよりは話し掛け易かったのかな?)「京成千葉駅はどちらですか?」とお尋ねになったのです!!コーフン。唯一塾仲間のマニアックさんに報告したものでした。
このように稲毛〜千葉にはゲルニカ関連の何かあるなという布石はあったのでした。

それが専門学校に入り、服飾のデザイン学校だったのですが、DCブーム真っ盛りの中良い意味でも悪い意味でも「ファッションバカ」のクラスメートの中、見た目キメキメでも中身は地方出身者の田舎者が多くあまり廻りには音楽のマニアックな人や、ましてやイラストに造詣が深い人は居らず、ファッション友達は居ましたが、プライベートはほとんど一人でイラストや絵画を見に行っていました。そんな中である日18歳の私が知り合ったのが、当時医学部学生でいらした中澤英樹さん、のちの中ザワヒデキさんでした。
当時、中ザワさんはまだ「バカCG」にははるか数年前で、アクリル絵の具を使い、「ドイツの絵本」のような(私の勝手な印象)へたうま系ではあるけど深みのある、暖かい作風で今でも大事にその頃の作品のカードは全てとってありますが、その絵に見入っており、作者である中沢さんがギャラリーに居てその日は雨で客足が無く長い時間2人きりだったので初対面でありながら長々話し込んだことが(話していただいたことが)出会いでした。
18とはいえ子供だった私は今までの周りの人と違い余計な説明無くポンポンとマニアックなイラストレーターやアートの話が出来るので嬉しくて嬉しくてこの「一風変わったお兄さん」に質問を投げかけて尽きることなく話し込んでしまいました。
そんな会話の中で「どんな絵描きが好きなの?」という話で「え〜…と、太田蛍一さんてご存知ですか、マニアックかもしれませんが太田さんと上野広介さん(当時レジェの様な画風)かなあ」という言葉に「太田さん好きなんだあ、ボク先日アムネジアの中の水族館の撮影お手伝いしたんですよ。上野君は友達ですよ」
「ええ〜〜!太田さんとお知り合いなんですか?!(上野さんのお話も致しましたがココでは別記で)あの撮影の同行されていたんですかあ!」(世間からはズレた会話だけど)ミーハー丸出しで興奮しました。

中ザワさんも千葉大医学部だったのでアートの他に地元話もしていたら上野耕二さんは稲毛にある某美容学校のお坊ちゃま(?)だったことが判明。純ちゃんを見かけていた京成千葉付近はライブハウスなどがあったので、道理で中学の頃から「あんなところで」純ちゃんを見かけていたことが判明、やっぱり実物でした。笑。
それからしばらくしたある日、学校の夏休み中だったと思いますが、中沢さんのお誘いで銀座の喫茶店で太田さんとお会いできる機会を頂きました。
一般(?)の感覚でいえば「木村拓也とお茶するから来る?」といわれたようなもんで、夢のような信じがたい出来事で何が何でも「行きますう!!」という感じでした。ドキドキドキドキ。
ちなみに銀座なのでシックでこぎれいではありましたが、皆さんがなんとなく想像するようなレトロな喫茶店ではなく普通の喫茶店でしたが。
私たちが行くと、先に太田さんが席に掛けてらして、中澤さんが私のことを紹介してくださいました。
トークショーなどで皆さんもご存知のようですが、ゆっくり雰囲気のある話し方をされる方ですよね。
私は緊張で黙って大人達の席に同席させて頂いていた、というカンジでしたが、なんかのきっかけで、太田さんが話し掛けてくださった時にドッと、いかに太田さんの作品が好きであるか、こんな日がくるなんて夢のようだ、等といったことや、様々な質問など一気に話してしまった様な…。
多分太田さんはビックリしていらしたとは思うけど「ファンだ」と名乗っている子供のことなので、ウンウンと聞いて下っていたような記憶がうっすら。。コーフンしていたので詳細は覚えていないのですバカバカ。
で、当り障りの無い質問、って事だったと思うんですが、「どこに住んでいるの?」という問いへの私の返答に太田さんがちょっとビックリした反応を示してらして、なんと私の家と太田さんの地元がかなり近い範囲であること、私の家のホントに目の前が高校だったのですが、太田さんはそこの高校の出身で当然当時歩いて通学してらしたので、街の様子やお店などを懐かしそうに「あの店まだ在るのかなあ」「今はどうなっているの?」等意外な展開で話が弾むことが出来ました。

そして太田さんが「イメージ違うけれどあの高校で、俳優の長島敏行っているでしょう、私彼と同じ学年なんですよ。」「まあ、クラスは違ったので別に友達ということではなかったんだけどね、彼は当時から野球部で目立っていたよね、同じ環境に居たのにイメージ違って面白いよね」と客観的におっしゃっていました。
別に爆笑する話ではないけれど、その場の空気や太田さんのムードでなんだかつぼにハマってウケてしまい、地元話や笑いで随分当初の緊張は無くなり、若いずうずうしさで太田さんといろいろ話ができるようになりました。*続く*
わぁ、太田螢一さんと話された方がいるなんて…。
お時間があったらぜひ続きを読ませてください!
わ!
ベロニカさんのお話を読んで、初めて太田さんが自分の高校の先輩だと知りました。
すみません。モノ知らな過ぎですね…orz
懐かしいです。

昔、インディーズ系の音楽のミニコミ誌を発行していて
音楽だけでなくてアートや芝居も取材していて
太田さんの個展も取材させていただきました。
(しかも、アポなしで、勝手に個展に行って・・・爆)
そのときに、たまたま上野さんもその場にいらっしゃって
上野さんの大ファンだった私は
もう超舞い上がり、帰りは足が宙に浮いていました。
懐かしい思い出です。

ちなみに私も総武線沿線に住んでおりました
(現在は南米在住)

あ、楽天blogでの千年虫さんが
太田さんとお友達みたいです。
あ、昨年末から身内の不幸続き&出張続きですっかり自分がトピ立てたこと忘れていました!大変失礼致しました!!

書き込みも頂いていたんですね!!

思い出してまた書こうっと…思います。
(思い出したので続きを書きます)

そんなこんなで、中ザワさんのご紹介で太田さんと面識を持ち、予想外に地元が一緒だったことから(当時メールなんざ当然あるわけも無く)春夏秋冬季節のお便りをする間柄にならせていただきました。

いろいろお葉書出したり頂いたり(今思えばあんなバカガキだった私に!)しましたが、ある年の年賀状には
「うっとりと美しい年にいたしましょう」
と、あのヨレた太田文字で書かれており太田さんらしいそのお言葉が忘れられません。


そんな私が27歳ころになって、引越しの物件を検討していたときに、ナンバー1候補の物件がいつもお手紙していた太田さんの住所と類似していたので、地図を見ると、太田さんのお家と背中合わせ!

なので太田さんに電話して、その辺の治安やら買い物の便など
いろいろ相談させていただきました。
なにしろ、女性の一人暮らしで生まれて初めての1階住まいの検討だったので、いろいろ親切に教えていただき、そこに引っ越しました。

しかーーーし、背中合わせに住んだ頃、太田さんはほとんどがフランスで生活し、版画や絵画的な表現の時代であったので
お見かけすることも、御近所付き合いすることもない期間でした。

太田さんがまた、日本での生活主体になられた頃、実は商店街でお見かけしたんです!!が、
久しぶりのことに、心は「おおたさ〜〜〜ん」と呼びかけているのに、近所の気の緩みで私はショーーーモナイ格好をしていたのに
太田さんは鮮やかな紫のベレー帽とベルトや靴などの小物類(全てがキレイな紫ですよー)、
タートルのセーターと細身のパンツは薄いベージュという、普通の人間では着こなせない(一応私も年を取りファッション業界に長い人間となりましたが、未だこんな西洋人的センスの服飾の着こなしを見たことがありません!!)カラーリングと全体的なファッションセンスでしたので
恥ずかしくて見つからないように(残念!!そして恥ずかしすぎ)逃げ帰りました…。

やっぱり、近所であろうがどんな時間であろうが気は抜けぬ、と教訓になっております。

今はまた私も違う家に引っ越してしまったのですが、御近所ライフを過ごしたかったものです。
太田さんの誕生日に、ホームページ経由でおめでとうございますメールを送ったら、後日返事のメールが届いて感動しましたうれしい顔

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