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Dの傾向★コミュの2ちゃんねるからの拾い物

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境界
1 :天之御名無主 :2001/01/24(水) 19:22
彼岸と此岸を隔てるものとは、一体なんだろう?
3 :天之御名無主 :2001/01/24(水) 21:41
この話題おもしろい。きっと膨らみますよ
29 :15:2001/01/29(月) 13:52
>>16=27
お話はわかりますけれども、それと「山の頂点を境界とする」という御自身の
説とは、少し関連性が薄いように感じられるのですが……

「地点」を境界とするとしても、山のふもとの神社などが境界と考えられなくも
ありませんし、また、「山に踏み入る=異界に踏み入る」であったと考える方が、
自然と思われます。なぜなら、説話に「山に踏み入って異形のものと出会う」
ものは多く見られても、「山の頂上を越えると異形のものと出会う」というものは、
わたしの勉強不足かもしれませんが、あまり聞いた覚えがないからです。

これは差別の歴史などに詳しいお方にお聞きした方が良いとは思いますが、
山に定住する職の人たちを余所者、人外の者として差別した事例はなかったで
しょうか?(いわゆるマレビトなど)
つまりそれは、中世、山そのものが、人間の住む場所ではなく異界で
あったことの印だと――唱えられていたと思います。ソースがなくて申し訳ありません。

……すみません、民俗学で語り尽くされていることだったとは思うのですが(^^;
37 :29:2001/01/31(水) 04:44
>>34
視界に入っていることと、実際に「此岸」として認識することは違うと思いますよ。
「異界=目に見えない地帯」ではなく、むしろ視界に入り、なおかつ踏み込むことが
できないからこそ山を異界として認識するわけです。
わたしの「あの山の向こう」という言い方も短絡的で悪かったのでしょうが……

映画「もののけ姫」でもありましたが、開拓・植林という人の手が入る以前の山は、
基本的に人間の住む場所ではなく、人間は山には(狩猟・採集は別として)立入らずに
棲みわけを行ってきていました。
「もののけ姫」は、棲みわけていたはずの人間が、産業の発達によって、山という異界を侵し、
神殺しを行う話なわけです。
映画の中に登場する「獣の皮をかぶり獣に成りすます地回り」などは、当然、異界と
こちらの世界を行き来する人間ということで、差別や嫌悪・畏怖の対象になったでしょうね。
57 :1:2001/02/02(金) 20:35
「境界」というのを、あくまで物理的なものとして
考えていたもので、こんな風にスレッドが展開していることに
驚きと喜びを隠せないでいます。
61 :続き:43:2001/02/03(土) 02:02
これが、>>51で、
>実は、実際にはこんな単純には言えないですよね。
>時間、空間、あちこちにいろんな意味の境界があるわけですから、
と、書いたことの詳細です・・・。

お断りですが、実は
「境界」というテーマはそれだけで本が何冊も書けてしまう分野なんです。
だから、正直、知ったようなふりして
こんな短い文章でここまで大胆に言ってしまう自分が
ちょっと恥ずかしいです・・・。

>大学時代は中古国語学という、もっとも役に立たない学問をかじっただけでして……

僕自身、もう圧倒的に勉強不足の人間なんで、
(専門ですらあやしいのに、専門外はちんぷんかんぷん)
これからもいろいろご指導いただければ幸いですm(_ _)m

・・・・また長くなっちゃったょ・・・(笑
デムパオナ・・・・。
125 :天之御名無主 :2001/08/23(木) 00:11
門の外は恐いよ。知らない世界なんだから。
ずっと内側にいれば安全が保証される。
門の外側である異界は混沌とした危険に満ちた世界だけど
同時に新たな創造力を秘めた世界でもある。
236 :天之御名無主 :02/08/15 03:02
先日、深夜の海を見に行きました。

曇天で月も星も見えぬ夜の浜辺で、
灯りの連なる海岸線が途切れ、暗黒としか形容の仕様の無い沖の辺りは
自分の居る場所とは明らかに違う世界が存在しているとしか思えませんでした。

街灯など無い昔に措いては、境界などそこら中に存在していたのでしょうね。
244 :天之御名無主 :03/01/13 14:12
境界と言うのは「こちら」と「あちら」という分断された世界の「あいだ」ではないと思います。
どちらの世界も重なった部分ではないでしょうか。
言い尽くされたことだと思いますが。

>>234
絶対的な境界の場、というのはないと思います。
けれど、我々の意識には確かに共通した「境界」の意識があります。
そこんとこもう少し誰かお話してほしいなー。
331 :天之御名無主 :2005/05/19(木) 22:41:10
マージナルマン参上!
またの名を山口昌男。
「文化と両義性」は読んだ?
348 :天之御名無主 :2005/11/01(火) 00:15:49
鉄塔

非常階段

廃墟
349 :名 :2005/11/13(日) 00:02:33
小松和彦「異界と日本人」
なぜ境界が重要なのだろうか。それはそこが「人間界」でもあり「異界」でもあるという両義性を帯びた領域だからである。人間が異界に赴くときはその境界を越えていかねばならないし、神や妖怪などの「異界」の住人が「人間界」にやって来るときもこの境界を超えてやってくるのである。したがって、境界をさ迷っていると、神や妖怪に遭遇する可能性が高く、また境界に住む者は、人間界と異界の双方の性格を帯びた者としてイメージされることになる。そして、通常の人間が行くことができるのは、この境界までであり、その先は、特別の能力を備えた者、選ばれた者しか行くことができなかったし、多くの人は行こうともしなかったのである。したがって、異界をめぐる物語の多くは、この境界をめぐる物語でもあった。
350 :名 :2005/11/13(日) 00:24:47
赤坂憲雄「異人論序説」
マージナル・マン marginal man にはふつう、境界人・周縁(辺)人・限界人といった訳語があてられる。古典的な定義によるマージナル・マンは、二つ以上の異質な社会文化のマージン(境界・限界)にたたずむ人間を意味するが、広義には集団の成員としての資格や機能を十分に果たしていない人間をさすものとして使われる。混乱をさけるために、わたしたちはとりあえず前者を境界人、後者を周縁人とよぶことにする。
これについて、上野千鶴子がつぎのような興味深い指摘をしている。
 周縁性は境界性 marginality とは少し違っている。境界性とは、ジンメルの異人論以来、多元的な価値体系の「境界」にいる状態をさす概念であり、そこでは複数の価値体系間の競合が問題である。これに対し周縁性は、統合の中心からの距離、統合度の低さを意味する。境界人の心理的機構は葛藤であるが、周縁人のそれは、むしろアパシーや逸脱などのアノミックな態度である。(『構造主義の冒険』)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/980331763/l50

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