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スペイン風邪

1918年5月末、マルセイユで風邪が流行し始め、15日間で西部戦線の両軍兵士の間に蔓延した。この風邪がインフルエンザであることは明らかだが、非常に症状が重かったことが特色で、全世界で2000万人から6000万人が死亡した。ちなみに当時の世界総人口は12億人にすぎない。

この風邪はスペイン風邪と呼ばれたが、西部戦線にいた兵士がフランス南部から徐々に広がったため、そのように呼んだもので実際は時期から判断するとインド=マルセイユ航路からもたらされたとみて良い。(別の意見として、中国のクーリーから米国内の米兵に感染し、それがヨーロッパに移動することにより、西部戦線に広まったと言う説がある。米兵の多くはマルセイユに上陸しており判別は困難である。しかしマルセイユ以前にインドで発生していること、及び、アメリカの西海岸での流行は遅いこと、アメリカ国内での流行は比較的遅くボストンが起点であることを考えれば成り立たない。またスペイン王室の一員がこの風邪にかかり、それが新聞報道され広まったという説もある。しかし新聞報道の以前にこの呼び名が西部戦線の兵員の間で使われていた。)

インドから前ははっきりしないが大方のところ中国南部に原因を求める説が有力である。原因となるインフルエンザウィルスは始め家禽に特別変異で発生し、次にブタのウィルスと交配しあい、結果として新種のウィルスとなる。このウィルスが人間に感染するようである。ウィルスの遺伝子は発生以来写像を繰り返し形を変える。このためワクチンの製造が困難であると共に、以前のインフルエンザのワクチンは使えない。

両軍ともインフルエンザによる被害は甚大で戦闘単位として不適切なまで兵員が減少した大隊が続出した。またそれを理由として、アメリカを除く各国とも被害の情況を秘匿した。次に掲げるのは唯一公開されたアメリカ国内の記録である。


1918年3月 カンサス州、フォートライリー基地で初年兵が風邪にかかったことを3月11日報告した。症状は喉の痛み・発熱・頭痛だった。その週末までに500人の兵士から同様の報告があった。

この報告は事実だがスペイン風邪とは別種の可能性がある。

1918年7月 フィラデルフィアの保健所がスペイン風邪についての注意書きを発行。
1918年8月 ボストンの帰国兵受け入れの任務に当たっていた水兵が風邪をひいたとの報告をし始めた。30日までに60人以上の水兵が病気となった。

ボストンの軍用埠頭はパニックに襲われた。50人がチェルシー海軍病院に運ばれた。症状は全身を棒で打たれたようだ、と報告されている。

1918年9月 陸軍軍医総監代理のビクターホーガンがボストンにかけつけた時、市内の病院は全て患者で埋まり、廊下にまでベッドが設営されていた。

ホーガンの報告によると患者の顔色は青く、咳には血が混じっていた。ホーガンの到着した日だけで63人が死亡した。

ボストンのハーバード大学で5000人以上が発病した。マサチューセッツ州の保健長官は9月5日非常事態を宣言した。

連邦保健長官ルパート・ブルーは新聞にインフルエンザの症状と対症療法についての記載を要請した。療法の内容は睡眠、食事、アスピリンの服用だった。

海軍のフィリップ・ドーン中佐はドイツ人がインフルエンザの病原菌を散布していると宣言した。ドイツ人スパイが劇場その他人の集まる場所で病原菌を離していると言うのだ。

サンフランシスコ保健所はインフルエンザは西海岸に到着するまでに終息するだろうと発表。

9月28日、フィラデルフィアで20万人を越える戦争債券募集パレードがあったが、その翌日少なくとも635人が風邪で入院した。フィラデルフィア保健所は教会・学校・劇場の閉鎖を命令した。

ニューヨーク保健所は風邪の危険性はなく心配はないと発表。

1918年10月 ボストン市は10月2日だけで202人のインフルエンザによる死亡を確認した。

フィラデルフィア市は10月6日だけで289人の死亡を確認した。

議会においてインフルエンザ被害防止のため100万ドルの支出が認められた。しかし相当数の医師・看護婦が西部戦線に派遣済みのため必要な人員の確保は困難を極めた。

10月15日、ニューヨークで851人の死亡が確認された。

シカゴでは犯罪率がピークの43%に落ち込んだ。市当局は犯罪者が外出を避けているためだと発表した。

10月19日フィラデルフィアのホワイト医師がワクチンの製造に成功したと発表した。1万人以上に接種されたが、効果があったか否か現在でも論争の対象となっている。

この月だけで195000人がインフルエンザにかかった。発生としては最大の月である。

1918年11月 西海岸で急速に患者が発生した。サンスランシスコでの第1次大戦休戦協定の祝勝会では出席者全員が白のガーゼのマスクをつけた。

サンフランシスコ市11月21日までに2122人がインフルエンザで死亡と発表した。



アメリカでは約85万人がインフルエンザで死亡した。これは以降人口が増大したにもかかわらず、破られていない記録である。また悪性のインフルエンザは以降2回、1957年と1968年に発生した。いずれも大量の死亡者を伴った。

このインフルエンザ発生と第1次大戦とは直接関係がない。ただ戦争により栄養状態が悪化していたヨーロッパの諸国民が一層厳しい被害を受けた公算は強い。ただ不思議なことにこれだけ猛威を振るったインフルンザは翌年11月までに、アメリカではほぼ完全に消滅した。

スペイン風邪のインフルエンザウィルスは1997年に残存した遺体などから遺伝子分析に成功しており、A型H1/N1タイプとされている。A型は宿主がブタで、鳥からのB型と区別される。天然のウィルスの突然変異(突然変異するのがウィルス)は避けがたい現象だが、宿主や伝染の形態の研究が、この3回の大流行の後、格段に進んでいる。従って次回の流行時ワクチンが早期に利用できる公算が現在では強い。瞬時のワクチンの量産体制が課題かもしれない。



最初からすると3回流行したらしい
となると豚インフルも秋口と来年早々に再再流行も‥
冗談じゃなくバカにはできない話です
ウィキでも参照してみてください

コメント(14)

埼玉でも感染者が
関西に行っていて国内感染らしい
これくるで

今秋以降にさらに強力になって

じわじわと足元では感染が広がっていると予測
<新型インフル>国内感染者4千人超す 4日間で千人増
(毎日新聞 - 07月19日 19:53)

 新型インフルエンザの日本の感染者数が19日、4000人を超えた。厚生労働省の午前9時現在のまとめによると、国内で3987人の感染を確認。このほか、入国前の検疫で25人、在日米軍基地で9人の感染が報告されている。重症化や死亡の報告はないという。

 厚労省によると、感染者は先月25日に1000人を突破。今月8日に2000人を超えるまでは2週間近くかかった。しかし、それから1週間後の15日には3000人を超え、4000人超になるまではわずか4日間だった。【奥山智己】



着実に進行中
来月末くらいにピークを迎えるらしいね。5人に1人は感染するとか。

またマスク売ってませんよ
wたぬきさん元気そうだね。相変わらず〒。

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