ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

私の勉強部屋コミュのポールディラック

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ポール・エイドリアン・モーリス・ディラック(Paul Adrien Maurice Dirac, 1902年8月8日・ブリストル - 1984年10月20日)はイギリスの理論物理学者。量子力学及び量子電磁気学の基礎づけについて多くの貢献をした。1933年にエルヴィン・シュレーディンガーと共にノーベル物理学賞を受賞している。

彼はケンブリッジ大学のルーカス教授職を務め、最後の14年間をフロリダ州立大学の教授として過ごした。

目次

1 生涯
1.1 生い立ち
1.2 教育
1.3 個人的生活
2 業績
3 著作
4 伝記
5 関連項目

生涯
生い立ち

ディラックは、1902年にイギリスのブリストルで、スイス移民の父チャールズとイギリス人の母の間に生まれた。妹と、後に自殺した兄がいた。
[icon] この節の加筆が望まれています。
教育

ブリストル大学で電気工学と数学を、ケンブリッジ大学で物理学を学んだ。
[icon] この節の加筆が望まれています。
個人的生活

私生活では、ディラックは1937年にユージン・ウィグナーの妹の Margit と結婚した。結婚当時、Margitには二人の連れ子がおり、またディラック自身は彼女との間に二人の娘をもうけた。
[icon] この節の加筆が望まれています。

物理学以外の事柄には余り関心を持たなかったと言われ、友人であったオッペンハイマーが詩を愛好するのを批判して、「誰も知らないことを誰でもわかる言葉で語るのが物理学だ。誰もが知ることを誰にもわからない言葉で語るのが詩だ。」と言ったことがある。

また、有名になることを極度に避けていたと言われ、ノーベル賞が決まった際には、有名になることを恐れて受賞を辞退しようとした。その際、師であるラザフォードが「もしノーベル賞を断ったら、君はノーベル賞をもらった場合より、もっと有名になる」と言って説得した結果、渋々賞を受けたと伝えられる。
業績

ハイゼンベルクによる量子力学の定式化(行列力学)を受け、1925年に量子力学での力学変数の間の交換子と古典力学でのポアソン括弧の関係を見出した。1926年にシュレーディンガーによって提案されていた波動力学と行列力学との間の等価性を、シュレーディンガーと独立に証明した。また、パウリの排他律を満す粒子の統計力学(フェルミ・ディラック統計)をフェルミと独立に考察した。ここでディラックはある粒子系の波動関数が粒子の入れ換えについて対称(反対称)である事が、その粒子がボース・アインシュタイン統計(フェルミ・ディラック統計)を満すことと対応する事を見出している。

1928年に電子の相対論的な量子力学を記述する方程式としてディラック方程式を考案した。この方程式から導かれる電子の負エネルギー状態についていわゆるディラックの海と呼ばれる解釈を提案した。この解釈では電子の電荷と符号が逆で大きさは同じ電荷を持ち、電子と同じ質量を持つ粒子(反粒子)の存在が予言される。ディラックは当初この予言された新粒子を陽子ではないかと考えたが、後に電子の反粒子である陽電子がアンダーソンにより1932年に実験的に発見された。

彼は数学の分野にも大きな影響を与えた。ディラックのデルタ関数は、数学における超関数理論へと発展し、ディラック方程式においてはスピノルなど新しい数学的概念を生み出した。また波動関数の位相に関する考察から量子力学の枠内で磁荷を持つ粒子、磁気単極子、の記述を考案し、更に磁気単極子の存在が電荷の量子化を説明する事を見出した。ここでの彼の考察は数学者によって独立に考えられたファイバー束の数学と本質的に同一であった。磁気単極子を扱った論文で、彼は物理学における数学的な美の重要性を強調している。

量子力学に関する洞察をそのまま記号形式に置き換えたようなブラベクトル、ケットベクトルを駆使して記述した著書『量子力学』(Principles of Quantum Mechanics)は、名著と言われている。ファインマンはこの著書からヒントを得て経路積分を考案した。

他に、基礎的な物理定数から求められる無次元数に10の40乗という値が現れることから大数仮説を提示した。

彼を記念して、ディラック賞が1985年に設立された。


写真はこちらのリンク http://ch08180.sapolog.com/c4710.html

コメント(27)

1975クライストチャーチ - ニュージーランド。ここでディラックのコメントはきれいでhttpハイゼンベルグの言葉と結合することができます?//www.youtube.com/watch V = ZqfTO4 ...。 ThoughtThinksYouに感謝します。,,これもを聴く価値があります。

Branimir Vasilicも親切に音を洗浄し、50サイクルのハムを削除しています。ビッグ感謝 - (私はこれを行う方法がわからない!)のhttpを参照してください。//www.youtube.com/user/el3ktropi ....

最初のビデオレコーダーはちょうどニュージーランドで利用可能になったときにこれらの映画は、古いスプールビデオテープから作られた - 私は品質が非常に悪く、非常に残念です。 (磁気コーティングが触れたテープをオフブラシ。)このような他のより良いものはまだ公衆に提供されていないので、私はこれらのみを掲載しました。私は愚かな彼らを失っただろう思考の年後に、これらの講義を発見しました。私は最近、ガレージを掃除して、そこに彼らがいました!私は明日死ぬと、世界の他の誰もがこれらの小さな宝物のようなものを提供することができなかっただけの場合には、すぐにそれらを共有しなければなりませんでした。これらの記録は規格外ですが、私はそこに誰かが同じくらい私が持っているとして、それらを楽しむことを願っています。このため、再び、私は心からの謝罪を提供していますので、これらの映画は時代に苦しみます。ディラックはこれよりはるかに良いに値します。私は、このレベルで学校を教えてではなく。あなたはそこに人を賢くするためにここで彼らはその後です。ディラックは忘れすることはできません....

【ディラックの海】最も変な科学者ディラック - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2136965653115978501
現代物理の世界〈3〉物理学の魔法の鏡 (1972年) ディラック http://www.amazon.co.jp/dp/B000J9ZWJG/ref=cm_sw_r_tw_dp_KCjcwb1VBTNKD @amazonJPさんから

読んでみたいけどなあ。あるのかな。
2/6 この世は 何から出来ている?  ディラック 方程式 https://youtu.be/T3jiMyFmtRk @YouTubeさんから
相対論的量子力学 http://members3.jcom.home.ne.jp/nososnd/qu/qu.html
動画まとめ(見てない) https://www.youtube.com/watch?v=4qfdCwys2ew&index=5&list=PLF0EB9C1FE78C5B8B
Paul Dirac and the religion of mathematical beauty https://youtu.be/jPwo1XsKKXg @YouTubeさんから
ハミルトニアン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%B3


ハミルトニアン(Hamiltonian、ハミルトン関数、特性関数)は、物理学におけるエネルギーに対応する物理量である。各物理系の持つ多くの性質は、ハミルトニアンによって特徴づけられる。名称はイギリスの物理学者ウィリアム・ローワン・ハミルトンに因む。

ここでは、古典力学(解析力学)と量子力学の2つの体系に分けて説明するが、量子力学が古典力学から発展した経緯から、両者は密接に関連する。ハミルトニアンはそれぞれの体系に応じて関数または演算子もしくは行列の形式をとる。例えば、古典力学においてはハミルトニアンは正準変数の関数であり、量子力学では正準変数を量子化した演算子(もしくは行列)の形をとる。
マレーゲルマン・・クオークの父 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3
弦理論 弦理論(げんりろん、英: string theory)は、粒子を0次元の点ではなく1次元の弦として扱う理論、仮説のこと。ひも理論、ストリング理論とも呼ばれる。


1970年に南部陽一郎、レオナルド・サスキンド 、ホルガー・ベック・ニールセン (Holger Bech Nielsen|en) [1]が独立に発表したハドロンに関する理論によって登場したものの、量子色力学にその座を譲った。しかし、1984年にマイケル・グリーンとジョン・シュワルツ (John Henry Schwarz) が発表した超対称性及び、カルツァ=クライン理論を取り入れた超弦理論 (superstring theory)によって、再び表舞台に現れた。4つの基本相互作用を統一する試みとして注目されている。

最近では、超弦理論やM理論を含む広い意味で「弦理論 (string theory)」と呼ぶことも多い[2]が、ここでは超対称性を持たないボゾン弦 (bosonic string) について記述する。
歴史
弦理論以前

S行列理論

弦理論はヴェルナー・ハイゼンベルクによって1943年に始められた研究プログラムに由来している。そのプログラムはS行列理論と呼ばれ、物理法則を根本的に考えなおすものであった。この理論は、1950年代から1960年代に渡って著名な理論家たちによって支持され発展を見せたが、1970年代に評価が薄れ、1980年代に研究は途絶えた。いくつかのアイデアは根本的に間違っており、量子色力学が強い相互作用を説明する理論として取って代わったため、この理論は現在は使われていない。

1940年代までに陽子および中性子は電子のような点様粒子ではないことが明らかになっていた。それら粒子の磁気モーメントはスピン-1/2 のチャージを持つ点様粒子のものとは大きく異なっていて、この違いは小さな摂動が原因と考えるには大きすぎた。それらの粒子間の相互作用は非常に強かったので、その散乱特性は点様ではなく小さな球体のような振る舞いをした。ハイゼンベルグは強い相互作用をする粒子は事実上広がりを持つ物体であると提唱し、広がりのある相対論的粒子については物理法則の適用に困難があるため、彼は時空点の観念は原子核スケールでは成立しないとすることを提案した。

しかし、時空の仮定なしに物理理論を形式化することは困難である。ハイゼンベルクは、この問題に対する解決策は実験によって計測される観測可能な量に焦点を当てることであると考えた。もしミクロな物理量を古典的な検出素子に転送できるなら、実験はミクロな量しか観測しない。異なる運動量状態の量子重ね合わせが無限大に発散する物体は安定な粒子である。

ハイゼンベルクは、時空が信頼できないときでさえ、実験と無関係に定義される運動量状態の概念は依然として機能するとした。彼が根本的であると定義した物理量は入射する粒子集団(散乱前)が反射した粒子集団(散乱後)へと変化する量子力学的な振幅(散乱振幅:反応の起こりやすさ)であり、彼はその間にどんな段階も存在しないとした。

S行列は散乱前の粒子の重ね合わせがどのように散乱後の粒子に変化するかの遷移状態を記述する。ハイゼンベルクはS行列を直接研究することで時空の構造についてはどんな仮定もしないでおくことを提案した。しかし、中間的な段階なしに一段階で遠い過去から遠い未来への遷移が起こるとき、どんな量も計算することが困難となる。場の量子論において、その中間的な段階は場のゆらぎまたは等価な仮想粒子のゆらぎである。この提案されたS行列理論では、局所的な量は一切存在しない。

ハイゼンベルクはS行列を決定するためにユニタリ作用素を用いることを提案した。このとき考えうる全ての状況において、振幅の二乗の総和は1となる。場の量子論において、基本的な相互作用が与えられると、この性質を用いて摂動級数によって順々に振幅を決定することができる。しかし、多くの場の量子論において、その振幅は高エネルギーへ急速に増加するためユニタリS行列を作ることができない。ユニタリティは散乱を決定するのに高エネルギーの振る舞いに関する余分な仮定を必要としたため、この提案はあまり注目されなかった。

ハイゼンベルクの提案は1950年代後半になって、ヘンリク・クラマースおよびラルフ・クローニッヒ (en) によって発見されたような分散関係が形式化されるべき因果律の考えを許容するということが認識されてきたことで、再び注目を浴びることになった。因果律とはすなわち、ミクロのスケールでは過去と未来の観念が明確に定義されていないとしても、未来の出来事が過去の出来事に対して影響を及ぼさないであろうという観念である。その分散関係はS行列の解析的性質であり、それらの性質はユニタリティ単独から得られる条件よりも厳しいものであった。

この方法の著名な賛同者はStanley Mandelstam (en) およびジェフリー・チュー (en) であった。Mandelstamは新しい強力な解析形式である二重分散関係を1958年に発見し、これが解決困難な強い相互作用における発展の鍵となるだろうと考えた。

くりこみ理論

ニュートン以来の質点の概念をそのまま用いて場の量子論を取り扱う場合、しばしば無限大の発散による困難を伴う。この問題に対して、朝永-シュウィンガー-ファインマンらがそれぞれ独立に、くりこみ理論によってこの発散を防ぐ技法を創出し、点粒子のままでの電磁力場の量子論的計算を可能にした。これ以後も弱い相互作用、強い相互作用にくりこみ理論を適用する数学的技法が見い出され、点粒子による表現はその後も継続されることとなった。
ハドロンの弦理論

レッジェ理論

1950年代から1960年代に渡って、強い相互作用をするかつてなく高いスピンの粒子が多く発見された。そして、それらはすべて基本粒子ではないことが明らかになった。坂田昌一らは、それらの粒子を複合粒子として理解するモデルを提唱した(坂田模型)。坂田模型は、1960年代になってマレー・ゲルマンおよびジョージ・ツワイクによるクォーク模型へと発展し、実験との矛盾が解消された。クォーク模型は、複合粒子を構成する基本粒子のチャージを分数にすること、およびそれらの基本粒子はまだ観測されていない粒子であると考えることによって完成した(坂田模型は、すでに観測されていた陽子、中性子およびラムダ粒子を基本粒子と考えていた)。一方、ジェフリー・チューのアプローチは分数チャージを導入せず、仮説上の点様の基本粒子ではなく実験的に計測可能なS-行列要素にのみ焦点を当ており、坂田模型やクォーク模型よりも主流とみなされていた。チューは、ハドロンには基本粒子はなく、お互いがその他のハドロン粒子を構成しあっていると考えていた(ブートストラップ模型)。

1958年、イタリアの若い理論家のトゥーリオ・レッジェは、ハドロンの散乱実験において、共鳴状態の静止質量の2乗とスピン角運動量との間に直線関係があることを見出した(直線レッジェ軌道)。そして、量子力学における束縛状態はこの角運動量のレッジェ軌道によって分類できることを発見した。この考えはMandelstam、Vladimir Gribov (en) およびMarcel Froissart (en) による相対論的量子力学として一般化された。このとき使用された数学的方法は、アルノルト・ゾンマーフェルトおよびKenneth Watson (en) によって十年前に発見されていた。

ジェフリー・チューおよびSteven Frautschi (en) は中間子は直線状のレッジェ軌道を作ることを認識した。レッジェ理論によれば、直線状のレッジェ軌道を持つこれらの粒子の散乱は大きな角度で指数関数的に急速に落ち込むというとても奇妙な振る舞いすることが示唆された。そして、散乱振幅がレッジェ理論の要請により漸近的な形を取るような複合粒子の理論を構築することが望まれた。大きな角度においてその相互作用の力は急速に落ち込むので、その散乱理論はいくぶん全体論的 (holistic) でなければならないと推測された。粒子が点様でない場合の散乱は、高エネルギーで大きな角度の偏差を導く。

双対共鳴模型

この種の最初の理論である双対共鳴模型は、ガブリエーレ・ヴェネツィアーノによって構築された。1968年にヴェネツィアーノが発表したこの共鳴モデルは、レッジェ軌道を説明する公式を「散乱振幅」として表現した(ヴェネツィアーノ振幅)。それにはsチャンネルとtチャンネルという二通りの記述が可能であった。しかし、その双対性の物理的な意味は不明であった。

ヴェネツィアーノは、オイラーの ベータ関数をレッジェ軌道上の粒子について4粒子散乱振幅データを記述するために使うことができるであろうと記した。ヴェネチアーノ散乱振幅は木庭二郎およびホルガー・ベック・ニールセンによってすぐにN粒子の散乱振幅に一般化された。これは現在、Miguel Virasoro (en) およびJoel A. Shapiro (en) によって閉じた弦として認識されているものに当たる。強い相互作用の双対共鳴模型は1968年から1974年までは主要な研究テーマであった。
量子の海ディラックの深淵を読んで、やっとなんか弦理論みたいなのの位置関係がちょっとわかったような気に今なってる。
なんかディラック博士ってそれっぽいなと思ってたけど、上の本に自閉の話が入ってたのはちょっとイラっとしたわよ。


へー。http://radphys4.c.u-tokyo.ac.jp/asacusa/ja/

ディラック(Dirac)が彼の相対論的波動方程式(Dirac 方程式)に基いて反粒子の存在を予想した後、1932 年に宇宙線から陽電子(反電子)が発見され、その存在が実証されました。 さらに 1955 年にはアメリカ、ローレンス・バークレー研究所の加速器 (Bevatron) を 使った実験で 60 個程の反陽子生成が報告され、その翌年に反中性子も発見されていま す。(表 1 参照) 1965 年には、欧州原子核研究機構 (CERN、セルン) で反重陽子も発見され、その後、反三重陽子、反ヘリウム 3 原子核が旧ソ連の研究所などで、反α粒子 = 反ヘリウム 4 原子核は 2011 年にアメリカの BNL で発見が報告されました。 一方、反陽子と陽電子の束縛系である反水素原子の合成は 1995 年に CERN の PS210 という実験グループによって 11 個(バックグラウンド 2±1 個)という僅かな数ですが、初めて報告され、続いて 1997 年にフェルミ国立加速器研 (FNAL) の E862 からも報告されるなど反粒子からなる「反物質」の存在も確認されています。この時、合成された反水素は光速に近い速度で飛んでいて物理測定の対象たりえていませんでしたが、2002 年に CERN の二つの実験グループ ATHENA、ATRAP によって冷たい反水素の大量合成が報告されて、ようやくその研究へ道筋が見えたところです。
ろば電子の話
http://d.hatena.ne.jp/ozuma/20141215/1418569452

ろば電子とは、相対論的量子力学においてスピン1/2の粒子(典型的には、電子です)を扱うディラック方程式に登場する、負エネルギーを持つ電子の呼び名です。英語でもそのまま、「donkey electron」と呼ぶようです。

f:id:ozuma:20141213160453j:image:w500

もし本当に負エネルギーを持つ電子があれば、これは通常の粒子とまったく逆の動きをすることになります。押せば近寄ってくるし引っ張れば遠ざかる、つまり力の向きと運動の向きが逆になるはずの、あまのじゃくな電子です。

なお、ろば電子と「真空」は切っても切れない関係があり、この理論によれば「真空」とは、「ろば電子がみつしりと詰まつてゐる」状態を意味します。これは現在でも形を変えて生きている理論であり、現在の物理学では「真空=何もない」と解釈することはありません。真空には、ろば電子が詰まっているのです。
何故、ろばなのか

ろばというのはあまのじゃくな家畜として有名で、押すと近寄ってくる、引っ張ると離れようとする、水を飲ませようとしても絶対に飲まない、というように人の働きかけと正反対の行動を取ることが多くあります。こんな背景から、ディラック方程式に登場する負エネルギー状態を持つ電子を、ろば電子と名付けたようです。なお、ディラック本人がろば電子と呼んでいたかどうかまでは調べていません(たぶん言ってないと思う)。

戦前の資料を見ると、日本では当時は「驢馬電子」と漢字で表記していたようです。
ろば電子の導出

この項では、なるたけ知識ナシに読めるよう、数式などは思いっきりはしょって説明します。
量子力学と電子

まずは事前知識。

量子力学では、やたらと電子を対象とした問題が登場します。なぜそんなに電子を扱いたいのか(あるいはなぜそんなに電子萌えなのか)ということは、化学や物理学をやったこと無い人には分かりにくいでしょうから、まずそこを簡単に解説しておきます。

電子を量子力学で扱うのは、古今東西において(そして現在も)重要です。これは、モノの性質の根本は電子状態で決まるからです。あるモノの電子状態が分かれば、もうそのモノの性質は分かったようなもんなのです(See: 電子配置, バンド理論)。

皆さんが日常感じる物性的な疑問(どうして金属は光沢があるのか、どうして磁石にくっつくものとくっつかないものがあるのか、どうして塩は結晶になると立方体になるのか、なんでダイヤモンドはあんなに硬いのか、どうして電流は流れるのか、とか)は、ほぼ全て、物質の電子状態の説明でカタがつきます。

また原子ひとつひとつの性質(どうして原子番号と同じ数の電子を持つと電気的に中性になるのか、どうして水素原子の周りの電子は原子核に落ち込まないのか、とか)は、やっぱり電子がモノを言います。それゆえ、物理学者も化学者も、みんな電子状態の計算に萌えているのです。

ろば電子が登場するのは真空中の自由電子であるため、素粒子論に踏み込む感じで物性論で扱う電子とは若干テーマが異なりますが、どちらにしろ電子状態がその系への理解を助けることは事実ですから、以上の説明はそんなに間違ったとらえ方ではありません(たぶん)。
シュレディンガー方程式から出発

ろば電子が出てくるのはディラック方程式ですが、そこまでたどりつくのは結構大変です。なので、色々はしょって駆け足で説明します。あんまり細かい式を出すと眠くなりますし、反変・共変ベクトルが出てくると、悪魔のテンソル計算(上付き・下付き)とスピノルに私のトラウマもうずいてしまうので、ここで詳しくは解説しません。

まず、次の非ポテンシャル下でのシュレディンガー方程式は、皆さんよくご存じでしょう。知らない人は知ったかぶりをしてください。これは真空中の自由電子にも当然適用できます。(これからずっと、真空中の自由電子を考えますので、皆さんの頭の中にも電子を飛ばしておいてください。)

i ¥hbar ¥frac{¥partial}{¥partial t} ¥psi = - ¥frac{{¥hbar}^2}{2m}{¥nabla}^2 ¥psi

しかしシュレディンガー方程式は非相対論的(難しく言えばローレンツ変換に対して不変ではない)なので、高エネルギー状態を考える際にはこれでは不十分ということになります。

※数式ははしょってます(プログラムが出てるところがそれ)
クライン・ゴルドン方程式

さて先ほどのシュレディンガー方程式に、相対論的効果を取り込んでみましょう。これは具体的には、相対論的エネルギーと運動量の関係式に対して、シュレディンガー方程式でもおなじみの置き換え E ¥rightarrow i ¥hbar ¥frac{¥partial}{¥partial t}と ¥mathbf{p} ¥rightarrow - i ¥hbar ¥nablaをすることで導出できます。これによって得られるのがクライン・ゴルドン方程式です。(こういう天下りの与え方ではなく、もっとちゃんとした出し方もあるけど省略)

¥left¥[{¥partial}^{¥mu} {¥partial}_{¥mu} + (¥frac{mc}{¥hbar})^2 ¥right¥] ¥psi = 0

クライン・ゴルドン方程式は、記号の使い方で色んな書き方があるのですが、ローレンツ変換に対して不変であることを示すために4元ベクトルで書いておくのが良いでしょう。上付き下付きの添え字は、例のごとく和を取ります。
ディラック方程式

クライン・ゴルドン方程式は、「良くない」性質を持っていると考えられていました。何が良くないかと言うと、以下2点の問題が出てくるのです。

連続の方程式(確率の保存)を計算すると、負の確率密度が出てくる
エネルギーを計算すると、負のエネルギーが出てくる

このうち(2)は置いといて、(1)については、クライン・ゴルドン方程式が時間について2階微分の項を含むことが根本的な原因です。というわけで、時間について1階微分の方程式を作ることができれば良いということになります。

ここからディラックスピノルというものを成分とするディラック場を導入したり、興味深い計算が色々行われるのですが、その辺はもう全部ばっさりと省略して、ディラック方程式の具体的な形もここでは出しません。結果としてディラック方程式は、正の確率密度を持つため(1)を解決できましたが、(2)の負エネルギーの問題はそのまま残りました。

ここまでの歴史の流れは以下となります。(歴史の流れであって、この通り数式を追っていくわけではないことに注意)

ニュートンの運動方程式
 ↓ 一般化座標(計算がしやすくなる)
ハミルトン方程式
 ↓ 量子化(量子力学に移る)
シュレディンガー方程式
 ↓ ローレンツ不変(相対論的効果を入れる)
クライン・ゴルドン方程式
 ↓ ディラック場の導入、時間について1階微分(確率密度を正に保つ)
ディラック方程式
ディラック方程式とエネルギー準位

先ほど負のエネルギーの話をしたので、実際にディラック方程式から出てくるエネルギーを見てみましょう。もう皆さん忘れちゃったかもしれませんが、今、我々は真空中の自由電子(すなわち非ポテンシャル下の電子)を考えています。

ディラック方程式はシュレディンガー方程式と同様に、ハミルトニアンの固有値が、観測されるエネルギーとなります。詳しい計算は省略しますが、運動量pに対して、取り得るエネルギーEは、

E = ¥pm ¥sqrt{c^2 ¥mathbf{p}^2 + (mc^2)^2}

となり、絶対値が等しい正負の2つがあります。(なお量子状態としては4つありますが、プラスマイナスのそれぞれが2重縮退しているので、観測されるエネルギーは2つです)。

具体的にグラフに書くと、次のようになります。そんなに難しくありません。縦軸がエネルギーE、ということだけ理解すればだいじょうぶです。

f:id:ozuma:20141213160615j:image:w500

これはつまり、ある運動量pに対して、電子の取り得るエネルギー値はプラスとマイナスの2つあり、そのプラスとマイナスのエネルギー差(エネルギーギャップ)はp=0の場合でも2mc^2という非常に大きな値だということです。

さて、このグラフには大きな問題が2つあります。

正のエネルギーの電子(グラフ上、E>0の曲線上にいる電子)は、ギャップのエネルギーぶんを放出してどんどん負のエネルギー状態(グラフ上、E<0の曲線上)に遷移してしまうのでは?(現実にそうならないのは何故か?)
負のエネルギー状態の電子とはなんなのか? 本当に存在するのか?

という2点が問題です。この負のエネルギーの存在が、当時の物理学者を悩ませることになります。

なお上図ではグラフを曲線で描きましたが、エネルギー準位は量子化されていますから、実際には連続ではなく「とびとび」です、念のため。
ろば電子が詰まつてゐる

やっとここまで来ました。先ほどのグラフへの2つの疑問の答えは、「負エネルギー状態の方へ、ろば電子がみつしりと詰まつてゐるから」ということになります。
なぜろば電子が詰まっていないといけないのか

基本的に物理学が扱う対象は、エネルギーが最小の状態を取ろうとします。これは電子で言えば、常に隙あらばフォトンを放出して(あるいは単に「光って」と理解しても良いです)低エネルギー状態に遷移しようとしている、ということです。ですから、もし負エネルギー状態に空席がたくさんあれば、この世界に存在する電子はどんどんそこに落ち込んでいってしまうはずです。

f:id:ozuma:20141213160701j:image:w360

現実の電子がそうならないのは何故か? これには、電子がフェルミ粒子(フェルミオン)であるということにヒントがあります。そこで、ここでいったん寄り道して、フェルミ粒子について解説します。これが無いと、何故ディラックの海が出てくるのかが理解できないので。
フェルミ粒子(フェルミオン)とは

皆さんは化学の授業などで、簡単な原子の電子軌道は学んだと思います。水素→ヘリウム→リチウムと原子番号が増えるに従い電子も増えるので、1s軌道から2s軌道へと、電子を埋めていく軌道が外側へと移っていきます。

このとき皆さんは、「どうしてわざわざ外側の軌道を取るんだろう、一番内側の1s軌道に電子を3つも4つも入れればいいじゃないか」と思いはしませんでしたか。
電子の量子状態を考えるとき、電子がフェルミ粒子であるという性質を無視することはできません。フェルミ粒子とは、複数の粒子が同一の量子状態を取ることができない粒子です(詳しく語ると教科書一冊になるので思いっきりはしょります)。

電子もフェルミ粒子ですから、系内に複数の電子があるときに、それらは同一の量子状態を取ることは許されません(誰に許されないかというと、それは「物理法則に」でも良いし、「神に」でも良いし、「パウリおじさんに」でも良いです)。

「じゃぁ同一軌道には1つしか入れないじゃん! 1s軌道には2つ入ってるよ、嘘つき!」と思うでしょうが、電子はスピンの向きにより|↑>と|↓>の2状態あるため、1s軌道には|↑>と|↓>の2状態、つまり2個の電子が入ります。ですからヘリウム原子の基底状態では、1s軌道に2個の電子が入り、これで満員です。
負エネルギー解

負エネルギーの解に話を戻します。もし先ほどのグラフで、負エネルギー側で取りうる量子状態の全てに電子が詰まっていれば、そこは「満員」で電子は状態遷移できませんから、落ち込むこともできません。ディラック先生の発想がぶっ飛んでいたのはここです。

彼はまさに、現実の真空には負エネルギーを持つ電子(ろば電子です)が「みつしりと詰まつてゐる」と主張しました。これがディラックによる負エネルギーの解釈です。

f:id:ozuma:20141213160726j:image:w360

このため、負エネルギーを持つ電子(しつこいですが、ろば電子です)が詰まっている、グラフの下半分は「ディラックの海」と呼ばれるようになりました。なおここまでずっと電子と言ってきましたが、ディラック方程式は別に電子に限った話ではなくスピン1/2を持つ粒子すべてに成り立ちますから、スピン1/2の粒子の「ろば」が、同じく「みつしりと詰まつてゐる」ことになります。
ここまでの議論がなんとなくうさん臭く感じる方向けに、次のような話もできます。

系全体として安定状態ならば、それはもっとも低いエネルギー状態を取っているはずです。そしてこの系では、負エネルギーに状態を詰めれば詰めるほど、(負の値なのですから)系全体のエネルギーは下がります。つまり、物理的にもっとも安定な状態として実現されるのは、この系においてはマイナスエネルギーすべてを詰めた状態となるはずです。ですから、ろば電子すべてが詰まった状態が安定であり、現実に取り得る状態である…………と解釈しても良いわけです。
陽電子(positron)

ここまでの議論では、「で、そのろば電子の正体はなんなのか」が全く明らかになっていません。回りくどく感じるかもしれませんが、この問題は、ろば電子そのものではなく「ろば電子の抜け跡」の議論をすると分かってきます。

f:id:ozuma:20141213160805j:image:w360

もしディラックの海からろば電子が一つ飛び出して空席ができた場合、その穴は「プラスの電荷を持ち」「電子と同じ質量を持つ」粒子のように見えるはずです。そんな粒子は既に見つかっており、これは我々が現実に観測する、陽電子です。ここまでで見てきたとおり、陽電子の質量と電荷の絶対値は通常の電子と全く同じとなるはずで、実測値もそうなっています。

電子と陽電子が出会うと2つの粒子が消滅し、先ほどのグラフの上下の差分のエネルギーを放出します。具体的には、ガンマ線が観測されます。これは、電子が「ろば電子の抜け跡」に落ち込んでろば電子になる、とも解釈できます。

逆に、真空に対してE>0とE<0のギャップ(差分)より大きなエネルギーを与える(これもガンマ線を使います)と、そこから電子と陽電子がペアになって登場します。これはろば電子が励起されて、「電子」と「ろば電子の抜け跡」のセットが現れただけと解釈できます。はじめにも述べましたが、真空には何も無いわけではありません。真空には、ろば電子がぎっしり詰まっているからこそ、このようなことが起こるのです。

電子と陽電子が出会って消滅する辺りの話について詳しくは、物理学アドベントカレンダー 2014の10日目、id:aetos382 さんの「粒子と反粒子」をご参照ください。
ろば電子と反物質

ここでちょっと補足。

私もちょっと前まで勘違いしていましたが、「陽電子 = ろば電子」ではありません。「電子の反物質 = 陽電子 ≠ ろば電子」です。

先ほど見たように、ろば電子は負の質量を持ち、押すと引っ張られる、引っ張るとあっちにいく、という通常の力の作用とは全く逆の動きをします。一方の陽電子は現在実際に見つかっており、電子と全く同じ質量を持ちます、つまり正の質量を持っています。

真空中にはろば電子が詰まっており、何かの拍子に(典型的にはガンマ線の照射で)、ろば電子がディラックの海から抜け出すと、その抜け穴が陽電子として振る舞います。つまり、「ろば電子の抜け跡 = 陽電子」です。

(略)
なぜ「ろば電子」という言葉は廃れたのか

この用語が廃れた原因はふたつあり、一つ目にはおそらく、ロバが身近な生物では無くなったためでしょう。特にヨーロッパ文化圏では、ロバと言えば思い通りに動かないものというイメージがあったため(ドン・キホーテもロバに乗っていましたね)、当時はしっくり来たんだと思います。しかしロバのパン屋を見なくなった現在(このネタももう若い人には通じないようです)、ロバと言われてもよく分かりませんから自然消滅したのでしょう。

もう一つは、そもそも現在の場の量子論では、ろば電子のような珍妙な粒子を登場させなくても、ディラック方程式の負エネルギーの電子をうまく説明できる手法があるためです。つまり、ろば電子は既に役割を終えたのです。
終わりに

あんまり上手くまとまらずに、あちこち話が飛んだかもしれません。詳しく知りたい方は以下に詳解する参考文献と参考リンクを読んでみてください。
参考文献

伏見康治先生の、ずばり「ろば電子」という本があります。なんと戦前刊行の本ですが、復刻版は今も手に入ります。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

私の勉強部屋 更新情報

私の勉強部屋のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。