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リレー小説作成会場コミュの『マジで幸運の壺』

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幸福はお金で買えるだろうか。

 超大型ユニット『人類』が100万年近く前に霊長類プロダクションから生物界へデビューして以来、幾たびも議論されている事だが未だ結論は出ていない。
 おそらく未来においても問われ続ける永遠の命題だろう。
 人間らしい生活を送るために、最低限の財産が必要なのは言うに及ばない。
 無くては生きていけないし、人生を豊かにするための趣味やゆとりにも何かと関わってくるのだから。
 しかし、お金だけで幸せになれるかといえばそんな事もない。
 買えない幸せも沢山あるからだ。
 奸佞邪知で弱者からふんだくった富を握りしめ、心許せる者のいないまま孤独な人生の終熄を迎える事があれば、それは幸福とは言い難いだろう。
 畢竟、バランスが大事で幸せの形も人それぞれという事かもしれない。

 だが幸福を金で買おうとして、誤って不幸になる事は大いにある。
 その事はこの青年、本庄慶一(ほんじょう・けいいち)の境遇が大いに物語っていた。



 にべもしゃしゃりもないマンションの一室。
 掃除は綺麗にされているものの家具が一切無い。
 戸籍上は本庄慶一の住所なのだが、現代人の生活環境として殺風景すぎる。
 ある物と言えば、天井からぶら下がった荒縄と、飾り気のない壺が一つ。たったそれだけだ。
 ……天井から垂れ下がった荒縄。
 こいつが住人の境涯をシンボライズしていた。
 先っぽは当然輪っかになっている。
 それで虚ろな表情で輪っかに手をかけているのが件の慶一だ。
 こんなもんの使い道は人間界に2つと無いだろう。
 そう。
 人呼んで、てるてる坊主ごっこ。
 浮き世の辛さににあまりにも絶望した人が、ちょっと疲れたのでやめます、とばかりにてるてるスタイルで己の人生を閉ざす所行。
 慶一はこれからてるてる坊主ごっこを敢行するつもりなのだ。
 本庄慶一。17歳。
 学校は経済的理由で退学したが今年の始めまでは高校3年生だった。
 両親は幼い頃に亡くした。
 6歳の時住んでいた家が火事になり、彼一人が助けられた。
 以来、慶一は祖父母の家で育てられ。
 慶一は我が儘を言わなかったし、祖父母も慶一を本当に愛してくれた。おかげで幼くして両親を喪ったにも関わらず、非行に走ることもなく満ち足りた少年時代を送ることが出来た。
 だから、やがては自分が二人に楽をさせてやるのだと当然思っていたし、そんな将来を信じて疑わなかった。
 3ヶ月前までは。
 しかし慶一の祖父母は、孫が立派な大人になるのを待たずに鬼籍に入ってしまった。
 服毒自殺。
 まあ、当時の状況からすれば無理もないだろう。
 インチキ業者に騙されて悪徳金融業者からの借金が嵩み、にっちもさっちも行かなくなったのだ。
 禍根の品は、『幸運の壺』。
 浮かばれない先祖の霊を鎮めるだけでなく、数多の霊障を悉く退け、さらには雪崩の如くに幸福を呼び込んでくれる有り難〜い商品。本来300万円は下らない代物であるところ、これは困っている人を救うための慈善事業だからと、特別に200万円で提供してくれた。
 ……らしかった。
 ある日の昼下がり、丁度家にいるのが老夫婦だけになる時間帯を見計らって訪れた販売員。
 販売員は慶一の両親が火事で死んだこと、お婆ちゃんの腰の痛み、お爺ちゃんの肝臓炎など、この家の不幸を全てぴたりと「言い当てた」。
 それらは全て、ぞんざいに扱われた先祖の霊が怒っているからだという。
 慰めるにはその壺を買うしかないらしかった。喪った慶一の両親や先祖の眠る仏壇に、慶一達家族が線香を立てない日は一日も無いにも関わらず、である。
 二人は自分達は不幸になっても構わないと思ったが、霊の怒りは弔うまでは決して止まない、あなた方のお孫さんまで必ず祟り続けますよ、と弱みを突かれて陥落した。慶一のまで不幸になると言われては、平静を保てなかったのだ。
 今まで贅沢一つせずに、自分の将来のためにと倹約と貯蓄をして来てくれたお爺ちゃん達である。そんな二人が満足するなら、その壺が例え本当に霊験を持ってはなくとも、買っても別に構わない。慶一は始めはそう思った。
 だが、壺は決して二人を幸せにはしちゃくれなかった。
 地獄が始まった。
 払っても払っても出口の見えない、借金の禍つ監獄(ひとや)に堕っこちた。
「金払え」等といった内容を赤いペンで書き殴った紙が、毎日毎日暴力的な量でドアの郵便受けにねじ込まれる。
「近所の皆さーん! この部屋に住む本庄さんはー! 人から借りた金を返さない人でなしでーす!」と、柄の悪い男が拡声器で日夜構わず怒鳴り散らす。
 そんなもんだから親しくしていた人達もぽつりぽつりと離れていく。
 やがてそんな日々に耐えかね、祖父母は自らの命を絶った。
 保険金を返済に充てようとしての事だった。
 慶一の成長を何より楽しみにしていた二人は、それを見届けずに死んだ。
 真面目に生きた彼らなので、保険金はかなり纏まった額が降りた。
 しかしまともに計算すればどう考えても払い切れる額にも関わらず、彼らは取立を続けた。何だか分からない一方的な計算を振りかざし、利子を指数関数的(アホみたい)に増やし続けた。
 相手が血の通った人間であることすらも分からない、本当に頭の悪い数学。通っているのは単なる暴力の論理でしかなかった。
 勿論、騙される方にも落ち度はある。
 しかし慶一は、自分をここまで大きくしてくれた肉親を、死んだ後まで恨む気は無かった。今となっては憐憫の意こそ涌けども恨みは全く感じない。
 悪徳業者に過去の経歴を調べ上げられ、家系や身の回りの不幸を全て「言い当て」られる。普通の老人ですら騙される手口なのだから、本当に不幸の渦中にいる二人が騙されるのも無理はない。
 ただ一時期、あまりの辛さに祖父母に当たってしまったことがある。それだけが今となっては心残りだった。

 ――馬鹿じゃないのか。そんなインチキ商品で幸せになれるわけないだろ!
 ――あんたらのせいで、俺まで不幸になっちまったじゃねえか!

 ある時訪ねて来た霊能者の言葉が、あまりに身内の不幸に符合するものだから、孫を思うあまり思わず縋ってしまった。
 その当の孫に否定されたのである。
 しかし慶一の怒りは尤もなので、自分達はただ受け入れるしかない。
自分達も騙されて悔しかったはずなのに。
 慶一の不幸が、自分達の不幸の何倍も苦しかったはずなのに。
 その痛みの自乗は、察するに余りあるものである。
 心の支えの最後の1本までもへし折られた思いだったろう。
 慶一も落ち着くと激情に任せて痛罵した事を反省したが、結局謝る機会のないままに二人は逝ってしまった。
 お爺ちゃん達は謝罪の言葉を受け取らずに、罵倒だけを墓場まで持って行ったのだ。
 行き場を喪った言葉は、今も亡霊のように慶一の胸を彷徨っている。

 慶一は回想から還る。
 何度も何度も何度も繰り返した後悔。
 だけど、それもこれでおしまい。
 このロープに首を通してぶらーんとやれば、もう悩むことは何もないのだ。
 椅子なんていう上等な踏み台は無いので、拾ってきた雑誌の束の上に足を乗せる。
「お爺ちゃん、お婆ちゃん……」
 お爺ちゃん達は壺を買った。何の役にも立たない、ただの壺を。
 悪いのは二人じゃない。悪いのはお爺ちゃん達を騙したヤツだ。そんな事は分かっていた。分かっていたはずなのに。
 一生懸命働いていたのに。
 戦争を経験して。何とか生き残って、俺を育てるために人一倍頑張って働いて。ようやくちっぽけな平穏を掴んだと思ったのに。
 絶対幸せにならなきゃいけない人だったのに。
 いや、誰よりも、自分が幸せにしなければならなかった。
 なのに自分は二人に何をできたか。何をしてしまったか。
 自罰の重みが怖くて、思い返すことが出来ない。
「折角育てて貰ったのに、ごめん……。酷いこと言って、本当に、ごめん……」
 何度繰り返したか分からない、届かない謝罪。
 ――殺風景な部屋に、壺が一つ。これが最後の光景だ。
 不幸この上ない「幸運の壺」は見る度に嫌な気分になるのだが、ただ一つ残った祖父母の形見なので処分する訳にもいかず、結局自分の死に際まで所有することになってしまった。
 これぞ本当の呪いの壺。なんて、冗談にもならない冗談を思いつく。
「……でも、謝りに行くから。今から、そっちに行く」
高校を退学するときに最後に校門をくぐった、悔しいような、ほっとしたような気分。
 それが今自分の人生に重なって見える。
 この部屋縁起悪くなるだろうなぁとか、住居人来なくなるかなぁとか、後始末をする人には少々申し訳なく思ったが、これから死のうという状況ではそこまで他者を気にする心のゆとりはなかった。
 戸外から烈しく玄関を叩く音がする。
 客としてのマナーがあったもんじゃない、乱暴な打撃。足で蹴っているようにも聞こえる。
 間違いなくいつもの奴らだ。
「いるのか! いるんだろう! 開けろ! 居ないふりをしても無駄だ!」
 そんなにムキになって、一体玄関の扉に何の恨みがあるのやら。
 慶一は一瞬目をやるが、すぐに縄へと視線を戻す。
 死を覚悟すると不思議なもので、昼は終日(ひねもす)夜は終夜(よもすがら)怯えていた取立人達も今では目の前を飛ぶ蝿のように気にならない。
 今はもう、瞼の裏で微笑む家族だけが全てだった。
「あっちの世界で、家族全員仲良く暮らそう。今度はもう、俺達家族を不幸にする物は何もないんだからさ」
 とうとう乱暴な音と共にドアが開く。どうやら鍵ごと破壊されたようだ。
 閉め切った室内に外気が押し寄せ、逆光の中に人影が見えた。
 扉を蹴り壊した男は慶一の姿を見るなり嫌らしい笑みを浮かべる。
「兄貴、このガキやっぱり居留守でしたよ!」
 派手なシャツ、派手なアクセサリーの見るからに柄の悪い男達が、次々と無遠慮に踏み込んでくる。土足である事は言うに及ばないだろう。。
 その数4名。
「ん?」
 だが慶一がまさに縄に首を通さんとしているのを見るや、4人は固まった。
「……まさか、てめえ」
 今まで獲物だと決めつけ、人の尊厳すら認めなかったような相手でも、ロープを首にかけ首を吊ろうとしているのを見ると戸惑うらしい。おかしな理屈だ。
 慶一は、自分で追い詰めておきながら何を、と彼らを滑稽にすら思った。
 丁度いい。
 奴らがいる前で死んでやれば、周囲の目には彼らが全員関係者だと映るだろう。ともすれば何かしらの沙汰が下るかも知れない。
 喉元から乾いた笑いが零れる。
 相手は泡を食っている。いざとなると何も出来ない奴め、ざまあみろ。
 やられっぱなしの無力な身だけど、夢にくらいは出てやるぜ――。

 慶一は力一杯、自分を支える踏み台を蹴飛ばした。
 ――取立人の男達が眼を見開くのが見える。
 ――踏み場を無くした身体が、堕ちる。

 ――慶一の世界から、一切の音が断じた。
 
 




 その時、辺りが煙に包まれた。
 気付いた時には床一面に。
 意識した時にはもう部屋中に煙が充満して、視界が白く閉ざされている。
 ――どこからだ!?
 取立人達は見回すが、何もかも真っ白で出所が分からない。親分格の男が素っ頓狂な声を上げた。
「な、何だぁ!?」
 此処にいるのは自分達とあの首を吊ろうとしていた青年だけのはず。
 奴が自分たちを油断させて何か手を打ったのか。
 幾つもの可能性が出ては引っ込む。
 辺りからは咳と狼狽の声。
 そうしているうちに段々煙は薄れていく。
 奥に不審な影が見えた。しかし、人にしちゃ妙にデカい。
「……熊? いや、まさかな」
 煙はようやく晴れた。
 そして中から、浅黒い肌の筋肉隆々の男(マッチョ)が現れたのだった。
「な、何?!」
 2メートルはあるであろう巨躯に、ダビデ像さながらの肉体美。眉毛は太く、歯は大理石のように光沢を放つ。光りまばゆい禿頭に黒髪が一房だけ残り、後頭部で馬の尾の様に束ねられている。
 アンドロゲン(男性ホルモン)の湯気が立ち上るような肉体を鎧うものは、純白のブリーフ1枚のみ。
 そして彼は煙の中で慶一を首吊り縄から解放したらしい。
 哀れにも震える慶一をお姫様だっこで起重している。
「て、てめえ! 一体何もんだ」「どこから現れやがった!?」
 柄の悪い男達が、強張って動けない慶一の疑問を代弁する。
 摩訶不思議なことのありさまに、気が気でないのは慶一も同じ。
 首を吊ったと思いきや、気がつけば謎のマッチョに助けられお姫様だっこされているのだ。
 恐怖のあまり呼吸ができないという点においては、今も首吊りと変わりゃしない。
「…………」
 マッチョは自分の背後に慶一を優しく横たえると、先の男達の問いかけに答えるが如く、ゆっくりと上を指差す。
「て、天…?」
 呆然と立ち竦む男が、ひょろ長い声を漏らした。
 マッチョは頷くと、ゆっくり指の差す向きを変える。
 その先には、この部屋の唯一の物品「幸運の壺」が転がっていた。
「壺ぉ…?」
 怪訝そうな顔で別の男が漏らす。
「いかにも!」
 野太い声が轟き渡る。マッチョの声だ。
 その気迫に空気がびりびり震える。
「私は『力の壺』の精霊。主の危機に際し、ここに参上!」
 霊感商法の壺しか無い部屋から、煙と共に突如現れた怪しげなブリーフのマッチョ。
 男達は面食らって眼を白黒させている。
「天界におわします神は、ある時、苦しみに溢れた人間の世界を見下ろし嘆かれた。それで、この世界に僅かながらも幸福の灯火を灯そうと、ご自身の力を封じ込めた『幸運の壺』を作られたのだ。そして再び地上をご覧になり、中でも特に目を惹いた不幸中の不幸そうな者達にそれを送られた。重ねて言おう、私はその壺の精霊だ!」
 弁じるブリーフ男。
 見た目が怪しいと思ったら、話す内容はもっと怪しい。
「ああ、何言ってるんだてめぇ?」
「『幸運の壺』なんて、馬鹿な年寄り騙して金を奪い取るだけのもんだろうが!」
 だがマッチョは「ふん」と鼻笑いで退ける。
「そんなものは貴様ら人間が勝手にやった事だろう。神の世界の理は関係ない。だが、そうだな。言ってみれば『マジで幸運の壺』といった所だ」
 そう言うとマッチョは、急性言語失調症善と闘病中の慶一に向き直る。
「我が主よ。私が来たからにはもう安心」
 天井から吊る下がったロープを掴み、気合いと共に引きちぎる。
「ぬん!」
 ブチリ!
 この世ならざる音がした。
 おいおい縄だぞ縄! ってツッコミたいが、目の前の現実には否定の余地がない。
 ブリーフマッチョは放心状態の慶一に構わず、続ける。
「とにかく、貴様ら。このお方から借金の取り立てをするのはもうやめろ! 払えない相手を脅して金を巻き上げようなど、子供の悪ふざけにも劣ること。愚中の愚、狂中の狂ぞ!」
「何ィ?」「何だとぉ?」
 始めは鳩がアンチマテリアル豆ライフルを食らった様な顔をしていた取立人達だったが、敵愾心丸出しの言い草に次第に色めき始めた。
「黙って聞いてりゃつけあがりやがって…」
 奇々妙々な相手とはいえ、ここまで舐められては暴力屋本舗の名が廃る。
 一人の男が、肩を怒らせブリーフ一丁のマッチョににじり寄る。
 一般人ならその殺気的念波だけで吹っ飛ばせる迫力だ。
 しかし、マッチョは怯むことなく男の目線を正面に受け止めると、
「言って分からぬなら仕方がない」と筋肉をうねらせ、
「壺パンチ!」
 と、叫びと共に拳を繰り出した。
「ドゲフ!」
 男は宙を舞った。一瞬の出来事。
 まさかいきなり殴られるとは思わなかったらしく、残りの3人はしばし呆気にとられていたが、我にかえるや、
「やっちまえ!」
 と怒りに裏返った親分の叫びと共に飛びかかった。
 しかしマッチョに怯む様子は無い。
「壺パンチ!」
 再び吼える豪腕。男の鳩尾に直撃。堪らず床に崩れてのたうち回る。
 背後から迫る、次の男の拳。
「壺キック!」
 だが振り向き際に、丸太のような脚を一薙ぎ。
「グフアッ!」
 大人が吹っ飛ぶその威力。強かに壁に打ち付けられる鈍い音。
 立て続く別の4人目の攻撃。避けられない間合いでの鉄拳が、マッチョの顔面を捕らえる。
「!!!!」
 しかし殴った男に戦慄が走る。フライパンを殴ったかの様にびくともしない。
 マッチョが頬をゆがめてにやりと笑うと、男の顔が引きつる。
 太い腕が断頭台の刃のように振り上げられた。
「あわわわわわわ……」
 男の瞼に遠い想い出が去来した。
 ――先生をお母さんと呼び違えたあの日!
「壺チョップ!」
「あぎゃぽん!」
 瞬間、視界に花火が散った。尺玉2号!
 壺の男は強かった。
 非情な迄に強かった。
 弓の横にムと虫を書くとしか言い様がなかった。
 普段暴力・ザ・ワールドで生きている男達が、赤子の手をひねるが如く軽々といなされている。

 さてさて。そろそろ激戦地区の傍らで忘我する慶一君にも眼を転じよう。
 この戦場の横で固まっていられるという、ある意味凄い才能を花開いている。
「……………………」
 彫刻のように動かない。
 近所の自然公園に魂を散歩させに行ったようだった。
 眼前に繰り広げられる驚天動地の大展開を、まるで1キロ先の出来事を見るかのような焦点の合わない瞳で眺めていた。
 瞳は目の前の光景を網膜に焼き付けているのに、脳と理性が必死になって否定に掛かっているのだ。さあ大変。
 この状況を始めに見て驚いたのは、何と言っても水晶体だ。今まで17年間真面目にドキュメンタリーのみを撮影してきた現実的常識派なのに、突如事前連絡も無しに「世にも奇妙な物語」の撮影に回されたのである。「え? ああいうのってお話の中だけの出来事じゃないの?」とさんざっぱら悩みつつも、「まぁ、そうは言っても僕個人の判断じゃ何とも言えないし…上の指示を仰ごう」と、上司こと視神経へ伝達した。視神経も視神経で、「な、何だね水晶体君!? この映像は!?」「そりゃ僕が聞きたい位ですよ! で、どうします。これをそのまま脳に送るんですか?」「仕方ないが、そうするしかあるまい」と、脳に送られるはいいが直ちに重役会議開始。「これはどういう事だ!?」「慶一は薬をやっているのか!?」「そんな馬鹿なはずがあるか!」「ならばこの事態をどう説明する」「そ、それは…」ドーピング検査委員会がたちまち動き出す。だが、案の定ブツは検出されない。となるとどうしよう。合同協議の末、今後の対応と見通しは大脳陛下のご意志に委ねられる事になり、下された勅命は――「とりあえず身体を止めよう」。「そうだねそうだね」と身体全体の筋肉骨格細胞組織が文句なしで採決した。
 …という訳だった。
 カチコチに凍って全く動いちゃいないようだが、解剖学的に見たら内部はかなりてんてこ舞いな慶一なのだ。

 でもって蝉噪蛙鳴の合戦場再び。
 暴漢と壺より出しマッチョの激闘はまだまだ続いている。
 壺のマッチョの強さは何処まで行っても天井が見えない。
 日々喧嘩で鳴らす暴力のプロ達も、その筋肉の凶器を前には為す術がない。
 謎の叫び声と共に攻撃が繰り出される度、静かなマンションが血と惨劇の館へとリフォームされていく。
 既に敵のうち2人は再起不能に陥っていた。
 同じ室内にいるはずの慶一が無傷で在ることもまた、マッチョの強さを物語っている。男達は慶一にかまける余裕が全くないのである。阿修羅の如き大活躍に、対する男達の腰は引けている。
「壺肘鉄!」
「ぎゃあああああ!」
 そして慶一も、そろそろ目の前の出来事を受け入れ始めた頃だった。
 無言ながらも眼の焦点が合ってきている。
「…………」
 明るい所から暗い所に移ったとき、段々眼が慣れていく現象を「暗順応」というだろう。
 同様に暗い所から明るい所へ移っていくのを「明順応」という。
 それと同じく、今の慶一の眼はあまりに変な物を見たショックで、常識的な所から変な空間へと段々慣れていく『変順応』を起こしているのだ。
 人間ってスゴイ!
「ぬんがああああああ!」
「ぎゃあああああああ!」
 ああ、お爺ちゃん。並びにお婆ちゃん。
 首吊ったらこんなとこに来ちゃいました。
 天国って、思ったより過激な所なんですね。
「思い知れ、壺ドロップ!」
「ぎゃあああああああ、地獄だぁぁぁぁぁぁぁ!」
 すいません、よく見たら地獄でした。
 多分地獄区修羅場1丁目の辺りでしょう。
 ……と慶一が噛みしめるのも無理は無い。
 謎の変態が作り出す暴力の現場を天国絵図か地獄絵図かと問われたら、我が国の国語は地獄図と教えるはずだ。
「壺背負い!」
 男の身体が投げ飛ばされ、ドアのもげた玄関をくぐり抜け、手すりの向こうへ消えていく。
 ……些末な問題ではあるがここは3階だ。
「 F=Gm1m2/r2〜〜〜〜〜!!!!」
 男は錯乱のあまり、万有引力の公式とも悲鳴とも覚束ないペダンティックな断末魔を残して散っていった。
 残る敵は後一人。
 一方的な戦いも、そろそろお開きだろう。

 しかしその時。
「これを見ろ!」
 と、残った男が声を張り上げた。
 敵の一人を外へと投げ捨てたばかりのマッチョが振り返ると、奴は満身創痍の身体で例の壺を抱きかかえている。
 先程の男が投げられている隙に、拾ったようだ。
「どうだ! これで壺はこっちの物だ! これで俺が壺の主様だ」
 見せつけるように振り上げる男を見て、慶一は思わず息を呑む。
 マッチョと慶一が動かなくなるのを見ると、不安げな男に確信の光が宿る。
 そして限界まで張り詰めた緊張が解け、ハイになった。
「やったぁぁぁ! やったぞ! ヤッホウ! 俺は神の力を手にしたんだ! もうあんな奴の下で働くようなちっぽけな人生は終わりだ! 俺はビッグだ! ビッグな夢を叶えるんだぁぁぁっ!」
 狂ったような声で小躍りする男。
 ――まずい。
 慶一は舌打ちをした。
 一度は捨てた命とはいえ、光明が見えたのだ。こんな所で諦めたんじゃ、あの世でお爺ちゃん達に合わせる顔がない。こんな奴が幸せを掴んでいくのをみたままじゃ、死んでも死にきれるものか。
 何が何でも、あいつにだけは壺を渡さない。
 何とか隙を見て奪い返す!
「そうだな。まず、あそこで怖い顔で睨んでる元ご主人様を縛り上げな」
「!」
 しかし、男はいつしか鋭くなっていた慶一の視線に気付いてしまったようだった。
 すぐさまマッチョに非常な命令を下す。
「ああ、いっそ首を縛って吊しちゃっていい。元々あいつもそのつもりだったみたいだからな」
 体中の血液が冷水に変わる。
 一気に形勢逆転か。
 今まで頼もしく思えていた筋肉の要塞が、おぞましい怪物に早変わりして見える。
 今に自分に対抗の手だては無い。
「そしたら銀行を襲え! まずは金だ! 俺に金をよこせ! ハハハハハハハ!」
 万事休す――。
「無駄だ!」
「え?」
 しかし、マッチョは険しい語勢で相手の驚喜を断ち切った。
 その言葉に、慶一の表情に一かけの希望が戻る。
「資格なき者が持ったところで、『マジで幸運の壺』の精霊を従えることは出来ん」
「な、何だと」
 男の勝ち誇った表情が一気に崩れる。そして恐怖におののき、窮鼠の本能で生還の手だてを探す。
「ならば、こうしてやる!」
 手にした壺を振り上げた。
 これを割れば、消えるかも知れない。その可能性が最後の賭けだった。
「無駄だ。貴様如きの力では『マジで幸運の壺』を砕くことは叶わぬ」
「うるせぇっ!」
 マッチョの声を全力で拒絶しながら、男は渾身の力で壺をフローリングの床に叩きつけた。
 ………………。
 しかし、大の男の全力にも関わらず、壺は傷一つ無いまま跳ね返った。
 そしてころころと転がり、僅かな静寂が場を支配する。
 処刑場の静寂だ。
 男は自分に逃げ道が無い現実を思い知り、青ざめる。
「さて、覚悟はいいな…」
 マッチョは指をボキボキ奏でながら残った餌食に歩み寄る。
「あ、あ、あ、あ、あ、あああああああああ……」
 あまりの恐怖に口もきけないのだろう。
「とどめだ! 必殺!」
 マッチョは怪しげな構えを取りつつ、ずんずん迫っていく。
 そしてご近所の方々が何事かと外に出てくる程の、野太い胴間声を張り上げた。
「壺ビーーーーーム!」
 ビームと言いつつ怪しげな関節技を決めた。
 ぐごり。
 男の背中が切なげな哀歌(エレジー)を奏でた。
 普通には人体からは決して聞けない、内側にくぐもった異音だった。
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
 記録的な悲鳴が天高く谺(こだま)した。



 その後、マッチョは戦野に累々と横たわる男達の身体を抱え、壊れた玄関から出て行った。
 去って3分位立った頃に全ては夢だったんじゃないかと慶一は虚しい切望的観測を抱きもしたが、残念ながらマッチョは帰ってきた。戻ってきたときは手ぶらだったが、連れて行かれた男の行く末を案じるほどの心の余剰労働力は無かった。
 そして、今は慶一と膝をつき合わせて正座している。
「…………」
 嵐の「後」の静けさだった。
 それもFスケールで4は下らない大嵐だ。
 例年希に見るほどの記録的な大嵐に村が襲われ、ダムが壊され家が吹き飛ばされ木々がなぎ倒され、翌朝出てきてみたら生命の気配がない。
 その手の静寂だった。
 慶一は丁寧な相手に対し正しい礼儀(マナー)で応対しようと試みたが、しかしバイブ機能という名のマナーモードにしかならなかった。
 ぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶる!
「さて、御無事でしたかご主人様」
 マッチョが沈黙を破った。慶一は喉が凍って言葉が出ない。
「ご安心下さい、ご主人様。怪しい者はもうおりません」
「は、は、は、はい……」
 怪しさのえり抜きの寵児が一体何を言うんだ、と思ったが口を噤んでおいた。
 彼の今の心情を説明するのはあまりに容易い。一語で足りよう――恐怖。
「なあに、心配要りませんよ。今までは不幸続きだったかも知れませんが、これからあなたの元に目眩く幸福が訪れる事をお約束します。天界謹製『マジで幸運の壺』の精霊ですから、。これからはずっと私がずっとお側に付き従います。どんな敵が襲い来ようとも、この私がお守りいたしますから、大船に乗った気持ちで構えて居て下さい」
 そう胸を叩き、ガハハと野太い声で笑う。
 大きなガタイ越しに、この部屋の前を通り過ぎていく隣室の住人とふと眼が合う。
 隣人は慌てて俯き、小走りで駆けていった。
 丁度「これからは…」の辺りから会話を聞かれてしまったようだ。
 このず太い胴間声だ。届かなかったかもしれないなんて甘い幻想は捨てた方が良い。
 …ああ。嫁入り前の女子大生は、壊れた玄関越しにブリーフの大男と膝を付き合わせて座る慶一を見て、一体何を思った事だろう。
「どうしました? ああ、あまりの嬉しさに声も出ませんか。結構結構、ガハハハハハ!」
 ヤツの背中越しに先程とは別の、今度はおばちゃんのぞき込んで来るのが分かる。
 先の目撃者から噂が伝播したのだろうか。
 おばちゃんは眼を丸くして、そそくさと去っていく。
 近所のおばちゃんという生物は、噂を運ぶ事にかけてはこの上ない移動宿主(いどうしゅくしゅ)であるため、恐らく見ず知らずのブリーフガイとの噂が最新鋭の脚色技術を使って誇張拡張され知れ渡る事だろう。
 何だか、耳朶の奥底から人生終業のチャイムが聞こえた。キーンコーンカーンコーン。
「それでは、これから末永くよろしくお願い致しますよ。ご主人様」
 花嫁のような事を口走りつつ、顔を寄せてくる髭面。
 青年に拒絶の道は無かった。
「こ、こちらこそ…」
 がちがちと、ねじの切れた人形のようにぎこちなく首肯する慶一。
 それを見て、マッチョも満足そうに笑顔を湛えた。
 何かの契約の交わされた瞬間だった。
 
 一旦は捨てかけた命を、何が何だか自分でも分からない方法で拾い直した本庄慶一。
 彼を待ち受けるのは、一体いかなる運命なのだろう。
 ともあれ、慶一の波乱と混乱と惑乱の日々は幕を開けたのだった。

コメント(5)

 ――働きたい。
 叶うならばこのaquaで。
 思い立った慶一のフットワークは軽かった。
 家に帰って、履歴書を用意して、電話で面接の段取りを決めて。
 一週間経った頃には、キッチンで皿を洗っていた。
 こんな自分を雇ってくれたお店の為にも、空っぽだった自分に空気を吹き込んでくれたアサキの為にも。努力して、少しでも早く仕事をモノにするんだ。
 そう思う慶一の進境は著しかった。
 初めは皿洗いから。手が空いたら、床のモップがけ。
 新人の自分が手を出せる仕事は限られているけれど、その中でも全力をもって当たり、一つの仕事が終われば、別の仕事を探してでも取り組むようにした。
 自分の力が小さいのは分かっている。
 だからこそ、優秀な他のメンバーが、気持ちよく働けるように、細かい穴やミスを拾うように注意を配った。
 店が閉まった後に、料理作りの勉強もした。
 そんな慶一なので、非常に買ってくれる人もいた。
 例えば、キッチン担当の蘭撫遥佳(らんぶ・はるか)がその一人である。
 姉御肌の24歳で、料理も上手く、aquaのみんなから慕われている。
 壁を作らない性格なので、慶一としても非常に親しみ易かった。
 何でも良いから、とにかく働こう。
 或いは、働かなくてはならない――という切迫感だったかも知れない。
 しかし、意気込んではみたはいいものの、高校を中退し、ヤクザに怯えて日々を過ごした慶一である。
 どうにも人付き合いにブランクがあり、性格的にも内にこもりがちな部分があった。
 だが遥佳は誠実だが木訥、一見暗そうに見える職人気質の慶一の良いところを見抜き、何かと明るく話しかけて、他のメンバーと親しむ架け橋となってくれたのである。
 しかも、慶一がこの店の為に頑張ろうと、努力をしているのを察すると、一日の仕事が終わった後、料理を教えてくれるようになったのである。
 実質、遥佳は慶一の料理の先生なのだ。
 しかも、
「慶一君が料理を上手くなったら、キッチン担当の私も楽をできるからね」
 と、少しも恩着せがましい所がない。
 暗中模索の生活から外へと踏み出す後押しをしてくれた女性。
 少々大げさかもしれないが、そういう訳で、慶一としては感謝してもしきれないのである。



 慶一がaquaに対して強い恩義を抱くいていること。
 そして雇って貰えたことが奇跡とも言えることには、もう一つ大きな理由がある。
 ――遥佳の指導の下、フライパンを返す手に力を込める慶一に、かけられる声がある。
「――ご主人、どうされた、そんな難しい顔をなさって」
 気難しげな慶一の表情を案じて、何かと気を揉んでくる――。
「フライパンが熱いのですか? 料理の鼻を突く? それとも、どこか痛むのですか?」
 大男。
 その濃い顔を、料理と悪戦苦闘する慶一に近づけ、頻りにその様子を窺っている。
 ――その苦悶の呻吟の理由が自分なのだとは露も知らずに、である。
「辛いことがあるなら、どうぞ何でも仰って下さい。私がその原因、たちどころに取り除いて差し上げますから。遠慮なさらず! さあさ、遠慮なさらずに!」
 つまり、これである。
 狭い厨房に遥佳と慶一。
 それだけなら良いのだが、マッチョの大男がいるのである。
 しかも、何に付けても「私にお任せ下さい」「何かお困りのことはありませんか」と纏まり付いてくる。昼は終日(ひねもす)夜は夜っぴといこの調子ときたもんだ。
 神経が限界を訴え、軋みを上げる。
「ああ、もう五月蠅い! お前が此処にいることこそが俺の苦しみの原因だって、何で分からないんだよ! 頼むから、家でじっと大人しく待っててくれよ〜〜〜!」
 慶一はまさに蝿を払うよう、大音声(だいおんじょう)で喚き散らした……。
 ……慶一がバイトの面接に行こうとしたとき。
 気概も上々、服装も整え、万事足らぬ事無しと思って家を出たら、壺の精霊が付いてきたのである。
 しばらく進んでも付いてくるので、慶一としては
(ああ、なるほど。道中俺の護衛をしてくれるのか。心配性だけど、案外いいところあるんだなぁ……)
 なんて思っていたのだが……。(勿論、白昼の往来を威風堂々とのし歩くブリーフマッチョと一緒で、気まずさと恥ずかしさで全身冷や汗ダラダラだったが、それはそうとして)
 しかし次第にaquaが近づくにつれて、慶一の胸中に不安の影が兆してくる。
 慶一は思い余って聞いてみた。
「一体どこまで付いてくる気なんだ?」
 するとマッチョは答える。
「何を仰います。私はご主人様を護る幸運の壺の精霊。貴方が行くところ、何処へでもはせ参じますぞ!」
 と胸を叩いて豪語するではないか。
 ――ああ、やっぱりか。
 早く気付いて良かった。
 そう思い慶一は言う。
「俺はこれから、俺のバイトの面接の為に行くんだ。店の人にお前みたいな(変な、と言いかけて慌てて噛み殺し)……奴と一緒にいる所を見られたら、うまくいかないかもしれないから。帰って待っててくれよ」
 しかし――。
「なりません!」
 男はギロチン台の様に慶一の言葉を断ち切った。
 鼓膜がビビビッ! と轢るほどの声で。
「ご主人様の行くところには必ず私が在る! どんな危機からもお守りするために! どんな危険がまっているか分かりません、ご主人様の面接にも、バイトにも責任を持ってこの私めが付き従います!」
 と、喝破したのだ。
 慶一は思わず言葉を失う。
 こういうものは、可愛い女の子の精霊がいってこその台詞なのだ。なのに残念ながら、現実はそうは甘くはない。マッチョはマッチョ。どこからどう見ても、矯(た)めつ眇(すが)めつ眺めて見てもいかめしい筋肉男である。
 いや、そんな問題ではない。
 面接会場まで付いてこようと言うのだ。
 つまり、面接を落とそう――と。
 こいつに、透明になって他の人からは見えないように守護する――という便利機能は付いていない。
 出たら最後――クーリング・オフの利かない出っぱなしの精霊だ。
 しかもヒヨコの刷り込みの如く付いてくるときたもんだ。
「頼む、頼むからそんなこと言わないで、な! 俺はバイトをしたいんだよ」
「構いません。私はただ付いていくだけですから、ご主人様はご自分のいいようになさるといい」
「だったら、俺を一人で行かせてくれよ〜」
「なりません! それは精霊の名折れです!」
 頼む帰ってくれ〜、と、なりません、が、どれだけ火花を散らしたかは分からない。
 道すがら延々鍔迫り合ったものの勝負は付かず、結局aquaに着いてしまう。
 ゆとりを持って家を出たにも関わらず、面接の時間はいよいよに迫ってしまい、終わりの方の慶一はまさに泣訴に近かったが、マッチョはびくともしなかった。
 
 ――慶一は、終わった、と思った。
 バイトの中で芽生える、アサキや他の美人ウェイトレスとの甘い恋愛模様を、慶一とて全く期待しなかったわけではない。
 彼も年頃の青少年。
 今までの閉塞して暗鬱とした日々から一転、華やかで充実した新生活に、そういう面に於いても心を躍らせていたのだ。
 しかしそんな青写真が、たった今無情にも引き裂かれたのである。
 浅黒い超絶筋肉に鎧われた露出漢の剛腕に。
 さようなら俺の青春。
 慶一は血涙を滂沱した。
 これじゃあ面接だってままならない。
 いかにちゃんと正しい格好で面接に向かい、正しい受け答えをしたとしても、隣に立つ厳つい大男が一切合切を台無しにする。

「……本庄慶一さん。貴方の人物像は把握できました。しかし、貴方を採用するに当たって、一点だけお伺いしたい点があるのですが……よろしいでしょうか」
「何でしょうか」
「今日は貴方の面接のはずですが……先程から貴方の側にいらっしゃるそちらの男性とは、一体どういったご関係なのでしょうか?」
「実は、彼は僕の精霊なんです! だからいつも一緒にいるんです!」

 と、以上の如き受け答えを躱したとき、如何なる大寒波が室内を席巻するか、想像に難くない。
 常にマッチョといなければならない。それは、大概のバイトに付くのが、無理といわれたようなものであった。
 実はこのバイト探しに於いて、このことこそが、何よりの桎梏なのであった。
 ――しかしそれでも、慶一は現在こうしてaquaで働いている。
 結局慶一は面接の日、梃でも動かないマッチョを追い返すことを諦め――このまま帰るか、それとも背後霊のようにまとわりつく筋肉兵器を引き連れたまま面接に臨むか――という苦渋の選択の末、「折角俺なんかの為にバイトの面接をしてくれることになったんだ。すっぽかすのは最低だから、せめて行って怒られよう」と決断したのである。
 本当に恥ずかしかった。
 涙の踏み分け道だった。
 だが挑戦して負ける方が敗北としては美しいと強引に自分に言い聞かせ、掉尾(ちょうび)の勇を振るい、鉛の足で前に進んだのである。
 しかし。マッチョを連れて行ったとき、aquaの面接官は、慶一の非常識な振る舞いを咎めるどころか、事もあろうに笑って、二人纏めて雇ってくれたのである。
 まさに望蜀。
 いや、それどころの話ではない。
 慶一はそんなわけもあり、この恩は必ず返したい――そう強く心に刻んだのである。



 しかし何と言っても、壺の精霊のパーソナリティは鮮烈に過ぎる。
 そんな彼がaquaに居られるのも、それを真っ向から受け止めてくれる者がいればこそ。
 それが津戒(つかい)郷次(ごうじ)と海燕(かいえん)であった。
 二人とももうすぐ二十歳を迎える双子の兄弟で、郷次が兄、海燕が弟である。
 外見はそっくりなのだが、郷次はロック音楽を、海燕は打って変わって演歌を耽溺する。
 出会ったばかりの頃、慶一は二人に「ここに雇われる前、何をしていたのか」という質問をされたことがある。
 話して面白いようなことでは無いと思い、慶一が言い渋ったが、双子はそれでも聞きたがった。
 雛が餌をせっつくようにせがむもんだから、仕方なく慶一が自分の過去を話すと、二人は感動の涙を流したのだった。
 ――しかし、口走った言葉は、正反対。
「お前、ロックだな! 熱いぜ!」
「君の生き方は本当に泣かせるねぇ〜。まさに演歌の人生を歩んでいるねえ〜」
 と言うのである。
 まぁ、言いたい事は、何となく分かった。
 確かに慶一の此処までの荊の道程は、演歌といえないこともないし、ロックな色彩をも帯びてはいる。
 なんせ右では「演歌だねぇ〜」、左では「ロックだねぇ〜」と、同じ顔の男にサラウンドで口走られると、何とも不思議な気分になる。
 また、この二人が一緒にバイトに入る日は、喫茶店の中は奇矯な雰囲気を帯びる。
 彼等が交代交代に流す好みのBGMが、演歌とロックという、相反する精神の極北を示すもの同士だからだ。
 来ていたお客さんは「お、いいロックだな」と思っていたら、次で「なんだ? 曲を間違えたのか」と思う。逆に「この店は演歌なんて流すんだ」といつになくしんみりした気分でコーヒーをすすっている所に、いきなりロックが耳に飛び込んできて、慌てて咳き込むこともある。
 何につけても
「ロックだな!」
「演歌だねぇ〜」
 が口癖の二人だが、それでも仲良くやっている。
 慶一に付きまとうマッチョを見た時の感想も、「おお、この筋肉は……紛う事なきROCK!」「この男ぶり……今は珍しい、古き良き時代の演歌!」と感動の声を漏らし、爾来仲間として何の確執もなく受け入れてくれている。
 
 慶一は暖かい人達に囲まれて、少しずつ心の澱を洗い流しながら、楽しく働いていたのである。

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