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F1Pole Positionコミュの9月17日生まれ

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Damom Hill デーモン・ヒル
1960年 9月17日生まれ イギリス出身


ヒルのデビューはウィリアムズではなくブラバムだった。
母国イギリスGPで初めて26位のビリで予選通過、
決勝は1位マンセルから4周遅れの16位で初完走だった。

2度のワールドチャンピオン、
初代モナコマイスターと呼ばれた
グラハム・ヒルの長男なのは有名。  
「ロータスで走る父グラハム・ヒル、
ヘルメットのデザインは父を真似たモノだった」

モナコ5勝の父に対してヒルは一度も
モナコを勝つ事はなかった。

1983年 バイクレースから四輪レースに転向
1984・1985年 イギリスFF1600に参戦
94年スペインGP 
亡きセナに捧げる今季初勝利であるとともに、
グッドイヤーの記念すべき300勝でもあった。

ヒルの最後は99年の鈴鹿だったが、
そこにはかつての気力に満ちた姿はなかった...

テストドライバーから見事シンデレラボーイとして
最強のマシンにめぐり合えた強運の持ち主、
実力を疑問視する声も多く聞かれたが
マシンだけではこの成績は残せない。
(腕だけでも無理だが)ただ相手が悪かっただけである。

ウィリアムズ時代は不安定なポジションながら
プロスト、セナ、マンセルといった豪華メンバーと
凌ぎを削ったのは立派だ。 
ただ正直地味なのは認めざるおえない。 
偉大な父のプレッシャーもあったであろう。

イギリスの期待を背負って頑張ったヒルは
テストドライバーの価値を高め、
今では当たり前のようになったテストドライバーから
レギュラードライバーへという新しいドライバーの道を
切り開いた功労者だったと思う。

F1とは速いマシンと勝てるチームを手に入れる事も
ドライバーの能力、実力だと思う、
チーム、マシンも全て含めての力...
そういった意味でヒルは間違いなく
チャンピオンを得るにふさわしいドライバーだったはず。

デビューが遅かったために出走数が少ないものの
どの分野でも歴代10位以内に名前を載せるあたりは
立派だと思う。

コメント(2)

ヒルは好きなドライバーの一人です!94年の日本GPと97年のハンガリーGPは感動しました!
デーモン好きでしたね。

ウィリアムズはドライバーがワールドチャンピオンになっても契約金額が低いので、よく、チャンピオンが次期に移籍してましたよね。

非力なジョーダンで、トップを走っていた事があったと思いましたよ。

最近記憶が悪いですが。涙

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