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Web 文芸誌 "mistoa"コミュの感想◆Gabb-- / 「母の口癖」

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◆mistoa vol.3
◆Gabb-- / 「母の口癖」


 新語は、既存の言葉から派生するケースと、形骸化した言語が先祖がえりするケースと、そしてまったく新しく生まれるケースがある。
 作品でのキーである母の口癖「花が散りぬすと〜変わりぬすと」においては、原型が「散りぬるを」であると推測される以上、上記の1のケースである。
 ここでは、そのケースが何を意味するか考察してみたい。

 ストーリは自分の意思とは関係無く口癖を口走ってしまう病気の母と、自然な感情の発露から母を失ってしまう男、そして引き継がれる病気についてである。

 まず母と男の口癖に注目してみると、母の口癖が、花の散る様を題材とした無常に流れる時間への言及であるのに対し、男のは、恋心を題材とした抗う事の出来ない本能の力を言及している。
 そういう差以外にも、多くの差が見て取れる。男のものには、カタカナ、アルファベットが入り混じり、母のものには新語が二つあったのに対し(「散りぬすと」、「変わりぬすと」)、男のものには、一つしか無い(「パックンコー」。原型は「パックンチョ」であると思われる)。
 また、母のものには見られなかった傾向として、男のものには言葉の新組み合わせが生じている(「ドッキンGood」、「ラブは心で揺れて」、「嫌味な毒蛇がパックンコー」)。

 これらの差が何を示すかと言えば、両者の無意識下の感情であると私は思う。
 つまり、通常、意識上に上る事の無い「本能的」な欲求の言語化であると思うのだ。

 そして、この作品の要点は、その本能的欲求が新語を交えた形で言語化された点である。
 新語を交える事で、その言葉はより明確な意味付けから逃れ、神秘性を増す。そしてそういう神秘性を帯びた根源からの言葉は、現実社会において「病気」と見なされるのだ。
 この事実は、すべての芸術活動に共通する事実である。
 狂気と紙一重の表現は、その時代ごとの価値観に照らし合わされ、高尚か屑か判断される。
 そこを無視した形で、ある種、愚直に、または純粋に、表現されるのは確かに病気かもしれないが、同時に人とは「表現せずにいられない欲求を持つ動物である」と言えるのではないだろうか。

 話が逸れたが、個人的な見解を最後に述べさせてもらえば、物語のラストで、母が例の口癖を口走る場面があるが、ここで母は、病気によって無理やり口走ってしまっているのではない、と捉えたい。
 むしろ彼女は、彼女の意志で、彼女自身を死においやったフレーズを、口にしていた、と解釈したいのだ。
 だからこそ、主人公が「無茶苦茶な病気だと思った」事実を、彼女は超越できるのだと思う。

 つまり社会的価値観を気にせず、純粋に根源からの欲求を表現するという芸術活動を行う心意気を、彼女の中に私は見たと言える。

コメント(1)

そこまで深く読んでくださるとは…、言葉もありません。
(というか書いたのが結構前なので、自分自身の解釈を忘れています。申し訳ない)

ただ、「パックンコー」の原型は「パックンチョ」でなかったことは体で覚えていたようです。本文を読ませていただき、その文字列を見た瞬間、5年からもしかしたら10年ぶりくらいに出会ったような懐かしさの高揚を感じましたので…。ご期待に添えず、申し訳ない。
あと、パックンチョはまだ発売しているのかという疑問に押されふと検索してみたところ、現在も発売中であり、8種類もの地域限定品があることを知りました。私は、ノーマル品ですらここ何年もお目見えになったことがありませんが。…。


どうでもいい話から戻りまして、深い考察ありがとうございます。本文の長さ・内容ともに素直に驚き、喜びました。

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