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カンボジア!コミュのシアヌークさん情報!

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今日のエキサイトニュースにこんな記事が載ってました〜
http://www.excite.co.jp/News/computers/20050606170200/0606.Culture20050606206.html

念のため、全文コピペ。

前国王のブログが密かな人気??[ 06月06日 17時02分 ]
カンボジア、プノンペン発??「私を侮辱してくれて、どうもありがとう」。これは、ノロドム・シハヌーク[シアヌークとも表記される]前カンボジア国王が、自身のブログに書き込んだ言葉だ。同性愛者の結婚を支持するという前国王の考えに、電子メールで批判が寄せられたことに対するものだが、前国王は侮辱的というそのメールの内容をブログに公開することはせず、代わりにこう綴っている。「わが祖国カンボジアは、1993年以来、リベラルな民主主義国家となる道を選択している。すべてのカンボジア国民には……国王も含め、自らの意見を自由に表現する権利がある」
 数々の政治的役割を担った経歴を持ち、物議をかもす発言で知られる王族ブロガーのウェブサイトには、このようなコメントが満ちあふれている。シハヌーク前国王はこのサイトを通じ、環境破壊からハリウッドスターについての追想、妻が夫を殺害したという事件、無秩序なカンボジアの政治情勢に至るまで、さまざまな事柄について自身の見解を表明している。
 シハヌーク前国王は、50年の長きにわたってアジアの政治に大きな役割を果たしてきた人物だ。1953年にはフランスからカンボジアの独立を勝ち取った。続くベトナム戦争時代には、米国政府にとって目障りな存在となり、カンボジアで親米勢力がクーデターを起こしたさい、国家元首の座を追われ中国へ亡命している。共産主義のクメール・ルージュ党を支持したが、やがてその恐怖政治の矛先が自身に向けられ、一時王宮ノ幽閉されるなど、波乱の半生を送ってきた。
 だが、そんな前国王も現在82歳。ガンに冒され、かつて亡命生活を送った地で、今は自宅のある中国で治療を受けている。とはいえ、切れ味鋭い活発な発言はまったく衰えを見せていない。西部劇を見て育った少年は、老いてワールド・ワイド・ウェブに夢中になり、西部劇にかけたのと同じ情熱をそれに注いでいる。
 少なくともこの3年間、シハヌーク前国王は、自身の意見だけでなく、歴史的文書、各国外交官やカンボジアの政治家たちと取り交わした書簡などをサイトに掲載してきた。昨秋、ノロドム・シハモニ皇太子に国王の座を譲り、今は入退院を繰り返している状態だが、インターネットのおかげで、世界的にあまり例がないと思われるスタイルで、なおも人々の注目を集めている。
 シハヌーク前国王のウェブサイトでは、フランス語、クメール語、英語を交えたブログを掲載しており、毎日世界中から約1000人の訪問者がある。時代の移り変わりのなかで、国王、大統領、首相と地位を変えながら国に仕えた後、現在は自身を「いかなる公的権力も持たない1人の老人」と呼んでいるが、シハヌーク前国王の意見はいまだに当を得たものとして影響力を保っている。カンボジアのマスコミが、貧しくてインターネットを利用できない多くの国民のために、その要約を紹介するほどだ。
 シハヌーク前国王のサイトは、技術的な定義からすると厳密にはウェブログとは呼べない。しかし定義はともかく、シハヌーク前国王は「カンボジアや全世界の人々に直接語りかける手段として、信じられないほど斬新なインターネットの使い方をしている」と、多くのブログを追跡しているブログ専門の検索エンジン会社、米テクノラティ社のデビッド・L・シフリー最高経営責任者は指摘する。
 だが、それも不思議ではない。シハヌーク前国王はつねに自らを情報や流行の発信者と称してきた。映画監督や画家、作曲家、歌手としての顔を持ち、ジャズバンドを率いたり、王宮にサッカーチームを作ったこともある。
 そんなシハヌーク前国王の人を惹きつける資質や芝居がかった物言いは、ブログにも顕著に表れている。2003年、カンボジア総選挙でフンシンペック党??前国王の息子の1人が率いる党??が敗北したさい、当時まだ引退前だった前国王はこれをワーテルローにおけるナポレオン軍の敗退になぞらえて「不名誉な出来事」と書いた。
 だがその後、態度を180度変えてこう記している。「父親として、あのようなことを書いたことを心から後悔し、息子とフンシンペック党に謹んでお詫びをする」
 ほかにも、シハヌーク前国王の書き込みには忘れがたいものが数多くあるが、以下にそのいくつかをご紹介しよう。
 斧で殺されたある政治家の未亡人に見舞金と米を送るよう側近に命じた後で、前国王はこう書いている。「なんという驚きだ! 残虐な暗殺者の正体は……他ならぬ被害者の妻で、今は刑務所に入っているというではないか!! この未亡人??自分の夫を殺した殺人犯??に先に記したような援助を与えることなど、できるはずもない」
 1920〜30年代に活躍したハリウッドスター、ケン・メイナードを懐かしく振り返る一文??「(メイナードは)『正義を世に広める』カウボーイとして、私があこがれた人物だ。メイナードの白馬は比類のない美しさで、人間に劣らない知性を持ち、天使のような身のこなしだった」。シハヌーク前国王は、プノンペンで公開されたメイナードの映画は1本たりとも見逃したことがなく、父親に馬を2頭買ってもらったときも、「『カウボーイ式』の乗馬が練習できる」と喜んだという。
 とはいえ、サイトでの発言がすべて、こんなに穏やかな調子とは限らない。前国王の幼少時代の文通相手とされる人物がカンボジアの社会や政治を痛烈に批判する文章を書いたことを巡っては、フン・セン首相の怒りを買った。前国王が言うには、ルーム・リットと名乗るこの謎の人物はフランスで暮らしており、「自分の分身のような存在」だという。
 自身もクメール・ルージュ軍の元兵士だったフン・セン首相が、この人物には早々に退場を願いたいと公言したのを受け、シハヌーク前国王は最近、リット氏をブログに登場させるのをやめた。4月15日付けの書き込みには、リット氏の復帰を願う読者に宛ててこう書いている。「わが分身であるリット氏のもとに、ここ数年で3度目となる『原子爆弾』が届けられた。これは間違いなく、現在のカンボジアについて書き続けたいというわれわれの意志を打ち砕くものだ……。あなた方の尊いご理解に感謝する」
 シハヌーク前国王自身、カンボジア社会が抱えるさまざまな問題について、しばしば激しい口調で批判を展開している。たとえば、カンボジアを「石油の出ない小さなサハラ砂漠」に変えてしまいかねない森林違法伐採や、カンボジア女性が他のアジアの国で売春に従事して「苦しみと辱めを受けている」のに、親たちは貧しさゆえにそれを止める術を持たないことなどだ。
 2004年2月にサンフランシスコで行なわれた同性愛者カップルの結婚式の模様をテレビで見たときには、前国王はカンボジアも同じことをすべきだと書いた。しかし、この発言はその後、「世界中に数多くの『反動』を呼び起こすきっかけに」なってしまった。
 「無数の賛同や(同性婚を)祝うメッセージが寄せられている……ありがたいことだ。だが(一方で)、反対や軽蔑、侮辱のメッセージも届くことは間違いない」
 前国王が直々に書いているブログはまた、その私生活を垣間見せるものでもある。たとえば、大勢の妻たちとのエピソードがそうだ。ただし1940年代の話だが、当時のことを前国王は次のように書いている。「当時の私の性生活は、いささか……激しかった。もっとも私はずいぶん前に、一夫一婦主義に転向しているが」。シハヌーク前国王がモニニアット前王妃と結婚してから、50年あまりが経つ。
 シハヌーク前国王は先日、一時寛解していたガンが再発したことをブログで明らかにしたが、ある雑誌が自身の死亡記事を用意していると知って、読者にこう述べた。「5月13日金曜日現在、私にはまだ死んだという意識はない。もしかすると、もう死んでいるのかもしれない。だが、自分は生きていると信じ続けようと思う


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こんなに斬新な発想の人だったんですね〜
こんな指導者(元・だけど)がいるならカンボジアの未来は明るいですね。

コメント(1)

ノドロム・シハヌークという人物は毀誉褒貶(きよほうへん)のはげしい人です。その評価は大変にむずかしいように思えます。
彼はいいこともたくさんしましたが、ここには書きませんが、非難されるべきこともまたたくさんしています。第二次大戦後のカンボジアは彼のキャラクターに相当に影響されてきたのは事実かもしれません。
多くの日本人は彼の表の顔しか知らないかもしれませんが、この記事に書かれていることはカンボジア人なら皆知っているでしょう。
つまり、日本人の知っているカンボジアと「ほんとうの」カンボジアには相当なギャップがあるということです。
この記事に登場する「ルーム・ルット氏」なる謎の人物はシハヌーク本人ではないかというウワサがありますが本当のところは誰も知りません。これもカンボジアらしいところです。

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