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洋楽名盤・新譜 レビューコミュの「TNT」トータス

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「TNT」トータス 1998年US
「TNT」Tortoise
 
1. TNT
2. Swung from the Gutters
3. Ten-Day Interval
4. I Set My Face to the Hillside
5. Equator
6. Simple Way to Go Faster Than Light That Does Not Work
7. Suspension Bridge at Iguaz' Falls
8. Four-Day Interval
9. In Sarah, Mencken, Christ, and Beethoven There Were Women and Men
10. Almost Always Is Nearly Enough
11. Jetty
12. Everglade
 
 
 
ジョン・マッケンタイア(ドラムス、パーカッション、キーボード)、ダグラス・マッカム(ベース)、ジョン・ヘーンドン(ドラムス、パーカッション)、ダン・ビットニー(パーカッション)、デヴィッド・パホ(ギター)
 
 
90年代以降のロックは、時代や社会の世相を反映し、”個人”の内面を等身大で描くものを中心へとシフトした、といえるだろう。激動する時代にあって、社会が個人に要求してくる価値観そのものが崩壊してしまったり、コロコロと変わってしまう世相にあって、もはや戦いも価値観も個人の内にしかありえず、それ以上のものはリアリティを失ってしまった。そのような社会的な気分、自体が90年代以降の価値観そのものに影響されているということなのかもしれないが、そうしてロックは、もはや一部の反逆児のものでも、ドロップアウトした限られた人のもの、でも当然なく、一部のスターをアイドル化したり、エンターテイメント、ポップスという枠も超え、個人としての内面の戦いを抱える全ての人のそばに、常に在るものとなっていった。かつてこれほどロックというものが、良くも悪くも一般に浸透し、身近なものとなった時代があっただろうか。
  
個人個人の内面に訴えかけ、個人の戦いを代弁するのなら、そのための音楽はそれこそ多種多様なものになってしまうことは、想像に難くあるまい。そうであるならば、”ロック”というものが、ある程度のロック的なフォーマットにはまり続けることからはずれて、より自由に個人の内面に迫ってゆこう、とする動きが進行しても全くおかしくない。
 
 
「ポストロック」という言葉は、1994年のトータスの登場により、生まれたといっていい。
 
彼らの音楽は、パンク、ジャズ、ジャーマン・プログレッシヴ・ロック(CANからの影響)、ミニマル音楽、電子音楽、ハウス、テクノ、ブラジリアン・ポップ、映画のサウンドトラック的な映像的音楽、これらの要素が入り交じっている。
  
トータスが所属するインディー・レーベル、"スリル・ジョッキー"は、シカゴを拠点とし、同じシカゴの前衛ジャズ・バンド、アート・アンサンブル・シカゴの影響を受け、「シカゴ音響派」とも呼ばれている。
 
 
前衛的でミクスチャーな音楽なら、彼ら以前にも存在した。
しかし、彼らのミクスチャーの基軸として、パンク的なニュアンス、オルタナティブなニュアンス、のようなものがアティチュードとして音と音の合間に感じられるために、彼らはしっかりと「ロックバンド」の延長上に存在する「ポストロック」として認識されたのではないだろうか。そしてその点こそが、上に述べたような時代の要請、を受け止めて前進する彼らをして、ポストロックの盟主として、我々が信頼を寄せるゆえんではないだろうか。彼らのフォロワーが多く出てきても、いまだにポストロックの盟主といえばトータス、という感じだ。レディオヘッドも、その文脈からそう離れたところにはいない。
  
彼らの特徴として、ポスト・プロダクション、つまり録音後の音響処理、に相当のこだわりと時間を費やすこと、があげられる。サンプリング、ではなく、1998年当時、直接ハードディスクに録音された音を重層的に加工を重ねて編集してゆく。これほど徹底的に意識的にこだわって、音の配置を凝らしたそのうえで、個人の内面や深層を映し出すこと、と音楽的な気持ちの良さ、までを平行してなしえてしまったところが、音響派トータスたるゆえんだろう。決して自家中毒ではなく、目的意識のあるこだわりなのだ。
 
 
中心人物のジム・マッキンタイヤ。この人の音楽には、私は「トータス」よりも先に「シー・アンド・ケイク」に出会っていた。シー・アンド・ケイクも同じシカゴ音響派、ポストロック、というくくりで語られるが、それよりもずっとポップで、お洒落なカフェ的ミュージックと、ほどよいテクノサウンドが絡み合った、洗練された未来のソフトロック、という風情で人気があったので、トータスよりも一般的なポップ・ロックのフォーマット上にあり、一般的な人気や知名度は上だろうか。そこで、流れるようなドラミングとプロダクションで一役を担っていたのがジム・マッキンタイヤであったし、同様にステレオ・ラブでも、もっとポップな、ほとんどフレンチポップのような世界を見せてくれていた。
 
なので、ジム・マッキンタイヤがトータスで取り組む音が、意識的に前衛的な音楽であるといっても、自家中毒にはなり得ないだろう、ということには納得なのだ。人に聞かせる音のなんたるか、を熟知した音。そしてそれを意図的な編集で操ろうとさえすること。コンピュータのバーチャルな編集過程という作業の中で、意図して配置する音が共鳴しあって新たに生まれる意図しない世界。それはひとつの演奏、ライブ空間なのだろうか。
 
ボーカルが入っていないことが多い、いわゆるインストゥルメンタル、が特徴の一つでもあるポストロックだが、それゆえに一つ一つの音の流れが、否が応でも敏感に耳に入り込んでくる。
 
我々の深層心理のどこかを刺激する、揺り動かす音が鳴らされる。配置された音と音が共鳴して生み出される効果が、編集の意図を離れて別の世界へ浮遊してゆく。
 
あくまでも音だけが、存在する。しかし、聞き手それぞれの、心理をゆさぶり、何かを想起させる。何か新しい所へ、止揚のステージが舞ってゆく。そして静かに自分が存在する。
  
トータスの音楽にはボーカルがない、が、べたな言い方をすれば、ボーカルは自分自身だということだ。今の世の中を生ききる我々の心象風景を切り取って、音の切れ端にして、それをちぎり絵のように、色々な音で、配置してゆきながら、流れるような風景を映し出しながら、聞くものそれぞれの内面を映し出し、眺めさせ、何かを誘発する。それは究極のロックバンドとしての在り方なのかもしれないし、極めて今という時代を映し出したロックの在り方、と言えるのかもしれない。それこそがポストロックの本質に近いものではないだろうか。
 
そして配置される音、ひとつひとつが、硬質で、冷たく、懐かしく、暖かく、緩やかで、性急で、不気味で、明るく、暗い。矛盾し、複雑化した我々の心の切れ端。まぎれもない、今という時代の音。
 
それはあくまでもロックであり、現代でもロックであり続けようとして、自由に逸脱して試みるロックの在り方、より時代に寄り添おうとするロックの在り方。それを、ロックのカリスマによる精神論や歌詞世界から、というアプローチではなく、「音」の在り方からロックの本質に迫ってゆこうとする試み。
 
そこでの主役は、まぎれもない我々自身だ、ということが思い知らされる。
 
ロックは偶像を生み出し続けてきた。しかし、もはや逃げられない。我々自身にロックは突きつけられている。トータスの音楽は、その意味でとてつもなく、おそろしいロックなのだ、と思う。




コメント(2)

はじめまして。
色々なレビュー、興味深く拝見させていただいています。

このアルバムは名盤でありながら、罪な作品ですね。
彼ら自身の音楽的なバックボーンが現代のテクノロジーを駆使することでシームレスにつながり、ノンジャンルな、それでいて「ロックがあったから」生まれたとしか言えない音楽を作り上げています。

ただ、そういった実験性に気を配らずに聴くとこれはあまりに聴きやすく(勿論素晴らしいことなのですが)、それがこのアルバムの持つ「雰囲気」だけをテーマにした無数のフォロワーを生み出すことになりました。

彼らや、周辺のバンド(特に並行して活動したGastr del Solなどが挙げられると思います)には作曲やテクニックといった「音韻情報」ではない不定形な「音響情報」への挑戦という志があったと考えておりますがそれがフォロワー達に十分受け継がれたかといえば、必ずしもそうではないわけで。

00年代の「ポストロック」と呼ばれるものがこの頃の名盤群と比較して「フツー」に聞こえてしまうのもそういったところに要因があるのかな、と思っています。
ご意見、とても興味深く。
 
そうした意味では表面的なフォロワーではない本質的な部分のフォロワーは地域を超えたところに居そうな気もしますね。
 

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