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私の勉強部屋コミュの能 狂言

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No.011 「 肥後の能楽 」

http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=011&pre_page=1

能】鉄輪 他 正月見たもの ラーメンズとかw #mixi_diary http://open.mixi.jp/user/110966/diary/1957790291

熊本県には五つの能舞台が現存し(出水神社能楽殿、段山能舞台、藤崎宮能舞台・菊池神社松囃子能舞台、河尻神宮能舞台)、幽玄の世界が繰り広げられる。http://kumanago.jp/benri/terakoya/?mode=011&pre_page=1





こっちだと色んなところでやってるみたい。

熊本の能楽とこよみ】
http://kumamototeshigoto-labo.jp/smp/special.php?id=4

神社の祭礼に奉納される能楽を「神事能」といいます。例を挙げると、熊本では1月5日に北岡神社・藤崎宮で「松囃子能」、4月6日に健軍神社で「花の薪能」、8月に北岡神社・出水神社で「薪能」、10月20日に出水神社で「能・舞囃子」などが行われています。
藤崎宮秋季例大祭の主要な祭典行事の一つとして、熊本市中央区段山町の御旅所の能舞台で奉納される演能は400年以上続くもので、日本の中で古い歴史と伝統を誇ります。
現在、熊本県内では、出水神社能舞台、段山御旅所(だにやまおたびしょ)能舞台、藤崎宮能舞台、菊池神社松囃子(まつばやし)能舞台、河尻(かわしり)神宮能舞台で定期的に能楽が行われています。


画像は上のリンクからいただきました。



世阿弥とその時代背景についてはこちらに移動します→ http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=81419335&comm_id=2073084

コメント(11)

塩津家三代「能の伝承」 清人 哲生 圭介 熊本 https://youtu.be/v4NVVAqHyR4 @YouTubeさんから
蝸牛 テキスト http://blog.hix05.com/blog/2007/04/post_191.html

いよいよ一緒に行く段になると、山伏は興晴らしに囃子物でいこうといい、『でんでんむしむし、でんでんむしむし』と囃したてながら踊りだす。

山伏「さりながら、ただは行かれぬ。囃子物(はやしもの)で行こうぞ。」
太郎冠者「囃子物は私の得物(えもの)で御座る。それは何と申して囃しまするぞ。」
山伏「別(べち)にむつかしいことでもない。そちは『雨も風も吹かぬに、出な、かま打ち割ろう』と言うて囃せ。みどもは『でんでんむしむし、でんでんむしむし』と言うて浮きに浮いて行こう。」
太郎冠者「これは面白そうに御座る。それならば囃しましょう。」
山伏「早う囃せ、早う囃せ。」
太郎冠者「畏(かしこま)って御座る。(扇で左手を打ちながら)はあ雨も風も吹かぬに、出な、かま打ち割ろう、出な、かま打ち割ろう(常座で小さく廻る)」
山伏「でんでんむしむし、でんでんむしむし(舞台いっぱいに廻る)」

ここが好き。
100分de名著  世阿弥『風姿花伝』 後編 https://youtu.be/ctPVJNNe_vg @YouTubeさんから
世阿弥
風姿花伝風姿花伝 (ふうしかでん https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%A7%BF%E8%8A%B1%E4%BC%9D
世阿弥 本 で検索 アマゾン

https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5/s?ie=UTF8&page=1&rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5
猿楽

名称
散楽(さんがく、散樂)、申楽(申樂)とも書く。読み方は「さるごう(さるがう)」とも。演者(狂言含む)は座頭級のものを楽頭、太夫、一般の座員を猿楽師、または単に猿楽とよんだ。猿楽という言葉は散楽の転訛したものである。申楽の表記は世阿弥の伝書で使われる。世阿弥は猿楽の起源を綴った『風姿花伝』「神儀云」[2]で、「上宮太子、末代のため、神楽なりしを、<神>といふ文字の片を除けて、旁を残し給ふ。是日暦の<申>なるがゆえに<申楽>と名づく。」として、猿楽の文字を嫌っているが、歴史的にはもちろん誤りである[3]

歴史
猿楽(能郷の能・狂言)が毎年4月13日に開催されている能郷白山神社(岐阜県揖斐郡揖斐川町)の舞台

現在能楽と称されている芸能の起源について正確なことはわかってはいないが、7世紀頃に中国大陸より日本に伝わった日本最古の舞台芸能である伎楽や、奈良時代に伝わった散楽に端を発するのではないかと考えられている。散楽は当初、雅楽と共に朝廷の保護下にあったが、やがて民衆の間に広まり、それまでにあった古来の芸能と結びついて、物まねなどを中心とした滑稽な笑いの芸・寸劇に発展していった。それらはやがて猿楽と呼ばれるようになり、現在一般的に知られる能楽の原型がつくられていった[4]。
奈良時代

中国大陸から伝わった散楽が猿楽のはじまりと考えられている。散楽の具体的な内容は史料が少ない為にはっきりしていないが、正倉院宝物の「墨絵弾弓」に描かれた「散楽図」などから推測される限りでは、軽業や手品、物真似、曲芸、歌舞音曲など様々な芸能が含まれていたものとされる。朝廷は散楽師の養成機関「散樂戸」を設けるなどし、この芸能の保護を図った[5][6]。
平安時代

延暦元年(782年)、桓武天皇の時代に散楽戸は廃止される。朝廷の保護から外れたことにより、散楽師たちは、寺社や街角などでその芸を披露するようになった。そして散楽の芸は、他の芸能と融合していき、それぞれ独自の発展を遂げていった[7]。

この散楽が含む雑芸のうち、物真似などの滑稽芸を中心に発展していったのが猿楽と言われる。当初は物真似だけでなく、散楽の流れをくむ軽業や手品、曲芸、呪術まがいの芸など、多岐に渡る芸能を行った。平安時代中期頃より、神道的行事が起源の田楽や、仏教の寺院で行われた延年などの芸能も興り、それぞれ発達していった。これらの演者は元々農民や僧侶だったが、平安末期頃から専門的に演じる職業集団も成立していった。平安時代の末に藤原明衡が著した『新猿楽記』には、「福広聖の袈裟求め・妙高尼の襁褓乞い」「京童のそらざれ・東人の初京上」のような演目が並んでいる。僧侶が袈裟をなくして探し回る、独身の尼さんに乳児用のオムツが必要になる、口の上手な京童とおのぼりさんの東人の珍妙なやりとり、といった寸劇が演じられ、都の人たちが抱腹絶倒していた様子が伺える[8]。また同史料には、咒師と呼ばれる呪術者たちへの言及が見られることから、咒禁道の影響を受けた儀式を芸能と融合させたものがこの時期に存在しており、それらが翁猿楽へと発展したのではないかとの説もある[9]。
鎌倉期から室町期

鎌倉時代には平安時代に成立した初期の猿楽とは異なる芸態の猿楽が出現した。現行の翁に相当する翁猿楽である。永仁5年(1297年)に書かれた『普通唱導集』では、もっぱら翁猿楽について言及しており当時の猿楽が翁猿楽を本芸としていたことを物語っている[10]。

翁猿楽は寺社の法会や祭礼に取り入れられたため、猿楽は寺社との結びつきを強め、座を組織して公演を催す集団も各地に現れた。一部の猿楽の座は、寺社の庇護を得て、その祭礼の際などに芸を披露した。最初は余興的なものとして扱われていたが、寺社の祭礼の中に猿楽が重要な要素として組み込まれるような現象も起き始めた。寺社の由来や神仏と人々の関わり方を解説するために、猿楽の座が寸劇を演じるようなこともあった。これらがやがて、「猿樂の能」となり、公家や武家の庇護をも得つつ、能や狂言に発展していったと言われている[11]。

座のなかでも、とくに大和猿楽の四座、近江猿楽六座が名高い。もともと猿楽は大和において「七道の者」であった。漂泊の白拍子、神子、鉢叩、猿引きらとともに下層の賤民であり同じ賤民階級の声聞師の配下にあった。室町時代には、鎌倉時代の猿楽が発展し観阿弥や世阿弥らの登場によって現在の能楽とほぼ同等の芸能としての猿楽が形作られる[12][13][14]。
猿楽の集大成
平安時代には中央的でなかった猿楽であったが、室町時代になると寺社との結びつきを背景に、延年や田楽の能(物真似や滑稽芸ではない芸能)を取り入れ、現在の能楽とほぼ同等の芸能として集大成された。

猿楽wiki
猿楽 https://youtu.be/aV4cIihlJKg @YouTubeさんから

多賀大社万灯祭の5日最終日のアトラクション

動画は、子どもが踊ってて、衣装が、今風な感じがするけど。
世阿弥の世界
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/zeami/gyouseki/kaden01.html

口語訳もあるみたい。全部読んでないけどメモ。
花伝所書研究 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1125589
ゆう‐げん〔イウ‐〕【幽玄】 の意味

出典:デジタル大辞泉

[名・形動]《「幽」はかすか、「玄」は奥深い道理の意》

1 物事の趣が奥深くはかりしれないこと。また、そのさま。「幽玄の美」「幽玄な(の)世界」

2 趣きが深く、高尚で優美なこと。また、そのさま。
「詩歌に巧みに、糸竹に妙なるは―の道、君臣これを重くす」〈徒然・一二二〉

3 気品があり、優雅なこと。また、そのさま。
「内裏の御ことは―にてやさやさとのみ思ひならへる人の云なるべし」〈愚管抄・四〉

4 中古の「もののあはれ」を受け継ぐ、中世の文学・芸能の美的理念の一。言葉に表れない、深くほのかな余情の美をいう。

㋐和歌では、言外に感じられる王朝的な上品で優しくもの柔らかな情趣をいう。

㋑連歌では、艶でほのかな、言葉に表されない感覚的な境地をさしていう。後に、ものさびた閑寂な余情をもいうようになった。

㋒能楽では、初め美しく柔和な風情をさしていったが、後、静寂で枯淡な風情をもいうようになった。

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