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みんなにやさしい自作小説コミュの小説「雨の行きつく場所」 第七章 −対価−

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将来の約束のために式を挙げたいと両家の両親に言ったとき、僕の母親だけが静かに辞退した。

「きちんと籍を入れる、その時の結婚式に参加するわ。」
と。

 結局母抜きでは、と小夜の両親も僕の父も参加を辞退したので二人だけの式となった。

 準備にはそんなに時間がかからなかった。古着屋をめぐって白い愛らしいワンピースを買い、小夜は裾に水色の刺繍糸で花の刺繍をつけた。はぎれのレースでベールを作り、ブーケと冠は式の当日に川の土手に咲いていた野の花をつんで作った。
 僕はかしこまった黒いズボンと白いワイシャツにアイロンをかけ、小夜がネクタイの代わりにと小夜の祖母の形見の水色のスカーフをネクタイに見立ててくれた。
 
 恩師であり、僕らの二人目の父のような神父は日曜のミサのあとの昼過ぎに時間を作って挙げてくれた。
 
 オルガンの音楽も何もないけれど、教会の外を歩いていたであろう子どもたちの歌声がお御堂まで聞こえてきた。
 
 赤いじゅうたん。両側にずらりと並ぶ木の椅子。壁に飾られたさまざまな聖書のシーンの版画。
 白い大理石で作られた祭壇。大きなろうそく。その向こうにある、木の十字架。
 
 ステンドグラスから差し込む色とりどりの光に包まれ、小夜は目に涙をたたえて心持顔をあげていた。透き通るような肌と白い服と野の花で飾られた小夜は本物の天使のようだった。


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 公彦の話しはそこでふと止まり、その頃の思い出をいつくしむように遠くを見つめた。彩はそこでようやく、公彦の遠い目の意味がわかった。この人は現在よりも過去の幸福に囚われている。

「その後は、その、どうなったんですか?」
 ためらいがちにたずねると、公彦はうつむいてさみしそうにしていた。
「卒業してしばらくしたあと、小夜は知り合いのハーブガーデンの手伝いに遠くに行ってしまいました。」
「遠く?」
「うん、イギリス。」
「ずっと?」
「そう。僕は絵描きとしてなかなか芽が出なくてね、ずっとアルバイトをしながら細々と雑誌のイラストなんかを請け負っていたんだけれど、小夜が自分の夢を見つけたと言って、イギリスに行ったあと、抜け殻のようになっていました。」

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「やりたいこと?」
「そう、やっと見つけられたの。」

 その日の君の表情を僕は一生忘れない。希望と夢に満ちて、でも不安もたくさんあって。いくつもの可能性があふれだしている。 
 小夜はその時、町の美術館の学芸員のかたわら、ハーブの勉強をしていた。小夜の母の更年期障害がきっかけで、自然療法に関わるいろいろな勉強をしていたのだが、ハーブはそのうちにもっとも小夜の心に響いたものだった。
 僕に、反対する権利はない。何より小夜の、夢を追う姿を見るのは幸せだった。

 小夜が行ったあと、僕は体の半分がなくなってしまったような心もとない日々を送っていた。僕らは卒業しても、いつでも会いたい時に会えた。仕事帰りに、休みの日に。いつでも、思う時に。自由に。

 ふと気付くと、僕の肩によりかかって眠る小夜の心地よい重みや、嬉しいと早足になって二、三歩先に行ってからふいに笑顔でふりかえるくせや、二人で公園に行ってあてどなく歩いた時の会話なんかを、くりかえしくりかえし思い出していた。
 つないでいた−小夜はいつも右側にいた−右手は寒々しい。

 離れていても、心はつながっている。誰しもそう思うし、僕も小夜も、そう思っていた。例え寂しくても、お互いが夢のためにがんばるのであれば、距離なんて関係ない。

 そう、思っていた。

 僕は、小夜がただすぐ側で笑っていることや、ちょっとした隙に見せるするどい見解や、ふと抱きしめたときの温もりや、そんなものの積み重ねに救われていたんだ。

 いつも側にいるということを当たり前にできる贅沢。
 
 僕は気がつくと、小夜の面影を追って絵を描くようになった。その時は絵でなかなか芽が出なくて、世界の広さと自分の小ささを痛感している時だった。

 どうしたら絵が売れるのか、そんな欲と焦りが先行し、絵らしい絵を描けていなかった頃だ。

 僕はあの日の教会での小夜を思い出し、繰り返し描いた。何度も描いて、描いて、描いて。気がつくと泣いていることもあった。
 絵を描くことはこんなに孤独だったろうか。
 こんなにさみしいものだったろうか。

 すぐ側に小夜がいたから、安心して絵に没頭することができていたんだ、と気がついた時はもう遅かった。それぞれの生活、それぞれの地盤がその時固まりつつあった。そしてそれは、人の力や愛情や好きだという思いだけで壊せるものではなくなっていった。僕も小夜も、一人で生きているわけではない。社会に出てさまざまな立場や責任を負っていくことになる。ただ、好きだから一緒にいるというそのことが、年を重ねるにつれこんなに難しくなるとは、あの時思いもしなかった。

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「不思議なことにその時描いていた絵が偶然の重なりで絵本になることになったんです。そこから、絵本作りに活路を見出して、必死に取り組んで・・。早く、小夜にちゃんとプロポーズしようと。そこらか画家として、絵本作家としてある程度の地位が確立された時、小夜はハーブガーデンの管理人の事情で代わりに管理しなくてはいけない状況にありました。すべて自分で管理するというのは、とてもいい勉強になるし、こちらの仕事にも責任はあるから日本にはまだ帰れないと言われてましてね。」
 先生の今の画風もその時に固まったのだと言う。私はふと思いついた。
「先生の庭ってもしかして小夜さんが?」
「うん、小夜にコツを教えてもらって僕なりに作ってみました。」
「そうだったんですね。とても素敵な庭だなあって思って。」
「ありがとうございます。」
「・・小夜さんは今もイギリスに?」
「そう。結局、お互いのやりたいことをやる余りに、ずっとタイミングがあわないままこの年になってしまった。小夜はそのハーブガーデンを今では正式に継ぐか継がないか、という所まで話しが行っています。」
「ええ。」
 それじゃあ、もう日本には帰って来られないのに。
「僕は夢を叶えました。十分すぎるぐらいの幸せを得た。その代わり、長い時間、一番大切な人と一緒にいるっていう幸せを手放してしまいました。」
「先生は後悔しているのですか?」
「あの時、どうして夢を捨てなかったんだろうって思います。小夜が側にいればそれで、全部良かったんだろうにって。」
「先生、それって違いませんか?」
「ん?」
「昔のことは昔のことで、それが正しかったとか間違ったとかっていうのはわからないし、それよりもまだお互いに思う気持ちがあればどうして小夜さんに自分の気持ちを話さないんですか?」
「僕は、自分の夢を選んだんです。小夜が小夜の夢を叶えたのに、それを捨てて僕の側にいてほしいなんて、今更言う資格はありません。」
 この時、私は生まれて初めてと言っていいほどの怒りがわいてきた。
「じゃあ、先生が小夜さんの側に行けばいいじゃないですか。どうして行かないの?このままずっと離れ離れでいいの?小夜さんだって、きっと先生の夢の邪魔をしたくないからイギリスに来てって言えないんじゃないですか?」

 先生は驚いたように私を見ていた。それからそっとハンカチをさしだしてくれた。
「彩ちゃん、泣かないでください。」
 私は自分でも知らない間に泣いていた。
「だって、先生も小夜さんもお互い好きなのに、先生って自分勝手だし、一緒にいたいのに言わないし、なんにもしようとしないんだもん。そんなの嫌です。小夜さんがかわいそう。先生はなんにもわかってない。でも小夜さんもイギリスに行っちゃうなんて。わかんない。二人とも何が一番大切なのか、わからない。好きなのにどうしてなんですかッ!」
 私は子どものようにだだをこねて泣き続けた。先生はすいません、と謝りながら私が落ち着くように肩をぽんぽんと叩いていた。
「ありがとう。」
「違います。先生たちが自分勝手だから呆れてるんです。」
「それでも、ありがとう。」

 ふと顔をあげたとき、先生は今までとは違っておどおどとした雰囲気もなくしっかりとした顔つきで私を見ていた。少年のような表情が消え、大人の男の人のそれになっている。

「彩ちゃんの言う通りです。僕はね、イギリスに行くことを考えなかったわけじゃなかったんです。でも、年老いた両親のことを思うと、なかなか踏ん切りがつかなかった。」
「あ・・。」
 今度は私が謝る番だった。
「ごめんなさい。先生の気持ちも考えないで、ひどいことを。」
「いや、彩ちゃんは何も悪くない。君に聞いてもらえて良かったです。本当に。」
 先生はもう一度ありがとうございます、と言って静かに微笑んだ。

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 尚は壁に寄りかかって私を見ている。
「なるほどね。それで目真っ赤になってたわけか。」
「うん。」
「難しい話しだよな。どれも簡単に割り切れるものじゃないし。」
「でも、なんだかもどかしいの。先生も小夜さんもお互いにずっと好きなのに、どうして動こうとしないんだろうって。」
「そりゃね、ネコ猪みたいな人間ばっかりじゃないってこと。」
「む?」
「お前みたいに、なんでもずばずばと決めたり、捨てたり選んだり、そうやって動ける人ばかりじゃないの。あっさり語ってるけど、小夜さんも先生も今の仕事に打ち込んできた情熱は半端じゃないと思うよ。簡単に手放せるなら悩みはしないよ。」
「そうだけど。」
「けどじゃない。口答えしない。」
「尚、最近保護者っぽい言いかたするようになった。」
 不機嫌な顔をする私に尚が不敵な笑みを浮かべる。
「彩は僕の嫁さんっぽい顔になったね。」
「なっ。」
 耳まで赤くなるのがわかった。不意打ち。
「ずるい、今そんなこと言うなんて。」
 尚の肩をぐいぐい揺らしてみるが、笑ってばかりで全然動かない。
「僕は彩がアフリカだろうが、インドだろうが」
 尚はそう言ってふいに私の頭に手を置く。
「行くと言ったら、行くなって言うけどね。」
「え。」
「うそだよ。悩むと思う。でも結局送り出しちゃうかもな。わからないけどさ。」
「うん。」
 尚の言葉、尚のいる部屋の空気。先生と小夜さんのことでやけただれた心が、静かに落ち着いていくのがわかった。
「私は、尚がどこに行くって言ってもついていくよ。」
「そうか。それはうれしいね。」
「だって、絵はどこでも描けるでしょう?尚は一人しかいないもの。」
「・・恥ずかしいことを言う。」
「仕返しです。」
「それはおそろしい。」
「そうでしょうとも。」

 二人でふざけて笑いあって、夜もふけていく。何気ない時間の積み重ね。怒ったり笑ったり呆れたり、諦めたり選んだり。時間を共有しながら年を重て・・。 それはおそろしく奇跡的で果てしないことに思えた。不確かな人と世界の中で、そんなことが起こるなんて。

 先生は夢の対価として、こんな時間を手放した。そのことについて思いをめぐらせていると、そのまま窓の外の月明かりに目が行った。たとえば太陽がなくなった月のように、尚との時間を失えば私はきっと光が消えてしまう。

 絵のモデルのアルバイトは、今度は来週の水曜日の午後。
 先生が今描いている絵は、もうすぐイメージが固まるという。

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