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アンダルシア-Andalucia-コミュの「アジア的段階」異聞 〜誘わされるパリージョの響き〜

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「アジア的段階」異聞 〜誘わされるパリージョの響き〜

とにかく、仕事においても、街に出て行き交う人々も、自分の位置または場所を占めるともう動かない。人に気を遣うってことを知らない。

この現象の元になっているのは、「総合性」または「総合力」であろうと思われる。

ひとつのことには集中できるのだが、まったく他を顧みることなくて自分本位、あるいはマイペースなのである。何もマイペースが悪いわけではないが、協同的に生きているのだから、もう少し“他に気を遣うべき”なのだと思う。

例をまた戦場にとるが、戦場の後方で料理を作る者たち(ここでは以下、厨房と言う)は前線にて戦う「状況」を知っていなければならない。そうでなければ、何を作るまたは“すればいいのか”が分からないからだ。

前線と厨房を結ぶのが、いわば「兵站」(ロジスティック)である。
最近、第三次産業においてこの「ロジスティック」がやたら使われるが、元は軍事用語なのである。
それに留意されたい。

それはいわば、いかに前線の情報を知っているかにある。
そういう意味では、アメリカから日本人の唯一の義勇兵として「国際旅団」に赴いた「ジャック白井」はそのことを十分心得ていて、前線でたたかう兵士の要求に懸命に応えたのである。
彼は次々と運ばれる負傷者や戦死者の前で、懸命に努力して前線に食料を届けようとした。その届ける手段がトラックが無くなってからはロバであったらしい。敵さんもその兵站の大切さを熟知していて、特にその運搬手段や運搬者を襲撃するのである。

ついにジャック白井は運搬手段を奪われたとき、あることを思いつき実行する。

前線と厨房の間に「ロープ」を張るのであった。

いっときも早く前線の兵士に「コーヒー」を届けたかったからである。
泥沼の塹壕で、もう戦意を失うような状況にコーヒーが届けられる。みんなは歓喜して、またたたかおうとする。
ジャック白井はいろいろな国籍の義勇兵の中でとても人気が高かった。
彼は、それでも前線に行きたがった。
そして機関銃兵となって、仲間が塹壕で静止するのにもかかわらず、『おれは行く』って塹壕から出た瞬間に撃たれて即死した。

仲間はみな落胆したが、彼の勇気をたたえた。

詩人「ロルカ」も殺されたが、それを悼む新聞の記事の隣にジャック白井の訃報もあった。
彼を讃えた詩も多い。

「総合力」がないと、自分は何をしていいのか分からない。状況を見ようとしない。だから「率先性」がなくていわゆる“お荷物”になってしまう。次なる「手段」をとれない。そして“小利口”な者はその理屈をこねるに至る。

話しはすっと飛ぶが、段階を言った「カール・マルクス」だって、「フロイト」だってけっきょく「アジア的段階」には“ねを上げた”のである。
それは、おそらく宗教的つまりキリスト教的雰囲気に育ち、その理論ももっぱら「資本主義の発展段階」をヨーロッパの“あり様”から見たのではないかと、わたしには思われる。そこに「限界」があるのだ。

かんたんに言うと「アジア的段階」って、とても「混合的」なものであろうと、わたしには思える。そう考えれば“かんたん”に溶ける気がしてならない。無理に、「アジア的段階」を理解し決定づけようとするのではなく、「混沌としたもの」であることを説けばよかったのだと。いかにヨーロッパの資本主義が分析しやすい段階にあったとしても、アジアは地理的にも広くって、その分、「交通」や「交流」も豊かであっただろう。そのことを説けばよかったのである。そんなに難しいことではなかったのに、ってわたしアジア人には思える。

それを、ついに「摩訶不思議」で“括ってしまった”ところに誤謬が生じる。

わたしは、『スペインにハポン姓を求めて』というブログを書いた。
その反響はとても大きく、彼の地アンダルシアやスペインの著名人たちからいろいろなご指摘をいただいた。そこに、遠藤周作の『侍』を読んで下さいとあった。
ブックオフで探したら、他の遠藤周作の文庫本はほとんど100円なのに、なぜかその本だけが400円であったが、ともかく買って読んだ。
実に面白い。これは当時の伊達藩がかんたんに言えばスペインに送った「密使」(たしか鹿倉常長)と同行するキリスト教流布者の“互いに分からぬ”っていう雰囲気の内容であった。要するに、スペインのキリスト教流布者は日本人は分からぬと言い、派遣された日本人はキリストの受難が分からぬというものであった。
そして、そのコメントには添付写真のミス・スペイン「マリア・ホセ」の紹介と写真があった。
わたしはとても驚いた。
そして、とても恥ずかしくなった。
だって、そのことをある年代の人に聞いたらみな“おぼろげに知っていた”からである。
知らぬは、わたしだけだった。
恥じる。
でも、とても良かったと思う。

わたしはスペイン内戦を嗚咽しながらいっぱい読んで、他方、カミセ・ホラの「風来坊」とも“幻視の旅のブログ”も書いた。どんどん、アンダルシアが分かってきた。「民族の融合」なんかではないのだ。そこには“したたかに生きる”情景があることを、わたしは見逃さない。

そして、その当時のあり様がとても「アジア的段階」にあることも。

なぜ、カール・マルクスはこれを見なかったのかと思う。
いずれにせよ、あのスペイン内戦はいまわたしには「不必要」なものだったって思える。ファシズムとは異なっている。なんで、兄弟がふたつに別れて殺し合うのだ。
目立つのは、「スターリンの犯罪」ばかり。

わたしは、スペインに固執して良かったといまは思う。

根付いた「フラメンコ」。
夜半のフラメンコ・ショー。
前線の兵士もわずかな休息にこれを楽しんだであろう。
疲れたら、ますます「美しいものが見たい」っていうもの。

ヴァルで一杯飲んで、スペイン内戦を思い返し、ジャック白井のああ、何て幸せだったのかを思い、そして「アジア的段階」を整理する。
涙して・・・。

遠くから聞こえる「パリージョ」。
わたしは、ただそれに誘わされる!

オレ!

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