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ジョン・フォックス/John Foxxコミュのイッツ・ア・バーニング・カー

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2003年に日本で紙ジャケCDでリリースされたジョン・フォックスの1stソロアルバム『メタマティック』(オリジナルリリース年は1980年で旧邦題は『メタル・ビート』)の赤岩和美氏によるライナーノーツに興味深い記述があります。
それはアルバム『メタル・ビート』の前後にリリースされたシングルのチャートアクションについてです。
1980年にリリースされた邦盤LPは森脇美喜夫氏によるライナーが付いていて、そこには“メロディー・メイカー誌のヒット・チャート初登場21位にランクされた”と記されています。
私は長い間、ジョン作品のチャートアクションについては殆んど知らなかったのですが、日本にそのあたりの情報そのものが入って来なかったんじゃないかと思います。
森脇氏によるライナーの記載以外には。
それが2003年に邦盤リリースされたジョンのヴァージン時代の4タイトルの紙ジャケのライナーで記されているわけです。
正直言って、私がジョンの80年代の作品の当時のチャートアクションを知ったからといって、その作品そのものの評価が変わるわけでもなく・・・んー、まどろっこしい言い方だな。
まぁ、ぶっちゃけて言っちゃえば全部好きなわけだし、というミもフタもない話なんですが、作品のチャートアクションに興味がなかったわけでもないという微妙な心理状態ですな。
紙ジャケライナーには一応チャートの最高位が記されていますが、そのチャートというのも音楽雑誌がいろいろあった中ででのどれかということでしょうし、それも、どこのという特定した書き方はされていません。
でも、それは例えばアメリカに於けるビルボードとかキャッシュボックスとか、どこが集計したかという程度の違いでしかないと思うし、インディーチャートでもないと思うんですよね。
ま、そういうわけで、イギリスのアルバムチャートの初登場21位にランクされた『メタル・ビート』の最高位は18位。
次作『ザ・ガーデン』は24位、『ゴールデン・セクション』は27位、『ミステリアス・ウェイズ』は85位、とのことです。
ジョンはウルトラヴォックスを脱退してソロになる時に“メタル・ビート”という自分のレーベルを設立して、配給をヴァージンに委託したという旨が『メタル・ビート』の邦盤ライナーで記されています。
ヴァージン・レコードは70年代には主にプログレ系のアーティストに自由な創作の場を提供するという理念があったものの、80年前後からパンク〜ニューウェイヴ系にシフトチェンジを図ることで、より商業ベースになっていき、契約しているアーティストとの軋轢が生まれたという話は日本に紹介された海外アーティストのインタビューで幾度か目にしました。
ただ、レーベルからの売れろというプレッシャーに関しては80年代のニューウェイヴ系のアーティストの方がヴァージンという会社の中では70年代の比じゃなかったのかも。
ジョンがヴァージンの行く末を予期していたかどうかはともかく、彼はウルトラヴォックスでアイランド・レコードとの契約破棄という経験をしています。
私にはアイランドもヴァージンと同様に良心的なレコード会社じゃないかというイメージがあったのですが、それはあくまでも外側から垣間見えたものにすぎないですからね。
ジョンは最終的にはヴァージンに配給権は委託したけど、原盤の権利は自分の手元に置くという方法を取ったのだと思います。
だから2001年にDemon傘下のedselというレーベルからヴァージン時代のアルバム4タイトルを自らのリマスターでリイシューするということができたのだと思います。
と、まぁジョンの旧譜の権利関係についての憶測をあれこれ語ってしまいましたが、ホントに書きたかったのはそういうことでもなくて、チャートアクションの方です。
ジョンが80年代にリリースしたシングルでチャートインしたのは
「錆びた地下道」英31位
「ノー・ワン・ドライヴィング」英32位
「バーニング・カー」英35位、米51位
「ヨーロッパ・アフター・ザ・レイン」英40位
・・・え!「バーニング・カー」ってアメリカのシングルチャートに入ったの?
しかも51位ってことだから、もう少しで全米トップ40ヒットだったんじゃん。
紙ジャケのライナーには、すンごくさりげなく記されてたけど。
1980年といえば第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの数年前のこと。
私は全米チャートのマニアというほどでもなかったんですが、FMステーションの見開きを始めとするFM雑誌の米、英のチャート記事はよく読んでました。
例えとしてわかりやすい話をすれば、アイシクル・ワークスのシングル「ウィスパー・トゥ・ア・スクリーム」は私の記憶では確か全米シングルチャートで37位ぐらいまで行ったはずなんですよ。
本人たちのインタビューによれば“なぜあの曲だけがアメリカで売れたかわからなかった”ということですが。
リバプール出身のインディーバンド(レーベルはベガーズ・バンケットね)としては大健闘じゃないですか。
あ、好きな方、気を悪くしないでくださいね。
あたしゃイアン・マクナブ大好きですから。
他にもウルトラヴォックス「リープ・ザ・ワイルド・ウィンド」とかスタイル・カウンシル「マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ」は地味ながらアメリカでもそこそこのシングルヒットになってるはずなんですよ。
何位まで行ったかまでは具体的には憶えてないものの、少なくともトップ40には入ったはず。
ヒューマン・リーグ「愛の残り火」やソフト・セル「汚れなき愛」に比べれば地味なチャートアクションじゃねーかと言うことなかれ。
ザ・フィクスやフロック・オブ・シーガルズみたいにアメリカでのヒットの影響でバンドの方向性が変わってしまった方々もいるんですから。
ティアーズ・フォー・フィアーズやシンプル・マインズほどわかりやすいパターンではなかったにしろ。
そういう意味ではU2というバンドは最初っからアメリカで売れる要素を持ってたバンドのように思えますな。
あ、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンについて熱く語りたいわけでもなかったんだった・・・。
んー、なんだろうな。
ともかく、ジョン先生の曲でアメリカで一番売れたのが「バーニング・カー」だったんだぁ・・・ということについての感慨にふけっているところではありますね。
もうちょい上がって全米トップ40に入ってほしかったなぁと思わなくはないものの、ジョンにはチャートとかそういうものと無縁で自由に創作してほしかったから、ちょうどいい塩梅だったのかなぁ、とか。
いやいや、ジョンも売れようとして頑張ってた面もあったんじゃないのかなぁ・・・とか。
いろいろ。

コメント(23)

元々は自分の日記に書いたのですが、けっこう熱く語った上に長くなっちゃったのでコミュニティの方にも転載することにしました。
「バーニング・カー」がジョンの作品の中でも傑作のひとつだということを信じて疑わないという私の心情も含めて。
いや、全然知らなかったので、勉強(?)になりました。私も「バーニング・カー」は大好きな曲で、ジョン・フォックスのベストの1曲だと思います。
>>[2]

「バーニング・カー」は『メタル・ビート』のアウトテイクだとされています。
私は邦盤ピックラベル6曲入りレコード『バーニング・カー』で初めて聴いたのですが、リズムマシンやシンセサイザーを使っているサウンド自体は同じプロダクションだけど、少しアルバムの雰囲気と違う感じがして、だからアルバムに入れなくてシングルで出したのかなと思いました。
この時期のジョンのアルバム未収録曲は当時、シングルやB面だったりボーナスディスクでリリースされたのですが、2000年以降にさらにいろいろ出てきて、ファンとしては嬉しいばかり。
たぶん『メタル・ビート』というアルバムは統一感ということに相当気を使ったアルバムだと思うんですね。
アルバム収録分の倍ぐらいのデモをまず録って、そこから厳選したのだと思います。
「ノー・ワン・ドライヴィング」のシングルヴァージョンや、上記の動画の「バーニング・カー」の音源は、そのデモトラックの可能性があります。
ま、このあたりは本人に訊いてみないとなんとも、ですね。
誰かジョンの研究本出してくれないかなぁって思ってるんですが。
>>[3]

ウルトラヴォックスがアイランド・レコードを離れたのは一応ロック・マガジン1979年4月号によれば相方同意の上、とされていますが、売れないから解雇されたというのが実情のようです。
ゲイリー・ニューマンが売れたことにより、レーベルを離れ解散状態だったウルトラヴォックスに注目が集まりベスト盤『スリー・イン・トゥ・ワン』がリリースされたことに当人たちはどう思っていたのか?ということも含めて思うところは多いです。
そこにミッジ・ユーロという多大なる才能を持つフロントマンが加入してバンドの建て直しを図り、成功したという流れも興味深いです。
もし『システムズ・オブ・ロマンス』が売れていたらジョン・フォックスも脱退せずに、いや、脱退したかもしれないけど、もう1枚ぐらいはアルバム出してたはずだよなとか。
そう考えると80年代初頭に『メタル・ビート』というアルバムが出ることもなかったんじゃないか?とか。
ま、仮説ですね。
ちなみに『ヴァージン・コレクションズ』というレコード5枚組にジョンの曲も収録されてるのですが、解説に“ウルトラヴォックスを脱退してソロで作品をリリースし、その印税でスタジオを建てる”(これ、ガーデン・スタジオのことですね)という旨の内容が記されているのですが、スタジオを建てる費用を賄えるほど売れたのかなぁとか思ったりもしました。
ただ、『メタル・ビート』の頃に関してはプロデュースから演奏までほぼ1人でやってたから売れた分だけ、お金はほぼ自分1人に入ってきたからなのかな?とか。
エンジニアのガレス・ジョーンズとの共同作業が殆んどだっただろうから。
>>[5]

まことに詳細な解説ありがとうございます。
敬服しております。

バンド解散前に確かアメリカ・ツアーを一応やってるんですよね。
それが成功とは言えなかったということでしょうかね。
「He's a liquid」をライヴでやっていたので、当初はULTRAVOX用に書いた曲なのだなと知りました。

「The Virgin Years 1980-1985」は外盤を買ったのでライナーノーツ無しでした。
スタジオを建てられるほど「メタルビート」が売れたのか、僕も疑問に思ってました。
確か、後にディペッシュ・モードなどがガーデン・スタジオを使っていたと記憶してます。
>>[6]

2008年に雑誌DOLLに掲載されたジョンのインタビュー記事を読むと、第1期ウルトラヴォックスのアメリカツアーはアイランドとの契約が終った後に自費で回ったとされています。
アメリカにコネクションがあったポリスのマネージャーだったマイルス・コープランドに誘われたとか。
彼がツアーのスケジュールをブッキングして殆んどの会場はチケットがソールドアウトになったそう。
当時のアメリカにはイギリスのパンク〜ニューウェイヴに関心のある聴衆が多かったんだとか。
レコード契約もポリスがいたレーベルのI.R.S(後にREMやジ・アラームがレコードを出しましたね)から誘いの声があったのだとか。
つまり、アイランドからは解雇されたけど状況は好転しかけていたと。
ジョンは『システムズ・オブ・ロマンス』を作る前からソロで曲を作るアイデアがあって、でも、なかなかメンバーにそれを言い出せなかったと告白しています。
結局アメリカツアーの最終日にそれを告げたのだとか。
アメリカツアーでは「ヒーズ・ア・リキッド」「タッチ・アンド・ゴー」「レディオ・ビーチ」といった新曲が演奏され、イギリスに帰ってきてからのライヴでは「ウォーク・アウェイ」も披露されています。
ボストンのパラダイス・シアターでのライヴはBBCでオンエアされたということですし、1978年も暮れの12月26日ロンドンのマーキーでのライヴ(たぶん第1期ウルトラヴォックスのラストライヴ)は『エコーズ・オブ・プレジャー』というレコード3枚組ブートレッグ盤という形でリリースされたので、アンダーグラウンドな形ではいろいろ情報が出回っていて、YouTubeで検索してみてもいろいろな音源が上がっています。
「ヒーズ・ア・リキッド」と「タッチ・アンド・ゴー」は『メタル・ビート』に、「ウォーク・アウェイ」は『ザ・ガーデン』にそれぞれ収録されたのですが、ミッジ・ユーロ加入後の第2期ウルトラヴォックスの幕開けを飾るアルバム『ヴィエナ』には、「タッチ・アンド・ゴー」と同じメロディを使った曲「Mr.X」が収録されています。
この“X”というのはジョン・フォックスのことではないか?という説があります。

さて、長くなったけどガーデン・スタジオについても少し。
『メタル・ビート』で組んだエンジニアのガレス・ジョーンズはBBCをドロップアウトして初のレコーディングセッションだったそうです。
殆んどのシンセサイザーやリズムマシンの演奏をジョン自身がやったということですから、ほぼ2人による共同作業だったのだと思います。
その後、シングル「マイルズ・アウェイ」でシェイク・シェイクというバンドと組み、そこにウルトラヴォックス時代の旧友ロビン・サイモンが入り、田舎の一軒屋を借りて機材を持ち込んでハウス・レコーディングで『ザ・ガーデン』を制作。
もちろんレコーディングはガレスの仕切りで。
ロンドンに他の芸術家と共同でビルを借りたジョンは地下に『ザ・ガーデン』で使った機材を持ち込み、そこをガーデン・スタジオと名づけ、『ゴールデン・セクション』と『ミステリアス・ウェイズ』を制作。
というのが一応の流れのようです。
たぶんガレスはこの一連の流れに全て関わっていて、ガーデン・スタジオも彼がハウス・エンジニア的なことをやってたのだと思います。
とおるさん仰せの通り、デペッシュ・モードもガーデンスタジオでレコーディングしていて、ガレス・ジョーンズもエンジニアでクレジットされています。
たぶんデペッシュ・モードとの仕事がきっかけでミュート系のレコーディングに関わることが多くなったのでしょう。
彼はプロデューサーとなってミュート系のアーティストを手掛けることになります。
シェイク・シェイクの元メンバーで『ザ・ガーデン』と『ゴールデン・セクション』でも大活躍だったキーボードのダンカン・ブリッジマンとベースのジョー・ドーニアクもジョンとの仕事がきっかけでエンジニアやプロデュース業にも手を染めるようになります。
特にダンカンは『ゴールデン・セクション』でプロデューサーとして招かれた、元バース・コントロールのゼウス・B・ヘルドと組んだ共同プロデューサーとしてトランスヴィジョン・ヴァンプのアルバムにクレジットされたりしました。
ガーデン・スタジオでレコーディングしたアーティストのリストがジョンのファンジンに記載されているので、いくつか。

デペッシュ・モード
ザ・キュアー
スージー&ザ・バンシーズ
アイシクル・ワークス
ファド・ガジェット
ザ・ザ
ヘヴン17
ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ
モダン・イングリッシュ
ガーデニング・バイ・ムーンライト
>>[7]

凄い・・・・圧倒されました。
大変な知識をお持ちですね。

アメリカ・ツアーはアイランドと切れた後だったんですね。
海賊盤LP「エコーズ〜」は僕も持ってます。
そうでしたね、あれには「ウォーク・アウェイ」も入ってました。

ミッジ・ユーロになってからのULTRAVOXは長い間認めてなかったんですが、今ではたまに「ヴィエナ」を聴いてます。でも「Mr.X」だけは好きになれないんですよね。「タッチ・アンド・ゴー」があるので。

ガレス・ジョーンズ周辺の人脈図、参考になりました。ガーデン・スタジオを使ったミュージシャン、バンドも興味深い・・・・。

ご教示いただきありがとうございました!

>>[8]

ありがとうございます。
私は高校1年の時に『ザ・ガーデン』を聴いてから現在に至るまで、本当にジョン・フォックスのことが好きで、高校時代に『メタル・ビート』から遡ってウルトラヴォックス時代のレコードを集めたり、ジョンの記事が載ってる洋楽誌は見つければ全て買ってましたし、CDでリイシューされれば買ってライナーノーツなど穴のあくほど読んで。
ただ、私も英語が読めないんで、読めたらもっとジョンのことを知れるのになぁとは思っています。
mixi等のネットを始めてからはオフ会などでジョンのCDのライナーを書いた方やウルトラヴォックス時代にイギリスに渡って写真を撮った方、このコミュニティの副管理人に邪外さんなどイギリスに渡ってジョンのライヴを観て本人に会ってきた方々などの興味深い話も聞くことができています。
私のジョンに関する知識は殆んど洋楽誌やレコードやCDのライナーノーツによって得られたものですよ。
好きだから読み込みや思い込みが激しいので、このトピックの内容を例えばウィキぺディアなどに載せられるか?となると、要出典とか注釈がつけられるんだろうなぁとか思います。
元々ネットを始めたのもジョンの情報が知りたいって思ったからですしね。
だからたまにすごく熱く語っちゃいたくなる時もあるし、コメントとか頂くとさらに熱く語っちゃうという(笑)。

ミッジ・ユーロがウルトラヴォックスに加入した経過というのは、ヴィサージをスティーヴ・ストレンジと立ち上げることになった時、ミッジはウルトラヴォックスが好きだったのでゲイリー・ニューマンのバックバンドに入っていたビリー・カーリーをセッションに呼んで、そこで親交を深めて新たなフロントマンとして入ったということのようです。
これにも諸説あって、チャンスをつかみかけてる最中に空中分解したウルトラヴォックスのフロントマンをミッジは狙っていて、その手続きとしてヴィサージで仕事をしたというのもありますが。
ともあれ、ミッジは才能的には全く問題なかったし、曲もよかったので第2期ウルトラヴォックスは順当に売れたといえるでしょう。
『エデンの嵐』以降はジョンの影を振り切った独自性も出てきますし。

私はニューウェイヴ系のDJをやらせてもらうこともあるのですが、デペッシュ・モードが好きだという人がホントに多くて。
そうなるとどうしてもミュート系のアーティストの作品を聴くこともしばしばあるんですね。
おおっ!こんなとこでガレス・ショーンズが仕事してんじゃん、みたいなことがけっこうありました。
>>[9]

雑誌やライナーで、とは言え、それにしても豊富な知識と記憶力には脱帽です。
僕も「ザ・ガーデン」聴いたのは高一でしたね。
1965年生まれですが、同い年でしょうか。
僕は「ザ・ガーデン」を最後にフォックスのファンから降りてしまったんです。
なので来日公演も行かずでした。
82年あたりから興味、コレクションの対象がビル・ネルソンに移ってしまったもので・・・。

ユーロ加入の経緯に関しては驚きました。
なるほど、ヴィサージの方が先だったんですね。
第2期になってから売れたのは理解できます。
ニウロマンティックやエレクトロニック・ポップのブームの後押しがありましたから。
でもその下地を作った筆頭はジョン・フォックスだったと信じてます。

また面白いお話をお聞かせください。
ではでは。

Bill Nelsonをコレクションしようとして
インスト・デモテープのアナログ盤ボックスセットとか買ってしまい
ひどい目に遭っている全国のみなさまコンニチハ。

Bill Nelsonのミニアルバム『CHEMRA』も
Recorded autumn 1982 at The Garden and Riverside Studios
と書いてありますので、参考資料に加えてください。
>>[11]

「Trial By Intimacy」でしたっけ。
僕はバラ売りで買いました。

「Chimera」もガーデン・スタジオでしたか。
高橋幸宏のドラム・トラックだけ東京ですよね。
>>[12]

>「Trial By Intimacy」でしたっけ。

はい。それです。
自分が買ったのは5000セット限定のボックスセットで
例のコクトー画風ポストカードのセットと写真集の引換券(汗)が入っていました。

コクトー・レーベルがあった時期は
がんばってコンプリートを目指していましたが
さすがに財政的に辛くなって(泣)
以降インスト・アルバムは買わないようになりました。

ジョン・フォックスが活動再開後に
次から次へと新譜アルバムを出した時期がありまして
「わーん。ジョン先生がBill Nelson化してるよー」と
泣きが入ってた時期がありました。

『Chimera』の高橋幸宏のドラムは
recorded at Alfa Studio"A"Tokyo.Japan
とアルバムのジャケに書いてありました。
>>[13]

そういえば、もう10年以上前ですが、ビルがロジャー・イーノやララージらと組んだバンド「Channel Light Vessel」がラフォーレ原宿でやったライヴって行かれましたか?
あの時初めてビルに会いましたよ。

ここはジョン・フォックスのコミュなので、ビル・ネルソンの話題はこの辺で。笑
いやいやいや、私にもビル・ネルソン話をさせてください。

あたしゃYMO直撃世代で(1966年生まれです。『ザ・ガーデン』はリリースから年が明けての82年に聴きました)幸宏との絡みで最初に名前を知りました。
『浮気なぼくら』にも参加してますよね。
曲は傑作オムニバス『ブリュッセルより愛をこめて』に収録されてる「シャドウ・ガーデン」を聴いたのが最初だと思います。

その後、インストアルバム『Chance Encounters in the Garden of Ligths』を中古レコードで買って聴いたのですが「シャドウ・ガーデン」よりいい曲は入ってなかったかなぁ。
いいインストアルバムだなとは思いますが。

ビー・バップ・デラックスはベスト盤を中古CDで買ったのですが、あまりにもグラムロックで驚いてしまいました。

きゅうさんにmixi日記のコメントで、だったかな、イチオシで薦められたRed Noiseの『Sound on Sound』を、とりあえずこれから聴いてみようと思ってアマゾンで買って聴いたのは何年ぐらい前だろ。
たぶん、その時に一緒に薦められた『Caimera』と『The Love That Whirls』は、それからちょっと後にブックオフでレコードで見つけたんで買って聴きました。

私がRed Noiseも含めてビル・ネルソンの歌もので一番好きなのは「Enpire of the Sence」です。

演奏が打ち込みなのか手動なのか、全然わからない!
上記のコメントを書くために久しぶりに「シャドウ・ガーデン」を聴いたのですが、ホント、名曲ですね。
若干、冨田勲先生の「月の光」の影響もあるかなぁという感じもしましたが。
もし、そうだとしたら、すごく嬉しいな。
いや、わかんないですけどね。
>>[15]

「The Love That Whirls」は今までで最も回数多く聴いたレコードです。
僕にとって生涯の一枚ですね。
ラフォーレでビル・ネルソンに会った時に「You changed my life」と伝えたら「Oh...」と照れ臭そうでした。
その時にもらったサインがこれです。
もう20年近く前なんですね・・・・。
ピックを貰えないか、とお願いしたら「ヤングギター」のピックでした。笑
>>[15]
アルバム『The Love That Whiris』は
ジャケに書いてある記述によりますと
ほぼひとりで多重録音していたらしいです。
自分は、人力テクノだと想像しています。

あと「Emmpire Of The Sensees」は
宮城県にあるスーパー【エンドーチェーン】の
TVのCMに使用されていて
驚きで、ひっくり返りそうになっていました。
1983年の夏の話。
>>[17]
そのころは
まだネットに接続していない時期で
後からBill Nelsonが来日してライヴをやっていたのを知って
悔しい思いをしたのでした。

でもまあ、また、そのうち来るだろうと
待ち続けて、既に20年涙

アルバム『The Love That Whirls』は
最初聞いたときには、ジョン先生の『ザ・ガーデン』に近いなと
思っていました。

いちばん好きな曲は何だろう?
「Flaming Desire」かな?

ずっと後になってから
「Flaming Desire」の12インチを入手したのですが
長いはクドイはで、笑ってしまいました、LOVE。
>>[19]

1982年でしたが、ピ−ター・バラカンさんがアッコちゃんとやってたFM番組で「いまビル・ネルソンに夢中だ」と喋ってらして、その時かけたのが「Hope For The Heartbeat」で、それを聴いて翌週輸入レコード店へ走りました。

「Flaming Desire」のロング・ヴァージョン、ギター・シンセのソロが長くて長くて、もう最高でした。w
「Eros Arriving」の2枚組シングルも愛聴盤でしたね。
話題のアルバム『The Love That Whirls』をレコード棚から引っぱり出して聴いてみました。

私が持ってるレコードは2枚組で、1枚が『La Belle Et La Bete』と題されたインストアルバムです。
ジャン・コクトーの「美女と野獣」という作品のために書かれたとアマゾンのカスタマーレヴューに載ってたんですが、サントラ?
レコードのクレジットにはヨークシャー・アクターズ・カンパニー・プロダクション・オブ・ジャン・コクトーズ・クラシック・フィルムという記述が。

さて、本編の方を聴いて気づいた点をいくつか。
今までの印象というか、記憶的におぼろげだった部分を改めて聴き込むことでハッキリさせたいと。

まず、オープニングの名曲「Empire of the Senses」ですが、これが何度聴いても、明らかにリズムマシンの音なのにドラマーの手癖っぽいオカズが入ってて妙に人間くさい。
でも、きゅうさん御指摘の通り、クレジットを読んでも演奏はほぼビル1人でなので、これはリズムマシンでしょう。
そうなると1曲分まるまる打ち込んだ可能性があります。
YMOが『BGM』でローランドのTR-808を使ったのが1981年ですから、1982年だったら機材的にできないというのはなかったと思われます。
余談ですが、ヒカシューの井上誠氏がバンド初期からリズムマシンを使ってきてTR-808みたいなのが出るのを待ってたんだけど、なかなか出なかったから人間のドラマー(泉水敏郎のことかな?)を入れたと、そしたら出たんですけどね、と、プレイヤー誌のインタビューで語っていたのが思い出されます。
そんなわけでリズムマシンの打ち込みが妙に人間くさい「Empire of the Senses」を最初に聴いちゃうと以降の曲は、いかにもリズムマシンを使ったっぽいという感じに聴こえます。
要は打ち込みがシンプルなんですね。
ただ、ひとつ気づいたのは、話題の曲「Flaming Desire」のリズムパターンは「Empire of the Senses」の使い回しですね。
テンポを落として、オカズの数を少し減らすなど構成を少し変えたのでしょう。
音の配置とかは、たぶん一緒だと思います。
あ、でも、どっちが先に出来たのかはわからんから「Flaming Desire」の打ち込みのテンポを上げて複雑化して「Empire of the Senses」になったという逆パターンもあり得るな。
エンディングの「The October Man」になると、ああ、人間がドラム叩いてるなぁという気分になります。
それまでの曲のリズムとは音質がまず違うので、最後にこれを持ってきたのは、かなり意識的なんじゃないでしょうか。
あと、改めて聴いて思ったのは幸宏の影響がけっこう出てるんじゃねーかなぁと。
特に「Eros Arriving」や「When Your Dream of Perfect Beauty Comes True」は『音楽殺人』っぽい気がじました。
後に共演することになるので、記憶を辿って多少の食い気味イメージもあるかもしれませんが。

>>[18]

“宮城県にあるスーパー【エンドーチェーン】のTVのCMに使用されていて”

グッジョブ指でOK
>>[21]

「Empire of the Senses」はマリンバだけ手動であとは総打ち込みだと思います。

「The October Man」の生ドラムは、確かアダム&ジ・アンツの人でしたよね。

一風堂の「すみれSeptember Love」は「Eros Arriving」に触発されて作ったんじゃないかと勘繰っております。

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