ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Shah-Nameh―王書―コミュのペルシア語の歴史

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【印欧語族から出たインド・イラン語派】

ペルシア語をはじめとするイラン諸語は、東となりのインド語派とともに、インド・ヨーロッパ語族に属します。インド諸語とイラン諸語はひじょうに類似しているので、インド・イラン語派とまとめて呼ぶことが一般的です。

インド・ヨーロッパ語族の故地はどこであったか?
諸説ありますが、だいたい黒海北岸からカスピ海の北あたり―現在の南ロシア一帯に、印欧祖語を話す人々が住んでいたと考えられています。

その後、印欧語族は各地に移動していきます。原インド・イラン語を話す人々も、遊牧・牧畜を営みながら移動し、おそらくカスピ海東岸を通ってイラン高原に進出していきます。

紀元前2000年紀後半、原インド語を話す人々はカイバル峠を越えてパンジャブ地方へ進出し、やがてその言語はインド亜大陸で優勢となっていきます。これがいわゆるアーリア人のインド進出です。

【古代イラン語】

一方、イラン高原ではイラン諸語が支配的となります。また、かつての印欧語族の故地である北方の草原には遊牧民スキタイやサルマタイが現れますが、これもイラン語を話す人々でした。

その後、アケメネス朝ペルシアのもとで古代ペルシア語が文章語となります。これは楔形文字などで記されました。またゾロアスター教の聖典である『アヴェスター』に使われた言語はアヴェスター語と呼ばれ、古代イラン諸語の一種ですが、古代ペルシア語とはすこし異なります。

【中期ペルシア語】

アレクサンドロスの遠征によってアケメネス朝が滅亡すると、イランはヘレニズム時代を迎え、やがてパルティア朝の成立を見ます。だいたいこの時期が、古代ペルシア語から中期ペルシア語への移行期にあたります。その後、7世紀にササン朝が滅亡するまでの期間が、中期ペルシア語時代とされています。

ササン朝で用いられたいわゆる「パフラヴィー語」、中央アジアで広く話されたソグド語などが、中期ペルシア語の代表例です。

【沈黙の二世紀】

7世紀半ば、ササン朝は新興のアラブ・イスラーム勢力に滅ぼされ、イラン高原およびペルシア語の話されていた地域はその支配下に組み込まれました。この時代には行政・学術用語はアラビア語となり、ペルシア語による記述・著作は途絶えてしまいます。その後、9世紀の末、アッバース朝から自立した地方政権サーマーン朝の宮廷においてペルシア語の詩文が現れるようになるまでのおよそ200年余りを、「沈黙の二世紀」と呼びます。これはペルシア語にとっては不遇な暗黒の時代でした。

しかし、その沈黙のなかで、新しい言語の胎動が起こっていました。二世紀の間に言語的な淘汰がすすみ、中期ペルシア語の中から、ついに現在のペルシア語につながる近世ペルシア語が誕生したのでした。

そしてこの新しい言語―近世ペルシア語によって著され、アラブに組み敷かれてきたイラン人古来の精神を鼓舞した英雄叙事詩こそ、『シャー・ナーメ』だったのです。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Shah-Nameh―王書― 更新情報

Shah-Nameh―王書―のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング