ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

水流と水神コミュの水神

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
水神(すいじん/みずがみ)

名前の通り、水のある場所に祀られる多くの神がこう名付けられている。
人類が生理を維持するために必要とし、
また、主食としている農産物を育てるために必要な要素であり、
そのほとんどが自然(=神)からもたらされる。
特に日本人は水稲を主食としているため、水は必須となる。
そこで、水田に引き込むための水源や用水路の水門、農業用貯水池、
ほかには飲料や生活用水、日本酒の仕込みのためなどの水を得るための
井戸や水汲み場などに祀られることが多い。
下水路の整備される以前の時代には用水路や河川が生活排水路を兼ねていたが、
特に直接、飲料として使用する水を得る場には神を祀ってその場を穢さないようにして、
水の清浄さを保つ必要があった。
水神が神像として表現される場合には
蛇行する水流そのものや水辺の生物がベースとなって
水神や水神の神使として形象化される。
それは蛇や亀であり、竜や河童などの想像上の生物も含まれる。
祀られた場に曰くがあれば、ただ「水神」ではなく、
「罔象女神(ミヅハノメ)」や「瀬織津姫神」など、固有の名称で祀られていることが多く、
「水神」という名称で祀られているのは庶民によって祀られた場合が多いようだ。
水神は穢れを流してしまう役割を担っている場合があり、
牛頭天王やスサノオはそうした役割を担う水神として夏に祀られることが多い。
また、水が農産物を繁殖させ、実りを得られることから、
水神は人に多産をもたらす子授けや安産の守神として祀られる場合もある。


《目次》
愛知県
●荒子川水神杜(名古屋市)=書き込み60
●今村八王子神社(瀬戸市)=書き込み68/69
●猿投町 水神 (豊田市)=書き込み64
●境内社水神宮(八剱神社)=書き込み55/56
●末社水神社(引馬神社)=書き込み57/58

岩手県
●水神(加茂神社)=書き込み49/50

茨城県
●水神社(神栖市賀)=書き込み42 

神奈川県
●水神宮(伊勢原市 大山寺)=書き込み20
●水神(横須賀市 走水神社 末社水神社)=書き込み19
●すいじん(川崎市 神明大神社)=書き込み45/46
●末社水神社(川崎市 溝口神社)=書き込み39
●星の井水神 (鎌倉市 明鏡山圓満院星井寺 虚空蔵堂)=書き込み24

静岡県
●大手町 水神社=書き込み61/63
●駒門 水神社=書き込み53/54

東京都
●境外末社水神社(品川区 鹿島神社)=書き込み65
●末社水神宮(大田区 羽田神社 羽田富士)=書き込み30/31
●末社水神宮(千代田区 船方神社)=書き込み34/35
●水神(新宿区 水稲荷神社 摂社水神社)=書き込み10/11
●水大神(新宿区 水稲荷神社 末社高木神社)=書き込み10/11
●水神(杉並区 大宮八幡神社 末社多摩清水社) =書き込み6/7
●水神(世田谷区 六所神社 末社水神神社) =書き込み13/14
●水神(千代田区 柳森神社 末社水神神社) =書き込み16/17
●水神(練馬区 三宝寺池 水神神社)=書き込み23
●水伯(水神神社)=書き込み36/37

栃木県
●水神社(朝霞市 宮戸神社)書き込み27

奈良県
●御井の神(伊太祁曽神社 摂社御井神社)=書き込み47/48 

千葉県
●末社水神宮(千葉市 寒川神社)=書き込み51/52
●水神社(東金市 雄蛇ケ池)=書き込み43/44

↓MAP
http://www.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=35.697153,139.773656&spn=0.001523,0.001526&t=k&z=19&om=1&msid=113844027188609943916.000001129e9856a1ba55c

コメント(70)

●末社水神宮(羽田神社 羽田富士)水脈環境
東京都大田区本羽田3-9-12

羽田神社の南200mあたりを多摩川が流れている(写真左)。
そのあたりの多摩川は水域だけでも400mはある。
堤防下には台風一過の翌日だったため、
おびただしいゴミが漂着していた(写真中)。
前日の大水で多摩川河原のホームレスの住宅(?)は
根こそぎ流されたとニュース報道があったが、
見に来たらすでにかなり復旧(?)していた。
近世にはこの河原にも河原者が住み着いていたりしたのだろうか?
(写真右)は左が大師橋、右が首都高速神奈川1号線横羽線。
●水神宮(船方神社)境内
東京都北区堀船4-13-28

隅田川沿いをさかのぼり、バイクで堀船の路地を走っていると、
5才くらいのふたりの男の子が遊んでいたので、
船方神社のありかを聞いてみた。
すると、子供たちはふたりで何事か相談していた結果、
ひとりが急に先に立って、ぼくを先導し始めた。
もうひとりは後方に去った。
小走りの少年のあとを低速でついてゆくと、
後方から自転車に乗ったもうひとりの男の子が現れ、
自転車を先導する男の子にバトンタッチした。
その自転車についてゆくと、
自転車を持ってきた男の子もいっしょに走って付いて来た。
3分ほどで突き当たりに杜の見える路地に着くと、
男の子たちはそこで停止した。
結局、男の子たちは一言もぼくには発しなかったが、
誇らしげな男の子たちにぼくはお礼を言って、
ふたりと分かれた。

船方神社前の道はちゃんと整備された道ではなく、
原っぱに神社を配置したら、できてしまったというような、
輪郭のはっきりしないアスファルト舗装路だった。
入り口の石製靖国鳥居からまっすぐ参道が延びている(写真左)。
参道の突き当たりには、かつて十二所権現の祀られていた社殿があり、
右脇には御嶽神社の社殿があった。
これらの社殿の背後はすぐ、隅田川の堤防になっている。
御嶽神社前には十二天塚と刻まれた大きな石碑が建っている。
この石碑がここ船方神社のことの起こりのようで、
かつては『十二社』と呼ばれていたという。
船方神社社殿の左手に神楽殿のような堂のような
背の高い白塗りの建物があり、
その前で、ふたりの高校生が大声で歌を歌っている。
歌というより奇声に近く、“青春”を発散している感じだった。
ふたりを無視して、その建物のまわりをぐるっとまわるが、
はっきりした戸の存在のわかりにくい建物だった。
なんらかの倉庫のようだが、
船方神社のすぐ西には真言宗豊山派の延命寺があり、
ここは神仏混淆の場所だったようで、
どちらの建物なのかわからない。

その建物の北、船方神社の社殿左奥に石製明神鳥居が見えた。
その背後の堤防の上の通路を人が行き交っている。
鳥居前に行ってみると、「水神宮」の額がかかっていた。
そして、短い参道の正面には「水神宮」の石碑が祀られていた(写真中)。
この石碑に刻まれた「水神宮」の中の「神」には「、」が付いていた(写真右)。
これは「意符書換字」と呼ばれるもので、
基本的な(一般的な)文字に偏旁を加えたものだそうです。
具体的に何を意味するのかは調べてみたところではわからなかったのですが、
以下はぼくの推定です。

「神」の旁(つくり)「申」は角川漢和中辞典によると、
「電光を示すもの」とされている。
つまり

神=光を示すもの/光が示すもの/示された光

という意味になるが、「申」が12支に借用されたため、
「猿が示す/猿を示す/示された猿」ではまずいことから、
「、」を加えて“猿”との差別化を図ろうとしたものではないだろうか。

※「申」+「、」の正しい意味を知っている方、書き込みをお願いします。
●水神宮(船方神社)水脈環境
東京都北区堀船4-13-28

船方神社拝殿の背後、北側に面して
川幅が100mくらいの隅田川が流れている。
この部分は堤防沿いの通路があるが、
川側はコンクリート塀が連なっていて川縁には出られない。
船方神社に面して東側にはあらかわ遊園があり、
あらかわ遊園に面した隅田川部分だけは
川縁が散歩できるように整備されている(写真左)。
川縁にいるうちに陽が落ち(写真右)、
街に明かりが着き始めた。
●水伯(水神神社) 境内
東京都文京区目白台1-1-9

2007年03月21日
pm0:30起床。
昼食を食べ終えたら3時近かった。

中途半端な時間なので、
前から気になっていた
文京区目白台にある水神社を覗きに行くことにした。
地図でチェックすると神田川沿いにある。
ついでなので、環七から神田川を辿ってみることにした。

気温は前日と比べるとかなり暖かい。
先日の暖かさに戻るにはもう一息だ。
実際に神田川を辿ってみると、
ふだん、道路網で都内を把握しているので、
神田川が意外な場所を流れていることがわかる。
高田馬場駅周辺は一方通行が多く、
川から離れた場所しか通行できなくて、
一旦、神田川を見失ったが、
都電荒川線と平行して流れる神田川を見つけて軌道修正。

新江戸川公園横の水神社に到着した時には
pm4:30になっていた。
水神社は小さな祠が祀ってあるのだろうと思っていたら、
小山の上に祀られているようで、
大鳥居もあり、
なによりも巨大な銀杏の樹が2本天空に向かって延びていた。
(写真左)
巨大な銀杏だ。
鳥居下の駐車場に愛車を突っ込んで、
鳥居をくぐり、石段を上がると
2本の大銀杏は石段の上がり端の両脇に植えられていた(写真中) 。
水神社の社は鳥居や大銀杏と比べると予想外に貧弱だった。
社以外には石柱が1基立っているのみ、あとは樹木だ。
ここの水神は八幡宮社司の夢枕に『水伯(水神)』を名乗って現れ、
『関口水門』の守護神となったものらしく、
神田上水(神田川)の恩恵を受けていた
神田、日本橋の農民の参拝が多かったという。
水伯とは道教の水神のこと。
川の長(おさ)を意味し、黄河の別名であるという。

大銀杏の脇から神田川を見下ろすが、
江戸時代には田園地帯だったという面影はもちろん無く、
雑多なビルで埋まっていて、見晴らしは良くなかった。
●水神(白鳥 水天宮) 境内
名古屋市熱田区白鳥1

2月の下旬平日、
熱田神宮から西にある堀川を見に向かった。
堀川に架かった白鳥橋を渡る国道1号線から、
堀川沿いに入るために路地に入ったところ、
ビルの狭間に小さな境内があった(写真左)。
水天宮だった。
鳥居は石製の伊勢鳥居だった。
水天宮は通常、安産の神とされている場合が多いが、
ここは水神、産土神として祀られたという。
町名の白鳥(しらとり)は日本武尊に由来するものだろうが、
久留米市から安政4年(1857)に白鳥宇中島守隋氏邸内に勧請され、
中島内で3遍して現在地に移されたものという。
この地は一時、「材木町」という名称になっていたから、
材木係留地になっていたことがあるのかもしれない。

手水桶は大きな自然の丸石をくり抜いなもので、
龍口も陶器製の、ともに立派なものだった(写真中)。
拝所の水天宮祠の左隣に稲荷社。
右隣は不明。
拝殿は東南を向いており、真後ろ50mあたりに堀川が流れている。
●水神(白鳥 水天宮) 水脈環境
名古屋市熱田区白鳥1

水天宮裏手を流れる堀川に出ると、
ちょうど上流の御陵橋(写真左)と
下流白鳥橋(しろとりばし:写真右)との中間点あたりで、
水は上げ潮時なのか、ほとんど流れを感じない。
ここから名古屋港まで5kmほどだ。
御陵橋が珍しいアーチ形状なのは白鳥公園に渡るための橋だからだろう。
白鳥橋には国道1号線が通っている。
●末社水神社(溝口神社)
神奈川県川崎市高津区溝口2-25-1.

溝口神社は多摩川の南1300mあたりにあり、
北150mあたりに二ケ領用水が引かれている。
11月の末、その二ケ領用水をバイクでさかのぼってみようと思い、
最初にのぞいた場所だった。
愛車で直接境内の駐車場に入ると、ちょうど七五三の時期で、
拝殿には日章旗がはためき、
白、黄、紫の立派な玉の形をした菊の花の植木鉢が並んでいる。

拝殿前から東南に向かう参道を逆にたどってみた。
ここは拝殿前には狛犬も灯籠も無く、
参道を直角に横切る路地が通っている。
その路地を横切ると狛犬が左右に置かれている。
さらに境内の入口に向かうと、右側に、
鉄柵に囲まれた石祠が置かれていた(写真左)。
横にある説明書きを読むと、
赤城社と呼ばれた、このあたりの総鎮守社であったころ、
このあたりは飲み水にも不自由した場所で、
親井戸から水を引いた時代もあったようだ。
そのことに関係して水神を祀ったのがこの石祠だということだった。
石祠は2m四方の正方形の石板の中央に設置されているから、
もしかすると、ここが井戸だったのだろうか?

水神社の先にある白い石製明神鳥居をくぐり、振り返ると、
拝殿両側には針葉樹、落葉樹がミックスされて、参道両側に並んでいる。
(写真中)
参道の出口には両側にまだ新しい石灯籠があった。
現在の祭神は天照大神が祀られているが、
神仏習合の時代があったようだ。
●水神宮 
茨城県潮来市大生

甕森神社からまっすぐ北浦に出る地点に行ってみた。
甕森神社は日本武尊が東征時に残して行った水瓮(みずがめ)を
祀った場所とされている。
188号線から北浦に向かって、住宅街の路地を抜けると、
両側に水田の広がる農道にぶつかった。
農道の行く手に大きな鳥居が見えた。
鳥居の周囲に工事中のようなパイプが組まれていたので、
農道が広くなく、Uターンできなくなる恐れがあると思い、
バイクは農道の入口に停めてその鳥居のある場所まで歩いた。

鳥居の手前に石垣の基壇が組んであり、その上に2基の石祠が祀られている。
(写真左)
鳥居はその石祠基壇に向かって立っている(写真中)。
真新しい石製の明神鳥居だ。
石祠に似合わないくらい立派で大きいものだった。
パイプ組はこの鳥居造立工事のために組まれたものかもしれない。
それくらい、真新しいものだった。
束額には朱で「水神宮」とある。

片方の石祠は摩耗が激しく、刀傷が着いており、
屋根はおそらく別の石祠のものを組み合わせたもののようだった(写真右)。
4月の末、背後の水田はまだ、苗が植えられていないが、
農道の向かい側の面の田植えはすでに終わっていた。
●水神宮 水脈環境
茨城県潮来市大生

高さ4mほどの堤防を越えて北浦に出てみると、
足下の水辺に褐色のヨシが伸び、対岸の鹿島市が霞んで見える(写真左)。
少し北の湖岸はコンクリートの遊歩道にしてしまって、
水と岸をはっきり分けてしまっているいるが、
このあたりは、土手はコンクリート・ブロックで護岸されているものの、
湖水と堤防の間に荒い土が残してあり、ヨシの生育する環境を残し、
魚介類や昆虫、野鳥などの生物のすみかやエサ場になるような環境が
意図的に残してある(写真中)。
もっとも湖水際には
金属ワイヤー・ネットで大砂利を包んだ消波ブロックが破線状に沈めてあり、
(写真右)
護岸と生物を守る環境を兼ねるように設定してある。
この大砂利のブロックとヨシの根元は
湖水を浄化する微生物が住み着くには絶好の環境のはずだ。
霞ヶ浦を代表するミツガシワ科の水生植物アサザはhttp://nionoumikara.cocolog-nifty.com/blog/images/2006jun25_002.jpg

絶滅が心配される希少種だというが、保護するプロジェクトがあるようで、
北浦では毎年、増えているというが、この季節には湖面に見られない。
北浦には鯉はいるものの、バスが入ってしまっているようで、
釣りのメッカになっているようだ。
バスが入っている環境では、多様な小魚が育つのは難しそうだ。
●賀 水神社 
茨城県神栖市賀

かつて、常陸利根川は利根川が太平洋へ流れ込む下流で、
利根川は東京湾にも流れ込んでいたという。
現在の常陸利根川は霞ヶ浦から流れ出て、
外浪逆浦で北浦から流れ出ている鰐川と合流して、外浪逆浦から流れ出し、
利根川に合流している。
そんな常陸利根川沿いの「賀」は水田地帯で、
その中の一角に炎のような形状の森を持つ杜があった(写真左)。
それはゴッホの名画「糸杉と星の見える道」

http://art.pro.tok2.com/G/Gogh/goh12.jpg

で印象に残っていた、珍しい糸杉の杜だった。
念のために「糸杉と星の見える道」を見てみたら、
なんと、記憶では糸杉の森だったはずが、
絵では糸杉は4本しか生えていなかった。

その糸杉の森の周囲は金網で囲われており、シンプルな方形の杜だった。
方形の境内にはきれいに等間隔に糸杉が植えられていた。
境内入口には長さ2mほどのコンクリートの橋が架かっており、
その橋の下を常陸利根川から引かれた用水が流れていた。

入口には左手に波形のトタン屋根を持った表示板。
右手に「水神社」の石柱。
中央に朱塗りが禿げて、銀色の地が斑になった金属製の鹿島鳥居(写真中)。
鳥居をくぐって正面奥の地面に据えられた小さな石祠に向かって
コンクリート舗装の参道が延びていた。
境内中央の参道部分だけ、糸杉は植えられていない。

境内に入ってゆくと、
石祠は参道よりも5、6cm高いコンクリートたたきに乗っていた。
石祠は本体が明るい水色、屋根が海老茶色に近い赤、正面の蓋は
金メッキされて輝き、「水神社」の浮き彫り。
よく見ると、蓋の上の本体部分にも「水神社」と横書きで刻まれている。
屋根正面の破風軒下に菊の半紋。
金メッキの蓋はよく輝き、遠くから見たとき、
石祠背後に当っている陽光が透けているのかと思った。

境内内は参道以外の部分は整地されただけの自然土で、雑草が生えていたが、
どれも背が低く、時折、雑草貫が行われていることがわかる。
石祠に垂れ下がっている樹木だけが白木蓮のようで、
早春には白い花が咲くのだろう。
それだけが、金色の蓋と朱色の塗りをのぞけば、唯一の色気かもしれない。
境内の広さにくらべて、祠が小さいが、いずれ、この石祠は
木造の祠に収められる予定になっているのを感じる。
●雄蛇ケ池 水神社 境内
千葉県東金市田中

東金市田中で東金街道(126号線)は九十九里浜のある東南へ向かう。
その東金街道から500mほど西に雄蛇ケ池(おじゃがいけ)はある。
それは慶長19年(1614)に
この地の代官嶋田以栢(しまだいはく)が造成させた灌漑用水池で、
周囲4.5kmを森の豊かな丘陵に囲まれ、フナ釣りで知られ、
東京方面からも釣り人がやってくるという。
その広さは池というより湖に近いかもしれない。
その北の岬に、やはり水神社があった。

雄蛇ケ池の北東に面した駐車場に滑り込むと、
日差しが強く、中に着ていた厚手のトレーナーだけ脱いだ。
目的は雄蛇ケ池の最北の岬にある水神社だった。
駐車場から雄蛇ケ池の堤防に上がると、多くの釣り人が堤防に竿を立てていた。
池に沿って水神社に向かう。
池にはウキクサの密集している淵があって、それを眺めていたら、
母子連れが追い越して行った。
池の周囲は遊歩道になっていて、それを目的にやってくる人たちも多いようだ。

水神社は池の北の端の小さな岬にあり(写真左)、池に沿ってそこに向かうと、
社殿の裏側に出た。
社殿の脇を抜けて正面に回ると真新しい、社殿が池に向かっていた(写真中)。
社殿の真ん前にやはり真新しい石製の明神鳥居が立っており、
束額には「水神宮」とある。
その文字は誰かが石でもぶつけたらしく、新しいのに欠けていた。
社殿の純白の壁も、5カ所が蹴り破られていた。

社殿の前には生卵が1パックと水が2カップ奉納されている(写真右)。
雄蛇ケ池の名称の由来は雄の白蛇からきているとのことで、
この池を7回り半すると、蛇神が現われるといわれているが、
7回り半しなくても、湖面に女が立っていた、光の玉を見た、
耳元で声が聞こえたなど、有名な心霊スポットらしい。
一方で、昔はこの地を「おんじゃ」と呼んでいたという。
近くに「鬼ケ崎」、「蛇首(じゃこう)」という地名があったらしく、
「雄蛇(おじゃ)」は「鬼蛇(おんじゃ)」の転嫁ではないかという説もある。

鬼蛇=角のある蛇=夜刀神(やとのかみ)

ということかもしれない。
夜刀神伝承のある行方市(茨城県)までは100kmほどあるが。

社殿の中には旧くて大きな祠が収められていた。
●雄蛇ケ池 水神社 水脈環境
千葉県東金市田中

周囲を森に包まれ、複雑な形をした雄蛇ケ池(おじゃがいけ)は
野鳥の宝庫のようで、付属の駐車場に野鳥の図鑑表示板があった。
釣り人も多く、フナやブラックバス釣りのメッカとして、知られているらしい。
駐車場から雄蛇ケ池の堤防にあがると、
足下はダムの壁のような状態になっており、
奥行きの深い湖面が広がっていた(写真左)

雄蛇ケ池の堤防を水神社の社殿に向かうと、
途中に絶滅危惧種とされているイチョウウキゴケの密集している淵があった。
(写真中)
この池では2006年2月に大学の研究者の指導で、
バスの生殖をコントロールするためのバイオマニピュレーション(生物操作)で、
30cm程度のソウギョ(コイ目コイ科ソウギョ亜科)を300匹ほど放流したらしい。
ソウギョは水生植物を食べるので、
水生植物が減りすぎないように計算しての放流だったらしいが、
水生植物の宝庫だったのが、
2008年5月の状況ではアオコが発生する状況になり、
雄蛇ケ池の水生植物の生態は危機的状況にあるようだ。

雄蛇ケ池に接して、建つ水神宮前から湖面を見下ろすと、
鳥居の目の下は湖面で、その向こうには対岸の豊かな森が広がっていた。
(写真右)
●すいじん(神明大神社) 境内
神奈川県川崎市中原区中丸子492

5月の中旬日曜日、バイクで川崎駅周辺から409号線を西に向かうと、
「中丸子神社(なかまりこ)」交差点右手に409号線に面して神明大神社の杜があった。
境内は背の高い雑木で覆われているが緑は少ない。
「中丸子神社」は
ここが橘郡(たちばなのこうり)中丸子村であったことによる別称のようで、
「丸子」とは平安時代の荘園「丸子庄」に由来する地名。
409号線は拝殿の裏面に当たり、
参道入り口は反対側の中丸子緑地に向かった東南を向いている。
ここの起原は本殿横に地上から3m部分だけが残された大楠があるが、
この樹は古くから「オシャモジさま」と呼ばれ、
子供の病気平癒、縁遠き女人の結縁祈願に霊験のある神木だった。
天正年間(1573〜1591)に、
この地に中丸子村の鎮守として羽黒権現宮が建立され、
オシャモジさまに白蛇が来て遊ぶという伝承が形成され、
「シメヨリ」という雄雌対の注連縄が奉納される
「オビシャ」行事が行われるようになった。
羽黒権現の霊験により、病気快癒、特に眼病にがあるということで、にぎわったようだ。
明暦2年(1656)になって、本殿と拝殿が造立され、
明治4年(1871)に祭神が八岐大蛇と関係の深い稲田姫命となるにともない、
神明大神社と改称されたもののようだ。
ここには池があったが、409号線建設にともない、その池が埋め立てられ、
その影響か、大楠は枯れてしまったという。
その埋め立てられた池に祀られていたのが「すいじん」だったようだ。

境内に面した路地に愛車を停めて脇の入り口から細い参道を通って境内に入ると、
銅板葺きの屋根に6本の鰹木を持った横拝殿と、
珍しい唐破風向拝の付いた流れ造りの本殿が境内の中央にあり、
拝殿脇からオシャモジさまや水神の社に向かう参道を進むと、
庚申塔、石碑、石祠が脇に並んでおり、ここが神仏習合の場であったことがわかる。
その脇参道の突き当たりに本殿と同じ方角を向いた、基壇の上に祀られた祠がある。
(写真左)
祠の前には参道を進んでくる方向を向いた「すいじん」と刻まれた
石造りの円柱石碑が立っている(写真中)。
この石碑、頭頂が折られたようになっており、
もしかすると鳥居の足か何かであったのかもしれない。

拝殿の正面に本来の参道が中丸子緑地に向かって伸びており、
両側は住宅で囲まれているが、入り口両側には角形石柱、
参道途中には石造りの靖国鳥居が立っている(写真右)。
入り口から杜を眺めると入り口周辺は広葉樹が多いらしく、緑が豊富だった。
●すいじん(神明大神社) 水脈環境
神奈川県川崎市中原区中丸子492

神明大神社の参道入り口から60mほどの地点に中丸子緑地があり、
中丸子緑道があることを知り、
6月の初旬に再度、バイクで、神明大神社に向かった。
神明大神社周囲の住宅を迂回して、参道の向いている中丸子緑地に着くと、
そこは、現在は中央にロータリーとなった遊歩道を囲むように
樹木の植えられた公園になっており、
その緑地の端を地下が暗渠になる緑道が通っている(写真左)。
夕刻で、人気はほとんど無かったが、公園のメンテナンスをしているおじさんが、
作業をしていた。
この中丸子緑地から多摩川までは150mほどで、
中丸子緑道地下の暗渠は中丸子緑地から800mほど流れて、多摩川に合流している。
中丸子緑道の暗渠の上流(写真中)をたどると、
現在は400mほど上流にあるNECエレクトロニクス本社敷地内、
あるいはそこを通過して多摩川に流れ込んでいるようだ。
多摩川は暴れ川で多摩川西側に、「上丸子」「中丸子」、
東側に「下丸子」という地名が分断された形で残されており、
NECエレクトロニクス本社の北1300mあたりに等々力緑地もあり、
中丸子緑道地下の暗渠は多摩川に平行して流れていることから、
多摩川の移動で残された水路である可能性もありそうだ。
遊歩道左右の紫陽花が満開になっていたので(写真右)、
ほかの花もあるかもしれないと思い、上流に少し辿ってみたが、
ほかの花は見られなかった。
●御井の神(伊太祁曽神社 摂社御井神社) 
和歌山市伊太祈曽558

3月下旬、6人で2台の車に分乗して
岩橋千塚古墳群のある丘陵地帯の南東の谷間に少し入ったところにある
伊太祁曾神社(いたきそじんじゃ)に向かった。
地元の岡さんに提供していただいたワンボックスは
表通りから素木の一ノ鳥居をくぐって、なだらかな坂道を進むと、
右側にやはり素木の二ノ鳥居の前を通りかかった。
参道には山吹色の「木祭り」の幟が並んではためき、
桜の花が咲き誇り、華やいでいた。
花びらはまだ散っていないから、これからさらに盛りを迎えるのだろう。
車は奥の駐車場に滑り込んだ。
透塀(すきべい)で囲まれた本殿で参拝して、駐車場に戻ろうとすると、
同行していたAさんが赤土の土手の隙間に向かってゆく。
その隙間の入り口には「御井の社(みいのやしろ)」の表示板と
青地に「いのちの水」と白抜きされた幟が左右に立っている(写真左)。
表示板には

・御井の神(みいのかみ)
・彌都波能売神(みずはのめのかみ)

と、祭神が書かれている。
左右の木の根が露出した土手の高さは2.5mほどで、
参道になっている隙間は幅2mほど、
参道は左右、上下にうねって、進むに従って、下っている。
下りきると左手に鳥居があって、くぐると、玉砂利の敷きつめられた境内があり、
中央にトタン屋根の設けられた御影石製の井戸があった(写真中)。
両方とも新しくてしっかりした造り。
地面はコンクリートでたたかれている。
井戸には大きな柄杓と漏斗が置いてあったから、汲んで行く人が多いのだろう。
井戸の奥正面に祠が祀られていた(写真右)。
やがて、ほかのメンバーもやってきて、B、C氏は恒例で、水を汲んだ。
●御井の神(伊太祁曽神社 摂社御井神社) 水脈環境
和歌山市伊太祈曽558

御井神社は伊太祁曽神社の外縁にあって、
東向きの祠と井戸(写真左)の正面には
伊太祁曽神社の境内に沿って道路があり、
水路(写真中/右)が切ってあった。
道路の向かいは畑地と住宅。
水路の水は多くはなく、ほとんど流れてはいないが、透明できれい。
水路は伊太祁曽の杜を迂回して流れる和田川に流れ込んでいるようだ。
●水神(加茂神社)
岩手県遠野市早瀬町四丁目5番25号

7月16日、バイクで遠野市を南北に抜ける遠野バイパス(283号線)の南側に面した
加茂神社に向かった。
拝殿前の由緒掲示板によれば、この神社の創建には2説あって、
文治5年(1189)に早池峰神社の末社として創建されたという説と
建武年中(1334〜6)に国代南部師行が
京都上賀茂神社の分霊を祀ったという説がある。
祭神は別雷命となっている。
表道路側には入り口が見当たらなかったので、路地に入って南側に迂回し、
畑作地と住宅の間の細くて荒れた農道に入ってゆくと、
林の入り口に素木の宗忠鳥居が立っていた(写真左)。
鳥居の脇には水路がある。
境内は雑草が生い茂り、まばらながら杉や赤松の老木が空に向かってそびえている。
鳥居前に愛車を停めて、参道を進むと、
途中右手の草むらの中に「水神」と刻まれた、ごつい石碑が立っていた(写真中)。
マムシがいそうな草むらを、おそるおそる水神石碑の方に入ってゆくと。
隣に祭神不明な小さな石祠が並んでおり、
その手前の足下に幅2mほどしかない石橋があるのに気づいた(写真右)。
現在は草に埋もれているが、かつては石橋の下を抜ける小さな溝があったのだろう。
●水神(加茂神社)水脈環境
岩手県遠野市早瀬町四丁目5番25号

水神石碑前の石橋下には水流は残っていないが、この石碑を迂回するように
幅2mほどの水路があり、少なくはない水量の水が流れている(写真左)。
鳥居脇のもっと大きな水路がここに続いているようだが、
この境内に沿った水路は暗渠となって遠野バイパス(283号線)下を潜っている。
MAPを見ると、この水路は遠野市東南部の山岳部から流れ出している早瀬川から、
分岐させ、猿ケ石川に流れ込ませている農業用水のようだ。
猿ケ石川は
遠野市北部の花巻市との境界に位置する薬師岳(標高1645m)を水源とし、
北上山地を南へ流れ、遠野市中心部で西へと流れを変えているが、
早瀬川の本流自体も700mほど下流で猿ケ石川に流れ込み、支流となっている。
●末社水神宮(千葉市 寒川神社)
千葉県千葉市中央区寒川町1-123

千葉港に沿って走る357号線からバイクで寒川神社に向かう路地に入ると、
参道らしき路地は一方通行で入れず、路地を迂回して
寒川神社(さむかわじんじゃ)の一ノ鳥居前に出た(写真左)。
鳥居は石造の神明鳥居で、入り口両側に千葉氏の家紋として知られる
月星紋の入った純白の幟がはためき、
生け垣には、やはり純白の提灯が並んでいた。
境内前の道路に面した駐車場に愛車を停めた。
曇天で、日が落ちているのは見えないが、かなり暗くなってきていた。
縁起によれば「寒川神社」という社名になったのは明治元年のことで、
もとは神明神社、あるいは伊勢明神と呼ばれていたが、
現在は天照大神を主神とし、
脇に寒川比古命(サムカワヒコ)、寒川比売命(サムカワヒメ)を祀っている。
由緒書きには「たびたび火災にあい」とあるが、
境内は由緒のある神社にしては古木を含めて旧いものが見当たらず、
清掃が行き届いていて、清潔感があった。
昭和期までは境内に豊富な湧き水があったらしく、井戸があったという。
この北400mあたりにある厳島神社では現在も湧き水があるので、
この地域全体が湧き水の豊かな場所だったようだ。

この神社の入り口脇に白い玉砂利を敷いた一画があって、
石碑や常夜灯が並んでいるが(写真中)、中央に「水神宮」と刻まれた
屋根付きの石碑と石祠が前後に並んでいた(写真右)。
●末社水神宮(千葉市 寒川神社) 水脈環境
千葉県千葉市中央区寒川町1-123

寒川神社一ノ鳥居から南西の千葉港までは250mほど、
間に357号線と高架の京葉線が通っている。
千葉港に向かい、京葉線のガードを潜ると、波止場に出たが、
千葉港の水はドス黒く、対岸に川崎町の工場(東日本製鉄所)が見える(写真左)。
左方向には
「海上災害防止センター千葉基地」と染められたテントが張られた船が浮かび、
その向こう側の埋め立て地の陸上にランチが何艘も陸揚げされている(写真中)。
右手にはクレーン車の乗った桟橋が沖に向かって伸びていた。
●駒門 水神社
静岡県御殿場市駒門

東名高速と246号線がクロスした、東名高速後架下に矢場居交差点があり、
そこからUターンして246号線を信号2つ下り、
東に折れて130mほど水田に沿って走ると、電子地図でチェックした地点は
その先の水田地帯の中を通る未舗装の農道の先80mほどの場所で、
小さな杜らしきものが見えた(写真左)。
こうした平地にポツンと杜がある情景は、個人的に妙に魅力を感じる。
杜の手前で愛車を停めて、そこに近づいてゆくと、
森の前に真新しい石造明神鳥居と石祠が南西(駿河湾方向)を向いていた(写真左)。
鳥居の台石はコンクリートでたたかれた境内と一体になっているために
改変前のまま流用されている。
本殿石祠は大きな屋根を持ち、りっぱな基壇の上に祀られている(写真右)。
本殿の隣には地面に直接小祠が祀られているが、祭神は不明。
●駒門 水神社 水脈環境
静岡県御殿場市駒門

駒門の水神社の杜の背後には片側だけ護岸工事のされている
水量の多い川が流れているが(写真左)、川名は地図に表示されてなく、不明。
御殿場は川筋の多い場所だが、
全部、もとは富士山の伏流水であるのは間違いないだろう。
杜の右脇にはその川の水を水田に引き入れるための立派な水門があり(写真中)、
ここの水神はその水門に由来して祀られたもののようだ。
水門から流れ落ちた水は水田に沿って石垣で護岸された用水路(写真右)を通って、
200mほど下流でふたたび元の川に戻っているようだ。
●境内社水神宮(八剱神社)
愛知県蒲郡市三谷町七舗139

蒲郡市の市街地を走っていると、
いつも三谷町で石造の大鳥居の前を通過するのだが、
東京都の移動の途中では、中途半端に実家に近いことから、
ここで、時間を取る気にはならなかった。
住居の移動で、ここを通ることが無くなる可能性があったので、
覗いてみる気になった。
5月下旬のことだった。
大鳥居の扁額には「八??」という崩した字があるが、八幡社ではなさそうだった。
(写真左)
玉垣で囲まれた駐車場に入ると、駐車場は砂地になっていたが、
前日の雨で、大きな水たまりがいくつもできている。
地図をチェックすると、もっと奥に駐車場があったので、
いったん境内を出てそっちに向かった。

大鳥居から拝殿まで160mくらいある懐の深い神社だった。
最奥の駐車場から水の流れていない石橋が渡してあって、
石橋の先に石造の二ノ鳥居があり、
こちらの扁額は「八剱神社」と4文字になっている(写真中)。
大鳥居の方は「八剱宮」だったようだ。
二ノ鳥居の両側には二つ目の玉垣が巡らされていた。
拝殿は真新しく、神馬像が見える。
この神社は境内社が多く、源太夫神社、諏訪社などが多数祀られていた。
境内の隅に、参道に向かって石造の明神鳥居があり、
「水神宮」の扁額が掛っていた(写真中)。
奥正面の自然石の大岩の上に真新しい石祠が祀ってあるのだが、
その周囲には高さ1.5mほどだが、白壁塀が巡らせてあり、
塀には瓦まで乗せてある。
塀の敷地内には海岸か河原をイメージさせる自然石がまばらに敷きつめられていた。
すぐ背後は境内外の住宅だが、水神宮周囲の砂地には熊手の線が入れられており、
海岸にいるようで、小さいながらも神々しい光を感じさせる神社だった。
●境内社水神宮(八剱神社)水脈環境
愛知県蒲郡市三谷町七舗139

地図で初めて八剱神社の場所をチェックして、
大鳥居から湾まで60mしかないことを知った。
湾まで行ってみると、コンクリートの堤防が巡らされた湾内には
一人乗りにしか見えないボートが何艘も係留されていた(写真左)。
堤防の先の海上に瓢箪型の島が見える(写真中)が、それが三河大島だという。
岸から3.4kmほどの場所だが、無人島で海水浴場として知られているようだが、
ちょうど、八剱神社参道の延長上にある。
大島神社という神社があるようだが、祭神は不明。
八剱神社から東南1.4kmほどの陸側に應神天皇を祀った若宮神社があり、
2社の間で三谷祭(みやさい)と呼ばれる例大祭が行われている。
この祭は4台の山車が氏子に引かれながら300mに渡って海中渡御を行う、



山車が海中渡御を行う例はほかに無いと言われている。
●末社水神社(引馬神社)
愛知県豊川市御津町御馬梅田1

蒲郡市から23号線で豊川市に入り、
後で調べてみたら、御津町御馬(みとちちょうおんま)という、
まず、だれも読めないだろうと思われる町名の町にさしかかると、
23号線に面した杜がある。
入り口には大きな鳥居が立っているが、
道路にはガードレールが切れ間無く巡らせてあって、入るのを通せんぼしている。
しかたなく、入り口をやり過ごして、
神社の隣の人家とガードレールの間の狭い歩道に愛車を乗り上げた。
鳥居前に立つと、明神鳥居だった(写真左)。
その奥には森があるだけで、建物は見えない。
鳥居の扁額には読めない文字があったが、
それは「引馬神社(ひくまじんじゃ)」だった。
「引馬」の名称は万葉歌に「引馬野」という地名が詠まれていて、
その「引馬野」がこのあたりとする説があり、そのことに由来しているという。
鳥居をくぐると、90度左方向に鉄筋の拝殿があって、
手前に素木の明神鳥居が立っていた(写真中)。
貫にくさびが使ってなく、両端の木口に銅のキャップが被せてあり、
笠木には銅板が葺いてある。
その鳥居をくぐった正面の神殿には、 現在は須佐之男命ほかが祀られているが、
『引馬神社案内』には一説に正歴(しょうりゃく)二年(991)に
京都祇園社より勧請され、江戸期最終年までは牛頭天王社だったとあった。
拝殿左手に参道に向かって末社7社を収めた建物があった。
その建物も鉄筋だったが、正面の格子戸だけは木造時代のものが流用されている。
格子から中を覗くと、水神社を中央にして7社の祠が収められていた。
●末社水神社(引馬神社)水脈環境
愛知県豊川市御津町御馬梅田1

地図をチェックすると、引馬神社から200mほど西は海岸だった。
路地を抜けて海岸まで出てみると、遠浅の海岸らしく、潮が引いていた(写真右)。
中央は太平洋に通じていたが、左右方向は埋め立て地となっている。
左の埋め立て地、御津町佐脇浜側に風車が一基(写真中)あるが、無風だ。
ここの海岸の砂は白く、散乱している貝殻は新しいものはほとんど見当たらない。
波に打ち上げられた木片の中に今が最盛期の浜昼顔が花を開いていた(写真右)。
●荒子川水神社杜
愛知県名古屋市港区十一屋1丁目

1月の下旬、少し遠出をするためにバイク用ヘルメットを新調することにし、
金城ふ頭(港区)にあるバイク用品量販店バイクセブンに向かった。
南区から港区へは自動車専用道路名四国道があるので、
あっという間に着けるのだが、
この道路、東名高速より狭いのに、全車、東名高速より飛ばしていて、
愛車をゆったり、気楽に走らせて店に向かうことができないのが難点だ。
名四国道を降り、金城ふ頭線に入り、
のんびり、バイクセブンに向かっていると、樹木の切れ間に白い鳥居が見えた。
覗くためにそこに寄って行くと、
町内の公園のような平地の入り口に石造の明神鳥居が立っていた(写真左)。
社号票には「荒子川水神社」とあり、正面の石垣の上に本殿がある。
鳥居をくぐると、本殿の裏がバイクセブンであることがわかった。
大きくはない本殿はしっかりした石組みの石垣と石段を持っていて、
その塚を田楽形に剪定された椿とおにぎり形に剪定された樹木が彩っている。
(写真中)
本殿の後ろにはイチョウ。
この神社の前の路に沿って荒子川から引き込んだ、十一屋川があり(写真右)、
水神社のある住宅街ブロックがかつて水田であったことは容易に想像できる。
十一屋川は土手がコンクリートブロックで整備されており、
川の南沿いに十一屋川緑地がある。
昼下がりの時点では、水はほとんど流れていなかった。
●大手町 水神社
静岡県沼津市大手町4-2-14

9月初旬快晴 バイクで名古屋を出発し、
東名高速道路で宿泊予定の沼津に向かった。
東名から降りて、沼津のカプセルホテルの場所をチェックした時には
pm2:00になっていた。
カプセルホテルに駐車場が無いので、そのまま、バイクが無料駐車できる場所を探しに
南に位置する中央公園に向かった。
中央公園は伊豆の清流・狩野川(かのがわ)に面しており、
体験的にバイクの無料駐車ができるスペースがありそうだと感じていたからだったが、
地図で場所をチェックしているうちに、狩野川に架かる中央公園内の橋のすぐ脇に
「水神社」とあるのを発見した。
ホテルまで徒歩で620mあまりの距離で、遠くはない。
愛車でそこに向かうと、水神社は
表通りから入る「川郭通り」と呼ばれる扇型の路地に存在することがわかった。
現在、扇型は東海道(360号線)と153号線の交差する大手町交差点を中心にして
狩野川に向かって開いた270mほどの、お洒落な石畳の路地になっている。
公園内の案内板により、
この川郭通り(http://bit.ly/RJyymB)が旧東海道であったことがわかった。
そして、中央公園はここ沼津が城下町となった元になる
沼津城の本丸跡地であることがわかった。
153号線から360号線に向かう川郭通りに入ってゆくと、
通りの上を狩野川に架かる、あゆみ橋が通っており、
その橋下に自転車やスクーターが駐車されているスペースがあった。
しかも橋下で雨も防げる絶好の環境だ。
駐車場をチェックして、橋下を過ぎるとすぐ、右手(南)の狩野川堤防沿いに
石垣の上に鰻の寝床のような社地があり、その片隅に銅板葺流れ造素木の祠が
不釣り合いなほど大きな石垣の基壇の上に祀られていた(写真左)。
境内の長辺は40mほどだ。
鳥居は無く、石段は3段のみ。
樹木はシロダモのような樹木が2本延びているのみで、
祠の隣にはアルミ製の納戸がある。
境内中央を縦断するように幅2mほどのコンクリート舗装の参道が
本殿(写真中)に向かって延びている(写真右)。
地面部分には全面に砂利が敷きつめられている。
堤防上から境内に入場できるのではないかと、
境内に面したコンクリートブロックの壁をよじ登ってみると、
社地はちゃんと囲いなどで仕切られており、
社頭の3段の石段からしか境内に入れないようになっているのがわかった。
●(大手町 水神社)狩野川
静岡県沼津市大手町

コンクリートの塀越しに向こう側の狩野川(かのがわ)を見下ろすと、
堤防はコンクリートで護岸された中央公園の続きになっており、
下流方向(南)に公園内から延びる、
あゆみ橋の掛っている風景を望むことができた(写真左)。
上流方向(東)を望むと右岸(東)に標高193mの香貫山(かぬきやま)が迫っている(写真中)。
次の日の夕刻、あゆみ橋上から上流を望むと、また異なった表情を見ることができた。
(写真右)
古くから洪水が多かったことで知られる狩野川の流れも、この辺りでは穏やかだった。
Wikipediaによれば、狩野川流域は環境的に降水量が多いこと、
源流となっている伊豆半島の最高峰、天城山の標高が高く(標高1,405m)、
流れが急であること、この流域の地質が火山性地層で崩壊しやすいことなどが、
洪水の要因になっていたという。
それと、狩野川の流域面積は静岡県の面積の11%を占めるほど長大だということも
“洪水が多かった”ということに関っているのだろうが、
水源から海までの距離の割りに流域が“長大”であるということは
流れに蛇行が多いということでもあり、その蛇行が多いことも
洪水が起きやすい条件なのだろう。
天城山の源流部は全国一の生産額を誇るワサビ栽培が行なわれ、
清流であることを示しているが、
そのことは狩野川が鮎の友釣り発祥地となったことにも関っている。
さらに、狩野川は太平洋側で北流する唯一の河川だと言う。
このことは天城山が標高の高い山であることを示しているのだが、
天城山の標高の高い要因はフィリピン海プレートが日本列島に移動してきて、
本州側のプレートに衝突し、隆起したことによる、特殊な情況による。
●猿投町 水神
愛知県豊田市猿投町大城

10月初旬 晴れ 午後
涼しくなってきたら登ろうと考えていた三河の霊峰、猿投山(さなげやま)へ
甥の車でいっしょに向かった。
南の麓にある猿投神社に挨拶をして、
舗装された東海自然歩道を緩やかに北に上がって行き、
猿投山登山者用駐車場に入った。
ここから徒歩で東海自然歩道をさらに北へ上がってゆくと、
すでに下ってくる、何組ものグループとすれ違った。
駐車場から550mあまりの右側(東)の土手に
「水神」と刻まれた板碑と石祠が祀られていた(写真左)。
板碑は碑前に榊が生けられているので、社号標ではないようだが、
そうなると、石碑の方は水神ではない可能性もあるのだろうか。
地図表記もただ「水神」となっている。
板碑、石祠とも道路の方ではなく南の方に向けて祀られている。
東海自然歩道を挟んで水神の向かい側(西側)には痩せた竹薮の土手があり、
土手の麓には幅1mほどしか無い猿投川が流れているが、水量は多くない(写真中)。
さらに100mあまり上がってゆくと、東海自然歩道は橋で、猿投川を越えていた。
橋上から猿投川を見下ろすと、このあたりで、川幅は2mほどだった(写真右)。
水神社(大井町)



東京都品川区大井5丁目14-9






 子供の頃から散歩が好きだった。実家は品川区の立会川…大井競馬場のすぐ近く。旧東海道沿いですぐ近くに鈴ヶ森の刑場跡があった。家から大森まで20分ほど 江戸時代の遊廓跡やサッポロビールの工場を抜けると 京浜東北線の線路に貼りつくように水神公園という長い公園が横たわっていた。

 公園の近くに水神社があった。木がこんもりとして溶岩で道が作られている。昼でも薄暗い場所。

 1685年(江戸時代)に村民たちの手によって水神(九頭龍権現)を祀ったのが起こりである。湧水はまた「柳の水」とよばれ雨乞いや歯痛を止めるのに効果があると信仰を集めたという。岩場から湧き出る水は境内を流れる小川に溢れて小さな池があったように記憶している。

 江戸時代この周辺は農村地帯・湧水は灌漑用水として利用されていた。実家のある旧東海道は明治時代まで道のすぐ向こうは海だったと云うから漁業と農業で生計を建てていたのだろう。

 明治時代までは雨乞いも行われていたそうである。
明治に…と云うからおそらく廃仏毀釈の影響でご祭神が罔象女神(みづはのめのかみ)に変わった。罔象女神は吉野にも坐す雨師の神さま・雨と治水を司る龍神である。高龗神・闇龗神・罔象女神…もとは同じ神だったのを三つに分け名前をつけたのかもしれない。

 九頭龍は箱根の芦ノ湖に坐す龍神さんで毎年一人ずつ生贄を貰い治水を護っていたが呑龍上人により調伏され芦ノ湖の湖底に繋がれていると伝わる。

 元々はこの湧水に坐した土地神(治水の神)に九頭龍さんの名を被せ さらに明治政府の都合で罔象女神を割り当てたのであろう。
地主神は年老いた静かな龍神で穏やかな神のように感じられた。
私はこの水神さまが大好きだった。

 神社のアプローチが溶岩で作られているのはおそらくは富士講の名残であろう。水神社だけでなくこの周辺には富士塚が多く存在しており江戸時代には富士がよく見えたはずである。

 参道にはリュウノヒゲが植えられていた。
これは人の頭で夜になると地面から抜け出してその辺を徘徊するという幼稚園の友人のホラーめいた講釈を信じていた私は参道のリュウノヒゲを見ながら夜の神社を想像してワクワクした。

 家から大森まで子供の足で20分ほど。よくひとりで散歩に出かけた。
途中 華街のあった界隈を抜けこの水神社に立ち寄って水神さんに参拝した。小さな子供がもっともらしく拝んでいる姿は滑稽だったにちがいない。

 2009年に吉野の丹生川上神社で罔象女神に出会い 昨年 (2011年)芦ノ湖の九頭龍神社で九頭龍さんとご縁をいただいたと思い込んでいたが実は子供の頃から大井の水神さまを通して繋がっていたのだろう。

優しい水神さまは今も大井の地を護っておられるのだろうか?

龍神の水は1975年頃には涸渇。現在は地下水をポンプで汲み上げ井戸や手水に供給しているそうである。
>吉祥さん

書き込みありがとうございます。

>実は子供の頃から大井の水神さまを通して繋がっていたのだろう。

こういうこと、ありますね。
づっと、つながっていてくれてる。
その間、知らないうちに面倒を見てもらっていたりする。
>>[65]
上記住所、修正です、
「東京都品川区大井5丁目14-9 」
↓
「東京都品川区南大井5丁目14-9 」
●今村八王子神社 水神
愛知県瀬戸市城屋敷町16

今村八王子神社(写真左)に初めてやってきたのは3月の初旬だったが、
この時は北側の瀬戸街道からやってきたので、
今村八王子神社の北西の角にある三角形の池の前を通って、
社内に入ったのだが、
その時は,その池が(尾張)今村城の濠跡であることも、
そこに水神が祀られていることにも気づかなかった。
その後、今村八王子神社が今村城跡であることを知って、
6月中旬にふたたび今村八王子神社に訪れた。
今村八王子神社の社頭は南側にあって、石造の一ノ鳥居があり、
鳥居のほぼ一直線上にある拝殿(写真中)までは80m以内。
祭神は八王子のほか脇殿に親神2柱。

・天之忍穂耳命 ・天照皇大御神
・天之菩碑能命 ・須佐之男大神
・天津日子根命
・活津日子根命
・熊野久須毘命
・多紀理毘賣命
・多紀都比賣命
・市寸嶋比賣命

池を見に行くと、3月にやって来た時よりも水位が下がっており、
池の中央に突き出ている小島に接近できることが判かり、
池の端は地面が露出しており、そこに降りられることが判った。
そこには2基の「水神」とだけ刻まれた石碑が立てられていた。
(写真右)は自然石をそのまま使用した石碑で、
基底部はコンクリートで固めてあり、水かさが増せば、
水面に突き出た形になるものと思われる。
この石碑は池の南側の護岸の石垣を背にして石垣の近くにあり、
文字面は表道路から見えるように設置されているようだ。
もう一基の加工された板碑の水神碑は少し、池の中側に設置されていて,
「神」の文字の半分までが池底に滞積した砂に埋まっており、
池底に繁殖している水生植物の葉に囲まれている。
文字面は社内の岸の方を向いている。
(写真右)の石碑の方が旧いものだ。
●今村八王子神社 水神 水脈環境
愛知県瀬戸市城屋敷町16

今村八王子神社の本殿裏面の、
もとは(尾張)今村城の土塁だと思われる上から見下ろした三角形の池には、
隣の駐車場と表道路に面した角に5mくらいありそうな石碑が立っているので、
表道路に出て、その石碑を見にいった(写真左)。
そこには「松原廣長公城跡」と刻まれていた。
その石碑を見にいったことで、池に突き出た石の桟橋(写真中)に
石造の神像が置かれていることに気付いた(写真右)。
それは亀をベースにした竜神(水神)で、貨幣のようなものを積んだ上に乗り、
その背中には子亀が乗っていた。
桟橋だとばかり思っていたものは小島とそこに渡る石橋であり、
石橋の幅と小島の直径がほとんど変わらないため、桟橋に見えていたのだった。

ログインすると、残り35件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

水流と水神 更新情報

水流と水神のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング