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私の勉強部屋コミュのハンセン病・ハンセン病の歴史

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ハンセン病について。

年表 

我が国におけるハンセン氏病をめぐる事実関係 http://homepage2.nifty.com/misoshiru/hansen-byo.htm

最初にハンセン病が伝染病とわかったときから、このような感じだったようです。

1873 ◆ ノルウェーのアルマウェル=ハンセンが、ハンセン病患者の病巣部から「らい菌」を発見し、ハンセン病は「らい菌」による感染症であるとの考え方が示された。
1897 ◆ ベルリンで開かれた第1回国際らい会議において、ハンセンの唱えた「感染症説」が国際的に承認される。この会議において「的確な治療法の存在しない現在、感染症であるハンセン病の地域への蔓延を阻止、予防するには患者隔離しか方法はない」と決議された。
  ただし、ここにいう『患者隔離』とは、「ノルウェー方式」と呼ばれる相対的隔離政策を意味していた。
 (1) ハンセン病は一般清潔法の普及により予防できる。
 (2) ハンセン病の隔離は家庭内隔離が原則(ベッドを共にして寝ないなど)である。
 (3) ただ、貧民で家庭内隔離が不完全なときは国立病院に救護隔離する必要がある。この場合も患者の同意を要する。
 (4) 強制隔離は、浮浪患者等に対するごく例外的な場合のみに認めるべきである。

・・・

なぜ、日本はノルウェー式を取らず、強制隔離の方に向かったのか?と言う話ですよね。何らかの政治的な意図があったのではと思います。



日本のハンセン病問題 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85%E5%95%8F%E9%A1%8C
様々問題と起こったことが網羅されてます。ハンセン病の問題は、精神疾患等の場合と同じく差別によってまともに治療されなかったり、2重3重の疾患を引き起こすと言うところもあるように思いました。


第十 ハンセン病医学・医療の歴史と実態 https://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/10.pdf
PDFですが、かなり興味深いです。投薬の歴史など。

コメント(16)

ハンセン病の現在 http://sumigoon.jugem.jp/?eid=2363
【ハンセン病の知識】明治時代は特に、富国強兵、健民健兵の考え方から人間扱いされていませんでした。さらに差別偏見が強い事から家族の中からこの病気にかかった者がでると、就職や縁談はもとより生活そのものが成り立たない状況がありました。http://www.geocities.jp/furusatohp/hansen/3funkouza.html
知って欲しい】重監房という地獄があった 群馬のハンセン病施設が再現 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1925671511&owner_id=110966
戦争とハンセン病 と、人権後進国日本。 #mixi_diary http://open.mixi.jp/user/110966/diary/1925182604
「栗生楽泉園」は中を見学したことがあります。
ももさんの日記

※mixiコミュニティ[ハンセン病問題を考える]より “樹木希林、河瀬直美新作で主演「死ぬ死ぬ詐欺みたいね」” 他 チェック
http://mixi.jp/home.pl?from=global#!/diary/26173757/1938734976
一読お願いします】ハンセン病についてちょっと気になってること。・・差別と感染 #mixi_diary http://open.mixi.jp/user/110966/diary/1951499617
【Leprosy.jp】インドネシア 島々に横たわる現実を見よ! ハンセン病の現場にレンズを向けて vol.1 https://youtu.be/0dqEen7Zy6I @YouTubeさんから
コメント7のリンクで、何回言ってもハンセン病が発症しにくい病気だって最初っからわかっていて、差別を作る構造(強制収容)を作ったのはクニの間違いなんだよって説明してもわからない人がいたので、これちょっと凄いなと思った。たぶん高齢でアレなんだろうと思うけど。

光田健輔を訪ねて・・・ http://yoshiko2.web.fc2.com/mitsuda.html なかなか興味深いレポート。必要のないハンセン病の強制収容を推し進めた後ろには世論みたいなものもあったんじゃないのかなあ。でもそれを変えるために必要なことはしてないんだよね。
三菱総研の資料 ハンセン病対策関係略年表2. - 三菱総合研究所 http://www.mri.co.jp/project_related/hansen/20060329/1_sankousiryo.pdf
後で別トピに書きだすかもしれないですけど、・・

七 歴史に学ぶ
1.若干の比較検討

まず、ハンセン病療養の動きと精神障害者対策の動きとを、比較検討してみよう。

両者はともに、病者を苦しみから救うためでなく、対外的顧慮および諸外国に対する日本の体面から始め
られた点で共通している。占領下に制定された精神衛生法はその後、ライシャワー大使刺傷事件、宇都宮病
院事件などに際し、対外的顧慮から改正されてきた。だが、外国からの批判を真摯に受けとめようとの態度に乏しく、無視するか、表面だけ受け入れて恰好だけつけようとすることが多い。

国際的な意見の無視はらい予防法改正過程ではさらに顕著であった。 ハンセン病医療において国際的意見の無視を招いた要因としては、第1に日本の中心的ハンセン病学者であった光田健輔の“癩は治らぬ”との信念があった(鈴木敦子〔日本女子大学卒業論文〕「『救らいの父』光田健輔は歴史的批判に耐え得るか」、200
2年)。そして日本のハンセン病療養所および関係学会の首脳陣は、光田の閨閥および門下によって占められていたのである。
行政側もこれを批判する姿勢をもたなかった。精神病医療の側では、精神分裂病不治という指導的精神医学者の妄信があり、精神障害者の危険性を強調して予算をとってきた厚生省官僚がいた。入院精神科医療のほとんどを背おわされてきた民間の精神病院経営者にとっても、外国の動向よりは病院の経営維持こそが関心事であった。

ただ、ハンセン病療養はほとんどが国および地方公共団体によってなされたのに対し、精神障害者対策、とくに医療面は、民間の手に大部分が委ねられてきた点は、対照的である。ここで目を結核に転じてみると、結核による死亡者数は1910(明治43)年代から年間10万人を越していたが、日本が本格的に結核に取り組むの
は、結核が軍の兵員補充に重大な脅威を与えるに至った1937(昭和12)年からである。

つまり、国民にとって重大な疾患であっても、それが国策上重大となるまでは、真剣にその対策に取り組むことがないのが、日本国の体質であった。ハンセン病は感染症であって、国として何らかの対策は必要である。しかし、資本主義体制に乗らないために私立の専門病院・療養所はほとんど発達せず、しかも患者はそう多くはない(1919年全国調査で16,261名)。これらがハンセン病療養を公営のものとさせた要因であろう。

他方、精神病患者はかなり多数(1917年調査で64,934名)で、しかも私立精神病院が少しずつ発達してきた
。財政窮乏のなかで精神病患者に振り向ける予算はできるだけ減らしたい、との判断が働いたのだろう。またハンセン病患者に対し皇室の“御仁慈”がことさらに強調されていたが、精神病患者にそれが示されること
は僅かであった。

ハンセン病および精神病に対し、戦後における新薬の登場はまさに革命的なものであった。しかし、プロミンなどの薬効はらい予防法の改正には影響しなかった。精神衛生法は向精神薬登場前に制定された。

この法律は向精神薬の普及後も措置入院制度中心に運用されて、精神障害者は危険だとの印象を深く刻み込ませることになった。ちなみに、措置入院制度がもっとも広く運用されていた当時からの対象人数の減少分を、今日の医療費に換算すると、6兆円を越す積算値になる。

この額を早くから入院外医療他に向けていれば、日本の精神科医療はもっと違ったものになっていたはずである。民間依存だからそういう大きな政策転換が図れないのでである。とすれば、民間活力を保ちながら政策転換を図る知恵と勇気とが日本の今後の精神科医療に求められているといえよう。

また、ハンセン病についても精神病についても、革命的新薬が政策転換をもたらさなかった背景には、両者ともに基本的には不治であるとの医学者の妄信があった。



さらにいえば、動的な治癒概念に移りえない日本の医学理論の旧態があった。
医療は、ハンセン病療養施設においても精神病院においても低劣なものであった。患者看護までも入所者に託されていたハンセン病療養施設と、医師・看護師などは一般病院よりずっと少なくてよいと今もされている精神病院とはまさに好一対である。

両者ともに、医療よりは隔離収容に重点がおかれていた。両者ともに、一般社会から切り離された単科の密室的な場であり、内部には特別権力関係が存在していた。どちらにおいても、ある時期には超過収容が行われ、このことが、そうでなくても薄い治療密度をさらに薄くした。

療養慰安費あるいは日用品費は、両者ともに一般病院におけるよりも著しく切り下げられていた。

とくに、ハンセン病療養施設における療養慰安費は、精神病院における日用品費よりもさらに低かった。こういう差別方針決定が、どういう根拠で、どんな審査過程を経てなされたか、今後さらに追究されなくてはなるまい。
https://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/10.pdf
療養所への患者送り込みは「お召し列車」と呼ば れる特別列車が使われました。このような国の政策によって、患者は行動住居、職業選択、学問、結婚の自由などありとあらゆる人間としての権利を奪われたのです。http://www.hansenkokubai.gr.jp/history/history_02.html


続き 強制収容や消毒のやり方は、患者や家族の人権に全く配慮しない、見せしめ的な形で行われました。そのことで周囲の恐怖心を あおり、患者家族への社会的差別を決定づけました。多くの患者は、家族に差別が及ばないように との配慮から、強制隔離後も自らの存在をひた隠しにするようになりました。死んだことになっている患者も少なくありません。

現在でも多くの患者が帰る故郷を失い、肉親との再会を果せずにいます。
こうしてハンセン病患者は、社会に害毒を巻き散らす危険な存在というレッテルを貼られ、その後長年にわたり家族を含めて激しい社会的差別に遭うことになりました。

・・・


お召し列車って名前で、なんか天皇が乗ってるのもあるけど、なんか同じ名前になってるのがゾッとしますね。
コロナの今こそ見直しておかないといけない歴史だと思います。 3−1.菊池事件一 菊池事件の内容と経緯 https://www.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=5974&sub_id=1&flid=18&dan_id=1
コメント9のリンクが無くなってたので。

光田健輔を訪ねて で検索すると、記事が出ます。

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