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京都ぶらぶら古寺巡礼コミュの安楽寺

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安楽寺は正しくは、住蓮山安楽寺と言い、鎌倉時代初期に浄土宗の開祖である法然上人と、その弟子の住蓮上人、安楽上人がこの辺りに『鹿ヶ谷草庵』を築いたことに由来します。

境内の方丈前に広がる庭園では、5月中旬から6月上旬頃はサツキが美しく咲き乱れ、参拝者の目を楽しませてくれます。また、境内の隣にある書院では、座ってゆっくりと書院前の庭園を眺めることができます。

拝観は春・初夏・秋の特別公開のみとなっています。

★「松虫姫」「鈴虫姫」伝説
住蓮上人と安楽上人は大変優秀な弟子で、特に声明(しょうみょう)が素晴らしく、参拝者からも絶大な信頼と崇敬を寄せられていました。その中には、後鳥羽上皇の女官として仕えていた「松虫姫」と「鈴虫姫」という名の2人がいました。2人とも容姿端麗で頭脳明晰で上皇からも大変寵愛を受けていましたが、建永元年(1206)に後鳥羽上皇が熊野参詣で留守の折、夜間にひそかに御所を出て『鹿ヶ谷草庵』を訪れ出家、「松虫姫」を住蓮上人が剃髪、「鈴虫姫」を安楽上人が剃髪し尼僧となりました。
 しかし、このことを知った上皇は激怒され、建永2年(1207)に上皇の命により、「松虫姫」を出家させた住蓮上人は近江で、「鈴虫姫」を出家させた安楽上人は京都六条河原で、それぞれ斬首に処せられました。さらに上皇の怒りはそれだけでは収まらず、法然上人は讃岐国に、親鸞聖人は越後国に、それぞれ流罪に処せられました。これは『承元の法難』と言われます。
 その後、両姫は瀬戸内海の生口島に移り、「松虫姫」は35歳で、「鈴虫姫」は45歳で往生したと伝わります。両上人が亡き後、『鹿ヶ谷草庵』は荒廃してしまいますが、流刑から帰京した法然上人が両上人の菩提を弔うために堂宇を建立し『住蓮山安楽寺』と名づけました。その後、江戸時代初期に現在の場所に移設し、現在に至っています。

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