ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

洋楽ポップス名曲アルバムコミュのMashmakhan 「As The Years Go By」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
明日から23日から25日まで3連休という方もいらっしゃるでしょうね。
秋最後の3連休です。紅葉狩りに行かれるのでしょうか?

それともアメフト観戦。大阪長居スタジアムでは、アメフト学生リーグの決勝戦関学VS立命が行われますね。

我が家は、23日は長男のエレクトーンのコンクールがあります。


さて、今週の「名曲アルバム」の1曲は、知らない方が多いと思います。
この曲は実は、生まれて初めて聞いた洋楽の曲です。

これも大阪のラジオ局ABC朝日放送深夜のリクエスト番組、
ABCヤングリクエストで天地真理を押しのけてベスト1位になっていた曲です。
当時、小学校6年生でした。

初めて聞く人すみません。聞いてみてください。
そして、感想聞かせてください。

マッシュマッカーン「霧の中のふたり」
Mashmakhan 「As The Years Go By」
http://jp.youtube.com/watch?v=Sq8VLC6vLLE

英語の題名と邦題が全然違うのもおもしろいです。



いつもの様に解説です。

カナダ出身のグループ。

「霧の中の二人」は最初にして最大のヒット曲なんですね〜。
1970年後半の大ヒットで、日本人うけする哀愁をおびながらも軽快なリズムが印象的ですよ。
一度聴いたら忘れられないステキなメロディー♪

1970 Mashmakhan 記念すべき1stアルバム。

「霧の中の二人」は異常にポップで日本人好みの哀愁メロなんだけど、アルバム全体としてはかなりアーティスティックなロック・サウンドなんですよ。
フルートなんかも宙を飛び交ってまするゾ。

最初の出会いは1960年。
セネカル、エドワーズ、ブレイクの3人は、地元モントリオールのダンス・ホールで演奏してたんです。
そこへジェリーも引き入られたようです。
間もなくして、エドワーズはバンドを辞めました。
'65年まで彼らは「The Triangle」と名のっており、地元R&B歌手トレヴァー・ペインのバックを努めてたんです。
彼らはプロデューサーのボブ・ハーンによって発見されるまで、4年もの間ペインのバックアップをしてたんですよ。
ハーンのおかげでコロンビア・レコードと契約。
そしてエドワーズも戻ってきたんですね。
じゃあ、ってことで名前も変えました。
そのへんに小売りされてた一種の薬から「マッシュマッカーン」と命名。

'70年1stシングル「As The Years Go By」がヒットしたんですねぇ〜、特に日本でバカ売れしたんですよ。
つづく「Gladwyn」もヒットです。
同年1stアルバムもリリースされたんです。
'71年には2ndアルバムをリリース、この中にはNFB映画『Epilogue』のための曲も含まれたのです。
'72年、'73年それぞれ1枚づつシングルを発表するものの、解散してしまうのですよ。
ジェリー・マーサーは同じカナダのグループ「April Wine」に加入しました。

Pierre Senecal(vo,key)

Brian Edwards(b)

Jerry Mercer(dr)

Rayburn Blake(g)

コメント(7)

シングル持ってます。

スマッシュヒット。いわゆる一発屋の典型と思っていましたが、モン太さんの解説読んで、へぇ〜でした。

これですねるんるん

A Whiter Shade Of Pale - Procol Harum
http://jp.youtube.com/watch?v=Mb3iPP-tHdA&feature=related

名曲です
解説させてください。

プロコル・ハルム(Procol Harum)は1960年代から1970年代に活動したイギリスのロックバンド。
デビュー曲「青い影」(1967年)は世界的な大ヒットを記録し、バンドは一躍スターダムにのし上がった。
クラシックやブルースの要素を色濃く取り入れた独特の作風で人気を博した。


経歴

結成から解散までのあゆみ
「青い影」で一躍有名になった彼らの初期のサウンドを特徴付けるのは、ゲイリーのピアノとマシューのオルガンからなるツイン・キーボードの編成である。
このスタイルについてはザ・バンドとの影響関係も指摘されている。
また、R&B的要素とクラシック的要素を融合させた独特の音作りは、70年代のプログレッシブ・ロックの先駆をなしたとも評される。
特に5部構成のロック組曲「In Held Twas in I」が収録されたセカンド・アルバム『月の光』(1968年)と、ポップな作風を指向したサード・アルバム『ソルティ・ドッグ』(1969年)は初期の佳作とされている。
その後、1969年にマシューがバンドを脱退すると、ジミ・ヘンドリックスに深く傾倒していたギタリストのロビン・トロワーの存在感が圧倒的となり、彼の奏でるギター・リフを前面に押し出したハードな楽曲が増加してくる。

しかし、1971年にはロビンもまたバンドを脱退し、ゲイリーの志向するクラシカルな路線が復活することとなった。
1972年にはカナダのエドモントン交響楽団との共演によるライヴ・アルバムを発表するが、これはディープ・パープルのロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演盤などと共に、当時ロックとクラシックの融合が盛んに試みられた事を例証する作品と言えよう。
翌1973年の7枚目のアルバム『グランド・ホテル』は、こんにちでは1970年代プログレ・シーンを代表する作品の一つに数えられており、彼らの後期の傑作とされる。
ホテルを退廃的な物質文明(西欧文明)の象徴と見なすコンセプチュアルな歌詞と、重厚華麗な演奏が特徴である。
その後、ロックンロール草創期の代表的なソングライターだったジェリー・リーバーとマイク・ストラーのコンビをプロデュースに迎え、時流に即してAOR的要素をとりいれた1975年の『プロコルズ・ナインス』である程度の商業的成功を収めるものの、「全てをやりつくした」というゲイリーの判断で1977年には解散を迎えている。



代表曲
青い影 - A Whiter Shade of Pale
http://jp.youtube.com/watch?v=PbWULu5_nXI
1967年4月にシングル・リリースされた彼らのデビュー曲。
発売後2週間で40万枚近くを売り上げ、イギリスのヒット・チャートで6週間連続1位に輝いた。
60年代の英国ロック界で、ビートルズの諸作品を凌ぎ最も大きな商業的成功を収めた楽曲とも言われる。
マシューのオルガンによる荘重なイントロダクションは、バッハのカンタータ140番「目ざめよと呼ぶ声あり」をモチーフにしたとされ、CMやTVドラマなどでたびたび使用されているため日本人にもなじみの深い曲である。
キースの象徴的で難解な歌詞に乗って、ゲイリーのソウルフルな歌声が聴き手の心を捉える。
発売当時のファースト・アルバムには収録されていなかった。
ジョー・コッカーやサラ・ブライトマンによるこの曲のカヴァー・バージョンも、多くの人々に親しまれている。
ジョン・レノンも生前にこの曲をお気に入りのひとつとして挙げており、「人生でベスト3に入る曲」と語っていた。
また、発表当時の1967年には「今の音楽業界でこの曲以外は聴く価値がない」とまで言っていた。
日本のポピュラー・ミュージシャンにも影響を与え、松任谷由実はこの曲をきっかけに音楽を自作するようになったという。
なお、日本語の題名は「青い影」となっているが、原題の「shade」は「影」ではなく、「色合い、色調」という意味であり、原題は「蒼白な」「白に近い色調」という意味になる。
2006年にはアンジェラ・アキが「Kiss Me Good-Bye」のB面でカヴァーしている。
2005年、マシュー・フィッシャーが「青い影」の著作権を巡ってゲイリーとキースを相手に訴訟を起こした。
マシュー・フィッシャーはこの曲の作曲者としての印税をメンバーに要求していたが、2006年12月20日(現地時間)、ロンドン最高裁判所はマシュー・フィッシャーの訴えを原則として認め、40パーセントの著作権を認める判決を言い渡した。


お世話になっております。

しかし、モン太さんの解説はすごいっすね。
圧倒されますよ。

プロコル・ハルムにロビントロワーが在籍していたとは
知りませんでした。
彼の音源、カセットテープ1本持ってますが、
バリバリのジミヘンフリークですよね。
いやあ、まさかそんな人があの「青い影」をねえ・・・。
勉強になります。

ところでマッシュマッカーン初めて聞きました。
ブレイクの部分がかっこいいなと
思いました。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

洋楽ポップス名曲アルバム 更新情報

洋楽ポップス名曲アルバムのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング