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今西祐行コミュの悲報

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今西祐行さんの長女
今西くみさんが2008年11月8日亡くなられたことを知りました。
8月に新朗読会のお知らせを差し上げたところ、「身体の調子が
悪いので不参加とさせていただきます」のご返事をいただきました。
思いご病気(ガンだったそうです)とは知りませんでした。
ご冥福をお祈りします。既に密葬にされたそうなので、後日、
ご焼香にうかがいたいと思います。
(知人のメールの一部より)


こちらは2008年8月の新聞記事より↓
http://nishinippon.co.jp/nnp/lifestyle/topics/20080817/20080817_0001.shtml

〈ここにきてやっとやっと迷いがとれ、どのように描いていったらよいか、心を決めることができました。あの時代への小生自身の思いもこめたく、小生にとりまして二度とない本当に大切な仕事と考えております…〉(1988年7月17日消印の手紙より)

 特攻花をめぐる連載の最終回は、1冊の絵本の物語である。

   *   *

特攻花をモチーフにした絵本「すみれ島」 91年に出版された絵本「すみれ島」(偕成社)は、小学生からすみれの花を贈られて出撃した特攻隊員たちが、途中の島や海に墜落。戦後、南の海の無人島がスミレでいっぱいになったという創作である。

 原作は、児童文学作家の今西祐行さん=2004年に81歳で死去、神奈川県=が82年に同人誌上に発表した短編小説である。画家の松永禎郎さん(78)=東京都=が依頼を受けて絵本化に取り組んだが、絵筆は遅々として進まなかった。冒頭の手紙は、松永さんが担当編集者だった相原法則さん(78)=同=にあてたわび状である。

 戦時中、学徒動員で兵器工場で働き、東京大空襲を経験した松永さんだが、「爆弾抱えて体当たりするという極限の人間は、想像できない。どう描けばいいのか、胸が詰まって、何度も書き直した」。陸軍少年飛行兵だった相原さんは「出版までに9年かかるなんて普通はない。愛憎こもごもの忘れられない作品です」と語る。

   *   *

 今西さんは82年、文芸誌のインタビューで、75年に沖縄へ向かう途中、上空から奄美大島付近を眺めたとき「特攻機のことが思われて胸がいっぱいになった」のが創作の発端と語っている。

 「美しい景色の上をいろんなことを思いながら飛んだと思うんです。そうした特攻隊員の思いが、どこかに残っていてほしいという願いみたいなものが私にはあった」

 過去に知人から、南西諸島に伝わる花の伝説を聞いており、この物語が生み出されたという。それはもしかしたら喜界島の伝説かもしれない。

 早稲田大在学中に学徒出陣した今西さんは、戦争末期に特攻隊出撃基地となった海軍鹿児島航空隊にいたことがある。広島では被災者救護に当たり、被爆している。

 長女の今西くみさん(57)=神奈川県=が記憶しているのは、「どうして僕だけ生き残っちゃったんだろう」という今西さんのつぶやきだ。「父は自分の体から一生、戦争は切り離せないと感じていたのでしょう」。小学生の国語教科書に載っている「1つの花」など、多くの戦争にちなむ作品を残した。スミレは大好きな花だったという。

   *   *

 「九州の南のはしにちかい海べに、小さな学校があった…」

大人向けの絵本講座で「すみれ島」を読む松本直美さん=福岡市城南区の公民館 松本直美さん(47)=福岡市西区=がよく通る声で、絵本「すみれ島」を読み始めた。福岡市城南区の公民館で開かれた大人向けの絵本講座。朗読途中から、聴講者のすすり泣きが漏れた。「講座の最後は必ずこの絵本を読むんです。たった5分のお話で、こんなに大切なことが、理屈もお説教も抜きで伝えられる」

 大分県中津市の樋田小学校では、2006年の文化祭で6年生が「すみれ島」の劇を演じ、最後に一人一人が平和への誓いを述べた。

 「すみれ島」は版を重ね、これまでに3万1500部が発行された。静かに息長く、これからも読み継がれるだろう。


=2008/08/17付 西日本新聞朝刊=

コメント(2)

前から言おうと思いましたが
厳密に言えば6日に亡くなりました。


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