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みんなにやさしい自作小説コミュのその手に残るもの(下)

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 沙奈を寝かせてから、わたしは居間でひとり酒を煽っていた。
眠たげなみゃあを膝に置いて、一足早い夏虫の鳴き声に耳をすませながら。

 ひとりの夜は長い。けれど、一年も同じような時間を過ごしていればいつの間にか当たり前の時間帯になっていた。
 学生時代はテニスサークルの友人たちとカラオケに行っているか合コンに出ているか。とにかく退屈さえ感じなければ、好きでもない男と何度も夜を共にしても構わなかった。
 たぶんわたしはその頃から枯れていたのだろう。流行の最先端に敏感になっていたのも、友人たちと交流を深めようとしたのも、ひとりでいる時間を削れるのならば何でも良かった。わたしにとって、四年間のモラトリアムは苦痛でしかなかった。

 教師の資格を得て涼宮市に帰ってからは、酒びたりのような生活が二ヶ月ほど続いた。二ヶ月――沙奈を預かるようになるまでの短い間のこと。ぎりぎり関東圏にある涼宮市は海と田んぼしかなくて、娯楽なんかほとんどない。けれど社会人になったばかりだったこともあり、毎日が緊張の連続だったから遊びに興じる気力もなくて。結局こうして虫の鳴き声でも聴きながら晩酌するのが唯一の安らぎだった。

 去年のちょうど今頃、姉夫婦が突然実家にやってきてまだ十にも満たない子を持たされることになった。
「お願い、彼方ちゃん」
 遥香は生涯ではじめてわたしに頭を下げた。勝気な性格で、決して自分の非を認めない強情な姉貴。そんな遥香が深深と頭を下げている。
「私たちが時間をかけてやっと決心したことなの。忙しなくあちこち外国を飛び回って沙奈に気苦労させるより、静かな涼宮市ですくすく育って欲しいと考えたの」
 わたしはその突然の申し出に半ば呆れ、半ば怒っていた。
「姉貴はいつも自分のことばかり考えてわたしのことなんかちっとも考えてない。わたしの立場も少しは考えてよ。わたしはまだ二十二歳で、大学を卒業して職についたばかり。こんな精神的にも時間的にも忙しい時期に、そんな突然、受け入れられるわけないじゃない」
 遥香は食い下がった。どこから湧いてでてくるのか、勝気な表情を浮かべて。わたしはこの表情の遥香と一緒にいてろくな目にあっていないことを思い出して、嫌な汗が背中に伝った。
「社会人になったからこそ、責任感を強く求められるようになるの。まだ学生気分が抜けていない今だからこそ重要なのよ。たった一年よ、一年。その一年間で社会人としてもひとりの女としても成長できるチャンスだと思いなさい」
「わたしはこう見えて今とっても切羽詰っているの。そんなときに子供なんて――。ねえ、姉貴。わたしがどうして都会から田舎に戻ってきたか分かる? わたしは静かに過ごしたいのよ。人間関係とか、仕事とか、正直うんざりしているの。お願いだからわたしに構わないで。わたしを静かにさせて」
 わたしの言葉に遥香の夫である祐次さんは困ったようにうつむいていた。遥香は俄然としていたけど。このあたりからも夫婦関係においてどちらが主導権を握っているのか分かりやすく見て取れる。
 わたしはそんなふたりを見てイラついていた。独り身だから、というわけじゃない。伴侶を得てまでひとりの異性を愛し続けると誓える神経が癇に障るのだ。
 だって、好きな異性に恋に落ちて夢見る無垢な少女時代と今は違うのだから。ただイイ男だからと付き合って、当然のように肉体を求められる行為に辟易していたから。
 肉体関係を喜べない、すでに枯れている女に余計気を使うような計らいを持ち掛けないで欲しい。これ以上無駄な人間関係を持ち出さないでほしい。

 しばらく睨み合う時間が続いた。
 いくら気の強い姉貴とはいえ、ここばかりは譲れない。
 遥香が盛大にため息をついた。そして慈しみ深い笑みを浮かべる。
「子供ってね、可愛いものなのよ。特に自分のおなかを痛めてまで生んだ子供は特にね。ねえ彼方ちゃん。わたし思うのよ。今の彼方ちゃんに必要なこと。社会人とか女であることすべてを含めて、大切なこと。何があったか知らないけど、今の荒んだあなたには見ているほうも辛いのよ。だから、私たちのお願いを受け入れるべきこころのゆとりを沙奈から学びなさい。それが、彼方ちゃんのお姉さんである遥香からのお願い。海外に行くことで一番の不安は、我が子よりも情緒不安定な妹のほうなのよ。だからあなたに沙奈を預ける。それがきっと私たちにとって、彼方ちゃんにとっての一番良い選択だと思うから」

 そうして遥香から沙奈を預かって、ちょうど一年。
 その間、確かにいろいろなことがあった。一言で言えないくらい、また文章に表すこともできないくらい、凝縮されたさまざまな出来事と想いの蓄積。
「もうお別れか……」
 自分のことを「かなたちゃん」と呼ぶ沙奈との思い出がキネマのように蘇っては、消えていく。
 ふいに、一滴の涙が頬を伝った。
 慌てて涙を手で拭う。

 この一年で、わたしは変わったのだろうか。
 変わろうと少しでも前向きに生きてきたのだろうか。
 分らない。
 わたしは寂しさに胸を打たれながら、ひとり静かに笑っていた。

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