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KRAFTWERK

ドイツの電子音楽グループ。シンセサイザー音楽、エレクトロ音楽では世界的に有名。
全盛期はラルフ・ヒュッター、フローリアン・シュナイダー、ウォルフガング・フリューア、カール・バルトスの4人。
代表作は「アウトバーン」「ヨーロッパ特急」「人間解体」、代表曲は「アウトバーン」「放射能」「ヨーロッパ特急」「ロボット」「モデル」「ミュージック・ノン・ストップ」など。日本では「電卓」も有名。


http://www.hardrockheavymetal.com/cd/metal/kraftwerk.html




クラフトワーク(独: Kraftwerk ドイツ語発音: [ˈkʀaftvɛʁk] クラフトヴェルク・クラフトヴェァク、発電所(Power Station)の意)は、ドイツの電子音楽グループ[注 1]マルチメディア・エレクトロニック・プロジェクト[1]である。長年に渡り多くのアーティスト達にも多様な影響を与え[注 2]、ニューヨーク・タイムズは「エレクトロニック・ダンス・ミュージックのビートルズ (the Beatles Of Electronic Dance Music)」と評している[2]。

結成と初期
1960年代半ば、西ドイツのデュッセルドルフ近郊 レムシャイトの芸術アカデミーでクラシック音楽の教育を受けていたラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーがデュッセルドルフ音楽院の即興音楽クラスで出会い[注 3]、インダストリアル・ミュージックへの関心からジャム・プロジェクトOrganisation等[注 4]を経て1970年に結成する。当時、英米によってもたらされた文化や音楽に安易に染まる事を良しとしなかったクラウトロック(ジャーマン・ロック)の一グループであった彼等は戦後育ちのドイツ人としての自覚[注 5][注 6]を強く持っており、ケルン出身のバンドカンとも親交があった(カンの初公演はクラフトワークの楽器を借りて行われた[3])。東ドイツのデューナモ・ドレスデン(ドレスデンの発電機、Dynamoの名称は総合スポーツクラブに用いられた)というサッカークラブの名前に触発されグループ名[4]もあくまでドイツ語[注 7]で表現している。リズム・マシンやオルガン、電気フルート等を使った彼ら初期のインダストリアルで即興・実験的な作風[注 8]はバズコックスやスージー・アンド・ザ・バンシーズ にも影響を与えた[5]。当時の主な演奏会場は大学や美術館[注 9]などであった。幾度かのメンバーチェンジを経るも、結局ラルフとフローリアンが中心になり3枚のアルバムを制作する。アルバムジャケットのデザインを自ら手掛ける他、楽器の改造・開発[注 10]等、グループ初期から現在に至るまでのDIY精神はこのグループを知る上で欠かせない特徴と言える。この時期のメンバーで、脱退したクラウス・ディンガーとミヒャエル・ローター(続けて加入するヴォルフガング・フリューア[注 11]と以前同じバンドのメンバーであった)は後のクラフトワークとは別の方向性で同じ工業都市デュッセルドルフの一面を表現しクラウトロックを代表するグループの一つとなるノイ!を結成する事になる。この時代の楽曲は70年代半ばを過ぎてからは全く演奏されなくなり、正規版のCDも存在しない[注 12]。


クラフトワーク記事まとめ。
https://rockinon.com/artist/971

コメント(46)

西ドイツのデュッセルドルフ近郊 レムシャイトの芸術アカデミーでクラシック音楽の教育を受けていたラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーがデュッセルドルフ音楽院の即興音楽クラスで出会い


レムシャイトについて。wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%88

なんで、違う学校で会ってるんだろうか。進学してそこで会ったって感じ?


デュッセルドルフ音楽音ってここじゃないよね。ロベルトシューマン大学ってのがヒットしたけど。
http://www.rsh-duesseldorf.de/

国立音楽院ってのも出てきたけど、よくわからん。(別にどっちでもいいけど)

ドイツの音楽教育はこんな感じらしい。(ってざっくりすぎるが。)
http://bfmcompany.jp/overseas/education.html

そういえば、留学行ってた先輩とかいたけど、どこにおったんかいのう。
クラフトワークの自転車狂時代 http://criticalcycling.com/2016/12/tour-de-france-by-kraftwerk/ …  Kraftwerk - Tour de France (1983) HD https://youtu.be/BPDXsClXcyE

動画ホント凄いなんかこう文章に書いてあるまんまやなw みんないやいややってるって感じ。しかしラルフさん事故ったのは知らんかった。
『ツールド フランス自転車好きにはたまらない曲』
⇒ http://ameblo.jp/kraftwerklove/entry-11764523122.html #アメブロ @ameba_officialさんから

ここのブログ主さん、クラフトワークラブラブらしい。愛にあふれておる。写真お借りしました。カワ(・∀・)イイ!!。
自転車と菜食主義に入るきっかけは健康問題だったのか(泣かせる)

http://matta.air-nifty.com/time_to_ride/2006/03/tour_de_france.html
のブログから抜粋・・

ところで、このグループのリーダ、ラルフ・ヒュッターは、テクノが日本でブームになり始めた頃に、過酷なツアーずくしで問題意識を持ったらしく、健康維持にとベジタリアンとサイクリングを始めたそうだ。年齢からすると30代中盤、やはりこの時期なんですね〜(^^;)日本語版ライナーノーツによると

最初は面白がってグループでサイクリングなどしていたものの、1人減り、2人減り、残ったオリジナルメンバーの相棒シュナイダーがビールを飲みながら適当に続けていたのに対し、ラルフだけが度を越した熱中を初め、、、(中略)、、、自転車チームに入るわ、自分の身体に合わせたハンドメイドのハイテク精密自転車を何台も所有するわ、(中略)などという過激マニアになった。プライベートでも寡黙な彼がこと自転車のことになると「これぞマン・マシーンだ。私だ。自転車に乗るマンマシーンだ」と断言している。なんでも、1日100km以上が日課らしく、ツアーでも自転車を運搬し、目的地から100km手前でツアーバスから降りて自転車に乗り換えるほどらしい。(以下略)


もう、60近いラルフが毎日100km走っているとは考えにくいが、自転車に対する情熱はあらゆる面で衰えを見せていない。公式サイトのショップには、ポケット付きのサイクルジャージまであるし、あるインタビューには今後のバンドのありかたを問われて、それを自転車に例えてこう答えている。

やはり競技用自転車だろう。個人の力を発揮する場であると同時に団体競技でもある。サイクリングの本質がチーム精神と個人の能力の双方に則っていて、お互いは上手く作用し合わなければいけないものだからね。また、自転車は常に前へ進むものだ。クラフトワークと同じようにね。
フローリアン・シュナイダー=エスレーベン(Florian Schneider-Esleben、1947年4月7日 - )は、ドイツの電子音楽グループであるクラフトワークの創設者の一人。


著名な建築家を父に持ちデュッセルドルフ音楽院で音楽を学ぶ。同じく生家の裕福なラルフ・ヒュッターと出会い、1970年にクラフトワークを創設。 フルート奏者であったが70年代半ばより音声合成を専門とした。1973年にはセンサーパッドの付いた電子パーカッションを発明し1975年に特許を出願、1977年にアメリカでヒュッターと連名で取得している[1][2][注 1]。2008年にライブツアーを引退し制作に専念することを公表していたが、正式に脱退したことが2009年に発表された[3]。2015年にシュナイダーとダン・ラックスマンはウーヴェ・シュミット(ドイツ語版)の協力を得てプラスチックによる海洋汚染防止キャンペーンのために小作品を発表した[4][5]。

現在はデュッセルドルフ近郊のメーアブッシュ(ドイツ語版)にて娘と暮らしている。

wiki から

元クラフトワークのフローリアン・シュナイダーが新曲「Stop Plastic Pollution」を公開 - amass http://amass.jp/66290/ @amass_jpさんから 2015年の記事。

画像のフローリアンさんを紹介してるブログ
http://kirikishii.blog.fc2.com/blog-date-201504.html

超笑うw

♫ Kraftwerk ♪ Pocket Calculator (Discoring 1981) ♫ Video & Audio Remaste... https://youtu.be/UZiTr4hwHXI @YouTubeさんから 超カワ(・∀・)イイ!!

ラルフ・ヒュッター、クラフトワークの音楽を語る (1/4)
09 February 2013 | Tags: Kraftwerk, Ralf Huetter

「Red Bull Music Academy」サイトの2012年8月の記事より。インタビューそのものは1991年、「The Mix」のリリースに合わせて行われたものが、なぜか2010年まで公表されなかったとのこと。

→ Red Bull Music Academy - Interview: Kraftwerk
http://rocqt.net/130209
フローリアンさんのお父さんのお仕事らしい。空港建築に携わっておられたんですかっていうか、結構前に建ったんですね。って、日本も古いとこはそんなもん?羽田はリニュアルしたか。

https://twitter.com/WaldoKanto/status/840124747128033282
デュッセルドルフの日本人街 https://youtu.be/OBMaBdJSWiM @YouTubeさんから

へー。戦後建ったって感じなのかな。言うほど日本人いないという動画もあった。

デュッセルドルフ 2011 // Düsseldorf 2011 https://youtu.be/_keKhCk1fH4 @YouTubeさんから

上の画像と同じ場所もありますけど、結構日本と違う街並みが垣間見えるシーンもあります。
展望台から見下ろしてるところ、駅はなんかどこも似てますね。
時系列にしようと思ったけどめんどくさいので。思いついた順番で。


現在のメンバー

ラルフ・ヒュッター
(ヴォイス、シンセサイザー、キーボード)

フリッツ・ヒルパート Fritz Hilpert
(電子ドラム)
ヴォルフガング脱退より約2年後の1989年に正式加入した
ドイツ語版wikiから自動翻訳抜粋

音楽的に、彼は1999年の曲「エキスポ2000」のための組成物における「発電所」に貢献しました。彼はアルバムの共同作曲者としてツールドフランスサウンドトラック上のほとんどの曲のために言及されました。ヘニング・シュミッツと一緒に、彼はクリングクランStudioのオーディオオペレータとWebサイトの管理者とKraftwerk.com Klingklang.comとして働いています。[3]
https://de.wikipedia.org/wiki/Fritz_Hilpert




ヘニング・シュミッツ(英語版)
(キーボード、電子ドラム)

1991年フェルナンド・アブランテス脱退により正式加入[10]。加入以前にもエンジニアとしてクラフトワークと関わっていた。

ドイツでは1953年12月26日生まれヘンイング・シュミッツ、電子/実験的ポップバンド発電所のメンバーです。
背景

1991年に音楽アカデミーラインラントと応用科学デュッセルドルフの大学で学び、1980年に彼は音と映像技術の彼の大学院のエンジニアの資格を受けたのヘンイング・シュミッツ[要出典]彼は1991年にフェルナンド・アブランツの出発後発電所に参加しました。以前はクラフトワークの1986年のアルバムエレクトリック・カフェに入金され、以降1978年からサウンドエンジニアとしての材料に働いた。[要出典]。彼はそのため、音楽や1980年代半ば以降WDRによって生成ラジオ番組のための効果音の様々な作品を作成しました、そう、現在ロベルト・シューマン研究所のフリーランス講師として動作し、加えて、他のアーティストのプロジェクトに時折サウンド制作作業の下になります。[要出典]


ファルク・グリーフェンハーゲン
(ビデオオペレーター)
2012年より正式加入[10]。シュテファンに代わり背景映像を主に担当。
クラフトワークがツアー運転手に求めるものとは? 2013年ツアー時の募集要項がネットに
http://amass.jp/90426/
カール・バルトスさんは個人で活動しておらるるのか。(今頃)

Karl Bartos Live 01-02-2014 Copenhagen https://youtu.be/oD_V7NMWDDY @YouTubeさんから
カールバルトスさんインタビュー
http://rocqt.net/130813
学校の先生もなさってたらしい。


http://rocqt.net/130814

http://rocqt.net/130815

インタビューの中に出てくるカール君と一緒の動画
#Vimeoで「KARL BARTOS: WITHOUT A TRACE OF EMOTION – THE FILM」を見る。 https://vimeo.com/61792315?ref=tw-share

なんかこう哀愁や。人生やって気がするね。


http://rocqt.net/130816

ヒュッターさんと仲悪いのかなあ。
ラルフ 1上に貼ったけど


http://rocqt.net/130210

http://rocqt.net/130211

4が見当たらない。

読み直して張り直しするかも
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%81%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B&ei=UTF-8&fr=mozff
Kraftwerk Live Heute Abend https://youtu.be/SsE8eAeR714 @YouTubeさんから

で、model の歌詞がお下品になってるってコメントが入ってたんで何事?と思ってましたけど、

「ザ・モデル」の下品でわいせつなバージョンは何なの?

「Heute Abend」とというブートレグCDには1990年にイタリアでのツアー中にサウンドチェックで録音された「ザ・モデル」の演奏が含まれています。このバージョンは悪名高いもので、"I'd like to meet her again"(彼女にまた会いたい)というフレーズが"I'd like to f*** her again"(彼女とまたや***)!に変わっています。いわずもがなではありますが、このバージョンはどんなコンサートでも演奏されていません。

はははは。そういう奴だったのか。

コンサートノリノリで歌ってたのかと思った。

文章はここから。
https://www.youtube.com/watch?v=SsE8eAeR714&t=1984s
上のリンクは歌詞と言語って言うページですが、結構記事が面白いです。

S:1982年に自転車事故にあわれましたが、このことは一部のファンが想像しているようにクラフトワークの歯車装置をつまづかせましたか?

H:その時は、ものの一週間も病院にはいませんでした。軽い脳震盪を起こしただけです。それが尾ひれがついてしまって、最初は一月と言われたのが一年になり、とうとう脳みそを交換したことになってしまってます。


そういえば、自転車事故んときのインタビュ―ってどうよと思って検索したら、個人の方が訳したページが出てきました。(原文読んでみたいけど、マジそんな話に?・・まぁ、尾ひれがついてるって話は本にも載ってたけど)

上の文章はこちら→http://kraftwerkaholic.blog.fc2.com/blog-entry-676.html?sp かなり前のインタビューじゃないかなと思うけど。

1はこれ。http://kraftwerkaholic.blog.fc2.com/blog-entry-673.html

ちなみにHPでヒュッターさんがお父さんと呼ばれているようだけど、まークラフトワークがテクノの父だったらそうなのか。http://kraftwerkaholic.blog.fc2.com/

愛しすぎてるマンガが素敵☆(時間があったら読もう)

テクノ四コマ http://kraftwerkaholic.blog.fc2.com/blog-entry-1575.html Wunderbar ! ☆ 愛にあふれてるなあ。なんだかノリが超懐かしいんですけど少しお姉さんぐらいの人かしら。

(リンク先のネタが結構ツボだった。師匠にも見てもらおうw)
クラフトワーク、サンプリングをめぐる約20年に及ぶ法廷バトルに敗訴 June 01,2016 https://www.waxpoetics.jp/news/kraftwerk-loses-legalbattle/ へーシランかった。
クラフトワークコンサート オードリューム(ってどこ?)
http://www.fondationlouisvuitton.fr/ja/concerts-kraftwerk.html
デトロイト市長、デトロイト・テクノ・ウィークを公式に宣言−rockinon.com| https://rockinon.com/news/detail/143585 去年そんな話があったのか。へー。 クラフトワークも出てたらしい。
Thursday 15 June 2017 19.06 BSTって書いてあるので最近の記事かしら。

For someone with a reputation for – how can we put this politely – taking their time over things, Ralf Hütter isn’t one for hanging around tonight. Kraftwerk have just completed a mesmerising set at the Brighton Centre – all laser-precise beats and visuals brought to life through Kraftwerk-branded 3D glasses – and Hütter has agreed to sit down for a rare face-to-face interview afterwards. Given that the show involves Hütter spending more than two hours on his feet, studiously twiddling knobs and buttons to ensure that no synth line or motorik beat arrives anything less than crystal clear, you might expect him to take a while to decompress once he has left the stage. Yet the crowd have barely shuffled out of the building when he appears in our backstage interview room, a black polo shirt and puffer jacket replacing his grid-patterned Spandex bodysuit. The speed of the transformation is disorientating, as if the mind-melting, multimedia spectacular he has just put on never happened.

“Hello, nice to meet you,” he says, shaking hands, before glancing towards a picture on the wall of Rod Stewart, resplendent in his peacock pomp. “It’s you, on the left?” he asks his press officer, pointing towards one of the musician’s pink-clad backsides.

Hütter has a reputation for being taciturn or evasive in interviews – and yes, he can be those things: the stock answer for when Kraftwerk might release their first studio album since 2003’s Tour De France Soundtracks remains “when it’s finished”. But Hütter is also charming, a little shy – he finishes answers suddenly, with an endearingly nervous smile appearing at the side of his mouth – and funny in an exquisitely German way. We meet on the eve of the general election, and so, to break the ice, I tell him how, ever since the leaders debates in 2010, pictures of UK politicians stood sombrely at lecterns have come to be labelled by online wits as the “worst Kraftwerk gig ever”. Curious, Hütter looks at a picture on my phone of a besuited Gordon Brown, Nick Clegg and David Cameron, and nods in agreement: “Because there’s only three of them,” he says. “One missing.”
Thankfully, shows on this current tour have considerably more substance to them than Cleggmania. In many ways, they are as close to perfect as live music can get, in part because to hear Kraftwerk’s seemingly limitless supply of songs played so precisely is to hear the roots of almost every subsequent major development in western pop music: from Detroit techno to hip-hop to electro … even to stadium indie (Coldplay’s Talk famously nabbed the opening line from Computer Love). But also because these shows seem to realise one of Kraftwerk’s long-term dreams: to create a Gesamtkunstwerk – or complete work of art – that has long fascinated German artists from Wagner to the Bauhaus movement. Put on your 3D glasses and you will experience radio waves beaming towards you, or autobahn traffic passing by your side. At one point during Spacelab, the titular UFO lands right in front of the Brighton Pavilion – a neat local touch they update for each venue.

Back when Hütter was milling around the Düsseldorf art scene of the late 60s with founding member Florian Schneider (Schneider quit the band in 2008 and the pair have “not really” spoken since), such a show was the stuff of fantasy. In fact, the idea of an influential German pop band seemed far fetched in itself: the second world war had left Germany disconnected from its musical past while Britain and the US were busy redrawing the map.
“At first, when we first discovered this, it was like a shock,” says Hütter. “We don’t have a continuous musical tradition! But then we realised it was an enormous chance, because there was nothing, there was a void. We could step into that open space.”

It took some time for Kraftwerk to shape their new musical language. They made three albums of experimental art rock (Hütter dislikes the term krautrock) in the early 70s before the classic line up – Hütter and Schneider joined by Wolfgang Flür and Karl Bartos – embarked upon a seven-year run of albums so groundbreaking you could argue their influence surpasses even that of the Beatles: Autobahn, Radioactivity, Trans-Europe Express, The Man-Machine, Computer World. Each one was prophetic, gleamingly futuristic and – it is sometimes overlooked behind all the plaudits for invention – overflowing with melodic genius. Yet even on the forefront of such innovation, Kraftwerk were thwarted when it came to performing the kinds of live shows they desired. Early concerts relied on tapes and studio musicians – “too much compromise” – while in the 80s the band were forced to laboriously pack up their entire Kling Klang Studio in order to take the show on the road. Being a member of Kraftwerk over the past few decades seems to have at least partly involved simply waiting around for technology to catch up with their ideas.

“You fantasise about it being possible, but you never know,” says Hütter. Has he marvelled at the speed of technology during his lifetime? “No. Sometimes it has gone slow. But there’s always a next step or development. It’s a continuous process, more like gardening. There are certain plants that you work on, and others that grow [themselves]. It’s seasonal. That’s how it feels. It’s why I call Kling Klang my electronic garden.”
What does he make of the developments that have occurred for listeners as well as creators? Is the bounty offered up by Spotify a good thing, or does so much choice reduce music’s value?

“Basically, nothing has changed,” he decides. “It’s still all about composition. And for the last 50 years, it has always been like this. There have always been speakers all around – radio speakers, televisions. A little more [now], but then again … it’s about the intensity. All the rest is just noise.”

What about developments away from music; how does he view, say, Twitter? Does he use it? “No, no, no. We just give information about our touring.” Isn’t he intrigued by that side of modern life, though? “I don’t think so. It’s basically … very banal. Too much nonsense.”

Such disinterest is perhaps surprising given that the technology of today has always been Kraftwerk’s chief concern, far more than the inventions of tomorrow. For all their visions of robots and space exploration, there has always been more lyrical focus on, say, public transport or calculators. Looking back at their 70s output, it is hard not to view it through a political lense.

Take Autobahn, their 1974 motorik reimagining of the Beach Boys that announced their arrival as electronic pioneers. Given that Germany was desperate for a new identity, were the band attempting to reclaim their country’s motorways – largely built during the rise of the Nazi regime – and repaint them as beautiful wonders of the world?
Robot Ralf
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Robot Ralf: one of the mannequins that take over the encores on the band’s current tour.

Hütter says no. “It was an environmental composition, a sound painting,” he says. “We were touring in Germany and when we played in other cities, we didn’t have money to stay in hotels. So we were always driving on the autobahn, going somewhere and coming back at night all the time. I had this old grey Volkswagen, so maybe we were dreaming of having a Mercedes one day.”

What about the Trans Europe Express album. Bartos once described that as being a message of European unity …

“Yes,” interjects Hütter with a smile, “But he was not the composer.”

So was that not the case?

It’s like … where we live [in Düsseldorf] is the Rhineland. It’s Germany, but there was a British sector, it used to be French. It’s close to the Netherlands and Belgium. So we were brought up multilingual, whereas with other parts of Germany – say, Bavaria – it’s different. Ours has very multi-European connections. It’s a four-hour drive to Paris, so we were always going to discotheques in France or hearing new bands in Brussels or spending the weekend in Amsterdam. It’s very pan-European, so when I wrote the lyrics with Emil [Schult, their longtime visual artist collaborator] it was like a fantasy story about that.”

The album was released in 1977, a few years after the UK had joined the EU. Hearing the song’s message now feels like travelling back to an era of optimism and cooperation. It’s hard not to listen without mourning the imminent arrival of Brexit and the potential end to such a vision. Hütter is cautious to make the connection. “It’s not directly relating to any day-to-day politics,” he says. “It’s more a fantasy story, or a spiritual thing. Like a film.”

Despite dismissing the idea that his group’s music had political undercurrents, he does agree that critics tend to overlook the song’s emotional core. Far from cold, clinical robot music, with songs such as Neon Lights and Europe Endless, Kraftwerk proved themselves masters at capturing a kind of hopeful melancholy, whereas elsewhere their music contains all the conflicting emotions of modern life: joy, distraction, loneliness, paranoia.
“It is emotional,” agrees Hütter. “People a long time ago had difficulties finding the sensitivity of electronics. But when you go and see your doctor and he does a heart test, it is electronics that are very sensitive to this. It’s the same with an instrument. That’s why we should use the tools of today’s society to create music – otherwise it is just antique.”

Even back in the 70s, when Kraftwerk must have seemed more like aliens beamed down to earth than human beings, the music was always accessible, always able to connect with people, always alive to the possibilities of collaboration. Did it surprise Hütter when black audiences in New York and Detroit took it to their hearts and used it as a building block for hip-hop and techno?

“Yes and no,” he says. “Because I have white and black keys on my piano.” He smiles, then adds: “But also the dynamics of electronic rhythm machines is a very strong element in what is called funk music or urban music. Electronics is very connecting.”

Did he recognise electronic music’s potential to bring people together from the first time he touched a synthesiser.

“Yes, yes,” he says, pretending to play the air with his fingers. “You can feel it.”

Such connections flowed in both directions – as Afrika Bambaataa melded Numbers and Trans-Europe Express to create Planet Rock, and Cybotron’s Clear laid the foundations for techno by looping Hall of Mirrors, so too did Hütter and his band absorb the burgeoning dance music scene when the Belleville Three started taking them out to club nights. Did he let himself loose and dance? “It was a long time ago now,” he says, coyly. “But yes, of course.”
Hütter maintains that for all the long gaps between releases, the band are still hard at it when they’re not on tour, keeping office hours at Kling Klang, tweaking tiny details, finessing artwork, performing upgrades to existing work whenever a technological advancement occurs. As for other projects, goings on inside the Düsseldorf studio remain secretive, although the group do still gather for cycling trips together at the weekend. Is being an avid cyclist a prerequisite for joining the band?

“No, but it helps with the music,” he says. In what way? “You can only go in one direction – always forward. Also, it’s about being independent. You use your own forces to go forward.”

Hütter is especially excited to play the opening of the event when it comes to Düsseldorf on 1 July. In fact, he has even designed artwork for some carbon-frame bikes that will be launched at the opening. “We have to work in these other areas, because we are not allowed to ride the Tour de France,” he says. “We are too slow.”

Kraftwerk have spent the past three decades slowing down musically, too. Despite the hours of perfectionist rigour that have gone into releasing the current 3D Catalogue box-set (if you can’t make the live shows – and have a 3D television – it’s the next best thing), there’s no escaping the fact that Tour de France Soundtracks has been their only album of new material since 1986’s Electric Café. The man machine is part human, after all, and Hütter must surely be aware now that the years are creeping up on him. Is age something that bothers him?
“Well, things will happen. Biological laws will still apply.” And would Kraftwerk carry on – perhaps even with the robots taking over, as happens during the encore of their live sets? “Certain programmes keep running,” he says. “It’s a spiritual thing. Musical ideas that we may have started, they enter into different cultures – Detroit techno, dance music – and then the energies come back to us.”

So the idea that, all across the world, people are dancing to music that came from his group’s startling vision, gives him strength? “Yes,” he concludes. “It’s all about feedback. That’s what keeps me going further.”

Kraftwerk are currently on a UK tour. 3D – The Catalogue is out now.
上の文章はここ。

Kraftwerk's Ralf Hütter: 'Music is about intensity … the rest is just noise' https://www.theguardian.com/music/2017/jun/15/kraftwerk-ralf-hutter-music-about-intensity-the-rest-is-just-noise?CMP=share_btn_tw

新商品が出たからインタビューかな。まぁ、そんなに珍しい話は全然ないけど。(最近の写真がない。。。
発掘インタビュー 2009年時のクラフトワークの機材など。http://rittor-music.jp/sound/feature/2009/12/181

現在、楽曲制作のメインとなる機材は?

ヒュッター STEINBERG Cubase SXだね。

■それはいつごろから導入されたのですか?

ヒュッター Cubase自体は随分前からだよ。わたしたちはCubaseのテスト・パイロットとして使われたんだ。私たちが必要なものをヘニングとフリッツがメーカーに伝えると、メーカーがわたしたちのために新しい特別なプログラムを書いてくれた。だれも持っていないものを持っていたわけだ。それで、わたしたちを使ったテストが行われた後に発売されたんだ。今のわたしたちは、基本的にはみんなと同じものを使っている。特別な機材が少しだけあるけど、”超特別なもの”というわけではないんだ。わたしは先ほども言ったように、キーボード・コントローラーをプレイしているよ。

■どのようなキーボード・コントローラーですか?

ヒュッター 普通のMIDIキーボードだよ。もちろん、AKAI PROFESSIONALのサンプラーは、33年間にわたるクラフトワークの音楽をデジタル・フォーマットに変換して演奏するために使っている。クラフトワークのあらゆるデジタル・サウンド・ライブラリーがあるので、それを適宜、曲に組み込んでいるんだ。
とし代お姉さまのHPでへにたんのソロのリンクがあった。

姉さまのブログはこちら。 6月28日
http://kraftwerkaholic.blog.fc2.com/blog-entry-1584.html

へにたんのソロはこちら。http://www.cezame-fle.co.uk/liste_titres_album.php?id_album=1653

1953年12月26日生まれ(63歳)
オリジンデュッセルドルフ、ドイツ
職業オーディオ工学
楽器シンセサイザー
電子打楽器
活動中の年1991-現在(ステージ上)
1978年 - 現在(エンジニアとして)
関連する行為Kraftwerk

1991年に音楽アカデミーラインラントと応用科学デュッセルドルフの大学で学び、1980年に彼は音と映像技術の彼の大学院のエンジニアの資格を受けたのヘンイング・シュミッツ[要出典]彼は1991年にフェルナンド・アブランツの出発後発電所に参加しました。以前はクラフトワークの1986アルバムエレクトリック・カフェに入金され、以降1978からサウンドエンジニアとしての材料に働いた。[要出典]。彼はそのため、音楽や1980年代半ば以降WDRによって生成ラジオ番組のための効果音の様々な作品を作成しました、そう、現在ロベルト・シューマン研究所のフリーランス講師として動作し、加えて、他のアーティストのプロジェクトに時折サウンド制作作業の下になります。[要出典] wiki


これ、若い時の写真?http://kraftwerk.hu/kepek/koncertek/ismeretlen/Kw%2041%20Henning%20Schmitz.JPG

2005年 http://kraftwerk.wikia.com/wiki/Henning_Schmitz


ここのページもへにたんについての情報がまとまってる。https://alchetron.com/Henning-Schmitz-398074-W
えーこんな明るくなっちゃったの部門ってへにたんの影響デカいのかなあ。と、ちょっと思いましたっちゃ。(まぁあんまり理解してない)

スタジオで仕事してらっしゃる動画もあります。
彼はロボット、モデル、トゥールドフランス - 誰もテクノミュージックの祖先であるクラフトワークのタイトルを知っています。カール・バルトスはバンドの最も創造的な段階のドラマーであっただけでなく、作曲家としてカルト・グループの最大のヒット曲に大きく貢献しました。 Ex-KraftwerkのメンバーとエレクトロミュージシャンのKarl Bartosは、彼のエキサイティングな自伝「The Sound of the Machine」を発表しました。 A。 Kraftwerkでの彼の時代、彼の人生と一般的な音楽について。 Monkeypressは同情的なミュージシャンと話すことに名誉を持っていた。
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あなたは最近The Sound of the Machineという本を出版しました。そして私は本当にその本を食べました。特に、コンピュータにサンプラーや音楽プログラムがないときに、Kraftwerkで音楽を作ったときのパッセージ。あなたの自叙伝の時間はいつになったのですか?
ヴォルフガングは90年代に比較的早い時期に自伝を書いた。もちろん、私もそれを読んだが、私はそれを私のために考えなかった。私はまだ私の人生を見るにはまだ若すぎると思った。それは部分的なセクションだけだっただろうし、私はより大きな距離を望んでいた。そして、芸術大学でベルリンで教鞭をとっていた時、音の伝記という言葉がゆっくりと私の心に浮かんだのです。私はあることを追求したかったからです。音楽の秘密は、すべての人が異なった音を聞くということです。そして私はそれがどのように私に来たのかを知りたかったのです。それが一つのアプローチでした。 2009年に、Kraftwerkのカタログが公開されました。そして私は私の見解を書き留めることにしました。つまり、70年代半ばから80年代の終わりまでの話全体。これらの2つのアイデアは一緒になった。一方では健全な伝記の考え方、他方はクラフトワークの歴史です。そして私は一般的に音楽について話す第三のレベルを追加したかったのです。それは比較的難しく、私は自分自身を扱いたいと思っていました。

ヴォルフガング・フルールという名前だけが落ちた。ヴォルフガングの本は、場所で検閲された。それは書いている間あなたに影響を与えましたか?あなたは魂のことを自由に書きましたか?
私はその時のヴォルフガングの若者に対するこの検閲を引用しました。彼はもはや十代の若者ではなかったが、ヴォルフガングのレベルはとても感情的である。そして、彼が本を今日書いたのであれば、90年代とは違うと思うだろう。私はすでに本をどうやって紹介するのか考えました。そのイントネーションを得ることはそれほど簡単ではありませんでした。結局のところ、この本は充実したものになりました。私は自伝の2年を書きました。私はそれをもっと軽くしたいと思っていました。そして今まで私は以前の同僚から迷惑な手紙を受け取っておらず、ウォルフガングも満足していました。もちろん、私は手紙を期待していました。特にRalfHütterは彼が非常に慎重に見えることはよく知られています。しかし、すべてうまくいった。

あなたの物語は、あなたの音楽史は数十年にわたります。あなたは記憶からすべてを書きましたか?本の中であなたは日記を言います。
私は1969年以来カレンダーを保持していたことはとても幸運でした。それは今日までです。そこにいくつかの考えを書くことができます。それは真実の日記ではありません。しかし、すべての日付と個人の思考は、再びそこに見つけることができます。また、私は思考とテキストの断片で空白のページをすべて書き始めました。そして、それは非常によく実証されています。

あなたは1954年にバイエルンからラインランドに移りました。 1974年にデュッセルドルフのロバート・シューマン・カレッジで学んだ時、あなたの世界のキャリアはクラフトワークで始まりました。名声があなたの家族に影響を与えましたか?
私は非常に早く家に帰って、共有アパートで友達と一緒に住んでいて、1977年に、Trans Europa ExpressとDie Mensch-Maschineのアルバムのようなものを知りました。私たちはその意味での家族生活を導いていませんでした。私はヴォルフガングとエミールと一緒にバーガー・アレーに住んでいました。それはもっとグループのアーティストのようでした。
Kraftwerkであなたの時間に戻りましょう。 1981年にあなたはアルバムComputerweltをリリースしました。振り返ると、これは先見性のあるアルバムでした。当時のデータの誤用について既に警告しています。 「InterpolとDeutsche Bank、FBIとScotland Yard、FlensburgとBKA、そこに私たちのデータがあります」という歌詞を引用します。
もしそれが警告だったのか分からない。これは単なる在庫品です。コンピュータの世界は良いことも悪いこともありません。それはアルバムの本当に面白いことです。もちろん、時間はちょうどドラッグネットだった。私たちはRAFを経験しました。そして、私たちは、Fassbinder Weltによる映画を電線で思い出しました。しかし、それは警告ではありません。もちろんそれは政治的でしたが、それを今日の世界と比較すると、その時に起こっていた抗議はかなり奇妙でした。
"...私たちの人間は、私たちの音響環境の音を構成します..."

今日、ソーシャルネットワーク上のほとんどの人が、自分自身に関するすべてを明らかにしています。当時、人々は生年月日や居住地が公開されたときに奇妙なことを発見しました。 [笑い]ので、すべてがそんなに変わった。私はこの文脈でしかお勧めできないので、Aldous HuxleyのNice New Worldを読んだり、George Orwellが1984年に読むことができます。そうすれば、私たちがいた気分を正確に感じることができます。

現時点では、テロも増えています。そして、データ監視に関する大きな議論があり、エドワード・スノーデンのような人々は私たちに食べ物を与えてくれました。データストレージはどこまで行くことができますか?
是非とも話すポイントがたくさんあります。選出された代表者が分裂し、ヨーロッパや世界の各国が異なるアクセス権を持ち、決定に苦しんでいる場合、誰も監視国を望んでいません。これはすべての西洋人にとって強調することができます。

The Sound of the Machineでは、Conny Plankとのコラボレーションがどのようになったのかを説明します。今も素晴らしい映画Conny Plank - The Potential Of Noiseがあります。一般的に、クラフトワークのアルバムに対するプランクの影響はいくらか軽視されている。どのように評価しますか?
私もConnyを知る必要がありました。残念ながら、Kraftwerkは映画の中でSong Autobahnを数秒間演奏することはできませんでした。残念ながら、彼らはそれを許さなかったし、私はConnyの死の後でさえ、ある種の憤りが存在することが非常に奇妙であることを発見した。あなたはあなたの質問に非常に簡単に答えます。あなたは、1974年の古いプレートの高速道路をぶら下げた後、一緒に作ったミックスのバージョンを掛けます。私は第二の生産の最初の生産で詩を聞くことができません - 私は自分自身が関わっていました。そして、私は、私たちの考えが乖離し、私たちがそれから崩壊する理由を記しています。

あなたはあなたの作品に「ムザク」という言葉を記述します。これは、基本的に私たちをどこにでも連れてくるサウンドカーペットの一種です。デパートやエレベーターなどでは、いつもこのノイズを耳に持つことが難しいミュージシャンと同じように想像しています。そしてスタジオに行き、自分の音楽を作ってください。これはどうやって扱いますか?あなたは単にそれを消すことができますか、本に記載されているように実行するだけですか?
あなたは知っている、メッセージ、muzak、この音楽の絶え間ないドラミングは、音楽は理由が必要ではなく、遍在し、独特であり、再現性がないということです。私が言うことができるのは、Spotifyのスローガンです。「私たちはあなたの人生のあらゆる瞬間に適切な音楽を持っています。しかし、私たちの生活の瞬間には、音楽が一切必要ありません。 [笑]音楽にはイベントが必要です。そしてそれが主な問題です。あなたが店にいるときは、音楽を聞くことができます。ホールドしていても、歯科医によってどこでも聞くことができます。それと同時に、音楽は平凡である。それはあなたがひどくやっていることです。音楽はユニークです。私たちは1877年以来、現代社会でそれらを録音することができましたが、もはや彼らの制作の場所と時間に縛られることなく、時間と空間の録音を通して自由になりました。しかし、無料だけでなく、記録にも捕まった。
それで、あなたはイベントとして、非常に特別なものとして、他の人と分かち合うべきものとして、音楽を知覚するためにはもっと多くのことをしなければならないことが分かります。

灌漑だけで、私たちはどこでも音楽を聞くことができ、音楽ビデオを見ることができるので、音楽は価値を失いました。
その通りです。録音は生きていません。誰もが映画を生きているとは言わないが、それは人生の模倣であるかどうかではない。それは音楽と同じです。 zの場合たとえば、誰かがコンサートで携帯電話でオーディオビジュアルにパフォーマンスを記録すると、何らかの形で凍結されます。あなたは自宅でもそれを見ることができますが、この瞬間は独特で、その瞬間を実際に体験し体験することに焦点を当てたことを思い出してください。一定の再表示は経験ではありませんが、これはあなたのことを再び思い起こさせるデータです。

だから基本的にあなたは音楽を生きるべきだと言うことができます。残念なことに、電話でコンサートを撮影し、素晴らしいショーを見逃す多くの人々がいます。
右。彼らはその瞬間を逃す。彼らはその瞬間を模倣しますが、実際の経験はありません。音楽を聴くことは、聴くこと、感じること、思うことを意味します。私が思考から離れて自分自身をメディアに捧げると、今日のメディアは私をレポーターの何かにしています。そして、どこかに投稿したいので、コンサートだけを録音する人もいます。彼らのFacebookページで。

この本では、音との魅惑的な魅力を説明しました。どのように想像しなければなりませんか?ポータブルレコーダーで世界各地を駆け回り、あなたの音楽に使用する万能サウンドをサンプリングしますか?
いいえ、まったくありません。 [笑い]ある時点で、私の興味は非常に若い時期に目を覚ましました。そしてそれは音楽を通して起こった。会話、ラジオの聴取、教会の鐘や雷鳴の聴きなど、音はどこでも聞こえる、世界は健全です。自然、環境、テクノロジーの音。しかし、これらの音は音響的な情報によく似ています。そして思春期の私のセクシュアリティの目覚めに関連した音楽を通して、この音楽の音は初めての気持ちを作り出しています。音響情報は意味を持っていました。そして私はポップミュージックを通して音楽の歴史を知るようになりました。この音楽の歴史の進化は、私たちがそれほど知っているクラシック音楽だけでなく、モダニズムの始まりに環境音を整理できるというアイデアも非常に特別なものでしたどのように音楽を整理する。

もちろん、私が65歳で世界を回ったとき、私はすべての車と鳥の歌の音楽を直接認識しませんが、環境の音は残っています。そして私の音楽は何かを創造する時です。この言葉は "これは私の耳にある音楽"です。現金登録が鳴っているときには、それは耳の中の音楽です。 [笑い]私にとっては音楽です、鳥が私と一緒に庭で歌うとき、それは素晴らしいです、または雨のリズムが素晴らしいと思います。これらは、特定の状況下で音楽的に解釈される環境の音です。それは私には当てはまりません。私にとっては環境音楽だけです。かつて「環境は社会の構成です」と言ったのはMurray Schaferでした。今日の世界は、100年前と200年前とではまったく異なっています。そして人間は、自然、環境、そして何よりも技術の音の作曲家です。

あなたの今後の計画は何ですか?新しいカール・バルトスのアルバムはありますか?またはあなたのプロジェクトElektric Musicからエスペラントのようなリマスタリングされたアルバム?
はい、計画はありますが、この本の執筆は長く疲れた段階であり、現時点では次のプロジェクトがないとうれしいです。引き出しにはいくつかありますが、まずは年を終わらせたいと思います。そして、再びライブコンサートを考えます。

私はそれを楽しみにしています。最高のインタビューのために全力を尽くしてありがとう。
非常に好きです。
カールバルトスインタビュー(最近の)Interview: KARL BARTOS (ehemals KRAFTWERK) https://monkeypress.de/2017/11/interaktiv/interviews/interview-karl-bartos-ehemals-kraftwerk/ @monkeypress_deさんから
Karl Bartos‏ @KarlBartos
17分17分前

Well, obviously there are things I didn‘t tell in my memoirs!! Thanks Cosmo Sim
Bingによる英語からの自動翻訳

まあ、明らかに私の回顧録では話さなかったことがあります!おかげでコスモ Sim (←これどういう意味?

つーか、この写真は何w
こういうネタらしい。同じ文言でこの画像もつぶやくカール様。
Kraftwerk Sex Objekt (German version) https://youtu.be/4fV8Mi4D5DA @YouTubeさんから 久しぶり聞いてますがなかなかいいなあ(笑)これは入れて置こう。
https://twitter.com/KarlBartos/status/948896332198088704

カールさんのTwitterから。
わかーい☆
interview with Ralf Hütter(Kraftwerk) マンマシーンの現在 | ラルフ・ヒュッター(クラフトワーク)、インタヴュー | ele-king http://www.ele-king.net/interviews/006889/index-3.php @___ele_king___さんから

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