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関東パイプオフ会コミュの関東パイプオフ会とは何だったのか?

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ルノアールから締め出され会場が新しくなり、我が関東パイプオフ会なる不思議な月イチの集まりも、ある歴史的ターニングポイントを迎えているように思う。
私はデヴィッド・キャラダインが死んだ2009年の夏ごろから参加しはじめ、今年で10年。新しい顔、見なくなった顔、様々な人々と感慨深いコミュニケーションを取って来たわけだ。

先日の七夕、7月7日にも、人生の3時間ほどをこの関東パイプオフ会で過ごした。
会場は西新宿のバー「OLD VALLEY」。バーカウンターに座り、発起人のshell freakさんと久々に長く語り合った。

思えば2009年のある日、mixiの日記に書いたメシャムパイプに関する私の思いに、ある人が返信をくれた事からはじまる。私はその人と会ってみたくなり、はるばる飯能まで会いに行った。
その人に紹介され、関東パイプオフなる集まりの存在を知った。会場は新宿区役所横ルノアール会議室。恐る恐るドアを開ける。

その当時のメンバーは今と違い、あまりワイワイとやる雰囲気ではない。人数も今よりずっと少なく、10人ぐらいの人々が黙々と(モクモクと)パイプを吹かしている。
髭を生やしたダンディな男性から握手を求められた。これがshellさんとのファーストコンタクト。ダンヒルのシェルブライヤー。年代物だ。
パイプの趣味を持つ自分以外の人々との交流が、これほど楽しいものだとは知らなかった。

それから早10年。
あっと言う間であり、また、様々な事があった。ある懇意にしていた参加者がお亡くなりになった時も、ハンドルネームしか知らず、葬儀にも参加できなかった。
事実、誰も、誰の事も、何も知らない。それが関東パイプオフ会である。
ただ、月に一度、集まってパイプを愉しむ。こんな事がいつしか自分にとってのプラットフォームになっていた。
毎月、そそくさと楽しげに出かける様子を見た妻が、行きたいと言い出した。故・梅田春夫の言葉を思い出した。「婦人と楽しむものではない」
しかし要らぬ疑いを持たれるのも面倒で、承諾した。今ではすっかり仲間として受け入れられている。この4月には何と娘までこの奇妙な集まりに来るようになってしまった。

東京は来年オリンピックを控え、完全禁煙モードに突入している。人の意識というのはアッという間に変わるもので、今や煙草は社会悪というのが常識だ。
私達が大切にしていたある季節が間違いなく終わりを告げたのである。

そして、この6月から、新たな旅が始まったのかも知れない。
OLD VALLEYのカウンターに腰掛け、スクワドロンリーダーを燻らせながら、フト、私はそんな風に思った。

そんな関東パイプオフ会についての想いを、mixiに参加しているパイプスモーカー達にも語ってほしい。そう思ってこんなトピを立ち上げてみました。
また、新しい会場についてのご感想なども、是非お聞きしたいと思っております。

北大路 流山珍 拝

コメント(12)

タイトルに問題が…

>関東パイプオフ会とは何だったのか?

このタイトルだと、もう終わっちゃったみたいじゃん…
トピックって編集し直せないんですね!!
タイトルが終わってるみたいとのご批判を受け、タイトルを変更しようとしたのですが、できない。
仕方がないので、新しいトピックを立ち上げてみました。
それは敢えて気にしなくて宜しいでしょう(笑)。
10数年を経過して、今までの「オフ会」を総括する意味でも、このトピックで宜しいと思いますよ。
新しいトピックはトピックで、大上段に構え過ぎかもしれませんね〜ww。
新しいメンバーも増えて、この「関東パイプオフ会」の成り立ちなどもご存じない方もいらっしゃると思いますので、「総括」として、その成り立ちの経緯を書いてみようと思います。

13年前、当時、やっと「ネット社会」デビューした私は「2ちゃんねる」に「たばこ板」というのがあって、その中に「パイプスレ」がある事を知りました。それ以前から、ネットで「パイプ」を検索してみると、古い時代のパイプがあって、それがオークションサイトなどで売買されているのを知って、買い求める様になっていました。

そんなある日、「2ちゃんねる」で「OBスレ」に出会ったのです。ただでさえ少ないパイプスモーカー、その中で「古いパイプ」に興味を持っている人がいるとは想像だに出来なかっただけに、その喜びは大変なものでした。更に、スレ主の「OB氏」は、それまでのパイプスモーカーとは違った視点から「パイプ」という道具を再定義する視点を持っていました。この新たな「視点」に私はどっぷりと影響を受けたものです。

そのころの私の日常は、「2ちゃんねる」と「ebay」でした。
夜の夜中に飛び起きて、ebayで目星を付けていたパイプの現在価格を見たり、OBスレに投稿したり・・・。

つづく
そんなある日、新橋のタバコ屋「葉花」でパイプ煙草を買っていると、今は亡き「外川さん」から声をかけられました。「JPSCというパイプクラブの者ですが、一度、月例会に遊びにいらっしゃいませんか」と。正直、その時の私の感想は「どうしてパイプクラブに入ってパイプを喫わなきゃいけないんだ。パイプなんて一人でも喫えるものを」というものでした。

しかし、物は経験だと思って、指定された日時に東銀座の「カフェジュリエ」に行ってみました。
最初は、年配の方ばかりで緊張していましたが、皆さんのお話の面白いこと!! 年齢も職業も経験も生い立ちも全て異なる初対面の人々と、ただ一点、「パイプ」だけで繋がっているだけなのに、この楽しさは何なんだろう。この時の楽しかった経験が、後に「関東パイプオフ会」を設立する「動機」となったのです。

つづく
2ちゃんねるとebayの日々。そんな私に、ある日「神の啓示」が下りました(笑)。

「パイプクラブの様に、敷居が高い集まりではなくて、市井の個人のパイプスモーカーが気楽に来れる様な集まりが出来ないだろうか」と。
当初は、私もメンバーだった「OBスレ」の「OBオフ」を考えていました。OB氏にも参加の内諾を得て、後は場所を決めるだけだったのですが、そこで無駄な時間を費やしている内にOB氏が心変わりして、参加しないと言い出してしまったのです。そこで、一旦は「オフ会」は取り止めになってしまいました。

しかし、私の中にはまだ「何か出来る可能性はあるのではないか」という思いが強く残っていたのです。そして、ある日、「初心者スレ」で「オフ会、やってみない?」と投稿してみたのです。

最初に賛同してくれたのが、他でもない「でゑ氏」でした。 心無い発言が飛び交う「2ちゃんねる」で、心細い思いを振り絞って投稿した私に勇気を与えてくれたのは氏です。氏の素早い賛意が無かったら、おそらく私はくじけて、オフ会は開催できなかったことでしょう。その意味では、私はでゑ氏こそが「オフ会設立の影の功労者」だと今でも信じていますし、とても感謝しています。

つづく
一番最初の「オフ会」の開催場所は、今は無き下北沢のジャズ喫茶「マサコ」でした。
私自身、小田急線沿線に住んでいましたし、マサコには良くいっていて、マスターとも顔見知りだったのでお願いしてみたのです。 奥の隅っこのコーナーでした。

しかし、その日を迎えるまでが「地獄」でした(笑)。
2ちゃんねるでは、「どうせパイプ自慢にしかならない」とか「どうせ人なんか集まりはしないんだから今の内に尻尾を巻いて中止にした方が恥をかかなくてすむよ」みたいな発言ばかりでした。
開催日の三日程前から、食事は喉を通らなくなり、あれだけ夢中だったebayを見ることも出来なくなり、眠ることさえ出来なくなりました。あの時の精神状態は本当に極限状態だったのだと思います。

つづく
2006年の8月、下北沢の阿波踊りの日、最初のオフ会が、ジャズ喫茶「マサコ」で開催されました。
集まったのは8人でした。皆のパイプを見せあったり、持ち寄った煙草を喫ったりして、5時間はアッという間に過ぎてしまいました。再開を約束して、皆で握手をして別れました。次回は2〜3か後、という話だったと記憶していますが、誰からともなく、来月もやろうという事になりました。

それ以来、毎月毎月、「関東パイプオフ会」は開催され続けているのです。

つづく
パイプという、ただそれだけの接点しかない「初対面」の人間同士でも、とても親しく、楽しく時間を過ごせることが実感として経験できたのは、私にとって大きな収穫でした。当初計画した「OBオフ」ではありませんでしたが、「初心者もベテランも等しく平等に」というコンセプトで全ての方々に門戸を開放出来たのは返って幸いだったのかもしれません。その精神は、未だに現在の「関東パイプオフ会」に引き継がれている筈ですし、これからも引き継がれて行くことでしょう。

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