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竹内三統流研究会コミュの矢野家に関する事

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以前、矢野正雄師範より祖父島田秀誓宛の手紙の中に、西南の役で焼失する前と後の矢野家と道場の場所が手書きの地図で記してありました。私は大学浪人時代に近くの善行寺に寄宿してこの辺を通って予備校に行っていたこともあり、その場所はすぐに分かりました。
焼失前の道場は西南の役後に移築された藤崎八幡宮の参道脇で、隣に相撲の吉田司家(数年前に倒産してマンションが建っています)がありました。吉田司家と並んでいたのは単なる偶然ではない可能性があると考えています。
西南の役後に門人の椿先生らの御尽力で再建された所には今は整形外科医院が建っています。
墓所は白川沿いの上河原にあったのが、昭和28年の大水害の後、立田山麓の霊園に移されています。ここも正雄先生の別の書簡に記してありました。

祖父の遺稿集を出版して間もなく、熊本市のNさんという女性と、合志市のGさんという男性から手紙を頂きました。ともに面識のない方々です。
Nさんは御祖父が矢野姓の柔道家だったので、三統流の師範はその方ではないかという内容で、家系図も同封してありました。矢野宗家に照会したところ、三統流とは関係ないが、細川公に従って丹後から小倉を経て肥後に入国した頃まで遡ると系図が一致する事が判明しました。

Gさんは、御祖父の名が矢野信知先生、御祖母が登志様と記してありすぐに広次師範の曾孫に当たられる事が分かりました。伯父の信英先生(Gさんの父上の長兄)は流儀の継承者の候補にも挙げられた方でした。Gさんも墓所がわからなかったそうで、地図を送ったので大変喜んでおられました。
今年の年賀状にも、それ以来毎年元旦には墓参りされている事が記されていました。

コメント(4)

>大江様

情報提供、ありがとうございます。

記述されている「整形外科医院」は、書籍「竹内三統流探求」執筆時に、
当時熊本在住だった後輩K氏が写真にとって、送信してくれたことがあります。
彼は青潮社(島田先生が「竹内三統流柔術」を出版された出版社)も訪問し、
高野社長と一緒に撮った写真も送信してくれました。


Gさんの件は、お話を伺った時、本当によかったことと喜んだものです。
毎年、墓参をされているとのこと、改めて良かったと思います。
黙鼓子様
うわさのNさんより、年賀状と共にお手紙を頂戴し、田辺城籠城衆に関して調査しているようでした。Y家の直系の先祖に参加した者がいないかの問合せでした。残念ながら判らないと回答しておきました。
>河野様

道場のあった通称鋤身崎に西口のある子飼商店会は、昭和の佇まいを残すことと、水前寺清子さんがそのなかの洋品店の生まれだったことで知られています。

>赤峰様

三統流の稽古会が始まったことは、N女史には昨年の年賀状で知らせておきました。
黙鼓子様
Gさんには、一度お会いして、御兄弟のこととか、どのように育ったのかなどお聞きしてみたいと思っております。

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