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アンダルシア-Andalucia-コミュの『ミツバチのささやき』を観た。〜恐れ入りました。90点差し上げます〜

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『ミツバチのささやき』を観た。〜恐れ入りました。90点差し上げます〜

『蝶の舌』につづいて、昨夜と今朝、『ミツバチのささやき』(スペイン映画:ビクトル・エリセ監督)を2回観た。一回目は“何となく見つめて”観て、起きてから“意識的に観た”のである。
いやはや、これも素晴らしい映画である。恐れ入りました、としか言いようがない。

舞台は1940年のスペインはカスティーリャ地方の小さな村である。1940年とはスペイン内戦の終結直後であり、日独伊三国同盟が成立する年である。

何か荒涼とした人の意識、ただ生きるという存在。それに荒廃した土地と神秘的な山。そして、無意識に生息するミツバチの生態を絡ませる。
そこに、「ミツバチ飼育」を営む家族とその姉妹、特に妹を中心として物語は構成されている。そして、ストーリーは、そのミツバチを眺めて感想を述べる父と、何やら内戦に行ったまま戻らぬ者に手紙を書く母の姿で始まる。さらに、確か、母が手にするオルゴール付きの懐中時計が示唆を与える。

田舎に、紙芝居ならぬ「映画」が巡回してきた。
その映画は「フランケンシュタイン」である。

子供達も、親もみなこの巡回映画を楽しみにしている。いよいよその映画がはじまると、姉妹はもう眼が釘付けになる。
そして、隣り合わせの姉妹のベッドで、姉妹は話し合う。
「お姉ちゃん、どうしてフランケンシュタインはあんなに優しい娘を殺したの?」。「後で教えてあげる!」。「あれはね、精霊なの。だから誰も殺してないし、死んでもいないの!」と姉が言う。「お姉ちゃん、お姉ちゃんは精霊に会ったことある?」。「あるわよ!」。「ウソつき」。こんなやりとりが姉妹のベッドで続く。

ある日、姉妹は父と一緒に、山にキノコ狩りに行く。「あった、これはいいキノコ?悪いキノコ?」。「ああ、これは、毒キノコだよ、ほら、裏側が黒い!」。

この映画は、幼少期から性に目覚めていく子供の、「怖れ」と「興味」を中心に書かれている。また、それが故の「入眠感覚」とその「入眠状態」をよく描いている。

後で触れるが、多くの映画批評家はこれを、例えば、『妹は1940年当時のスペイン共和国の純粋な若い世代を象徴し、姉イザベルのうそは金と権力に取り憑かれた国粋主義者を示しているとも言われる』のだ。
だから私は映画評論家なんててんで相手にしないのである。もう、そのグロテクス・クソリアリズムといったらどうしようもない。確かに、強制下にあった映画監督は、何らかの意思表示はしている。しかし、作品はそうしたものではない。

姉妹は、興味を持って、線路でそのレールの音を聞いたり、廃屋に行ってその井戸を覗く毎日。そして、ベッドで話し合う。こうした光景って、私たちにもあったものであろう。

ある日、姉が何かおかしい、そして次の日、倒れているのを妹が発見する。これは、間違いかもしれないが、姉についに「初潮」が来たことを観た。そんな年齢である。何となれば、その前の光景では、猫に噛まれた姉が、その血で唇を塗るのである。

また、怒るが『ある日、イザベラの悲鳴が聞こえてアナが部屋に行くと、イザベラが微動だにせず横たわっている。アナは使用人のミラロゴスを呼びに行くが、実はイザベラのいたずらだった。』。「いたずら?」。こんな観方でよくも映画評論家が務まるものだ、とつくづく嫌気がさす。

ついにその日が来た。

列車から「男」が飛び降り、あの廃屋へ向かう。そこに妹が訪れ、食事を与えたり看病をする。しかし、ある日、その「男」は銃撃を浴びて死ぬ。死体は村に運ばれる。そして、父が呼ばれる。父は、知らぬといったそぶりをする。しかし、妹がその「男」にあげたジャンパーの中から、Sの類似の「懐中時計」が出てくる。父はそれを持ち帰り、家族団欒の食事のとき、そのオルゴールを鳴らす。姉妹にはその意味が分からない。母は黙っているが、何かを察知した。夜に、黙して手紙を焼くのであった。

いよいよ、妹はおかしくなり、その廃屋を訪ねるが「男」はすでに居ない。妹はふらふらと「山」に向かう。あの父が禁断とした山へ。
捜索隊が出されるがなかなか見つけ出せない。

妹は、その山の小さな泉に顔を写す。それはついに「フランケンシュタイン」に変わる。これはいわゆる「入眠現象」である。

発見され連れ戻された妹は、まだその状態にある。
医者は言う。「何、これは幼少にみられる現象で、すぐに元気になって、忘れますよ」。(映画評論家よりまし)

 妹はある日、起きて外に出て誰かにつぶやく。「アナだよ、アナだよ」って。これがラストシーンである。

 途中、いろいろな現象をみせられるが、特にあの爆走する機関車は、「次の戦争」を象徴させているように思える。

 フランコ独裁の時代の、何か物憂げな田舎で展開された物語である。
ライトの無い部屋。その中にかすかに映し出される情況と意識。上手い!

【追記】 レンタル屋で検索したとき、この作品の評価は低かった。でも私は90点あげる。もう、レンタル屋の評価はどうでもいいと思う。

 『蝶の舌』の感想を述べたとき、読者から「この映画もいいですよ」ってご親切なコメントが入った。ここに感謝申し上げます。まあ、とてつもなくいい映画だと私には観える。

【気に入らぬ評論家の観方の例】
 
 1.高齢の父はミツバチの研究に没頭し、多くの時を書斎で過ごし、若い母は遠く離れた誰かに宛てて日々の生活を手紙に綴っている。アナの一番の遊び相手は姉のイザベル。二人は仲が良いが、イザベルはいつもだまされやすいアナをからかってばかりいる。
【だます?】

 2.その夜アナは森をさまよい、途中で父に教わった毒キノコを見つける。アナは映画のモンスターと出会う。映画で見たシーンと同じ光景だ。一方、母テレサは届いた手紙を読み、焼いていた。
【これは入眠現象だよ、何がモンスターがあらわれるのだ】

 3.最後のシーンで、アナは夜中にベットルームの窓を開け放ち、主人公アナの家庭が感情的に分裂している様子は、スペイン内戦によるスペインの分裂を象徴していると言われている。
【何も分裂した家族ではなく、普通の田舎の家族だよ】
【それと、スペイン内戦によるスペインの分裂を象徴している、のには違いないが、それに偏って、作品の良さを壊すな】
【貴方達よりもスペイン内戦について、私は詳しい】

 4.作中何度かフェルナンド(父)は知性の感じられないミツバチの生態に対する嫌悪をあらわにしている。これはフランコ政権下での、統率がとれているが想像力が欠如した社会を隠喩している可能性がある。
【わあ、ひどい。ミツバチに対する嫌悪だって?全く違う。これはミツバチの習性が、必死でありながらも、その死に至るときにみせる哀愁に対する、むしろ畏敬だ。だからこそ、題名が「ミツバチのささやき」なんであって、その習性に対して姉妹の成熟していく様をみせているのではないか】

受賞 [編集]
•シカゴ国際映画祭 シルバー・ヒューゴ(1973年)
•サン・セバスティアン国際映画祭 コンチャ・デ・オロ - ビクトル・エリセ(1973年)
•スペイン映画記者協会賞 最優秀作品賞/最優秀男優賞 - フェルナンド・フェルナン・ゴメス/最優秀監督賞 - ビクトル・エリセ(1974年)
•Fotogramas de Plata, Madrid, Spain: 最優秀スペイン映画俳優 - アナ・トレント(1974年)
•ラテン・エンターテイメント批評家協会賞 映画部門: 最優秀女優賞 - アナ・トレント/最優秀監督賞 - ビクトル・エリセ(1977年)

コメント(3)

見た映画一つ一つトピックを立てなくても、スペイン映画のトピックが一つあれば事は足りるのでは?
同感です。
出来ればここではなく別コミュニティを作られたほうが良いのでは?

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